招待状

夢を見ている。

それを、ルーアは自覚していた。


たいした夢ではない。


目覚めと同時に忘れてしまうほど、印象に残らない夢。


別に構わない。


夢など、しょせんは幻覚なのだから。


忘れてしまったとしても、現実に影響はない。


現れては消えていく無価値な幻覚の中に、彼は溺れていた。


空腹感があるが、この怠惰な時間を打ち切ることが惜しい。


夢の中、誰かと会話していた。


相手は、男だったり女だったりした。


他愛のない会話である。


「ルーア……」


女が、肩に触れてきた。


ルーアは、その手を払った。


邪魔をするな。

俺はまだ、だらだらしたいんだ。


まどろみながら、宿のベッドの上、シーツに包まる。


「ちょっと……いい加減に起きなさいよ」


どこか甘ったるく聞こえるのは、脳がまともに活動していないからか。


シーツを剥ぎ取ろうとしている。


夢という幻覚のくせに、生意気だった。


自分が目覚めると、消失してしまうというのに。


シーツを引っ張る手首を、ルーアは掴んだ。


随分とほっそりとした手首をしている。


その割には、豊満な体つきだった。


実は、スレンダーな体つきの女の方が好みだったが、この際どうでもいい。


なぜか女は、露出の高い格好をしていた。


さすが夢だった。


たまにはいいものを見せてくれる。


部屋に、女を連れ込んだだろうか。


記憶には全くない。


けどまあ、夢の中だし連れ込んだのかもしれない。


連れ込んだに違いない。


その方がいい。


自分の夢の中でくらい、いい思いをしてもいいだろう。


手首を掴まれ女は抵抗していたが、ルーアは構わなかった。


強引に抱き寄せる。


「うわきゃっ!?」


女が、短く悲鳴を上げる。


「あー、やわらけ……」


「な・に・を……!」


女が、腕の中で呻いた。


「寝ぼけてんのよ、あんたはっ!」


ぎりぎりと、脇腹をちぎらんばかりに抓り上げられる。


伸ばした赤毛も、思いっ切り引っ張られた。


「……!? ……いっだだだだだ!?」


さすがに目覚めたルーアの腕の中から、女がばたばたと逃げ出す。


痛む脇腹を押さえ、ルーアは女を見遣った。


ティア。

顔を真っ赤にして、肩で息をしている。


豊満な体つきの女は、どこにも見当たらない。


「……ちぢんだ」


「なにがよ!?」


一瞬見えた白い太股に、眼を奪われる。


ホルダーが見えた。


そして、飛んできた何かを、ルーアは宙で掴み取った。


「……」


短剣だった。


手入れは、きちんとしてあるようだ。


つまり、刺さる。


「……殺す気か」


「ちゃんと外して投げたわよ。それにあんただったら、そんくらいかわせるでしょ?」


そういう問題か?


