邂逅

ランディ・ウェルズと出会ってから、二日が過ぎていた。


ティアたちは、宿の前の通りにいた。

ここから、あの事件現場は一望できる。


昨日までは野次馬が多かったが、今日は閑散としていた。


普通の日常を送っている人々にとっては、殺人現場など、縁起悪い場所でしかないだろう。


「……まだ気になるんだ」


ユファレートが、ティアの顔を覗き込むようにして言った。


「……気にならないはずないじゃない」


「それはそうよね」


昨日は、警察の事情聴取に一日中付き合わされた。

軍関係者も居合わせる重苦しいものだったが、死傷者の数を考えると、当然かもしれない。


一日だけで解放されたのは、意識を取り戻したフランツの証言があったからだろう。


彼は、一命は取り留めた。


右手の機能も、ほとんど失うことはないようだ。


ユファレートの魔法による治療が、素早く的確だったからだろう。


彼女は、超をつけてもいいほどの、一流の魔法使いだった。


ティアが知っている限りでは、ユファレート以上の魔法使いは、彼女の祖父と兄くらいなものである。


「あのランディって人、あたしのこと知ってた。会うの初めてなはずなのに」


「小さい頃に会ってるとか」


「あたしは、お父さんの顔もお母さんの顔も覚えているよ。仲が良かった小学校の友達のことも。あんな濃いおじさんのこと、忘れるとは思えないんだけど」


どうにも、胸の中のもやもやが晴れない。


「あれは? 半年くらい前、わたしたち新聞に載ったじゃない。それを見たんじゃ……」


レボベル山脈を越える途中、偶然にも小規模な古代遺跡を発見した。


あの時は、国からいくらかの報奨金も受け取り、有頂天になっていた。


記者のインタビューを受け、たしかに新聞にも載った。

だが。


「あんな紙面の端っこに、ちょろっと載っただけなのに、いちいち覚えている人いるのかな?」


「うーん……」


それに、ランディの反応は、有名人と出会って驚いた、という感じではなかった。


知り合いと、予想外の再会をした、という感じ。


(でも、知らないのよね、あんな人……)


「あーもう! イライラするぅ! もういい。考えるのやめた!」


関わるべきではない。

そう直感したじゃないか。


ティアは、ユファレートの手を握って引っ張った。


「さっさとヘリクハイトに行こ? 多分今度こそ、お兄さん見つかるわよ」


根拠もなく言ったその時、その少年とすれ違った。


「……っ!」


息が詰まる。


ランディ・ウェルズの姿を思い出した。


それは長い赤毛の、ティアたちと同年代の少年だった。


すれ違う時に見えた、鋭い目つき。

着ているジャケット。

歩き方。

そして特に、近付きがたい雰囲気が、ランディを連想させた。


「ティア、今の人……」


ユファレートにも、なにか感じるものがあったらしい。


赤毛の少年に、ティアたちの視線に気付いた様子はない。


立ち止まり腕組みをして、事件現場をじっと見つめている。


と、十人ほどの男が、少年を取り囲んだ。

なにやら口論を始める。


騒ぎに気付いた、現場の調査をしていた警官も、その輪に駆け付けて行った。


いきなりのことだった。


少年の手から、まばゆい光が弾ける。

眼を押さえる男たちの間を擦り抜け、悲鳴や怒号を尻目に、さっさと逃げ出していった。


「ユファ! あいつ、追いかけるわよ!」


また、直感した。


少年と関わるのは、危険だ。

だがあの少年は、ランディとなんらかの繋がりがある。


ユファレートの返事を待たずに、ティアは駆け出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ヘリク国は島国だった。

当然、大陸からは船で渡らなくてはならない。


何日も船の中で過ごすのは、十七年間生きてきて初めての体験だった。


それは新鮮なことだったが、楽しいものではなかった。


ルーアは、自分の体質を知った。

船に、かなり酔いやすい。

今後は、できるだけ船に乗らないようにしよう。

胸のムカつきを抑えながら、ルーアはそう誓った。


安定した大地は、やはり安心感がある。


ランディを追うためにリーザイ王国を発ち、はや半年が過ぎていた。


(年が明けちまったよ、ランディ)


