エピローグ1

ランディは、静かに眼を開いた。


眼の奥が痛む。


ひどく眩しい。


そこは、白かった。


壁も天井もなく、床がただ延々と続いている。


ぽつりぽつりと、机や本棚が置かれていた。


なぜか扉があるが、遮る壁がなければ、意味は成さないだろう。


ロッキングチェアーが、音もなく揺れている。


何もかもが、白かった。


本の文字も白いのだろうか。


そんなどうでもいいことが、頭を過ぎった。


ランディは、自分の胸に触れてみた。


剣が、貫いたはずだった。


そして、額は魔法で穿たれた。


だが、痛みも傷もない。


病のための、胸と腹の不快感も消えていた。


自分は、確かに死んだはずだ。


ならばここは、死後の世界か。


嗤う。


「こんな真似をするのは、エス、あなただな」


「そう、私の仕業だ」


音もなく扉が開き、エスが姿を現す。


同じ白なのに、何かが違う。


より濃く、深い白。


「ここは、私の世界」


ランディは、理解した。


「そうか。つまり、私は、私であって、私ではないのだな」


「君は、理解が早くて本当に助かる。その通りだ。君は、君であって、君ではない」


エスは、腕を横に拡げた。


「ランディ・ウェルズという男の、記憶、意識、知識、思考、理念、精神、心、感情、魂、気力、意思……」


今度は、胸の前で手を組み合わせる。


「そういったものの集合体。それが君だ」


「なぜ、こんな真似を?」


「ランディ。……ああ、ランディと呼ばせてもらうよ」


「どうとでも呼べばいい」


「ならばランディ。君に聞きたいことがある」


「なんだ?」


「なぜ、ルーアごときが君に勝てた?」


愚かな質問に、ランディは鼻で笑った。


エスは、それが気に喰わなかったのか、眼を細めた。


「ルーアごときでは、準絶対魔法防御壁は破れなかった。ルーアごときでは、ランディ・ウェルズを殺せるはずがなかった。これは、ルーアにしては強すぎる」


「わからないか?」


「一つだけ、可能性があるとしたら、ルーアが自分の中の化け物を目覚めさせることだが、それはそれで、また矛盾が生まれる」


「ほう」


「ルーアが、化け物を目覚めさせたのならば、もっとたやすく準絶対魔法防御壁を破ったはずだ。そして、ランディ・ウェルズごときに苦戦するはずもなかった」


ごときとは、酷い言いようだった。


「ルーアの化け物が目覚めたにしては、弱すぎる。君とルーアが戦えば、結果は二つしかなかった。すなわち、ルーアの敗北か、ルーアの快勝か。だが出てきた結果は、ルーアの辛勝といえよう。だから、わからない」


「実に簡単なことだ、エス」


おかしかった。


誰よりも豊富な知識を有するこの男が、こんな簡単なこともわからないとは。


「ルーアは、化け物などにならなかった。ルーアはルーアのまま、私を超えてみせた」


「だから、ルーアのままでは、君に勝てるはずがなかったと言っている」


「人は、成長をするのだ、エス。特に、ルーアのような若者はな。時に、我々の予想を遥かに超える成長を見せる」


「それは、私を甘く見すぎだ、ランディよ。私が、人の成長を計算に入れていないわけがあるまい」


いくらか、エスは苛立っているようだった。


「私の中には、七百年以上の、人類のデータが詰まっているのだぞ」


「くだらない。それがなんだというのだ」


「……なに?」


「現実を見ろ。ルーアは目覚ましい成長を見せ、私を超えた」


「だから、成長した程度では……」


「まだわからないのか。データは所詮、ただのデータだろう。データの誰よりも、ルーアは成長してみせた。ただ、それだけの話だ」


それは、紛れも無い事実。


エスは、呆然としていた。


事実を受け入れることに、時間を要するようだ。


しばらくして、ようやくエスは口を開いた。


「……それは、非常に驚くべきことである。同時に、私にとって喜ばしいことでもあるな。新たに、データが更新されるのだから」


ランディにとっては、どうでもいいことだった。


「そんなことを聞くために、私を蘇らすとはな」


「だが、これでさようならだ、ランディ。私にとって、人を一人再現させることは、とてつもない負担なのだよ。これからの仕事に支障をきたすほどにな。だから、君を消去させてもらう」


