ルインクロード

リヴ

プロローグ1

少しずつ空気が張り詰めてくる。


しかし少年は、どこか上の空だった。


古いアパートの一階。


目的の一室、そのドアの前で、先を歩いていた男が立ち止まる。


二人とも帯剣していた。


着ているジャケットは、耐刃繊維でできているものである。


明らかに戦闘を意識している格好だった。


男が振り返り、小さく頷き合図する。


ぼんやりしていた少年は、いくらか反応が遅れた。


慌てて頷き返す。


男が訝し気な顔をした。


「しっかりしろよ、おい」


「ああ、わかってる。大丈夫だ」


そんなやり取りの後、男はドアをノックした。


返事はない。

だが、室内でなにかが動く気配はした。


再び、ノック。

今度は返事があった。


「……誰だ?」


低く、くぐもった声。


「ザック・ヘルダーさんですかね? 去年まで海軍に所属していた」


「誰だ、と聞いている」


声に、いくらか苛立ちが含まれる。

男はジャケットから手帳を取り出すと、ドアの丸穴に向けた。


「バーダ第八部隊隊員ライア・ネクタスという者ですがね」


空いた手で、少年の長く伸ばした赤毛を引っ張る。

少年も、ライアに倣い手帳を出した。


「あー……同じく、バーダ第八部隊隊員のルーアです」


「あなたが、軍の情報を他国へリークしているという話がありましてね。少しご同行……」


ライアが言い終える前に、薄っぺらいドアに亀裂が走った。


後退したルーアとライアの間を剣が通り抜け、手摺りに当たり耳障りな音を鳴らす。


続けてザックが飛び出してくれば、それで決着はついたが、さすがにその愚は冒さない。

素早く剣は引き戻され、離れていく足音が聞こえた。


「……こんのっ!」


ライアがドアを蹴破り、ザックの背に手を向ける。


「エア・ブリッド!」


風が一塊になり、室内を蹂躙する。

リビングのドアの陰でやり過ごすザック。


ルーアは、身を翻した。

室内ではなく、アパートを回り込むように移動する。


拠点を突き止められているのだ。

おそらくザックは、室内に留まりはしないだろう。

裏口から逃げ出すはずだ。


ルーアは舌打ちした。

裏口に二人配置していれば、簡単に取り押さえることができた。


(人員不足過ぎだろ……!)


毒づきながらも、頭の中で地図を拡げる。


罠を警戒しないといけないため、ライアは室内の移動に多少手間取るだろう。

その間に、ザックは裏口から脱出する。

路地裏であり、道は左右。

右はすぐに行き止まりになっているはずだった。

塀を乗り越えようとする間に、ライアに追いつかれる。

当然、ザックは左の道を選択するだろう。

ライアと事前に予想は立てていた。


「フライト!」


先回りするべく、飛行の魔法を発動させる。

風を切る音の中に、牽制か誘導するためか、ライアが放った魔法の爆音が混ざった。


やがて、予定の場所に着き、ルーアは飛行の魔法を解除した。


額を拭う。

夏の鋭い陽射しに、汗が光った。

待つことしばし。


ザックが姿を見せる。


背後を気にするあまり、ルーアにはまだ気付かない。


さらにその向こうのライアは、すでに余裕の表情を見せていた。


相手を詰んだ状態にすると手を抜くのは、ライアの悪癖だった。


ザックはようやくこちらに気付き、立ち止まる。


「くそっ……!」


呻く。


「警察の犬め!」


「せめて、国家の犬と言ってくれぃ」


焦燥するザックと対照的に、自分の胸を指しながら、のんびりとライアが言う。


ジャケットの左胸には、鷹に絡み付く蛇の紋章があった。


これは、リーザイ王国の紋章である。


すなわち、二人が所属する部隊『バーダ』は、王家に直属していることを意味していた。


戦時は軍隊となり、平時は警察となる、それが『バーダ』だった。

隊員に、生半可な戦闘能力の者はいない。


ゆっくりと、ルーアは間合いを詰めていった。

ライアも、それに合わせ動き出す。


塀を背にして、左右のルーアとライアを交互に見比べるザック。

しばらくの逡巡の後、ザックはライアに完全に背を向けた。

つまり、ルーアに正面から向き直ったということだ。

少しだけ、ムカッとした。


ルーアは、十六歳だった。

四百名を超えるバーダ隊員の中でも、二番目に若い。

同年代の男子の中では、身長は高めで、体重は軽め。

一言で言えば、痩せ気味の子供だった。


比べてライアは、ルーアよりもふたまわりは体格が大きい。


ザックがルーアと対峙するのを選ぶのは、当然かもしれない。

かもしれないが。


とりあえずライア。

その勝ち誇った半笑いはやめろ。


ザックが構えたため、さすがにルーアは、意識をこの元海兵に向けた。


ザック・ヘルダー。

彼の情報を思い出す。


海兵として、かなり優秀だったらしいが、四年前に訓練中の事故が原因で、左眼がほとんど見えなくなったという。

左半身を極端に引いているのは、その影響だろう。

剣をかなり遣えるというのは、雰囲気でわかる。

自分が剣術で劣るとは思わないが、リスクがあるのもまた事実。


国を裏切った。


ふと、そのことが頭を過ぎった。

金か、恨みか。

理由は知らない。

これから、国のお偉方が調べることだ。

おそらくは、極刑だろう。

ここで捕らえたら、間接的にルーアたちが殺すことになるのだろうか?