道の真ん中で立ち話をしている、少女二人組の横を通り過ぎる。


(あんたは、いつまでこんなこと続けるんだ)


立入禁止の縄の前で、ルーアは立ち止まった。


警官が、忙しそうに動いている。


事件があったのは二日前。

路面や建物の外壁には、血の跡が残ったままだった。


街に着いてすぐに速読した、事件を取り扱っていた記事の内容を思い出す。


ランディ・ウェルズが襲撃したのは、ゲンク・ヒルの一行。

ゲンク・ヒルは無事だったが、彼の護衛が十五人死亡。

ランディ・ウェルズは、居合わせた軍人に重傷を負わせ、なお逃亡中とあった。


ルーアは、歯を軋ませた。


バーダ第八部隊の隊員で、最も多く任務を受け持ったのは、ランディだろう。

そして彼は、常に危険な任務を担当していた。


だが、最も相手を傷つけずに済ませていたのもランディであり、それ故、彼は最も傷を負っていた。


甘い、と何度も思った。


実際に、直接口で伝えたこともある。


部下の、それも二十以上歳が離れているルーアの生意気な忠告に、ランディは苦笑するだけだった。


そして、彼は戦い方を変えることはなかった。


ふと、視界に男が入ってきた。


物思いに耽り過ぎたか、いつの間にか十人ほどに囲まれている。


いかにも、街のならず者やチンピラといった風体の男たちである。


「……なんだ?」


「……ランディ・ウェルズって知ってるか?」


「さぁ、ね」


男の一人が、紙を拡げて見せてきた。


ランディの似顔絵。

よく似ている。

そして、彼の特徴が事細かに文章で記されている。

その一文を、男が指した。


黒いジャケット。左胸に、ワッペンが剥がされた跡がある。


「……ちっ」


ルーアも、『バーダ』のジャケットを着ていた。


もう隊員ではなく、王国とも無関係であることを示すため、紋章は剥がしていた。


「ちょっと、付き合ってもらおうか」


「やだね」


ルーアは即答した。


別の男が脅しのつもりか、指を鳴らす。


「なにをしている?」


一触即発の雰囲気に、現場を調査中の警官たちが駆け寄ってきた。


「なんでもありませんよ」


ヘラヘラしながら、男たちが言う。


(めんどくさ……)


男たちを叩きのめすのは、そう難しいことではないだろう。


むしろ、警官が邪魔だった。


元軍人が、他国で警察の世話になるのは、色々とややこしい事態となる。


(逃げるか)


決めると、ルーアはパンパンと音が響くよう手を叩いた。


「は~い、みなさん注目ー」


そのまま、手を挙げる。


「フラッシュ!」


殺傷力はないが強力な光量に、男たちが悲鳴をあげた。


「ざまぁ」


一言だけ残し、ルーアは

場を離れるべく駆け出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


初めての土地だった。

当然、街の構造などわからない。


とりあえず、人気がなさそうな方を選んで、ルーアは走り続けた。


数分後。

呼吸が苦しくなったところで、走るのをやめた。

適当な路地に身を隠す。


呼吸を整えながら、しばらく通りの様子を窺った。


追っ手の姿は見えない。


(うまく撒けたか……?)


いくらか気を緩めたところで、背後に人の気配を感じた。

聞き慣れた、金属が擦れる音。


剣を抜く音。


(馬鹿がっ……!)


