接近
窓を雪が叩く。
山小屋全体を揺さ振るような、強い風だった。
「……本格的に吹雪いてきたわねぇ」
外を眺めながら、何気ない口調でユファレートが言った。
「予報じゃ、今日は荒れるってなってたもんね」
「う……」
暖炉の火が爆ぜる。
「あと一日、フレンデルにいるべきだって、わたし言ったんだけどなぁ……」
「あーもう! あたしが悪かったわよ!」
フレンデルからヘリクハイトへ至る道は、三通りある。
ひとつは山間部を通るルート。
道は険しいが、半日も歩けばヘリクハイトに着ける。
あとふたつは、山を避けて北か南の海岸線を進むルート。
かなりの大回りとなるが、他の街を経由するため、安全だった。
今日出発することも、山間部のルートを通ることも、ティアが決めたことだった。
あと二時間もすればヘリクハイトに到着というところで、吹雪に見舞われた。
すぐ近くに山小屋があったので助かったが。
休憩や宿泊のために、街道にはいくつか、こういった無人の宿泊施設があるようだ。
暖炉と薪、簡易ベッドがあるので、寒さは凌げるだろう。
トイレはあるが、さすがに風呂はなかった。
辺りは、すっかり暗くなっている。
「あー、お腹減った……」
暖炉で焼いている途中の肉は、香ばしい匂いをさせていた。
そろそろ、いい頃合いかもしれない。
ティアは串を取った。
火が、風に揺れる。
入口の扉が開いていた。
万人向けの施設なので、他の利用者がいるのは仕方ないが。
肩の雪を払いながら入ってきたのは、よりにもよって赤毛の少年だった。
「げっ……」
呻いたのは、どちらが先だったか。
ルーアは、しばらくの逡巡のあと、ティアたちと離れた壁際に座り込む。
「……朝は怒鳴って悪かったな」
意外にも、そんなこと言ってきた。
「えっと……」
なんとなく、上手く切り返せない。
それきり、山小屋は無言になった。
風と、暖炉の火が爆ぜる音のみ響く。
なんという気まずさ。
ティアは、フレンデルでの激昂したルーアの姿を思い出していた。
今は、寒さに身を震わせて、大人しくしている。
まるで別人である。
ティアたちは、暖炉の前を空けた。
「火に、当たったら?」
ルーアは面倒そうに顔を上げた。
「……俺は別に、ここでいい」
「よくないわよ。唇真っ青よ」
「いいんだ」
「あのねぇ……」
ティアは床を叩いた。
「ガタガタガタガタ震えてる人ほっといて暖炉前占拠してたら、あたしたちが悪人みたいでしょ! いいからそこ座りなさい!」
まくし立てると、なぜかユファレートが吹き出した。
ルーアは、きょとんとしている。
「ああ、まあ……わかったよ」
彼はのろのろと動き出すと、暖炉の前に座った。
雪で湿った髪から、水滴が落ちる。
ティアは暖炉から串を回収すると、ルーアから離れて座った。
ユファレートが準備した木製の器に、串を並べていく。
ルーアの腹が鳴った。
「……なによそのタイミング」
「……別に狙ったわけじゃない」
旅行者にしては、ルーアは驚くほど軽装だった。
ほとんど、荷物らしい荷物を持っていない。
食料どころか水すら携帯していないようだ。
「ティア、たくさんあるんだから少しくらい……」
「ユファは甘いのよ」
また、腹の音。
「あああもう、うっさい! じゃあ売ってあげるわよ。二十万ラウで」
「……どんだけぼったくりだ」
「じゃあ、土下座しながら『お恵みください』って言えたら……」
「断る」
「なによー。せっかく譲歩してあげてるのに」
「土下座要求しといてなに言ってんだ。別にいらねぇから、いいからほっとけ」
「あっそ」
ティアは串をくわえた。
