せめて軍人として

「あんたは……やつれたな」


言葉が詰まる。


ランディが、微笑んで立ち上がった。


以前よりも、少し縮んだように思える。


ルーアにとっては、壁のような男だった。


「……エスから、全部聞いた」


「そうか」


「あんたの妹のことも、病気のことも、あんたが何をしているのかも……」


ルーアは、歯を軋ませた。


「なんでっ!?」


叫ぶように言う。


感情が抑えられない。


「なんで、俺たちに何も話してくれなかった!? 復讐なら、もっと他に方法があっただろっ!? なんで、あんただけが泥を被らないといけない!? こんな形で貢献されて、ストラームが喜ぶわけねぇだろ! なんで……どうして!? こんな……!」


「……そうだな」


ランディの微笑みは、穏やかで、優しかった。


「もっと他に、方法はあったのだと思う。だが私は、この道を選んでしまった」


「……っ! 馬鹿たれが……!」


もう、後戻りはできない。

そんなことは、わかっている。


「俺がっ……あんたを殺せば、何もかも丸く収まるんだな?」


「ああ……そうだ」


「……だったら、殺してやるよ。殺してやるから、その腕輪を外してくれ」


ランディは、苦笑した。


「それでは、意味がなくなる」


「意味?」


「エスがなぜ、今になってお前に真相を話したか、わかるか?」


「……さあな」


「お前の心を揺さ振り、動揺させるため。それで心を乱し、実力を発揮できずに敗れるようならば、エスにとってお前はいらない存在だ。この腕輪も、そう」


『ブラウン家の盾』。


派手な装飾で、ランディにはまったく似合わない。


「準絶対魔法防御壁で守られている私ごとき超えられないのならば、お前は、今後ストラームの役には立てない。これは、お前の試験なのだよ」


「目茶苦茶言いやがる……」


今のランディを倒せる人間が、この世界に何人いるというのだ。


ランディが、剣を抜く。


穏やかな表情は、一変していた。


まるで氷の中に閉じ込められているような錯覚に、ルーアは陥った。


ランディは、動かない。


それはおそらく、師だからだ。


格上として、先手を譲っている。


ルーアも、動けなかった。


何もできない。


何も通用しない。


魔法は届かず、剣だけでランディに勝てるわけがない。


「……剣では、私に勝てない」


「!?」


そのランディの言葉に、思わずルーアは後方に跳躍していた。


「魔法は、直接私に届かない。だから、魔法で撹乱させる。例えば、眼を眩ませる。例えば、足場を崩す。……そんなところか?」


汗が、流れ出た。


完璧に思考が読まれている。


「……どうやら、図星のようだな」


「……」


「さあ、どうする? 戦術は、私に読み取られているぞ。その上で、私とどう戦う?」


何もできない。


ランディの予測を超える何かを見つけなければ、通用しない。


(どうする……?)


じり……っとランディがにじり寄ってきた。


その倍の距離を、ルーアは下がった。


完全に、気圧されている。


「……ルーア、今、十七歳だったな」


ランディの眼。


失望している。


「……それが、なんだ?」


「つまらない育ち方をしたものだ」


「……つまらない?」


意味がわからず、ルーアはオウム返しに聞いた。


「お前は、自分の弱点を把握しているか?」


「……さあな。ありすぎて、どれのことやら」


「お前は、強いよ。剣と魔法、両方でお前に優る者など、世界を見回してもそうはいまい。近い年齢の者を、世界中から集め殺し合いをさせたら、最後に生き延びるのは、お前かもしれない」


