ランディの物語

随分と派手にやらかしているようだ。


地鳴りが、遠く離れたルーアたちの所まで響いてきた。


相当に強力な魔法が連発されている。


距離がありすぎて、誰の魔力か認識できない。


おそらく、ユファレートかシーパルだろう。


まるで、火口の噴煙のように煙が上がり、炎が天を焦がしている。


これほどの力は、ジグやレイブルにはない。


「……って、あ……れ?」


気付いたのは、ティアが先だった。


ユファレートが、頼りない足取りで歩いている。


前髪で隠れ、表情はよく見えない。


「ユファ!」


「……だから、あんま離れるなって」


ティアが駆け出したので、ルーアも仕方なく追いかけた。


ほどなくして、ユファレートの元へと着く。


ユファレートは、ぼんやりとした顔をしていた。


着ているローブも、あちこちが乾いた土で汚れている。


「……なにこれ!? いったいどうしたの?」


「ティア……」


ユファレートの瞳に、光が戻った。


と、顔をくしゃくしゃに歪める。


いきなりティアに抱き着くと、幼い子供のように泣きじゃくった。


ただ事ではない。


ティアがいくら宥めても、なかなか泣き止まない。


「……負けたの」


ようやくユファレートがぽつりと呟いたのは、たっぷり五分は過ぎてからだった。


「え?」


「……シーパルに負けた」


「な、なんでシーパルに?」


「テラントが……わたしは役立たずだからって……シーパルに勝てたら、一緒に戦っていいって言うから……」


また、わっと泣き声を上げた。


「御祖父様とお兄ちゃん以外の人に、初めて負けた! わたしには魔法だけなのに! 魔法しか取り柄がないのに!」


「……なんだ、何かと思えば、そんなことか」


ルーアは、いくらかほっとしていた。


ユファレートほどの美少女なら、あまり大きな声で言えないようなことだってありえた。


それに比べたら、シーパルに負けた程度、たいしたことではない。


ティアが、険しい眼つきで睨みつけてきた。


「あんたねぇ……」


「ああ、わり。つい、本音がぽろっと」


「あんたも、少しは慰めるとかしてよね!」


「つっても、負けて悔しいって感覚が、よくわかんねぇし」


「普通、負けたら誰だって悔しいでしょ!? 男なら、尚更じゃないの?」


「そういうもんか」


ルーアは、頬をぽりぽりと掻いた。


戦闘訓練を受け始めた頃は、そうだったかもしれない。


(慰める、ねぇ)


