プロローグ2

昨日の地震がヴァトムの街に与えた影響は、予想を超えるものだった。


現在、判明しているだけでも、死者七十八人、重軽傷者は二千人以上。


被害状況がはっきりするにつれ、さらに被災者の数は増えていくだろう。


ヴァトムの街の領主である彼、リトイ・ハーリペットは本日の調練は中止とした。


街の境界に最低限の兵を残し、あとの全軍には、民の救助と治安の維持に当たらせた。


リトイ自身も馬を駆けさせ、あるいはその足で歩き回り、被害状況を自分の眼で確かめた。


酷い有様だった。


路面は陥没し、建物は倒壊している。


まだ生き埋めになっている民がいるのか、救助隊が必死に瓦礫を排除していた。


側近の耳打ちに、リトイは表情をさらに曇らせた。


西地区の水路が決壊している。


生活用水の分は、他の地区から回せば補助できるだろう。


だが、農業用水の分は賄えそうにない。


これから暑くなる。


農民にとっては、死活問題だった。


早急に、対策を練らなくては。


「私は、館へと戻る。お前は、街を見て回れ。何か思い付いたことがあったら、いつでも報告せよ」


側近の男に告げると、リトイは馬を駆けさせた。


従者が四人、ぴったりとついて来る。


私心を忘れ、リトイに忠誠を誓った男たち。


自分の命よりも、リトイの命を優先させるだろう。


愚かな者たちだった。


リトイが、命懸けで守るに値する男ではないと、彼らは気付いていない。


救助支援をしていた兵士たちが、リトイの姿を認め敬礼をする。


助け出されたばかりの男が、苦痛に顔を歪ませながらも、無理矢理笑顔を作る。


食料配給をしていた女性たちが、リトイに頭を下げた。


避難所の前を通り掛かると、子供たちが笑顔で手を振った。


年寄りたちが、本当は不安なくせに、穏やかな表情を見せる。


慕われている、のだろう。


ヴァトムの領主、リトイ・ハーリペットという男は。


期待しているのだろう。


優しく民想いな領主様が、きっと助けてくださると。


愚かな民たちだった。


どうしようもないほど、愚かだ。


リトイ・ハーリペットが本当はどういう男なのか、彼らは全く知らない。


醜く汚れていることを知らない。


罪なき命を無数に奪ってきたことを知らない。


『コミュニティ』という組織の一員だということを、知らない。


何も知らず、領主として慕ってくれている。


救いようもないほど、愚かだ。


危険なこの街で暮らす、住人たち。


街の西の外れには、深紅に染まる巨大な塔がそそり立っていた。


そして、街の北から、東、南と曲線を描くようにそびえる深紅の壁。


『ヴァトムの塔』と『ヴァトムの壁』。


それは、街のどこからも眼にすることができる。


旧人類が残した、兵器。


リトイは『塔』を一瞥すると、馬に鞭を入れた。


春の風が、頬を叩く。


◇◆◇◆◇◆◇◆


リトイは椅子に腰掛け、両肘を机に置き、顔の前で手を組み合わせた。


思案するときは、その姿勢になる。


領主の館の、執務室だった。


領主の館といっても、豪勢なものではない。


せいぜい、ちょっとした金持ちの家、といった程度の大きさである。


執務室にある調度品にも、たいした物はない。


質素なものだった。


唯一、金がかかっているとしたら、部屋の壁際に並ぶ、年代別の七体の甲冑くらいなものだ。


趣味の一つくらいはあってもいいだろう。


私財で購入した物である。


背中と尻の痛みが、考え事をする妨害をした。


最近は、馬に長時間乗りすぎるとこうなる。


若い頃はなかったことだ。


リトイは、五十歳をいくつか過ぎていた。


髪は数年前から白くなった。


苦労してきたせいだろうか。


後ろに撫で付けるようにしているため、あまり視界に入ることはなく、気にしたことはないが。


すでに、王都には地震発生報告の使者は出してある。


遥か北の彼方なため、到着に数週間はかかるだろう。


当然、近隣の街に救援の依頼を出す。


ボランティアで活動している者たちにも、いくばくかの報酬は出すべきか。


彼らは営利目的ではないだろうが、それでも意欲は上がるだろう。