ちょうどいい感じに焼き上がっている。
「あーおいしっ。とってもデリシャース」
「……なんてムカつく女だ」
「自分の食事も準備できないのが悪いんじゃない」
「俺の分は、勝手に準備されるんだよ」
「はぁ? って、うわっ!?」
ルーアの背後に、音もなく白い人影が現れた。
今朝も見た、全身真っ白な男である。
「珍しく、少し遅かったな」
「ヘリクハイトを捜していた。予定よりずいぶん遅れているが、道にでも迷ったかね」
「……」
沈黙。
どうやら図星らしい。
白い男は、ルーアに小さな袋を放った。
「乾パンと干し肉しか、用意できなかった」
「十分だ」
「移動しながら食べたまえ」
ルーアは、外に眼をやった。
窓枠が、吹雪で激しく動いている。
「止むか?」
「一分後」
「わかった」
そして白い男は、やはり音もなく消え失せた。
「……なんなの、あの人?」
「さあな。俺も、あいつのことはさっぱりわからん。俺が聞きたいくらいだ」
ルーアは、食料を手に立ち上がった。
入口へと向かう。
「ちょっと! 外に出る気?」
「吹雪は止む」
袋から乾パンを取り出し、かじる。
「あいつの天気予報は絶対に外れない。なんでかは知らねぇけど」
そして。
その言葉通り。
ルーアが山小屋を立ち去ってすぐ、吹雪はやんだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
おそらく、そろそろ日付が変わるくらいの時間帯だろう。
到着した。
ヘリク国首都ヘリクハイト。
この街の商人ゲンク・ヒルを、ランディは狙っているはずだ。
当然、この街に潜伏している可能性が高い。
真夜中にも拘わらず、街はまだまだ眠りそうになかった。
人々が行き交い、街灯が街並をはっきりと照らす。
適当に進みながら、ルーアは訝しく思った。
エスからの指示がない。
街に入るとたいてい、まず泊まる宿を指定される。
(……もしかしたら、今晩にもランディが動く、か?)
すぐにでも、ゲンクの元に向かうべきかもしれない。
そのためにまずは、ゲンクの居場所を知る必要がある。
この時間帯なら、普通なら屋敷にでもいるだろうが、命の危険を感じているのなら、どこかに身を隠しているかもしれない。
とりあえず調べられそうなのは、屋敷の場所か。
ヘリクハイトではかなりの有名人になるので、そこいらの人でも知っているかもしれない。
ルーアは、人々の顔を物色し始めた。
この時間帯は特に、話し掛ける相手を選ばなくてはならない。
気の荒そうな奴は、当然避ける。
(……て、おい)
明らかに気の荒そうな人種が多いことに、ルーアは気付いた。
そして、ルーアを注視している。
(またこのパターンかよ……)
道を、十人程度の屈強な男たちに遮られる。
「用件はわかるな?」
男の一人が言った。
「さっぱり」
「ランディ・ウェルズの仲間だろう? 着いてきてもらおうか」
(……さて、どういうことだ?)
男たちは多分、ゲンクに雇われているのだろう。
そして、ルーアとランディが仲間だと勘違いしている。
フレンデルの騒ぎが伝わっていたのだろうか。
だが、あれは今朝のことである。
もっと事前に情報を得ていた。
だから、待ち伏せができた。
だとしたら、嘘の情報を掴まされている。
ルーアが足止めされて都合がいいのは、追われているランディだろうが、こんな策略は彼らしくない。
そもそも、ルーアが追跡していることも知らないだろう。
こちらには、エスがいるのだ。
ルーアの情報は簡単には漏れない。
(……誰かが、ランディに手を貸している?)