「……それはまた、過大すぎる評価だな……」


「それこそ、戦闘にかけては、天才と言ってもいいかもしれんな」


「……天才ってのは、ストラームのためにある単語だと思っていたけどな」


「ストラームは、また別だ。あの人にかかれば、どんな天才でも凡人と化す」


それは、長い間近くでストラームを見ていたルーアには、同感できることだった。


人の限界。

それがストラームなのではないかと思う。


「お前の弱点は、精神面にあると私は考えている」


「……キレやすいと言われたことは、何回かある」


怒りのままに剣を振るい、魔法を放ったことが何度かあった。


「だがお前は、冷静さを失っても、間違えない。採るべき攻撃手段を採り、的確に防御する」


「勝手に、体が動くだけだ」


「これまでの訓練で、判断力が完成されたのだろうな。冷静さを失っても、冷静な時と同じように、体が最良を選択する」


「……結局、弱点てのはなんなんだ」


「その、判断力こそさ」


もう、決闘ではなくなっていた。


師が、弟子に語る。

講義や訓練そのものだった。


「お前は、ストラームと関わりすぎた。この世には、逆立ちしても敵わない天才がいると知り、自分は凡庸だと思い知らされ、自分の限界を設定した」


ランディが、小さく咳込んだ。


話しているだけで、命が削られていっている、そんな感じだった。


「その常識的な限界の中で、お前は判断している。相手を分析し、何が通用するか思考し、戦術を練る。冷静さを失っているときでさえもな。老練な、戦い方だ」


「……それが、悪いことなのか?」


「悪くはない。だが、つまらん」


「つまらないとかじゃなくて、勝つことが大事だろうが」


「それで、私に勝つ方法が見つかったか?」


「それは……」


ルーアは、絶句した。


ランディは畳み掛けるように、言葉を吐き続ける。


「お前が年寄りならば、こんなことは言わん」


ランディは、構えてすらいない。


対峙した時からそうだった。


「いくら老練ぶっても、お前はただのガキだ。未完成なお子様だ。だが、それは同時に」


言葉を区切ったランディの瞳に、熱が篭る。


「まだまだ発展途上中だということだ。今は無理なことを、明日には超えられるかもしれない。いくらでも成長する可能性を秘めている、そんな年齢だ。自分で決めた常識的な限界で、判断するな」


「……ランディ、あんたは俺に何を望んでいるんだ?」


「常識を捨ててみろ。そうすれば、違う発想も生まれる。たとえば、この準絶対魔法防御壁……」


ランディは、腕輪に触れた。


「破ってみようとは思わないか?」


「…………」


ランディの言葉を理解することに、しばしの時間を要した。


「……アホか」


ようやく言えたのは、それだった。


「準絶対魔法防御壁だぞ。破れるわきゃねぇだろ」


「阿呆はお前だ。自分の言葉の矛盾に気付かないのか? 絶対魔法防御壁ではなく、準絶対魔法防御壁なのだぞ。許容を超えた力には、破れる。それは、歴史が証明しているだろう?」


「そう……かもしんねぇけど……もう、何百年も破れてないんだぞ。そんなもんを、一人で破れるわけが……」


「ならば、ストラーム・レイルならどうだ?」


「それ、は……」


また、言葉を失った。


ストラーム・レイルならば。


あの男ならば。


破ってみせるのだろう。


真っ正面から。


「……ストラームは別だって言ったのは、あんただろ……」


「ああ、確かにストラームは人間の例外だ。非常識な、でたらめな力の持ち主だ。だが、ルーア」


ランディが、眼を光らせた。


「お前は三年間ずっと、そのでたらめな力を求めてきたのではなかったのか?」


「それは……」


「でたらめな力がなかったから、三年前、守れなかったのではなかったのか? 失ったのではなかったのか?」


「……うるせぇよ」


「今ここで、準絶対魔法防御壁を破る程度のでたらめさがないのならば、私がこの手で屠るまでだ。どの道、殺されるだけだろうからな。『ティア』の命を奪われたように、今度は自分の命を奪われるだけだ」


「うるせぇって言ってるだろ」


ルーアは、足下の地面に、剣を突き立てた。


百人分の魔力に及ぶわけがない。


それならば、一点集中して突破する。


体にかかる圧力に、髪が逆立つ。


眼玉が飛び出しそうになる。


呼吸ができなくなる。


内臓が潰れそうになる。


細かい狙いは定めなかった。


どうせランディはかわさない。


最後まで、見届けるだろう。


ただ、ランディを目掛けて。


全魔力を込めた一撃を、ルーアは解き放った。


反動で、体が後方に吹き飛ぶ。


暗い空が見えた。


そして、すぐ間近で落雷があったかのような轟音が響き渡った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


