彼女の挫折
ルーアは、ずっと険しい顔をしていた。
何か頻りに考え事をしている。
デリフィスと二人の時よりも、さらに静かな道中だった。
ティアは、昨日から歩きずくめだった。
いい加減、足腰が痛くて堪らない。
ちょっとした話でもして気分を紛らわしたいが、ルーアはそんな雰囲気ではなかった。
腕組みをして、たまに唸ったりする。
「……あー、くそっ!」
ルーアはいきなり毒づいた。
「……どしたのよ」
ティアを一瞥したルーアの眼は、また一段と鋭くなっていた。
「……べつに言いたくないならいいけど」
「……いままで経験した戦闘を、思い出してたんだよ」
「なんで?」
「ランディに対抗するためだよ。けど駄目だ。なんもいい手が思い浮かばん。さすがにちょっとだけ焦ってきた」
(ちょっとには見えないけどねー)
ルーアの焦燥が伝わってくる。
そのうち爪でも噛みだしそうだ。
「……オースター、あんた今までに、変わった奴とか相手にしたことないか?」
「……あたしの戦歴なんかに、ヒントがあるとは思えないけどね」
盗賊団、野盗、チンピラなど、ほとんどがその程度の相手である。
「そうか」
それだけ言うと、ルーアはまた考え事を始めた。
それにしても。
「ルーアってさ、あたしのこと、いつもオースターって呼ぶよね」
「……なんか問題あるか?」
「べつにありませんけどね」
誰だって、ティアのことはティアと呼ぶ。
短くて言いやすいはずだし、ティアと呼ばれることを拒んだこともない。
ルーアがティアのことを名字のオースターで呼ぶ理由は、薄々わかっていた。
「そんなにさ、その『ティア』って人とあたし、似てるの?」
ルーアが、立ち止まった。
じっとティアを見つめる。
「……なによ?」
「……いや、よくよく見たら、騒ぐほどは似てないかもな」
また、歩き始めた。
「……はぁ? これまで散々……」
「俺のイメージに残っている『ティア』は、十四歳だからな」
「十四……じゃあ、三年前のあたしなら、もっと似てたのかな?」
「……三年前? ……なら、いま十七ってことか?」
「そうよ」
「……タメだったのか。絶対年下だと思ってた」
「……なんで?」
「いや、まぁ。これといって、理由はないんだけどな……」
ルーアはどこか憐れむような眼で、ティアの胸や腰の辺りを見て、そして半笑いになった。
どういう意味だコラ。
蹴り飛ばしてやろうかとか思うが、簡単にかわされてしまいそうである。
だからティアは、蹴りのかわりに、ルーアの横顔に言葉をかけた。
「ルーアってさ」
「ああ」
「その『ティア』って人のことさ」
「ああ」
「好きなんでしょ」
ルーアの歩き方が変わった。
まるで、関節に何か詰まっているかのように、ギクシャクした動きになる。
わかりやすい奴め。
「ふふん。図星ね」
勝った。
ルーアは、恨めしそうにティアを見た。
深々と溜息をつく。
「……まあ、そうだな。確かに俺は、『ティア』のことが好きだった」
今度はティアの方が、びくりとした。
「……あ、ああ、そう。へ……へぇ~……そうなんだ。ふぅん……」
「……そこであんたに赤くなられてもな」
「んなっ……なってないわよっ!」
他人のことだとはわかっているが、不覚にもちょっとだけ動揺してしまった。
一度、ティアは深呼吸をした。
「それで?」
「あん?」
「告白とかした?」
「しねぇ」
ルーアの眼は露骨に、『もう勘弁してくれ』と訴えていたが、こんな面白い話を聞かないわけにはいかない。
「すればいいじゃん」
「無理」
「なんでよ。あ、フラれるのが怖いんだ」
「そういう問題じゃなくて」
「当たって砕けろって言うでしょ」
「砕けてどうする。そんなんじゃなくて、本当に無理なんだ」
「だからどうしてよ?」
「死んだからな」
つい、立ち止まってしまった。
「……え? ……あ、ご、ごめ……」
「俺が殺した」
少しずつ遠ざかる背中。
「……え?」
「なんてな」
「……え?」
なんてなって。
冗談ってこと?
冗談なら、どこからどこまでが?
