惨劇の夜

壁の装飾を眺めながら、ティアはこっそり溜息をついた。


ここは、いかにも場末のバーといった雰囲気の店だった。


カウンターで隣に座るユファレートは、困ったような愛想笑いを浮かべている。


さらにその隣の、どこか軽薄な印象を受ける男は、饒舌だった。


ティアはまた、溜息をついた。

男はユファレートばかり気にかけているため、気付く様子はない。


ここ港街フレンデルは、ヘリク国第二の都市で、玄関口に当たる街だった。

活気に溢れ、夜になっても、人の営みが途切れることはない。


だが、今夜は少し変だった。


ティアたちは、繁華街の外れに宿をとっていた。

夕食を外で済ますことになったが、他の店は妙に早く灯を落としていた。

だから、このバーに入った。


店にはたった一人しか客はおらず、ティアたちに、というかユファレートに声をかけてきた。

それが、この男だった。


ユファレートとの、女二人旅である。

見知らぬ男に声をかけられるというのはよくあることであり、あしらうのはティアの役割だった。


ユファレートは、同じ女の眼から見ても、美少女だった。

いつも魔法使い然とした漆黒のローブを身に纏っているが、着飾れば、どこかの国のお姫様でも通りそうだ。


男どもはユファレートを狙い、彼女が嫌がる素振りを見せたら、ティアが追い払う。


だが、今日は少し違った。

ユファレートは困惑しながらも、拒絶する様子はない。


(なんか、つまんないな……)


ホットミルクを口に含む。

ティアもユファレートも未成年なため、酒は飲めない。


というか、男が軍の制服を着ているために、飲めなかった。


男は、フランツ・ブラウン、とか名乗ったか。

無骨な軍の制服とは不似合いな、派手な腕輪を右手首につけている。

名家の出身らしく、言動には育ちの良さが窺えた。


「この男は、ランディ・ウェルズ。今晩の、僕の相手さ」


フランツが、白い歯を見せながら羊皮紙を拡げた。

手配書らしい。


眼つきの鋭い、中年の男だった。

面長な顔の輪郭。

こけた頬。

不精髭。

癖のある黒い長髪。


見覚えがある顔だった。

名前も、初めて耳にするものではない。


記憶を探る。

たしか数ヶ月前に、どこぞの国の大臣を殺害したとかなにかで、新聞に載っていたような気がする。

それ以外にも、色々と凶悪な事件を起こしているという噂も聞くが。


それにしては、手配書にある賞金額は低かった。

せいぜい、小さな盗賊団のボス程度の額である。


大臣殺しは、ティアの記憶違いかもしれない。

噂も、当てにならないし。


「彼の次の標的が、ヒル氏だというのを突き止めてね。知ってるだろ? ゲンク・ヒル」


「えーっと……」


「ヘリクハイトの大商人、でしたよね」


その手の話題に疎いユファレートに代わり、ティアが相槌を入れる。


「そう、彼は今日、大事な商談があってね。もう少ししたら、そこを通るはずだ。ほとんど護衛も付けずにね」


言って、外を指した。

通りは薄暗く、人気もない。


「こんな時間に、こんな所を、護衛も付けずに?」


不自然だった。

ゲンク・ヒルは、色々と黒い噂が絶えない人物である。

敵も多いだろう。


「気付いたかな?」


手品の種明かしをする子供の顔で、フランツは言った。


「そう。罠だよ。ヒル氏とは昔から面識があって、協力してもらっている。これで、ランディ・ウェルズを誘い出す」


「はぁ……」


曖昧にティアは頷いた。


こんな不自然な罠に、ランディ・ウェルズとやらは引っ掛かるのだろうか。


「心配はいらない。ヒル氏は偽者だし、住人には事前に連絡をしている。父はこの地区の出身でね。みな快く了承してくれたよ」


(そんな心配してないけどね)


「ん? なんだい?」


「いえいえ。あたしたちみたいな旅人に、そんな軍の作戦を話していいのかなーって」


「軍は関係ないよ。僕個人がやっていることだ」


意外なことを言ってきた。


「一人で戦うんですか? そうとう凶悪な噂を聞く人ですけど」


「それこそ、心配いらないよ。僕は幼い頃から、将軍である父に鍛えられてきたからね。十人は同時に相手にできる」


とてもそうは見えなかった。

フランツの手は奇麗なもので、激しい訓練を受けたとは思えない。


裕福な家庭で、甘やかされて育ち。

将軍である父親の後を追い、軍人となる。

だが実力が伴わず、同僚たちからは軽視され。

見返すために、一念発起。


(そんなとこかしらね……)