疑問が湧いたが、まずはこの状況を打破することだ。
ここで騒ぎを起こすのはまずい。
なにより、ゲンクに完全に敵だと思われるだろう。
理想は、このままゲンクの元にでも連れていかれ、そこで誤解を解き、彼の警護に当たる、というところか。
そんな都合良く事が進むはずもないが。
「あ」
と声がした。
横目で見ると、ティアと、ユファと呼ばれていた少女だった。
ルーアが山小屋を出てそれほど経たないうちに、彼女たちも出発していたのだろう。
ティアは、こちらの面倒そうな状況を見て、口許に手を当てた。
『ぷっ』と笑う。
「……」
そして、舌を出した。
「はっは」
なんでか、乾いた笑いが出た。
ルーアは手を振った。
「やあ、オースター」
できるだけ爽やかに微笑み、できるだけ清々しい声で。
「なっ……!?」
後退るティアたちを、男たちがじっと見ている。
「……お嬢ちゃんたち、こいつの知り合いかい?」
「し、知りませんっ!」
「ああ、知り合い知り合い。友達。大親友」
「あんたねぇ!」
「ちょっと、付き合ってもらおうかな」
隠れていた十人ほどの男たちがさらに加わり、合わせて二十人ほどに、ルーアたち三人は取り囲まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらく歩かされて着いた場所には、同じような建物がいくつも並んでいた。
「ここはな」
男の一人がにやにやしながら言った。
「ゲンクさんの私有地だ。ここなら多少の騒ぎがあったところで、警察もこれやしねぇ」
(そりゃ好都合)
多分、品物などを管理している倉庫なのだろう。
遠くに大きな屋敷が見えるが、多分別荘かなにかといったところか。
ゲンクが普段住むにしては、街の中央から離れ過ぎている。
「あんたねぇ……なんかあったら責任とれるんでしょうね?」
ティアが、睨みつけてきた。
ただ、切迫した様子はない。
「そっちの……ユファ、だったっけか?」
「ユファレート。気安く愛称で呼ばないで」
当のユファレートではなく、ティアの方が要求してくる。
「……そのユファレートがいれば、どうにでもなるだろ」
彼女は、間違いなく魔法使いとして、ルーアより上だった。
自信があるのだろう。
落ち着いた表情をしていた。
「無駄口を叩くな」
男が言った。
さらに十人ほどがやって来る。
羽振りのいい大商人、という感じの男はいない。
こいつらも、ゲンクの取り巻きだろう。
「ゲンク・ヒルは、こないのか?」
嘲笑が起きる。
「質問があるのはこっちだ。ランディ・ウェルズのことを、洗いざらい喋ってもらおうか」
新たに来た集団の、中央にいるスキンヘッドの男が言った。
一通り男たちの顔を見回して、ルーアはまた、スキンヘッドの男に視線を戻した。
多分この男が、こいつらのリーダーだ。
ルーアは、スキンヘッドへと歩み寄った。
舐められているのだろう。
男たちは誰も制止しない。
ただ、にやけている。
スキンヘッドのすぐ前で、ルーアは止まった。
「ゲンク・ヒルのとこへ案内しろ」
「はっ!」
「……言い直してやる。お前らごときじゃ、百人束になっても止められないランディ・ウェルズを、俺が撃退してやる。だから、ゲンクの所に案内しろ。それが、お前らが立てられる唯一の手柄だ」
「……っ!」
スキンヘッドの顔が、みるみる赤く染まる。
剣の柄へと手が伸びた。
「このガキっ……!」
ルーアは掌を空へと向けた。
「エア・ブリッド!」
風が頭上で弾け、スキンヘッドと近くの男たちが尻餅をつく。
さらにルーアは同じ魔法を連発して、向かって来ようとしていた男たちを吹き飛ばした。
悲鳴が飛び交う。
「同じことを何度も言わせるなよ?」
男たちは、すっかり静まり戦意を喪失していた。
誰も向かってこようとはしない。
とりあえず、この場は征したと考えていいだろう。
(さて……)
あとは適当な奴に、ゲンクの所まで案内させればいい。
「ルーア!」
ティアが声を上げた。
男が一人、突進してくる。
思ったよりも骨がある奴が、一人だけいたということか。
「ライトニング・ボルト!」
無造作に放った電撃は、男に直撃するはずだった。
だが男は、まったく速度を落とすこともなく、あっさりとかわしてみせた。
「なっ……!?」
男の身のこなしが普通じゃないことに、ようやくルーアは気付いた。
左手で剣を抜き、右手は男に向ける。
しっかりと狙って放った電撃は、しかし虚しく宙を焦がしただけだった。
距離が詰まる。
その圧力に、ルーアは一歩下がった。
魔法は、使えてあと一回。
それをかわされたら、懐に飛び込まれる。
すぐに切り札を切るつもりはない。
できるだけ近距離で、できるだけ広範囲に魔法を放つ。
それで男に手傷を負わせることができるだろう。
問題は、ルーアよりも身体能力で勝るこの男の剣を、受けきれるかどうか。
男が、いきなり剣を投げ付けてきた。
「っ!?」
不意を突かれたが、なんとか剣で弾き飛ばす。
男は、腰へと手を回し、筒状の物を取り出した。
そこから光が伸び、剣の形となる。
(魔法道具……!)