領主としては、救助活動が一段落した後のことも考えないといけない。


いかに早く復興させるか。


やはり、水路の決壊が痛恨だった。


今年は、西地区の作物の収穫は、望めないかもしれない。


去年は日照りが長く続き、街中で不作だった。


蓄えはある。


まずはそれを解放するべきか。


北地区の郊外には、土地が余っている。


退役する老兵には、帰る家がなく営舎暮らしの者がいる。


彼らに土地を分け与え、開拓してもらう。


初めはこちらで、手厚く援助してやる必要があるだろう。


すぐに収穫が上がることはないが、長い眼で見ると効果的だった。


土地を余らせる必要はない。


望む者がいたら、退役を一年早めてもいい。


それには、王都の許可がいるだろうが。


街のことを考えている時、リトイは充実していた。


次々と新しいことを思い付く。


一度、リトイは息をついた。


いい領主なのだろう、おそらく自分は。


この地に赴任してきた時から、いい領主であらんとした。


民のことを想い、民の生活が少しでも裕福になるよう努力してきたつもりだ。


机上に積まれた書類に、リトイは眼を通していった。


街のことは、側近たちに逐一報告させている。


領主の印が必要となるものは多い。


内容を把握し、許可を出す。

それもリトイの仕事だった。


地震のせいで、いくらか滞っている。


リトイは、昨日ヴァトムを訪れた者たちのリストを手に取った。


本来なら、今日の早朝には確認しておかなければならなかったことである。


ここヴァトムは、城塞都市ジロと並んで、ホルン王国の南の要だった。


すぐ南には、大陸最大の王国ラグマがある。


ラグマは領土拡大に野心的だった。


今は北東と西に難敵を抱えているので、ホルン王国まで手を出す余力はないようだ。


だが、いつ矛先が向くかはわからない。


ヴァトムは前線の都市と言えた。


もっとも、さらに最前線には城塞都市ジロ、そしてなにより、国境は天険レボベル山脈に守られているため、緊張感はあまりない。


とはいえ、ラグマ王国は常にヴァトムやジロの動向には眼を光らせているだろう。


今回のヴァトムを襲った地震についても、両手を上げて喜んでいるに違いない。


当然、普段から間諜を送ることくらいはしているだろう。


そのため、街を出入りする者のチェックは欠かせない。


リトイは、作業の手を止めた。


ヘリク国フレンデルとの定期船の乗客リスト。


海で守られたヘリク国は中立の立場を数十年とっている。


レボベル山脈を避けるため、ヘリク国を経由してヴァトムを訪れるラグマ人は多い。


その中に、間諜が潜んでいることは多々ある。


リトイが手を止めたのは、ラグマ人のためではなく、ある名前が眼に入ったからだった。


ルーア。


(……まだ、ルーアと名乗っているのか、あの若者は)


それが、酷く皮肉なことに思われる。


今年の初めに、ヴァトムを訪れ、発った形跡がある。


ただし、その記録は完全に抹消されていた。


おそらく、リーザイの亡霊の仕業だろう。


だが、今は亡霊の守護はなく、名前をさらけ出している。


面倒なことになる、とリトイは直感した。


『コミュニティ』がなんらかの行動を起こすことは間違いない。


この、ヴァトムの地で。


(……なんだ?)


ふと、何かが引っ掛かることに、リトイは気付いた。


ルーアという名前を見つめる。


それで何かが変わるわけもないが。


めくっていた書類を一枚戻した。


シーパル・ヨゥロという名前がある。


さらに、書類を戻していく。


デリフィス・デュラム。


テラント・エセンツ。


ユファレート・パーター。


そして。


ティア・オースター。


(……ティア・オースター、だと?)


ティア・オースターからルーアまで、入国審査はほぼ同一の時間で行われていた。


(……行動を共にしている?)


だとしたら。


「……あるいは、次の生贄か?」


声に出た。


『コミュニティ』は、このことを把握しているのだろうか。


(……愚問だな)