勝手に推測してみる。

けっこう当たっている気がした。


「そう言えば、フランツさんのご先祖様に、有名な方がいらっしゃいましたよね」


かなり無理矢理、ユファレートが話題を変える。


「誰のことだろう? なにせ、ウチは代々将軍を輩出しているからね」


元々ユファレートとの話を望んでいたであろうフランツは、上機嫌である。


なんとなく苦痛になり、ティアは席を立った。


「トイレ行ってきますね」


ユファレートの裾を掴む。


「それじゃ、わたしも」


「どうぞ」


話の腰を折られても、フランツの機嫌を損ねることはなかった。

手を振り、ティアたちを見送る。

店内の明かりで、腕輪が鈍く光った。






「ユファって、あんなのが好みだったっけ?」


トイレに場所を変えてすぐ、ティアは小声で聞いてみた。


「ティア! 見た、あの人の腕輪!?」


かなり珍しいテンションの高いユファレートに、ティアはたじろいた。

頬を上気すらさせている。


「あれ、ブラウン家に代々伝わる、『ブラウン家の盾』よ!」


「えっと……なんだっけそれ?」


「知らないの? 装備者に害を及ぼす魔法だけをほぼ完全に遮断する、魔法道具!」


「へ、へぇ……」


つまり、フランツではなく、『ブラウン家の盾』とやらに興味がある、ということか。


「それで、どうしたいの? 欲しい?」


「それは欲しいけど、いくら払っても、譲ってもらえる訳ないじゃない。けど、魔法道具の歴史を知れるだけでも、楽しいでしょ?」


「楽しい、かなぁ……?」


(さすが、魔法オタク)


魔法道具なんて、便利ならそれでいいと思うだけだが。

ユファレートにとっては、そうじゃないらしい。


「んじゃまぁ、もう少しあの人に付き合いますか」


とりあえず、食事くらいは奢ってもらえそうだ。


そんなことを考えていると、馬の蹄の音がした。

そして、車輪が回る音。

馬車。


思い出す。

もう少ししたら、ゲンク・ヒルの偽者がここを通る。


カウンターに眼をやると、すでにフランツの姿はなかった。


食事の代金は支払われていた。

フランツは外である。


「寒っ」


バーの外に出て、温度差にまず身震いする。

フランツが、唾を飲み込んだ。


「あれが……」


馬車は停まっていた。従者は二人。

そして、馬車を遮り立つ男。


かなり大柄な男だった。

癖のある長い黒髪に、黒いジャケット。

まるで夜に溶け込むようであるが、抜き身の剣だけが不気味に光っていた。

本当に現れた。ランディ・ウェルズ。


不意に、鳥肌が立った。


(だめ……)


路地のあちこちから、次々と男たちがでてくる。

ざっと三十人ほどか。

それぞれが、思い思いの武器を手にしていた。


ゲンク・ヒルに雇われた、チンピラというところか。


(だめよ……)


ティアの眼は、ほとんどランディに釘づけになっていた。


(この人と関わっちゃいけない……)