それ以上、聞くことはできなかった。
だから、ルーアの後ろ姿も、もう何も語らなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
取り敢えず、火だけは起こした。
どれだけの時間、待つことになるのかはわからない。
治療を受け終わったテラントは、揺れ動く炎を見つめている。
「……テラント、そろそろ、説明してもらいましょうか」
シーパルは、テラントと向かい合う形で座った。
「まぁ待て。まだ整理中だ」
「……さっきは、真相がわかった的な顔、してませんでした?」
「半分は、はったりだからな」
「……」
「そんなことよりも」
ユファレートが、燃料となる枯れ枝を集め終わって戻ってきた。
「ティアは?」
「そう言えば、デリフィスもいませんねぇ」
忘れてたいたわけではないが、あまり気にしていなかった。
デリフィスは単独行動を好む傾向にあるし、テラントは、一人で偵察に出たりする。
「ティアには、ヘリクハイトに戻ってもらった」
「まさか……怪我をしたとか?」
「いや。怪我はしていない。けど、あの子には危険過ぎるからな。だから帰らした。デリフィスはその御守り」
「そう、無事なら良かった……」
安堵の表情を見せるユファレートに、テラントは冷ややかな視線を送った。
「ユファレート、君もだ。危険だから、ヘリクハイトに戻れ」
「……え?」
「ほとんど一本道だから、迷うこともない。目印に、木に傷をつけているから……」
「ちょっと待って!」
ユファレートが、声のトーンを上げた。
「足手まといだって言いたいの?」
「有り体に言うと、そうだな」
「わたしには、魔法があるわ!」
「だから?」
「だからって……わたしは、魔法使いとして、誰にも劣っていない。敵の人にも、ルーアにも、このシーパルにも……!」
「だからそれが、なんだって言うんだ」
テラントは、実に深々と嘆息した。
「さっき、君に何ができた? 効かない魔法をランディに浴びせて、尻餅をついただけだ。敵にも俺たちにも、戦闘の素人ですと教えたようなもんだ」
「それは……」
「間違いなく次の戦闘では、君はまず真っ先に、奴らに集中的に狙われる。多分十秒ともたない。今度は俺は助けねぇぞ。どうせ助け切らんからな。けど、シーパルはどうかな」
「う、うえぇ……」
いきなり名前を出されて、シーパルは戸惑った。
「こいつは甘いから、それでも助けようとするだろ。結果、負傷するとか、なんらかの不利な状況に陥る。そして、俺たちは後手に回ることになる」
「テラント、もう少し言い方を……」
「うるせ。お前もデリフィスもこういうこと言おうとしないから、俺が嫌な役回りになるんだ」
ユファレートは、端正な顔に険悪なものを見せていた。
「わたしの魔法は……」
「魔法使いとしては、俺にはよくわからん。専門外だからな。けど戦闘者としては、君は弱い。このシーパルにも、ルーアにも、重傷を負った『悪魔憑き』にも負ける。……下手したら、ティアよりも劣るかもな。あの子が腰を抜かしたのは、戦闘が終わった後だ」
淡々としたテラントの話し方を聞きながら、シーパルは思い出していた。
先程の戦いで、ユファレートは間違えた選択をした。
そして、命の危機に、硬直していた。
いずれも、経験不足が理由といえる。
ユファレートも、それは理解しているはずだ。
だが、彼女は自分が優れた魔法使いだとも自覚している。
その誇りが、魔法が役に立たず、足を引っ張ったという事実を受け入れさせない。
「納得できないみたいだな……」
ユファレートの表情を見れば、それは一目瞭然だった。
「なら、試しにシーパルと戦ってみろ。それではっきりとする」
「えぇぇ……!」
シーパルは悲鳴をあげた。
「なんで僕が……、テラントが相手してあげればいいじゃないですかぁ」
「重傷人に何を言ってんだ。俺、頭すごいくらくらしてるし。同じ魔法使いに叩きのめされるほうが、ユファレートも納得するだろ」
「いやでも……」
「正直に言ってみろシーパル。お前は、ユファレートに居てほしいか?」
「それはですねぇ……」
シーパルは、ユファレートからの尖った視線を感じていた。
「正直言いますと、街に戻ってもらえると助かりますね……」
「わかったわ」
ユファレートが、鋭く声をあげた。