それは、友達の役割だろうと思うのだが。


「まあ、あれだ、ユファレート。一度や二度の負けで、そんなへこむ必要はないんじゃないか?」


慰め方がわからないから、思ったことをそのまま言ってみた。


「実戦はともかく、訓練では誰だって打ちのめされたことはある。シーパルだって、テラントやデリフィスだってそうさ。俺なんか……」


脳裏に、これまでの訓練が浮かぶ。


それだけで陰鬱な気分になる。


「……これまでに、何千回負けたことか……一万超えてるかもしんねぇ」


「それは、言い過ぎでしょ……」


ティアが、じっとりした視線を向けてきた。


「俺の師匠は、ストラーム・レイルだ。部隊隊長でもあるんだけど。名前くらいは聞いたことあるだろ」


「! それは……あるけど。世界を救った英雄様じゃない」


三年前、二十三年前、四十三年前。


ストラームは、世界を滅亡から三度救ったとされている。


ただし、具体的に何をしたのかは不明。


誰が、そんなあやふやな情報を世間に浸透させたのか、ルーアは知らない。


だがおかげで、様々な突拍子もない憶測が飛び交い、ストラームは勝手に偶像化されていた。


あるいは、胡散臭い者の代名詞か。


「任務がない日はな、そのストラームに訓練場で何十回も叩きのめされんだよ」


「何十回て……」


「酷いもんだぞ、マジで。ぼこぼこにされて回復されて、背骨へし折られて回復されて、火だるまにされて回復されて、顎叩き割られて回復されて、内臓潰……」


「ちょ……もういい」


ティアは、げんなりとした顔をした。


「訴えれば勝てるんじゃないの? ただのいじめじゃない」


「まぁ、俺が望んだことだからな」


「……あんた、マゾなの?」


「……そういうわけではなく……」


何か、変な想像をされている気がする。


「強くなりたかったからな。世界最強を知ることが、強くなる近道だと思ったんだよ」


「……ストラーム・レイルって、もう六十歳とかよね? そんなに強いの?」


「強いというか、人としてなんかおかしい。今だに百メートルを、九秒台前半で走るしな」


「いくらなんでもそれは嘘でしょ……」


「走れるよ。なんなら賭けるか?」


「賭けないけど……そんな自信たっぷりだと……」


「それで……って、なんでこんな話をしてるんだっけか……」


話がずれていることに、ルーアは気付いた。


ユファレートは、落ち込んだ様子だが、泣き止んではいた。


「もっと単純に、敗戦を今後に活かせばいい、とでも言ったらどうかね」


その声は、すぐ背後から聞こえた。


内心では、心臓がひっくり返るほど驚いていたが、平静を装ってルーアは振り返った。


「月並みな言葉だがね」


その白い男は、いつもの口調で肩をすくめた。


「……そろそろ来るような気はしてたよ、エス」


「ふむ」


エスは、得意気な顔を見せた。


「テラントたちは、自分たちの仕事を、完璧にやってのけた」


「……そうか」


「残すは、ランディのみ。君の出番だ、ルーア」


「……わかってるよ。ランディは、今どこに」


「アジトに使われていた、元集落だ」


「わかった」


道を、このまま真っ直ぐ進めばいい。


戦い方は決まっていないが、覚悟はできている。


背後でティアが何か言いかけたのを感じたが、エスの声がそれを遮った。


「ユファレート、ティア。君たちは、このまま進みテラントたちと合流すればいい。もっとも、今更合流したところで、さしたる危険がない今、意味などないかもしれんがね」


そして、いきなりルーアの真横に、音もなく移動してきた。


「ルーア。君は私についてきたまえ。近道がある。案内しよう。……なにかね、その不服そうな顔は?」


「気のせいだろ」


エスと二人になって、楽しい気分になるはずもない。


先導するエスの後を、ルーアは黙って歩いた。


ティアたちに、まず声は届かないであろう距離まで離れたところで、エスが口を開いた。


「『ブラウン家の盾』に守られているランディに、君が勝つ確率は、ほとんどないに等しい」


「やかましい」


背後から、ルーアはエスを睨み付けた。


「何も知らないまま死ぬのも憐れだからな。話してあげよう」


「なにをだ?」


エスが、振り返った。

笑っている。


「ランディ・ウェルズという男の、物語を」


◇◆◇◆◇◆◇◆


両親に死なれたのは、ランディが十七歳の時だった。


隣の家の火事が原因だった。


ランディたち一家が住む家にまで、燃え移ったのである。


父と母は、ランディとまだ赤子の妹を救ってくれたが、煙を吸い過ぎたために意識不明となり、そのまま他界した。


まだ一歳になったばかりの妹と、半焼した家だけを残されて、ランディは絶望の淵に立たされた。


家は貧しく、頼れる親戚もない。


当時のリーザイ王国は、長い戦争で疲弊しており、援助などはなかった。


それからは、ただただ必死だった。


生きるために、妹に食わせるために、どんな汚いことでもやった。


両親が残したものを、守り抜くために。


十三年が過ぎた。


幸い、妹は器量はよく、妻に欲しいという男が現れた。