隙ができた、とザックは感じたのだろう。


吠えて地を蹴る。


ルーアは慌てなかった。

一息で詰められる間合いではない。


(まあ、わざわざ相手の得意分野で勝負する必要はないわな)


狭く直線的な裏路地。

塀は高く、簡単には乗り越えられない。

ここで挟み撃ちにした時点で、決着はついていた。


翳した掌と、絶望的な表情が重なった。


「……悪ぃな」


電撃が、ザックの体を貫いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「とりあえず、一件落着か」


ザックの身柄を警察に引き渡し、基地へ戻る途中。

ルーアは大きく伸びをした。

その脇腹に、ライアの蹴りが突き刺さる。


「……なにしやがる……?」


反撃をしたいところだが、見事に急所を蹴り抜かれ、膝をつくのを堪えるのがやっとだった。


「そっくりそのまま返そう」


ライアはなんというか、ちょっとコゲ臭かった。


「最後のライトニング・ボルト。あれ、俺も効果範囲にいれてたよな?」


「加減を間違えただけだ」


「嘘つけ」


「わざとじゃない。ただ、お前の勝ち誇った顔に、イラッときた」


「ほおぅ……」


度を過ぎた冗談だが、ライア以外にそんなことはしない。

自分と同等の戦闘能力の持ち主、そして、長い付き合いがなせる技だった。


脇腹の痛みに耐え、ルーアは上体を起こした。

ライアと睨み合う。

だが。


「やめた」


あっさりとルーアは折れた。


「あんまそういう気分じゃねぇんだ。今の蹴りで、アイコでいいだろ?」


「ふむ……」


ライアは、毒気を抜かれたような顔をしてみせた。


「俺は今からミシェルの手伝いに行く。ルーア、お前もくるか?」


「手伝いいらんだろ。たいした相手じゃないって聞いたぞ」


「どうかな。ランディがいなくなってからあいつ、なんか危なっかしいからな」


ランディ。

その名で、心がささくれるのをルーアは感じた。


「眠い。帰って寝るわ」


「まだ夕方だぞ」


「眠いもんは仕方ない」


ライアに背を向け、手をひらひらと振る。


「お前、どっか旅行でも行くのか?」


その一言に、ルーアは足を止めた。

肩越しに見やると、ライアはそっぽを向いていた。


「……どうして、そう思う?」


「レジィナが、お前の部屋のまとめてある荷物を見た」


「……」


嘆息する。


レジィナも同じくバーダ第八部隊の隊員で、ライアの婚約者である。

今は子供を身篭っており、基地で雑務をこなす毎日だった。


基地の二階は隊員の宿舎代わりに使われていて、暇なときレジィナは部屋の掃除をしてくれる。


三日で部屋が散らかるルーアにとっては、ありがたくもあり、ややこしい物を見られるのではないかという想いもあった。


「ランディを、追うのか?」


「……」


ルーアの沈黙を、ライアは肯定と受け取ったらしい。


「やめとけ。俺たちリーザイ王国特殊部隊隊員が、他国でうろうろするのは、面倒なことになるぞ。言わんでもわかるだろ?」


「明日、俺が部隊の資金を横領していたことが発覚する」


「あん?」


「いや……さすがに洒落にならんか。あれだな。隊長の私物を壊す。多分、壺かなにかだ。代々伝わる家宝で、ン千万はする代物だ。隊長の逆鱗に触れた俺は、除隊となる」


ルーアは、笑みを浮かべた。


「つまり、ただの一般人になる。旅行先で知り合いと偶然再会し、一悶着起こしても、たいした問題にはならない」


少なくとも、国際問題に発展することはないだろう。

いくらでも言い訳はできる。


ライアが、いくらか下品に唾を吐き捨てた。


「つまりは、隊長の命令かよ。胸クソ悪ぃ。最近ぼけーっとしていると思ったら、そういうことか」


「違う。命令じゃなく頼みだ」


「じゃあ、断れ」


「お前なら、断れるか?」


「……けっ!」


ランディは、バーダ第八部隊の副隊長だった。

それが、隊を辞した後、世界各地で凶行を繰り返している。


放っておけば、隊長であるストラーム・レイルの失脚を招くだろう。

それは絶対に避けなければならない。


彼は、表面上は一部隊の隊長に過ぎないが、実際は王国の守護者というべき存在だった。


ストラームの地位を守るには、第八部隊の誰かが、ランディを止めなくてはならない。

その実力があるのは、ストラームとライア、ルーアの三人。


ストラームが王都を離れられる訳がない。


ライアは、結婚が控えている。

子供も生まれる。


だから、ルーアだった。


だいたい、ストラームの頼みを断れるはずもない。

隊員たちはみな、彼に救われた過去がある。


「ランディの変化に、俺たちは誰も気づけなかった」


「ああ……」


「だから、俺たちが起こした問題だ。俺たちで解決しないとな」


「かっこつけんな、ガキが」


「……式には出れそうにもないなぁ」


「呼ばねぇよ、お前なんざ」


身震いした。夕刻とはいえ、初夏にしては、妙に冷える。


「……それにしても、なんであの人は、国を裏切るような真似をしたんだろうな……?」


「知らねぇよ」


「なんで、俺たちを裏切ったんだろうな……」


「知らねぇっての」


ライアも、背を向けた。


「多分、泊まりになる。だから、明日見送ることはできない」


「ああ」


「……じゃあな」


「……ああ。じゃあ、な……」


言葉を交わせるのは、これで最後かもしれない。


だから『またな』とは言わなかった。

お互いに。

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