「シーパルに、勝てばいいのね?」
「もし一本でも取れたら、ここに残っていいぞ」
ユファレートが、杖を手にした。
やれやれ……
「んじゃ、試合開始」
テラントの合図。
ユファレートが、腰を浮かした。
漆黒のローブについた、土を払う。
その顔に、シーパルは枯れ枝を一本放った。
「うわっ!?」
不意を衝かれたユファレートが、慌てて杖で枯れ枝を払い落とす。
無防備になった腹部に、シーパルは軽く槍の柄を押し付けた。
「……!」
ユファレートが絶句して、眼を見開く。
「……今シーパルがその気になっていたら、君の脇腹に穴が空いてたな」
「だっ……て、こんないきなり……卑怯よ!」
「何が卑怯なんだ? 俺は試合開始だと言ったぞ。油断して、不意打ち喰らう方が悪い」
「……わたしたちは魔法使いなのに……!」
「魔法使い同士なら、魔法で殺し合わないといけないなんてルールねぇぞ。実戦では、どんな手段を使ってもいい。魔法も武器も、不意打ちも人質も、噛み付き眼潰し金的なんでもあれだ」
「……!」
「まだ納得できないって顔だな。なら、今度は魔法使いの距離でやり合ってみろよ」
「テラント。気軽に言いますけどね……」
ユファレートが、乱暴に槍を払う。
「死なん程度に半殺しにしてやれ」
死ぬよりはましだろ。
テラントが、そう言いたいのはわかっていた。
だからシーパルは、溜息をつきながら頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ユファレートの魔法は、強力だった。
だが、魔法使いならば誰でも気付けるだろう、単調で力任せだった。
おそらく、魔力の大きさは自分と同等だろう、とシーパルは判断していた。
地力に差がないのならば、能力の使い方で勝敗は分かれる。
ユファレートの攻撃は読みやすく、防ぐことは容易だった。
リズムも一定なため、ユファレートの攻撃の合間に、反撃ができる。
威力をかなり絞った衝撃波が、ユファレートの体を叩いた。
少女が地面を転がる。
「これで……二十敗目か?」
「二十一敗目ですね」
テラントの言葉を訂正して、シーパルはゆっくりとユファレートに近付いた。
擦り剥きでもしたのか、ユファレートが肘を押さえながら、治癒の魔法を発動させた。
シーパルは、憂鬱になっていた。
自分に、人を傷つける趣味はない。
速度重視で、威力はほとんどないシーパルが放った電撃が、ユファレートの体を貫いた。
小さな悲鳴を上げて、今度は膝を付くユファレート。
「……実戦では、のんびり傷の手当てなんて、そうはできませんよ」
顔を上げたユファレートの表情を見て、シーパルは、おやっとなった。
これまで瞳にあった、強気の色が消えている。
代わりに、ぼろぼろと涙がこぼれ、俯いた。
「え……え~っと、え~っと……」
「あ~あ、泣かしちゃった。ひでぇなぁシーパル」
すっかり只の見物人と化していたテラントが、他人事として言う。
「……テラント……あなたねぇ」
「あと十秒で立ち直らなかったら、試合終了な。十、九、八……」
テラントが、節くれだった指を折っていく。
ユファレートが、顔を上げることはなかった。
「……三、二、一、はい、試合終了っと」
テラントは立ち上がりかけ、しかし額を押さえて頭を振った。
魔法で傷を塞いでも、失った血までは戻らない。
その場で、声を張り上げる。
「ユファレート、約束だ。君はシーパルに敵わなかった。気持ちが落ち着いたら、街に戻ってくれ。シーパル、お前はこっち」
テラントが手招きをした。
心残りはあるが、それに従う。
何かユファレートに言うべきかとも思ったが、今シーパルが声をかけても、嫌味にしかならないだろう。
「お疲れー」
「ほんと疲れました……」
ユファレートの魔法使いとしての能力は、本物だった。
単純な魔法の破壊力だけなら、シーパルよりも上かもしれない。
戦闘について素人というのが、逆に恐ろしい。
経験を積み重ねれば、どこまで昇り詰めるか、見当もつかなかった。
魔法の使い道は、もちろん戦闘だけではない。
研究、開発、医療など他にいくらでも道はあるが、ユファレートならどこへ進んでも頂点を狙える。
だが、今回ばかりは相手が悪い。
「ユファレートの素質は本物です。けど、向こうには『ブラウン家の盾』がありますからね」