空を見上げていることに、ルーアは気付いた。


後頭部と背中に、湿った土の感触がある。


仰向けに倒れていた。


僅かな時間、気を失っていたようだ。


体が、思うように動かない。


もがくようにしながら、ルーアは身を起こした。


結果は、どうなった。


霞む視界の中、ランディは佇んでいた。


その顔は、額から流れる血で、赤く染まっている。


一瞬だけ、準絶対魔法防御壁に、ごく小さな穴が開いた。


そして、ほんの僅かだけ、ランディに届いた。


流血の具合からして、おそらく頭蓋に亀裂くらい入っているはずだが、ランディは揺るがない。


言葉にも、澱みがない。


「なあ、限界は、お前が思うよりもずっと先にあっただろう?」


「そう、だな……」


準絶対魔法防御壁を破った。


誇りにしていい。


あのストラームでさえ、まだ成し遂げていないことだ。


体を痙攣させながら、ルーアは立ち上がった。


膝を震わせながらも、それでも両の足だけで体を支える。


鞘が、重たい。


帯剣用のベルトを外し、捨てた。


突き立てた剣。


なんとかそこまで進む。


剣の柄を、握った。


こんなにも、重たかったか。


剣先を、上げることができない。


「決着をつけようか」


ランディが言った。


ゆっくりと近付いてくる。


ルーアは、足を動かせなかった。


だから、ただ待った。


「もう、私に剣では勝てないなどと、つまらないことは言わないな?」


「……ああ、言わねぇ」


ランディが、立ち止まり、腕輪を捨てた。


「……やはり、余計な物がない方が、しっくりくる」


初めて、ランディが構えた。


間合いが、触れ合っていることに、ルーアは気付いた。


どちらかが少しでも前に進めば、終わるだろう。


剣先は地に触れたまま。


構わなかった。


最初の一振りの時だけ、上がればいい。


一度だけ剣を振れれば、それでいい。


その一瞬だけ、ランディの剣速を超えればいい。


妙に静かだった。


風があったはずだが、その音も、草木がそよぐ音も聞こえない。


自分たちの呼吸だけが、はっきりと聞こえる。


やがて、それも聞こえなくなった。


視界が白く染まっていく。


いや、色が失われていく。


ただ、ランディの姿だけが、その剣だけが、はっきりと見える。


ルーアは、不意に胸を衝かれた。


ランディの眼が、嫌になるくらい澄んでいる。


死ぬことを、受け入れた眼。


戦いの結果に拘わらず、本当にランディは死ぬんだ。


それを、ルーアははっきりと悟った。


ストラームとランディだけは、たとえ何が起きても死なないと思っていた。


ランディが動く。


それが、ルーアにはわかった。


わかったと同時に、肩を腕で叩かれて、ルーアは膝を付いた。


ランディの剣は、ルーアの体に触れなかった。


どうやってかわしたのか、思い出せない。


ルーアの剣は、手に残っていなかった。


ランディの胸を、貫いていた。


剣をいつ振ったのかは、やはり思い出せなかった。


「ふ……」


ランディが、苦悶に呻きながら、あるいは満足気に微笑みながら、胸の剣を抜いた。


口を動かしている。


何かを、喋ろうとしている。


よく、聞こえない。


なんだ?


何を言おうとしている?