「……かわしたら、壁に穴が空いてたな」


なにか、突っ込みどころが違う。


「直せるじゃない」


「……シーパルじゃねえんだ。なんでもかんでも直せると思うな」


体のある程度の負傷などは治せるが、物体の損傷はルーアには直せない。


「……どうでもいいが、俺、鍵掛けてたよな?」


「そんなの、針金一本あればちょちょいよ」


「……」


胸を張って言うことか。


せめて、鍵を借りてくるという発想はなかったのだろうか。


「……んで、なんでわざわざそんなことを?」


「あ、そうそう」


ティアは、ポケットから何かを取り出した。


手渡してくる。


手紙のようだった。


「大至急、あんたに渡してくれって」


「……誰が?」


「領主様の使いだって。狐みたいな顔の人だった」


「……領主から?」


手紙を眺めてみる。


一度、封が切られたような跡があった。


「……中、読んだか?」


「爪でかりかりってしただけよ。さすがに途中でやめたの。えらくない?」


「ああ、くそぅ……。さっきから突っ込みどころが満載なのに、まだ頭がうまく回らねえ」


ぶつぶつぼやきながら、ルーアは手紙に眼を通した。


「なに書いてあるの?」


「……俺を食事に招待したい、だと。館にきてくれって」


「ルーア、領主と知り合いなの?」


「……知らね」


「じゃあ、なんで」


「さあな」


本当は、心当たりはあった。


ルーアの記憶に間違いがなければ、ヴァトム領領主リトイ・ハーリペットは『コミュニティ』の人間である。


まず、なんらかの罠だろう。


「……領主の館で食事かぁ」


ティアがなにを考えているか、ルーアはわかるような気がした。


「つれてけ」


「断る。てか、行く気ねえよ。胡散臭え」


手紙を丸めて、ルーアはごみ箱に放った。


「あー、ちょっと!」


喚くティアを無視して、ルーアはベッドに寝転がった。


「まだ、寝るつもり? もう、おやつの時間よ」


「だりーんだよ」


ここヴァトムの街に着いたのは、昨日の昼過ぎだった。


船酔いで、ルーアは青い顔をしていた。


ようやく休める宿を見つけたところで、いきなり地震である。


場所によっては、かなりの人が被害にあったようだ。


さすがに、無償で救助活動に参加した。


瓦礫の排除や怪我人の治療等、魔法使いができることは、いくらでもある。


宿に戻ったのは、翌日の朝方だった。


「ユファもシーパルも、ぴんぴんしてるよ」


「……あいつらと一緒にするな」


魔力容量が違うのだ。


同じだけ魔法を使ったら、ルーアの方が負担は大きい。


それに、最近鈍り気味なのである。


ランディの件が片付いてからだった。


体調を崩し、風邪を引いた。


風邪で寝込んだのは、物心ついてから、初めてな気がする。


それが、一週間以上続いた。


治った後も、どうにも気力が湧かない。


ストラームから、リーザイに戻れという命令もないので、ルーアは適当に、数日かけてヘリクハイトを観光して回った。


それでも、気力は戻らない。


ヘリク国の他の街や、観光地を見て回っても、同じだった。


「……五月病かなぁ」


「いま三月」


「三月か……」


あれから、二ヶ月が過ぎたのだ。


その間、何をしていた。


ただ、無為に過ごしてきただけだった。


本当は、わかっている。


すぐにリーザイへ向かうべきなのだ。


ランディはいない。

自分もいない。

レジィナは、出産したばかりだろう。


ストラームは、元々何かに忙殺されている。


五人で行っていた仕事量を、今はライアとミシェルの二人で熟していることになる。


わかってはいるのだ。


だが、あいつらに、俺はどんな顔を見せればいい?


「あー……憂鬱だ」


「いい加減、しゃきっとしなさいよね」


多分ティアは、いつまでも起きないことについて言っているのだろう。


だがルーアは、ランディのことについて言われているような気分になった。


ここ二ヶ月、気を遣われているような気がする。


ティアとユファレート、そしてテラントたちは、ずっとルーアについてきた。


リーザイに帰国したエス曰く。


『共に行動してくれた方が、君たちの捜し人を見つけた後、連絡を入れやすい』


とのこと。


ルーアは、本当は独りでいたかった。


だが、テラントたちは撒ける気がしないので、あっさりと諦めた。


「……他の連中は、なにしてる?」


「みんな、何か手伝えることはないかって、出ていったわよ。あたしは、あんたの見張り」


(見張りってなんだ……)