「あとせめて、泣いているのは演技だったり、終了の合図の後に攻撃を仕掛けるような狡さがあれば、戦力になったかもしれないけどな」
ユファレートは、まだ悔し涙を零している。
どうしても気にはなるが、確認しないといけないことがあった。
「テラント、そろそろ整理整頓つきましたかね?」
テラントは、何か敵の秘密を掴んでいるようだった。
そういったことは、仲間同士で共有して知っておいた方がいい。
些細なことでも怠ると、意識の違いから連携に齟齬が発生する可能性がある。
「そうだな、話しとくか。でも先に言っておくが、ほとんど俺の推測だからな」
「はい」
「違和感があったのは、ルーアと会った後からだ」
ゲンク・ヒルがランディに殺される少し前となる。
ランディ・ウェルズの仲間を捕まえたという報告が入り、何人かと一緒にテラントは応援に行った。
「俺は、すぐにゲンクの助けにいけないほど離れた場所にいた。魔法で速く移動すれば、間に合ったかもしれないルーアは、兵士たちに足止めされた。お前たちは?」
「同じく、足止めされていました。魔力の特徴からして、ジグ。あとは、レイブルでしょうね」
姿は直接は見ていないが、わかる。
魔法の波長には、個人差があるのだ。
「ゲンクを助けられる可能性があった者は、全員が動きを封じられた。こっちの戦力を、見透かすかのようにな」
「僕は、誰か他に雇われた人が、情報を売ったのだと……」
「俺もそれは考えた。けど、その後も。宿の奇襲は正確に、俺とルーアの部屋を狙ったものだった。そしてさっき俺は、身を隠していたに拘わらず、居場所を特定されていた」
「……誰かが、僕らの情報を流している? 誰が?」
「……俺たちの中で、最も情報とかに強そうな奴は?」
「それは、あなたでしょう、テラント」
テラントは元々は、国家に忠誠を誓う軍人だった。
情報を扱うこともあったという。
一介の旅人になってからも、妻の仇を捜すため、多くの情報屋と接触している。
「もちょいよく考えろ。もっと他に、明らかに知りすぎな、怪しい奴がいるだろ」
はっと思い浮かぶのは、全身が白い、奇妙な出で立ちの男。
「……エス?」
「多分な」
だとしたら、なんのために。
「疑ったきっかけは、ランディだ。あいつ、俺を殺せるところで殺さなかった」
「……おかしいですね」
「ランディは、リーザイの元軍人。エスは?」
「リーザイ王国に仕えていると……ランディを追っているのはフリで、実はランディと繋がりがあり、僕らの情報を流している?」
テラントが言いたいことが、わかってきた。
ルーアがランディを追跡するのに協力しておきながら、ランディにも協力している。
ランディの仲間を処分するために、自分たちを雇っておきながら、妨害する。
もしそうだとしたら、たしかに茶番だった。
「目的が、わかりませんね」
「俺たちに、ジグたちを始末してもらいたい。これが、表向きの理由。本当は、他にやってもらいたいことがある。だから、俺たちは殺せない」
「死にそうな場面もありましたが……」
「まだ俺たちを、試している段階だったんだろ。さっきランディに、合格と言われた」
「……」
「ジグたちも、俺たちと同じような話を振られているんじゃないか? だから、ジグの攻撃は積極的だった」
「だとしたら、僕たちとジグたち、天秤にかけられているかもしれないですね」
生き残った方を、利用する。
必要な方を、生かす。
ルーアも、駒の一つなのだろう。
彼は何も知らない。
シーパルたちが関わることを、迷惑がっていた。
「……テラント、あなたはこれからどうするのです?」
「……このままさ。正直、俺が欲しい情報がちゃんと得られるのなら、どうでもいい。けど、なにも知らないまま利用されているのは癪に障るからな」
「あくまでも、推測ですしね」
推測が全て当たっているとしても、ランディとエスの真の目的はわからない。
ならば、まずは眼の前を見ることだった。
まだ、戦闘は残っている。
ユファレートは、いつの間にかいなくなっていた。
こっちは二人。
デリフィスが間に合っても三人である。
厳しい戦いになるかもしれない、とシーパルは予感した。
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