いくら耳を澄ませても、うまく聞き取れない。


ランディが、前のめりに倒れた。


「馬っ鹿……野郎」


ルーアは、唇を噛み締めた。


「最期の言葉くらい、ちゃんと聞かせろよな……馬鹿野郎が……」


拳を、地面に打ち付けた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「……どうやら、終わってたみたいだな」


テラントが、呟くように言った。


ランディが、倒れ伏している。


すぐ傍で、ルーアは両膝を付いていた。


動こうとはしない。


ティアは駆け出しかけて、腕を掴まれた。


「……ユファ」


「……今は、やめといた方がいいと思う」


「でも……もし相打ちとかだったら……」


「少なくとも、呼吸はしているようです」


よほど視力がいいのだろう。


眼の上に手をやって、シーパルが言った。


「戻るか」


「だな」


デリフィスの言葉に、テラントが同意する。


「ルーアは?」


「ほっとけばいいさ」


テラントが答えた。


「そんな……」


「男にはな、なんつーか、独りになりたい時があるんだ。あいつはきっと、そういう戦いをしたんだ。だから、ほっといてやれ」


「それはわかるけど、でも、もし変な気を起こしたら……」


「自殺でもするってか? そんなタマには見えんけどな」


デリフィスが、背中を見せた。


シーパルも、それに続く。


「ティア、わたしたちも」


「でも……」


「そんなに気になるなら、声をかけたらどうだ?」


テラントが言った。


「……さっきはほっとけって言ったくせに」


「空気を読んでな。けど、まぁ、無神経さに救われることもあるんだ。男は、ごく稀に、女の子が相手だとな。まぁ、好きにしろよ。俺は帰る」


テラントも、背中を見せた。


「……ティア」


肩に置かれたユファレートの手を、ティアは握り返した。


「ユファも、先に戻っていて。あたしも、すぐ戻るから」


しばらく、ユファレートは迷ったようだ。


「……じゃあ、そうするね。ティアも、あんまり遅くなったら駄目よ」


「わかってるって」


ティアは微笑した。


一人になって、ティアは待った。


ルーアは、やっぱり動かない。


なんでだろう。


待っている間、ティアは考えた。


放っておけばいい。


多分、みんなの方が正しいのだ。


ルーアも、放っとかれることを望むだろう。


けど、放ってられない。


(……ほんと、なんでだろ?)


よく、わからなかった。


ルーアは、まだ動く気配はない。


「ちょっと……」


ティアは、声を出した。


「ほんとに、変な気とか起こさないでしょうね」


とうとう、ティアは走り出していた。


ルーアは、微動だにしない。


「……ルーア」


声をかけると、ようやく彼は顔を向けた。


「……オースターか」


虚ろな眼を見て、ティアは後悔した。


やはり、放っておくべきだった。


何を言えばいいのか、わからない。


「……勝ったんだね」


無理矢理開いた口から出た台詞は、それだった。


(最低だ……)


頭を抱えたくなる。


勝ったことが、ルーアを苛んでいるのに。


「……勝ったって言うのかね、これが」


ルーアが、自問するように呟いた。


「……その……早まった真似とか、しないわよね」


小さく吹き出す。


「するかよ」


「だって、いつまで経っても、ルーア……」


「魔力が回復するのを、待っていただけだ」


ルーアは、よろめきながら立ち上がった。


掌を、地面に向ける。


穴が開く。


「……どうするの?」


「ここに、埋める」


「もっと、ちゃんとしたお墓に埋めてあげた方が……」


「そんなもん、ねぇよ」


ルーアは、顔をしかめた。


「街に持って帰ったところで、罪人として刑務所の合同墓地に、他の罪人と埋められるだけだ」


息を吐いた。


「ふざけてるよな」


語気を強める。


「ランディは、最後まで軍人だった。軍人として、任務を全うした。軍人として、戦場で戦って、散った。だからここに、せめて軍人として埋める」


彼は、ランディの体を起こして背負おうとした。


「……あたしも」


ティアは手を貸そうとした。


「……触るな」


だが、ルーアに拒絶される。


「頼むから、手伝わないでくれ……」


弱々しいが、有無を言わせない響きがあった。


「くそっ……」


ランディを背負って、ルーアは呟いた。


「ほんとに、軽くなったな……ちくしょう……」


泣いてはいない。


だが、その声は、少しだけ震えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る