背負う剣の柄に手を伸ばしながら、ルーアは身をよじった。


「きゃっ……!?」


つい動きを止めてしまったのは、悲鳴が女のものだったからだ。


多分、歳は十五、六くらいだろう。

けっこう可愛い部類に入りそうな顔は、化粧っ気がほとんどなく、勝ち気な眼が印象的だった。


肩の辺りまで伸ばした茶髪に、やや華奢な体つきをしている。


が。


そういった少女の印象が頭から消し飛ぶのを、ルーアは感じた。


頭が真っ白になるとは、このことだろう。


「……っ!? …………ティ……ア……?」


声が掠れる。

ひどい喉の渇きを感じる。


はっと我に返ったときには、まったく身動きがとれない状態になっていた。


胸には、ティア(?)が突き付けている小剣。

そして、強力で細緻な魔力が、ルーアの全身を包んでいた。


魔力には、個人個人で癖がある。

そして、魔法使いには魔力が視える。


ルーアを包む魔力は一人のものであり、ルーアの魔力よりも数段上のものだった。

あまり認めたくないが。


ティア(?)と挟む形で、ルーアの背後に誰かがいた。


この魔力の持ち主だろうが、その誰かさんがその気になったら、抵抗する間もなくルーアは殺されてしまうだろう。


「まったく、どいつもこいつも人の顔見て……」


ティア(?)の方が、溜息まじりに言った。


その声は、ティア(?)のすぐ背後から聞こえた。


「まったく、不様なものだな」


「ひゃっ!?」


当然、と言うべきか、ティア(?)は身をすくませた。

それは驚くだろう。

彼女の背後には、たしかに誰もいなかったのだから。


咄嗟にルーアの体が動いたのは、苛烈な訓練の賜物だった。


上半身を捩り、小剣の切っ先から逃れる。

その反動を利用して手を伸ばし、剣を持つ少女の手首を掴む。

足を払い飛ばす。


それら一連の動作を、ルーアは一息でやってのけた。


綺麗に少女の体は宙を舞い、次に地面に叩き付けられる。


「った!?」


かなり乱暴になってしまったが、余裕がなかったからこの際仕方ないだろう。


幸い、それなりに体術の心得はあるのか、受け身はとれたようだ。


もがく少女を、ルーアは押さえ込んだ。


「……っ! なっにすんのよ! スケベ! 変態! 誰かーっ! 痴か……もがご!?」


まくし立てる少女の口も塞ぐ。


「あーストップストップ!」


魔力の持ち主に向かって、ルーアは声を上げた。


この状況下で魔法を使ったら、ティア(?)も巻き込むことになるだろう。

だからと言って、使わないとも限らない。


「こっちに危害を加えないなら、すぐに解放する……」


もう一人の顔を見て、ルーアは息を呑んだ。


黒い髪を伸ばした、かなりの美少女である。

色気のかけらもない漆黒のローブを着ているのが、実にもったいない。

普通に着飾れば、もっと映えるだろうに。


こんな出会い方では、持たれる印象は最悪だろう。

運の悪さを呪いたくなる。


ごりり……


その音は、ティア(?)の口を塞いでいた手の、指からした。


「ってぇ!?」


激痛に、声を上げる。


拘束が緩んだか、少女は猫を思わせる俊敏さで、ルーアの腕から逃れた。


黒髪の少女のところまで避難すると、その腕にしがみつき、ルーアを睨みつけてくる。


少女の顔と、中指にはっきりとついた血の滲みそうな歯形を見比べ、ルーアは嘆息した。


頭が混乱している。


「念のために言っておくが」


声と一緒に、ルーアの隣に白い姿が浮かび上がった。


少女たちが顔を引き攣らせる。


ごく普通の反応だろう。

ルーアも慣れるまでは、一々驚いていた。


「出やがったな。幽霊野郎」


リーザイ王国を発った日に、ストラームから紹介された男だった。


名前はエス。


『協力者だと思っていい。ただし、絶対に気を許すな』


ストラームは、そう耳元で囁いたものだ。


もっとも、こんな出現のされかたでは、気の許しようもない。


エスが、静かに告げた。


「彼女は、『ティア・オースター』。『ティア』ではない」


「……名前まで一緒かよ。なんつー紛らわしさだ」


『ティア・オースター』が、ムッとした顔をする。


「まさか、本人だとは思ってなかっただろうな?」


「思わねーよ!」


つい、声を荒らげてしまう。


『ティア』なはずがないのだ。

それを一番わかっているのは、ルーア自身のはずだった。


『ティア』の最期を看取ったのは、ルーアだった。


そして、土に返したのも、ルーアだった。


気が、滅入りそうになる。


「まあいいや」


ルーアは、わざと軽く言って気分を変えた。

少女たちを見据える。


「んで、あんたら」


「なによ?」


ティア・オースターの方が、相変わらず睨みつけたまま返事をする。


「ごく当たり前のことを聞くぞ。俺に、なんの用だ?」


「えーっと……」


「? なんだ? 剣を突き付けるだけのことをして、なんの用もないって言うのかよ?」


「……ほら、ティアが後先考えないから」


「……ユファだって、なんか協力してくれたじゃんか!」


小声で相談を始める。


(なんなんだ、こいつら?)