不意にそれに気付き、リトイは椅子を蹴るようにして立ち上がった。


つい、書類を握り潰してしまう。


七体並ぶ甲冑の中央。


その前に、女が立っていた。


口許に、妖艶な笑みを浮かべ。


「……死神ソフィア、いつから、そこにいらっしゃったのですか?」


「二十分くらい前かしら?」


事もなげにいう女に、リトイは戦慄していた。


二十分もの間、同じ部屋にいて、女の存在に気付けなかったのか。


完璧なまでの隠密術だった。


女がその気になっていたら、何百回殺されていたのだろう。


「……気にすることはないわ、剣鬼リトイ」


まるで、リトイの心を見透かすようなことを、女は言った。


「鈍い子になると、一日中私に気付けないから」


くすくすと笑う。


少し癖のある黒髪を、長く伸ばした女だった。


体の輪郭がわかりやすい、体にぴったりとフィットしたボディスーツを着ている。


二十歳にも満たない美しく若い娘に見える。


だが、見た目通りの年齢ではないことを、リトイは知っていた。


知り合って二十年ほどはたつはずだが、その時から女はその姿だった。


死神ソフィア。


女は、そう呼ばれていた。


有りがちな名前である。


だからリトイは、偽名でないかと勝手に思っていた。


実際のところは知らない。


そして、有りがちな二つ名だった。


それは、ソフィアのこれまでの実績による。


彼女は、『コミュニティ』の三人の最高幹部の一人だった。


役割は、組織を裏切った者と、組織に潜みスパイ活動をする者の処分。


ソフィアに眼を付けられた者は、みな殺されていた。


いつしか、彼女は組織のメンバーから、畏怖を込めて死神と呼ばれるようになった。


「あなたに、指令があるの、剣鬼リトイ」


女の声は、涼やかだった。


「その二つ名は、やめて頂きたい。私はもう、人を斬ることはできません」


「あらそう。それじゃあ、ヴァトム領主、リトイ・ハーリペット様」


ソフィアが、笑みを深くした。


「指令よ。彼が……ルーアがこの街にいること、知っているわよね?」


「……はい」


「殺しなさい」


リトイは、拳を固めた。


刃物を突き付けられているような気分になっている。


「……私が、もう人を殺せなくなっていることを、ご存知のはずだ」


「そうね」


ソフィアは、気軽に肩をすくめて見せた。


「実はね、フラれることがわかっていたから、別の子に指令は出していたの。……いえ、正確には、その子が立候補したんだけどね」


「……誰です?」


「ダリアン」


「あんな、若造に……!」


城塞都市ジロで活動している、最近『コミュニティ』に加わった、二十代半ばの男だった。


一度だけ会ったことがあるが、感じた印象は最悪だった。


「若造かもしれないけど、彼は本物よ。腕はあなたに劣るでしょうけど、狡猾で残忍。そして、とても強い出世欲を持っている。わかりやすくて、私はけっこう好きよ」


いくらか皮肉気に、ソフィアが言った。


「『ヴァトムの塔』」


執務室には、西向きの窓はない。


部屋からは『塔』は見えなかった。


『壁』は見える。


「兵を配置してあるわね?」


「それがなにか……?」


『塔』は兵器だった。


当然の管理である。


「解きなさい。ダリアンが使いたがっているの」


「……! お待ちください! それは……!」


ヴァトムの街の民すべてが、巻き込まれることになる。


「あらあら……」


ソフィアの、いつもの妖艶な笑み。


リトイは、体の震えが抑え切れなかった。


「殺しはできない。そして、兵の配置も解けない、ということかしら?」


汗が顎をつたり、机に落ちた。


「組織への反抗だと捉えられても仕方なくてよ、リトイ・ハーリペット。私の役割……わかるでしょう?」


裏切り者の、排除。


ゆっくりと、ソフィアが近付いてきた。


「なぜ、なのです……?」


リトイは、なんとか声を搾り出した。


「ボスが亡くなられて、三年が経ちます。あなたたち三人が、組織のトップだ。それなのに、これまでルーアに手を出さなかったではありませんか?」


ソフィアの足取りは変わらない。


「なぜ、今なのですか? なぜ、ここなのですか? あの、ティア・オースターとは、何者なのですか?」


ソフィアが、リトイの頬に触れた。


すでに、そこまで近付かれていた。


ソフィアが、顔を寄せた。


吐く息が届くほどの距離。


「あなたは、何も気付かなかった。何も、疑問に思わなかった。いつものように、殺しは断り、いつものように、他の指令には頷いた……」


耳元で、囁く。


「……それでいいじゃない。それで、あなたはこの街の領主でいられる。この街で、老いて、朽ちていけばいいの」




「……私は、領主だ。無力な領主だ」


ソフィアが去った執務室で、リトイは独りごちた。


民よ。愚かな民よ。


これから、お前たちに、どれほどの災難が降り懸かるのか。


リトイは、机に爪を立てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます