逃げない強さ

襲撃で、ヴァトムの民に死者が出なかった。


その点だけが、唯一ティアにとっては救いだった。


ティアたちが、避難する住民たちと行動していなければ、危険に巻き込むことはなかった。


疲れ果てて眠ってしまわなかったら。


馬車の行き先を、ちゃんと指定しておけば。


責任を感じる。


ティアは、ユファレートとワッツ夫人から、治療を受けていた。


ユファレートは、自分の左手首の治療は簡単に済ませ、あとはほとんどほったらかしである。


骨にヒビくらいは入っているだろう。


青黒く腫れ上がっていた。


額に脂汗を浮かべ、ティアの治療を続けている。


先に自分の怪我を治すようにいくら言っても、頑として聞き入れなかった。


付き合いが長いのだ。


わかる。


ユファレートは、もう限界なのだ。


魔力は尽きかけている。


負傷の影響もある。


今はもう立ち上がることすらできないだろう。


残った魔力で、ティアの治療をしてくれている。


戦えるのは、テラントとティアだけ。


託してくれているのだ。


『塔』を止めることを。


負傷した住民たちよりも、優先して治療を受けている。


ヴァトムの兵士たちが、怪我人を見て回っていた。


右肩の傷の具合が、ティアにはよくわからなかった。


体が震えるほどに痛む。


だが、ティアは声にも出さず我慢した。


ユファレートも、耐えているのだ。


服の右肩の部分が裂けていた。


そこから覗く傷口は、もうほとんど塞がっていた。


つやつやした新しい皮膚に覆われている。


傷が残ることはないだろう。


魔法の治療を受けている時は、女に生まれて良かったと心から思う。


傷の治り方が、男性よりもずっと早い。


なぜ女性の方が、魔法の治療の効果がでるのか、ティアは知らない。


ユファレートでさえもわからないのだ。


治療を受けているうちに、痛みはほとんどなくなってきた。


だが、力が入らない。


不安感に襲われる。


こんな状態で、戦力になるのか。


ユファレートが力を振り絞って治療してくれているのに、それが無駄にならないか。


テラント一人に戦わせることにならないか。


彼は、リトイの元にいた。


なにか二人で話している。


ヴァトムの兵士たちが、それを遠巻きに守っていた。


リトイは、折りたたみ椅子に座っていた。


酷く気落ちしているようだ。


まるで、老人のように見える。


治療が終わるまでは、リトイの側にいるよう提案したのは、テラントだった。


なぜか敵は、リトイとその部下とは争えないようだ。


リトイの近くにいた方が、安全だった。


しばらく話をしていたテラントが、戻ってきた。


リトイは、椅子に座ったまま、兵士に指示を出している。


兵士の一団が、街の方向へ去っていく。


指示を出し終えた後、リトイは俯いた。


初めて会った時よりも、ずっと小さく見える。


「なにを話してたの?」


テラントに聞いた。


「依頼と、謝罪だな。デリフィスの野郎を捜してくるよう頼んだ」


「デリフィスを?」


「あいつ、まだ水路の辺りをうろうろしてそうだからな」


テラントは、微苦笑した。


「無傷なのは、俺とデリフィスだけだ。あいつには、切り札くらいにはなってもらうさ」


「シーパルは?」


「今回は、いないもんと思ってくれ」


「……なにかあった?」


「あとで直接あいつに聞きな」


怒っているというよりも、呆れているような口調だった。


「……謝罪っていうのは?」


「馬、借りるって言ったのに、潰しちまったからな。返せなくなった。だから、まあ……」


そこで、にやりと笑う。


「代わりに『塔』を止めてやるさ」


「軽く言うわねー」


「てか、そうでもないとやってられんからな。正直、ここまで不利な状況は初めてかもしれん」


迫る制限時間。戦力差。人数差。そして、こちらは怪我人ばかり。


おまけに、敵地に突入することになる。


何十万人も、人質に取られている。


勝てる要素が、なに一つとしてない。


「あたしも行くから」


「……ここは、『塔』の効果の範囲外らしい。だから、一応安全だ」


「テラント一人で勝てるの? だったら、おとなしく待つけど」


「……」


テラントは、乱暴に髪を掻いた。


嘆息を混ぜつつ、聞いてくる。


「ティア、君が行く意味はあるのか?」


「あるわ。できることが一つだけあるから」


ティアが言うと、テラントは渋面を浮かべた。


意味がわかったのだろう。


「あー、やっぱティアはここに……」


「テラント一人で行っても、犬死にでしょ? 少しでも、可能性は上げるべきよ」


「……そうだな」


テラントは、また深々と嘆息した。


ユファレート、そしてワッツ夫人と宿屋の女主人の方へ、体の向きを変える。


「これから、俺たちは『塔』へ向かいます。着いたら、『塔』の近くで待機、デリフィスって奴の到着を待ちます。もし、十一時四十分までに奴が来なかったら、二人で突入します」


まるで、軍人が上司へ報告しているかのような調子だった。


「それを、デリフィスがここに来たら伝えて下さい。むっつりした剣士です」


ワッツ夫人たちが頷く。


宿屋の女の子も、多分意味はわかっていないだろうが、母親の腕にしがみつきながら頷いた。


テラントが、ユファレートだけに言わなかったのは、彼女が魔法の使い過ぎで昏倒する可能性を考慮してだろう。


「デリフィスさんなら、私たちの診療所に来ました。存じています。任せてください」


「お願いします。あと、ユファレート」


「なに?」


「ルーアが起きても、無理矢理俺たちを追わさせるようなことは言うなよ」


倒れているルーアを一瞥して、テラントは言った。


ルーアは、ずっと気を失ったままである。


重傷を負い、魔力を限界まで使い、体力も精神力も削り取られたのだろう。


「……でも」


「いいんだ。こいつは、とてつもなく重たいものを背負わされた。誰だって、そこからは逃げたい。眼を閉じたい。耳を塞ぎたい」


「……」


「無理矢理は駄目だ。来るんだったら、自分の意思で、だな。どうせ、もうまともに戦うこともできないだろうし」


「……わかったわよ」


ユファレートは、不満そうだった。


多分、ルーアにまだ怒っている。


ティアが怒鳴り散らかされた件についてだ。


「……これで、伝え忘れたことはないかな」


「じゃあ、行こっか」


わざと軽く言って、ティアは立ち上がった。


それだけで、右肩が痛む。


肘の関節の内側をぶつけた時のような、痛みの響き方だった。


表情には、出さないようにした。


悲壮感も痛がる姿も見せてはならない。


それだけで、みんなの不安感はさらに膨れ上がるだろう。


今回の事件で、住民が巻き込まれ傷ついたことを、ルーアやリトイだけのせいにするつもりは、ティアにはなかった。


ルーアは明らかに、ティアを庇うよう戦っていた。


それがなかったら、彼の負傷はなかったかもしれない。


そして、先程の襲撃で住民に怪我人が出たのは、自分のミスだとティアは思っていた。


「ティアちゃん」


宿屋の女主人だった。


「自分のせいだとか、背負い込まないでね」


まるで、心を見透かしたようなことを言う。


「あたしも、この子も、見てきたから」


女の子の、頭を撫でる。


「ティアちゃんたちが、苦しそうな顔をしているとこを。女の子なのに怖い顔をして、みんなのために一生懸命戦っているところも」


優しい表情をしていた。


「だから、どんな結果になっても、たとえ『塔』が発動することになっても、絶対責めたりしないから」


胸が、詰まるような感じがした。


女の子は、まだ幼過ぎて状況は理解できないだろう。


元気に手を振った。


「いってらっしゃい、おねーちゃん!」


右腕は動かない。


だからティアは、微笑んで左手を振り返した。


そう言えば、まだ親子の名前も知らない。


テラントと並んで歩きながら、ティアはそのことに気付いた。


なんとなくこれまで、聞きそびれていた。


ちゃんと聞いておきたかったな、ティアは胸中で呟いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


まずルーアの眼に入ったのは、薄い雲が拡がる空模様だった。


どれほどの時間、眠っていたのか。


記憶にある空は、晴れ渡っていた。


遮られた太陽の位置からして、数時間は経過しているだろう。


もしかしたら、数日かもしれないが。


(……なんだ? なんで俺は時間を気にしている?)