ランディの立ち姿に、そう直感した。

本能はここから離れることを催促していたが、体が動かない。


チンピラたちは、そう感じなかったらしい。

あるいは、数を頼んでいるのか。


ランディが動いた。

一歩一歩、まるで散歩でもするように、普通に歩いていく。


チンピラたちは嘲笑しながら、ランディに無造作に近付いていった。


それは、一瞬のことだった。


ランディの剣が閃く。

チンピラ五人が、頭蓋を断ち割られ、あるいは首を斬り裂かれ、血を吹き上がらせた。


異様なまでの手並みだった。


全員が、凍り付いたように動きを止めた。


ただランディだけが、変わらぬ速度で馬車へと歩いていく。


誰かが叫び声をあげた。

それで呪縛が解けたのか、何人かがランディへと突進する。

だが、ランディの剣に、尽く地面に叩き伏せられていった。


綺麗に斬るというよりは、防具も肉も骨も叩き潰すような、凄惨な斬撃だった。


これは、戦闘ではない。

争いでもない。

一方的な殺戮。


チンピラたちがそれを悟ったのは、半数ほどになってからだった。

一人が逃げ出すと、恐慌は拡がり、次々に逃走する。


残ったのは、二頭立ての馬車だけだった。

馬が、いななく。


馬車から、小肥りな中年が転がり出てきた。

ランディが剣を振り上げると、短く悲鳴をあげ、腰を抜かす。


ランディは、しばらく男を見つめていた。


「偽者か……」


やがて、ぼそりと呟くと、踵を返す。

それきり、ゲンクの偽者には眼もくれない。


歩を進める。その先には、ティアたちがいた。


こちらを目指しているのではないのだろう。

ただ、途中にティアたちがいるだけだということ。

存在に気付いていない訳はないだろうが、眼中にない、という感じだった。


それでも、近付いてくる姿に、息が詰まる。

鼓動の早さに頭がくらくらする。


まるっきり無視する形で、ランディが横を通り過ぎた。


これでいい。

こんな男と関わることはない。

それなのに。


「……待てっ!」


おそらく、一生分の勇気を振り絞ったのではないだろうか。

フランツが剣を抜いた。


「き、貴様の……」


最後まで、言えるはずもなかった。


フランツの右手首から先が、斬り落とされる。

剣が地面で跳ねた。


「……はっ!? ああっ!? あああああああっ!?」


半狂乱になって叫ぶフランツ。

それに、ランディがにじり寄る。


「……や、やめなさい……!」


ティアは、思わず声を出していた。

余計なことかもしれない。

死人が増えるだけかもしれない。

それでも、声が出た。


ランディは、ティアには見向きもしない。

フランツの手を拾うと、あの腕輪を外した。

ポケットに捩込むと、手は持ち主であるフランツへと放った。


「……急げば、まだ繋がるかもしれんな」


抑揚のない声で言ってくる。


「……ユファ、お願い」


「う、うん」


卒倒寸前まで蒼白になっているユファレートが、それでも治癒の魔法を使いはじめた。

淡い光が、フランツの傷を包んだ。


ランディが、剣を収める。

そして、多分初めて、ティアの方を一瞥した。


それは、予想外の反応だった。


体を硬直させ眼を見開き、唇を微かに震わせる。


「……ティア、か?」


「…………えっ……?」


たしかに名前を呟かれ、ティアは唖然とした。


ランディは、すぐに我に返ったようだ。

一度眼をつむり、頭を軽く振る。

次に瞳を開いたときには、どこか優しげな眼つきだった。


そして無言のまま、足早に立ち去っていく。


「なんなのよ、いったい……」


呆然とティアは呟いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ランディは、深くベッドに腰掛けた。


金さえ払えば、例え凶悪犯罪者であろうとも、泊まれる宿はある。

法外な金額は請求されるが、どうでも良かった。

いずれ、金は不要となる。


返り血を拭ってもいなかった。

そんなことを気にするよりも、考えなければならないことがある。


顔の前で手を組み合わせ、壁を見つめる。

動悸がまだ早かった。

動揺していることを、静かに認める。


あの少女は、ティアだった。


偶然居合わせた?

偶然にしては出来過ぎだろう。


誰かが、手を加えた。

誰が?


(ストラーム、か?)