その光の剣が、どれほどの強度かわからない。
ルーアの剣を断ち切る可能性もあった。
一瞬の逡巡のあと、ルーアは放ちかけていた魔法を取りやめた。
魔力を剣に込める。
刀身が、淡く輝いた。
男が、光の剣を一閃させる。
鋭い。
あまりの斬撃に受け流しきれず、ルーアはたたらを踏んだ。
剣が、手からすっぽ抜けそうになる。
突進の勢いで、男はルーアの横を通り過ぎていたが、体勢を崩すこともなくこちらへと向き直っていた。
体勢を崩し、剣の柄になんとか指が掛かっているだけのルーアの状態では、次の一撃は防ぎきれない。
このままだと、剣を叩き落とされ、返す刀でばっさり、というところか。
今度は迷わなかった。
ルーアは、剣を足下に叩きつけた。
どうせ保持できないのならば、持っていても無駄だった。
不規則に跳ね回る剣に、さすがに男の前進が止まる。
そのわずかな間に、ルーアは背後へ跳躍した。
手を突き出す。
「ファイアー・ボール!」
掌の先で生まれた火球が、男の足下に着弾し、破裂する。
街の中で使えるような魔法ではないが、この際仕方ない。
男は、無事だった。
それどころか、無傷だった。
(……今のも、かわすのかよ)
ただし後退はしたので、距離はかなり開いていた。
炎で、男の金髪が映える。
不敵な面構えをした、二十代半ばくらいの、長身の男だった。
(強い……)
ランディ並だ。
ルーアは、それを認め、身構えた。
さっきは油断していた。
そして、不意を突かれた。
それが、たやすく距離を詰められた原因だろう。
今は、正面から睨み合っての対峙である。
しばらくは二人とも動かなかった。
迂闊に仕掛けると、それはすぐ敗北へと繋がる。
張り詰める空気。
やがて。
男が口許を緩めた。
「まあ、こんなもんか」
「……あん?」
「まともな話し合いができる状況になった、ということさ」
男は、近くに転がっていたルーアの剣を拾った。
「良く使い込んでいる。いい剣だ」
刃毀れや剣を折られたりで、刀身は何度も換えたことがあるが、柄はそのままだった。
長年使い込んでいるため、ルーアの手に合わせ微妙に変形しているはずだ。
他人の手には馴染まないだろう。
男はルーアの剣を、こちらの足下へと放った。
「……どういうつもりだ?」
男から眼を逸らさないように、剣を拾う。
「お前さんはな、力を誇示したんだ。そして、一方的に要求を通そうとした。『ゲンク・ヒルに会わせろ』ってな」
「……」
「けどまあ、こっちとしては、だ。怪しい奴をほいほい連れていく訳にはいかんわけよ。だから、こっちも力を誇示した。要求を通すためにな」
小さく肩をすくめてみせる。
「ゲンクに会いたいなら、最低でも三つ、保障してもらわんとな」
「……なんだ?」
「お前さんが、ランディ・ウェルズの仲間じゃないという保障。ゲンク・ヒルに、危害を加えないという保障。俺たちに、危害を加えないという保障」
「……すぐには保障できない」
「じゃ、今日のとこは諦めな」
男の言うことに、筋は通っていた。
だが。
「ゲンクが、殺されちまうぞ」
「俺がそばにいてもか?」
「……」
ルーアは沈黙した。
たしかにこの男なら、ランディとも互角に戦える。
「ちなみに、俺には連れが二人いて一緒にゲンクに雇われたが、そいつら、俺と同等と考えてくれていいぞ」
「……」
その言葉に嘘がなければ、いかにランディといえども、手が出せないかもしれない。
しかし、先程も生じた疑問が、また浮かんだ。
もしランディが、仲間を作っていたら?
不意に、視界の隅に赤い光が灯った。
「おい……!?」
成り行きを見守っていた男たちが、色めき立つ。
別荘らしい建物に、火の手が上がっていた。
「ゲンクさんが……!」
誰かが言った。
「ゲンク・ヒルがあそこにいるのか?」
男たちは騒然として、返事は返って来ないが、間違いなさそうだ。
(ランディ……!)
ルーアは、駆け出していた。
さらに、火の手が上がる。
二カ所ほぼ同時に。
それはつまり、誰かがランディに手を貸しているということだった。
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