いきなり、視界に男の顔が入ってきた。


ぼそぼそと、口を動かす。


「選べ。俺と行くか行かないか」


デリフィスだった。


「……どこに?」


「『塔』だ」


『塔』。


その単語で、記憶がはっきりと繋がる。


跳ね起きかけて、体が拒絶する。


左腕が、痛むのだ。


そのことを、体が学習していた。


ジャケットに、足跡が付いていた。


どうも、デリフィスに蹴り起こされたらしい。


「……状況は? あと、時間」


左腕に負荷が掛からないよう、ゆっくり身を起こす。


「時刻は十一時を回ったところだ。『塔』へ、テラントとティアが先に向かっている」


「テラントと……オースター……が?」


言われて辺りを見回した。


随分と人が増えている。


避難したヴァトムの住民だろう。


街並は、霞むようにしか見えない。


怪我人が多数いるようだ。


気絶している間、一騒動あったのかもしれない。


腕組みをして突っ立つデリフィス。


宿屋の親子と、ワッツ夫人もいる。


ティアの姿はない。


ユファレートが、敷かれた毛布に横たわっていた。


顔色は真っ青である。

そして、汗の玉を浮かべている。


左の手首は、腫れて膨れ上がっていた。


骨折している。


「なんで……」


魔法で癒さない?


聞きかけて、ルーアは口をつぐんだ。


魔力が残っていないのだろう。


おかしなことに、少し安堵している自分がいる。


ユファレートは、魔法を盛大に使い続けていた。


これで平然とされていたら、自分の才能のなさに泣けてくる。


ユファレートだけでなく、ワッツ夫人も疲れ果てているようだ。


眼の下に隈が貼り付いている。


そして、ルーアの左腕の痛みは、いくらかましになっていた。


ユファレートが、そっぽを向いた。


明らかに不機嫌である。


考えるまでもなく、理由は思い当たった。


みっともなく、ティアに当たり散らした。


意識を失う直前を思い出す。


あの時から、ユファレートは怒っていた。


表情には出していなかったが。


「……悪かった」


素直に謝ると、ユファレートは顔を向けてきた。


ただし、半眼になっている。


「……本当に、悪かったって思ってる?」


「思ってるよ」


あれは、八つ当たりだった。


敗北に苛立ち、それをごまかすため、ティアに当たった。


「本当に?」


「思ってるって」


「……心の底から?」


「だから……しつこいな」


「だったら、わたしじゃなくてティアに謝って」


「……」


謝るべきなのだろう。


それはそうなのだが、なぜか謝ったら最後な気がした。


ずっと、色々な主導権を握られるような。


「返事は?」


「……わかったよ」


「ちゃんと謝ってね。約束。破ったら、絶交だからね。一生、口利かないから」


「絶交て……」


(小学生かよ……)


心の中で呟く。


「……それで、行くのか、行かないのか?」


デリフィスの言葉には、若干の待ちくたびれたような雰囲気が込められていた。


相手は、ダリアンにバラクにレオン。

兵士が何人か。


ソフィアもいるかもしれない。


『塔』は敵の本拠だった。


罠に飛び込むようなものである。


『塔』を発動させると脅されたら、身動き一つとれなくなりそうだ。


「どう贔屓目に考えても、勝ち目は薄いな……」


「そうか」


短く言って、沈黙する。


デリフィスは、腕組みをしたまま動こうとしなかった。


「……なんだよ」


「リトイが、馬車を準備してくれている。あと、馬を選んでくれている。それ待ちだ」


「いや。なんで行かないのか、じゃなくて。普通こういう時、叱咤激励して背中を押すもんだろ」


「べつに、行きたくなかったら、行かなくていいと思っている」


一瞬耳を疑って、デリフィスの眼を見返した。


冗談を言っている眼ではない。


「べつに逃げても、責めるつもりはない。俺がお前の立場だったら、全部放り投げるかもしれん。誰だって、自分のことだけ考えて、自分のためだけに戦う方が楽だからな」


「……けど、あんたは行くんだな、デリフィス」


「テラントとティアが、どうして逃げないか、わかるか?」


考えるまでもなかった。


「どうせ、みんなのためとか言うんだろ」


「そのみんなには、多分お前も含まれている。俺もな」


「……」


「止められる可能性があったのに、何十万と殺されて、平然と日常を過ごせるほど図太くはないだろう?」


デリフィスがこれだけ喋るのは、初めてな気がする。


だからこそか、一つ一つの言葉が重たく感じられた。


(……なんなんだ、あいつらは)


特に、ティアである。


逃げない。


背負い続ける。


ルーアよりも、テラントやデリフィスよりも、ずっと弱いはずなのに。


「……行くに決まってんだろ。ダリアンに指名されたのは、俺だからな」


「……私も、行こう」


背後からだった。


「領主様……」


宿屋の女主人が驚いている。


ヴァトムの領主、リトイ・ハーリペットだった。


顔を合わすのは、二回目だった。


半日ぶりになるのか。


たったそれだけの時間に、随分と老けたと思う。


「全て、私の責任だからな」


低い声は、重々しく響いた。

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