「おい!」


「……ランディ・ウェルズのことを知りたいのよ」


(結局、それか)


この街に入ってから、ランディ絡みで面倒なことが起こる。

それだけ、彼との距離が近くなっているのかもしれない。


「ランディなんて奴、知らねぇな」


「嘘。だってあんた、すごく似てるもん。雰囲気とか」


似ていると言われ、不思議な気分になるのを、ルーアは感じた。


喜び、に近い感情かもしれない。


訓練の半分は、ランディから受けた。

ルーアの剣の形は、半分はランディのものだろう。


雰囲気に近いものがあっても、おかしくはない。


「服装とかも同じだし……」


「なるほど。それで知り合いだと踏んで、いきなり剣を突き付けてきた、と」


「だって、あたしたちはあの人と直接会ったのよ。二日前に」


二日前。

ランディが事件を起こした日か。


「あの人のことを、怖いって感じた。あんたのことも同じよ」


(こいつは、『ティア』に似ているだけで、『ティア』じゃないんだよな)


つまり、本来ならルーアともランディとも、まったく無関係なはずだった。

疑問を持たせたままだと、余計なことに首を突っ込ませることになるかもしれない。


静観していたエスをちらりと見ると、彼は肩をすくめてみせた。


好きにしろ、ということか。


「たしかに、俺とランディは知り合いだ。そして、俺たちの共通の知り合いに、あんたとそっくりな奴がいた。なんの因果か名前まで同じ」


「『ティア』……」


「そう、けどそれだけだ。間違いなく別人。だから、これ以上俺たちに関わるな。あんたは最初から、なんも関係なかったんだからな」


これでいいはずだ。

ランディの怖さがわかるなら、これ以上深入りしてくることもないだろう。


そう予想したが、外れた。


「あの人、元軍人さんよね?」


「……どうして、そう思う?」


「新聞に載ってたしね。そして、あんたも同じじゃないの?」


「なぜ?」


「言ったでしょ。雰囲気が同じだって」


「……」


「知り合いって言ってたわね。もしかして、あの人に協力するつもりなんじゃ……」


「逆だ」


ルーアは首を横に振った。


「知り合いが、馬鹿なことをしている。俺はそれを止めに、彼を追っている」


「止めるってどうやって」


「説得できるなら説得する。それが無理なら、腕ずくでも止める」


「軍人同士の腕ずくって。殺し合いじゃないの」


「最悪、その可能性も考えている」


「これだから軍人は嫌いなのよ」


ティア・オースターは、大仰に嘆息をした。


「ほんっと、馬っ鹿じゃないの? 知り合い同士で殺し合いとか、ありえないわよ」


「ティア、ちょっと……」


「特に、あのランディって人。ユファも見たでしょ。どう考えても、頭おかしいとしか考えられないわ」


ランディがおかしい、だと?


ランディは、バーダ第八部隊隊員の中で、最も任務をこなしてきた。


「あれだけの人を殺して、それなのにあの人、表情ひとつ変えなかった」


最も傷を負い、最も相手を傷つけなかった。


「ほんと最低。人の命を、なんとも思ってないのよ」


何度指摘しても、戦い方を変えなかった。


「ルーア。君の欠点は……」


今のランディに一番腹を立てているのは、俺たち第八部隊隊員だ。


「短気すぎることだ」


壁を思い切り蹴りつけていた。


「お前に! なにがわかる!?」


レンガに亀裂が走っていた。

固いブーツで守られているはずの足が、痺れている。


「ランディが! 誰かを殺して、なにも感じないはずねぇだろ! なにも知らねぇ奴が、勝手なことを吐かすな!」


一通り吐き出して、ルーアは額を押さえた。


(馬鹿か俺は?)


怯えた表情の少女たち。

彼女たちの方が、正常だった。


今のランディは、間違いなく凶悪犯罪者である。

それを嫌悪するのは当然で、庇うルーアの方がおかしい。


それでも、我慢はできなかった。


「くそっ!」


毒づき、ルーアは逃げるような気分でその場を離れた。

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