「……ユファレートもいないのか。ますます起きる気にならねえ」


外から、子供たちの声が聞こえた。


声の調子からして、小学校低学年というところか。


街を襲う悪人を、勇者がやっつけて云々という会話だった。


無邪気な笑い声がする。


漫画や演劇の話だろう。


かなりどうでもいい。


災害に見舞われた翌日に、よくそんな会話で盛り上がれるものだ。


この辺りは、あまり地震の被害がなかったということか。


「……うっぜ」


「……感じ悪ぅ」


「小さい子供……苦手なんだ」


言葉を選び、嫌い、とは言わなかった。


幼い子供を見ると、自分が幼かった頃を思い出す。


無力で、無知で、ただ奪われるだけの存在。


無邪気に笑った記憶など、ない。


ドアがノックされた。


「はーい」


「なんでお前が返事する……」


ティアが、ドアを開いた。


「だから、俺の部屋だっての……」


ドアに立っていたのは、まだ五歳くらいの女の子だった。


「お花をお届けに参りましたぁ」


ぺこりと頭を下げると、花をさした小さな花瓶を差し出す。


ティアは受け取ると、女の子の頭を撫でた。


「あら、ありがとう」


女の子は、にぱぁ、と笑い立ち去った。


この宿の娘だろう。


サービスなのか、引く台車に同じような花瓶が見えた。


あの笑顔を見ると、サービスよりも、親が娘を客に見せることが目的な気がする。


「……なんか、この街、苦手だ」


枕に顔を埋め、ルーアは呻いた。


「なんでよ?」


「なんとなくだ」


ティアは、花の匂いを嗅いでいる。


「花とか、絵画とか、骨董品とか、ぬいぐるみとか、部屋が狭くなるだけじゃないか」


実用性のない物を、部屋に置く感覚が、ルーアにはよくわからなかった。


「……荒んでるわねー、あんた」


「うるせー。いいから出てけ」


ティアは、ため息をついた。


「あ。そう言えばさ」


「……なんだよ」


「また、後で迎えに来るって。領主の使いの人」


「……そうかい」


領主リトイ・ハーリペットは、『コミュニティ』の人間。


それを、ルーアは改めて思い出した。


早めに逃げ出した方がいいのかもしれない。


「……あー、めんどくせ」


ぼやきながら、ルーアは身を起こした。


窓から、『ヴァトムの壁』が見える。


深紅に染まったその壁を見ると、不意に不安になった。


きっと、気のせいだ。


ルーアは頭を振った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


手早く支度を済ませると、ルーアは宿の一階に下りた。


食堂となっている。


食事時ではないので、空いていた。


旅行者らしい二人組が、サンドイッチをくわえながら、地図を見ている。


宿の女主人は、カウンターの向こうで、皿を洗っていた。


さっき部屋に花瓶を持ってきた女の子は、床にモップを掛けている。


宿の入口近くのテーブルには、ティアと見知らぬ男が談笑をしていた。


きちんとした身なりの男だ。


「ルーア、こっちこっち」


ティアが気軽に手を振る。


「この人が、領主様の使いの方」


「領主リトイ・ハーリペットの従者を務めております、ダリアン・ローレラと申します。以後、御見知りおきを」


会釈をすると、ダリアンは手を差し出した。


だが、その手を握る気にはなれなかった。


武器を扱い慣れているということは、手を見ればわかる。


顔付きは、なるほどティアの言う通り、狐に似ていた。


だが、そんなことよりも。


はっきりと殺気を向けられていることを、ルーアは気付いていた。


嘲笑うような殺気だ。


ティアたちに変化はない。


ルーアだけに向けられた、隠す気のない殺気。


こちらが無言でいると、ダリアンは話を続けた。


「ルーア様ですね? 我が主人、リトイ・ハーリペットが、あなたと食事を共にしたいと申しております。来て頂けませんか?」


「あたしも、来ていいって」


脳天気に、ティアが言う。


「……断る、って言ったら?」


「なんでよ?」


ティアが不平の声を上げるが、それは無視。


「ああ、もちろん、こちらが一方的に望んでいるだけですから、断られても結構ですよ。ですが……」


一瞬だけ、含みを持たせた顔をする。


「本当に、断られても、宜しいのですか……?」


(……こいつ)


ダリアンがどれ程の腕か、まだよくわからない。


だが少なくとも、即座に取り押さえることは無理だろう。


そしておそらくダリアンは、その腰に下げた剣の範囲内に、ティアと宿屋の女の子を入れている。


人質を取られたも同然だった。


来ないのならば、どうなるかわかるな?

ダリアンの眼は、そう言っていた。


ルーアは、内心で舌打ちしていた。


「……行けばいいんだろ、行けば」


ダリアンが、実に爽やかに見える紳士的な笑みを浮かべた。


「外に馬車を待たせてあります。さあ、こちらへ」


ダリアンの思うがままに事が動いている。


そんな気がする。


ルーアは、また舌打ちをした。


「あんたさっきから、ガラが悪いわよ」


何も知らないティアが、そんなことを言う。


ルーアは、後悔した。


ティアには、先に領主が『コミュニティ』の人間だと話しておくべきだった。


そうすれば、逃げるくらいの機転は利かせてくれたかもしれない。


いまティアは、本人が気付かないうちに、人質となっている。


馬車は、二頭立てだった。


後部席に、ティアと並んで座った。


前の席にはダリアン。


後頭部を、ぶち抜いてやろうか。


凶悪な魔法の構成を思い浮かべながら、ルーアはダリアンを睨んだ。


ダリアンの剣の範囲内には、相変わらず自分とティアがいる。


馬車が、ゆっくりと進み始めた。


ダリアンが、他愛もない話を仕掛けてくる。


受け応えは、慎重にした。


一つ一つの言動に、裏があるような気がする。


ルーアの口数が少ないため、自然とティアとダリアンの会話が増えていった。


ティアに、リトイ・ハーリペットの正体を伝えたいところだが、その話に変えようとすると、ダリアンの殺気が強まる。


(疲れる……)


それも、多分ルーアだけが疲れる道程だった。


「ヴァトムには、いつまでいらっしゃるご予定ですか?」


「……どうすんの?」


「今すぐにでも、出て行きたいんだけどな……」


本音だった。


滞在時間が長くなればなるほど、面倒なことになりそうだ。


「……この街を出たら、次はどちらに?」


「えと、彼の目的地がリーザイですから……」


(……余計な情報を与えるなよ)


「リーザイでしたら、北東へ二ヶ月といったところですね」


「……船には、二度と乗らん」


東には、大陸を東西に二分するニウレ大河がある。


船旅は御免だった。


陸路だと、ここから南のラグマ、そこから北東のザッファー、そして北のリーザイと国を跨いでいくことになる。


四、五ヶ月はかかるだろう。


「そう言えばルーア、馬車は平気なんだね」


「……そうだな」


船以外で、乗り物酔いをしたことはない。


「見えてきましたよ」


ダリアンが、首から上だけを振り返らせる。


「領主、リトイ・ハーリペット様の館です」


その口許には、皮肉気な笑みが見え隠れしていた。

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