優しさだけが取り柄といった感じの、ごく平凡な男だった。


妹とはいくらか年齢が離れていたが、ランディは結婚を認めた。


男の真面目な性格と、二人が深く愛し合っていることが伝わってきたからである。


妹とは縁を切った。


汚れきった自分がいることで、妹とその新しい家族に迷惑がかかる。


妹を送り出し、ランディはほっとしていた。


全てを失った。


若々しさも、恋人も、家族も。


だが、守り切ったのだ。


両親が残していったものを。


疲れきっていた。


もう、いつ死んでもいいと思った。


今なら、両親も笑って迎えてくれるだろう。


ストラーム・レイルという男と出会ったのは、そんな時だった。


彼は、ランディの汚れを全て受け入れて、その上で剣の腕を認めてくれた。


ストラームは、与えてくれた。


居場所を。剣を振るう目的を。戦う意味を。生きる価値を。


この男のために、残りの時間を使おう。

ランディはそう思った。


やがて、ストラームはバーダ第八部隊隊長となり、ランディは副隊長となった。


そして、ライアが、レジィナが、ルーアが、ミシェルが加わった。


ランディにとって、最も充実した、黄金のような時間。


終わりは突然だった。


体調が悪い。

疲れやすくなり、胸が時折ひどく苦しくなる。


四十歳になっていた。


歳のせいかとも思ったが、ストラームに勧められ、知り合いの医者の元を訪れた。


余命二年、と宣告された。


恐怖はなかった。


両親を失ってからは、いつ死んでもおかしくないような生き方を、ずっと繰り返してきた。


それを考えると、四十歳まで生きられたことは、奇跡に近い。


ただ、もうストラームのために生きられなくなる。


それだけが心残りだった。


衝撃的なニュースが飛び込んできた。


妹が殺された。


夫と、二人の子供と共に。


ぽっかりと、胸に穴が空いたような気分だった。


妹からは何度か、一緒に暮らそうと誘われていたが、ずっと断っていた。


任務をこなす日々の中で、妹のことを思い出すことはほとんどなかった。


それなのに、このどうしようもない喪失感はなんだ。


程なく、犯人は捕まった。


まだ年端もいかない貴族の一人息子と、その取り巻きだった。


証拠は揃っていた。


証人もいた。


取り巻きたちには、相応の判決が言い渡され、だが、主犯の貴族の息子は、無罪となった。


法は、権力に屈した。


動機もはっきりとしていた。


遊び感覚。スリルを味わいたいがため。


そんな理由で、妹は殺されたのか。


平凡でありふれた、ささやかに幸せな一家は、踏みにじられたのか。


ぽっかりと空いた胸に、黒く冷たい染みが広がった。


隊を辞し、その日のうちに、その貴族の息子を殺した。

いや、壊した。


激しい虚無感の中で、ストラームに迷惑がかかるだろうということだけが、頭に浮かんだ。


このまま剣で、自分の喉を突いてやろうか。


妹の死を悼むことになるかもしれない。


止めたのは、エスだった。


ストラームの古い知り合いで、何度か会ったことがある。


彼は言った。


どうせ死ぬのならば、ストラームの役に立って死なないか?


どうせ汚れてしまったのならば、ストラームの代わりにもっと汚れてみないか?


ストラームのため。


それは、甘美な響きを持って、ランディの頭に残った。


そしてランディは、エスの提案を呑んだ。


ランディの、最後の旅が始まった。


法で裁けない、『コミュニティ』に資金提供している者たちを、世界中で斬って回った。


少なからず、『コミュニティ』には痛撃を与えたはずだ。


これで、僅かでもストラームの助けになれば。


だが、それももう終わる。


あと、一日か二日。


それで、自分の命は尽きる。


予感でも直感でもなく、確信だった。


自分は、ルーアに殺されなくてはならない。


元部下が凶行を繰り返すことで、ストラームは政治的に不利な立場に立たされているだろう。


部下を利用して、混乱を起こしていると。


だが、ルーアが自分を殺してくれれば、殺人鬼となった元部下を、悲嘆にくれながら処分したというストーリーができあがる。


エスが、話を広めてくれるだろう。


元々、世間から畏敬の眼で見られているストラームである。


民衆から同情されるようにすることは、エスにとっては難しいことではない。


足音が聞こえ、ランディは顔を上げた。


来た。


私に、断罪の剣を振り下ろす者が。


集落の入口、ほとんど障害物がない場所を、ランディは選んだ。


ちょうど、部隊基地の訓練場ほどの広さである。


ルーアにとっては、最も戦いやすい広さだろう。


長い赤毛が、風でそよいでいた。


ルーアはすでに剣を抜いている。


激しい訓練のため、脂肪はほとんどついておらず、そのため一見華奢に見える体。


最後の訓練が始まる。


「……少し痩せたな」


ランディは、声をかけた。

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