「構わんさ」


とうに、死ぬ覚悟はできていた。


「だが、君はとても役に立ってくれた。だから特別に、君の言葉を伝えてあげよう。みなに、言いたいことがあるのではないかね?」


「いくらでもな」


「いくらでも、構わんよ。一言一句違えず、正確に伝えよう」


懐かしい顔が、次々と浮かんだ。


ストラーム。


感謝の言葉を、ちゃんと言ったことがなかったような気がする。


救ってくれた。


命などではなく、存在そのものを。


居場所を、与えてくれた。


使命を、生きる意味を、戦う意味を与えてくれた。


あなたがいなかったら、ランディ・ウェルズという男は、もっとつまらない死に方をしていたでしょう。


あなたがいたから、これまで生き抜くことができた。


満足できる死を迎えることができた。


感謝いたします。


どうか、いつまでもご健勝で。


ライア。


誰よりも、ストラームやルーアよりも、重たく辛いものを背負わせてしまう。


そして、消え逝く私では、お前を支えることができない。


共に地獄を歩むことはできない。


だから、せめて心から祈ろう。


お前が、呪われた運命に打ち勝つことを。


私はもう、お前の力にはなれない。


それを、すまなく思う。


かけがえのない家族があるのだ。


必ず、守り抜け。


そして、生き抜け。


レジィナ。


出会ったばかりのことを、君は覚えているだろうか。


心と感情を、奪われていた。


だが、君は変われた。


みなと過ごすうちに、心と感情を取り戻していった。


徐々に表情が豊かになっていく君を見ることが、私にとって最大の楽しみだった。


ウェディングドレスを着た姿を見れなかったことが、残念だよ。


ライアと、生まれてくる子供と。


幸せになって、欲しい。


ミシェル。


私のような愚かな男を、師と呼んでくれた。


そして、慕ってくれた。


私にとってお前は、弟子という程度の存在ではなかった。


もし、息子がいるのならば。


そう、思わせてくれた。


お前には、優しすぎるところがある。


それは美徳だが、守りたい者のために、非情になることを忘れるな。


お前は、軍人だ。


このランディ・ウェルズの弟子で、息子も同然の男だ。


胸を張り、前をしっかり見て生きろ。


無数に浮かぶ、想い。


だが、ランディは頭を横に振った。


「やはり、言伝はやめておこう」


「ほう、なぜかね?」


「あなたには、理解できないだろうよ」


生きている間、繋がっていた。


だから、他人の口を介さずとも、いつか、きっと伝わる。


他人の口を介することで、きっと意味が変わってしまう。


「言葉なら、あなたに残そうか、エス」


「ほう、それは興味深い」


「なに、たいしたことではない。ちょっとした忠告さ」


「ますますもって興味深い。聡明な君の忠告ならば、頭を下げてでも聞きたいところだ」


「それほどのことではない。消え逝く者の、戯言ととってもらっても構わない」


ランディは、自分の体が指先から崩れていっていることに気付いた。


やはり、エスに負担がかかっているのだろう。


あと何秒、存在していられるのか。


「ルーアの化け物の力を利用して、あなたたちは、システムの歪みを修正しようとしている」


「……」


エスは、無言だった。


それを、ランディは肯定と受け取った。


「それは、とても愚かな試みとなるぞ」


「……なぜだね?」


「ルーアは、彼は、修正する者などではない」


ルーア。


おそらく最期の言葉、お前には届かなかっただろう。


だから、自分で気付け。


真にライアを支えられるのは、ストラームでも私でもない。


お前だけが、ライアのふざけた運命を変えられる。


「ルーアは」


三年前は、『ティア』が生贄となった。


今度は、失うなよ。


「あなた方が後生大事にしているシステムを」


そのために、ストラームと私は、お前を鍛え、磨いてきた。


今度こそ守り抜け。


お前の力は、そのためにある。


「根本から破壊する男だ」


ランディは、静かに眼を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る