あるいは。


「エス、あなたか?」


「それは、誤解だ」


部屋の隅に、人影が浮かび上がる。

白い髪。

白い肌。

白い服。

年齢がよくわからない、中性的な顔。


つい先程まで、たしかに部屋にはランディしかいなかった。

だが、たしかにずっとそこにいたのだろう。


エス。

この男と話すときは、いつも蜃気楼と向かい合っているかのような気分になる。


こちらの思考くらい、すべて読み取っているのだろう。

それを前提に、ランディは言った。


「なにを企んでいる?」


「あの少女については、なにも。彼女があの場に居合わせたことにも、私は関わってはいない」


ランディは、エスを観察した。


この男は、嘘はつかない。

だが、言い回しにより、真実を隠すことはする。


「それと、もうひとつ誤解だ。彼女は『ティア・オースター』。『ティア』ではない」


「……そのほうが、都合がいいということか?」


「ならば、逆に問おう。君はあの少女を、『ティア』だと言い切れるのかね? 三年前に、たった一度あって、それっきりのはずだが」


「……」


ランディは、沈黙した。

エスが真実を語っているのか、隠しているのか、まだ判断がつかない。


この話を続けても、無駄だろう。


「ルーアは、いまどのあたりに?」


「まだ、海上だ。四十六時間ほど遅れている」


「……もうじき、追いつかれるな」


「ああ、追いつかせる」


もう、時間がないということか。


「次の指令だ」


エスが外を指した。


「宿を出たまえ。西の門を目指せ」


「まだ、私を働かせる気か」


「時間が差し迫っていることを、君は理解していると思う。西の門を目指せ。途中、男に声をかけられる。十八分後にな。その男に付いて行け」


「男、というのは?」


「会えばわかる」


話は終わりだと言わんばかりに、エスの体が薄れていく。


ランディは、剣を手に取った。


「一点だけ、気にかかることがある」


エスの姿は消えたが、声だけが耳に滑り込んでくる。


「フランツ・ブラウンを斬るのを、躊躇ったな?」


「……斬る理由が、見当たらなくてな」


「『ブラウン家の盾』を必要としている、というのは、立派な理由だろう」


「……」


「甘さは、捨てることだ」


その言葉を最後に、今度こそ気配も消えた。


ランディは、ジャケットの胸を掴んだ。


「捨てたさ。とっくにな……」


そこには、鷹に絡み付く蛇の紋章があるはずだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


西の門が見えて、ランディは足を止めた。


あまり近付き過ぎると、門番に気取られる恐れがある。

ランディの手配書が回っていないことはないだろう。


(そろそろのはずだが……)


エスの指令を受けてから、二十分近く経過したはずだ。


ランディは、意識を研ぎ澄ませた。

夜の帳に、感覚が染み渡っていく錯覚に囚われる。


人の気配。

顔を向けた。


「……鋭いねぇ」


三十前後の、浅黒い肌をした男だった。


「俺を覚えているかい、ランディ・ウェルズ?」


「グリップ、だったな」


すぐに名前が出た。


グリップが、にやりとする。


「覚えててくれて良かったよ。こっちは、あんたのことを忘れられそうにないからな。なにせ、初めて俺が負けた男だ」


『バーダ』に所属していたときに、捕まえたことがあった。


勝つには勝ったが、紙一重の勝利だった。

脱獄した、という話は聞いたことがある。


「それで、私に何の用だ?」


「単刀直入に言う。俺の仲間になってほしい」


「……」


意図せずに、目つきが鋭くなる。


エスは、この男についていけ、と言った。

だが。


「お前は、『コミュニティ』の人間だ。私に、『コミュニティ』の一員になれと?」


『コミュニティ』は、とある組織の名称である。

そして、ストラームのはっきりとした敵だった。


「まあ待てよ。そう殺気立つな。話を聞け」


いつの間にか、剣の柄に手をやっていた。


「ランディ、俺は、あんたのことを調べた」


グリップは、害意がないことを示すかのように、両手を拡げてみせた。


「世間じゃあんたは、殺人鬼に堕ちた元軍人だとか、否、法律で裁けない悪徳政治家・商人を誅殺して回っているんだ、とか言われているが……」


グリップは、確信を持った表情をしていた。


「俺にはわかる。あんたが殺してきた奴らは、『コミュニティ』に資金援助をしていた。あんたは今でも、『コミュニティ』を敵としている」


「……それで、その『コミュニティ』の一員であるお前が、なぜ私を勧誘する?」


「組織を抜けた。理由は、家族が殺されたからだ」


グリップは、拳を固めた。


「同じように、組織を裏切った奴らを集めている。いま四十人ほどだ。だが、全然足りない。復讐どころか、組織の刺客がきたら一網打尽にされるだろう」


「そうだろうな」


「あんたは、俺たちと同じく『コミュニティ』を敵としている。そして、俺たちはあんたに協力できる。ゲンク・ヒルを、次は狙うんだろ?」


ランディは、頷き肯定した。


「今までのようにはいかないぜ。雇われた中には、相当な腕の奴らもいるようだし、魔法使いもいる。あんた一人じゃ無理だ」


口数が多い、とランディは思った。


以前捕まえたときも、こんなものだっただろうか。

それだけ、必死に勧誘しているということかもしれない。


「俺たちも、ゲンクを消すのに協力する。『コミュニティ』に繋がる奴は邪魔だからな」


ふと、思いつくことがあった。


『ティア・オースター』


あの娘と自分を会わせたのは、ストラームでもエスでもなく、『コミュニティ』の策略ではないのか?


「なぁ、ランディ……」


「いいだろう」


ランディは、鷹揚に頷いてみせた。


「そうか! そうかよ!」


よほど嬉しいのか、グリップは無警戒に歩み寄ると、ランディの肩に腕を回した。


「ゲンクはヘリクハイトにいる。まずこの街を出なけりゃならんが、安心しろ。抜け道がある」


グリップの言葉を、ランディはもう聞き流し始めていた。


エスの指令通り、グリップについていく。

そして可能な限り、『コミュニティ』の情報を聞き出す。


考えているのは、そのことだけだった。

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