月下の交渉

【5】

 月明かりに照らされる二人の子どもと一人の老爺、彼ら否、私達は森の奥深くに佇んている。

 いまは、もう一人の幼子の姿をした何かに翁が相対しているところだ、情報不足であるのが非常に悔やまれる。

 彼のモノが魔物であることは確定的、しかしあれがどういった起源でそして祓い方についても私にはわからない、翁は別行動している最中にナニカ決定的な情報でも得られたのだろうか。

 その年季ある後ろ姿はやけに頼もしく、見えないこともない。


「のう、おぬしはここで何をしておるんじゃ?」

 翁が優しく問いかける、彼の好々爺然とした姿に魔物も心を許したのかそれとも翁を侮ったのか、顔を綻ばせながら、ゆっくりと翁に近づいていった。

 そのあどけない動きと、迸る魔の気配を抜いて見る彼の物の気配は確かに年相応の子供のソレだ。

 ただ世界には擬態をして獲物を襲う生物もいると聞く、魔物も歳を経るごとに知性を身に着け自らの存在を隠すという。それに心の警鐘がなっている時点で気を緩めることなどできはしない。

 そして魔物が口を開く。

「ワタシ、ここでママをまっているの。わたしはイイコだからココでヒトリでまってるの」

「そうか、そうか。えらいのぉ。じゃがこんなところでは逆に親御さんに心配をかけるのではないかの?わしらと一緒に森から出よう」

「それはダメ、ママにココにいなさいっていわれたの。」

「じゃがのう…」

 翁が何とかここから連れ出そうと説得を試みるも子供は頑なに離れようとはしない。

 彼ら魔物は生まれて間もないころは産まれた場所にとどまり力を蓄える、そんな本能ゆえの言動かそれとも…

それにしても親、親か。

 学術的に考えて魔物というものは生き物ではない、つまりは肉親、本当の意味での親はいないはずだ。それでも目の前で繰り広げられる姿は子供が意地を張り大人を困らせる図を彷彿とさせた。

 だからと言ってなんだというわけでもない、無いはずだが…。


「ねぇ、あなたはどうしたの?」

 いつの間にか私の目の前に子供が接近していた、迂闊だったろう目の前に脅威があるのに思索にふけるなんて。

 何か行動するべきだというのはわかっている、しかし目の前のコドモの、怯えているようで、こちらを見すかそうとするが如き暗く沈んだ瞳を真正面から見てしまい体が硬直してしまう。

 子供独特の無邪気な雰囲気に混ざって得体のしれない何かが鎌首をもたげている気がしてそれがどうしようもなく恐怖を誘う。

 拙い、このままだと、呑まれる。

 弱気なところを彼らに見せてしまっては、まさに目の前にぶら下がる体のいい餌にしかなり得ない。

 それでも、目の前の人モドキを見ていると、自らの見たくない何かを直視してしまうようで―。


「スマンのう、こ奴は中々の人見知りで緊張しておるんじゃ、そっとしておいてくれんかの」

 ふと、翁の声が聞こえた、それだけで幾分か落ち着きを取り戻せたようでゆっくりと頭が働き始める。

 もしかして、思考を制御する魔法でも行使したのだろうか。

 ともかく自らの失態を恥じながら目の前のコドモに対応することにした。

「う、うん。なかなかそこのじ、師父が外出許可出してくれないものだから」

「そうなんだ、ゴメンね。」

 自分でも苦し紛れだとわかるいいわけでも、コドモはすんなりと受け入れる。

 どうやら頭もそこまでよくないみたいだ、正直助かった。

 コドモはその一言の後に暗い影を落としたように顔を俯かせて続ける。


「わたしもね、ママに言われてたんだ。外は危ないから出ちゃいけないって」

「ふむ、じゃが今はこうして森にまで足を延ばしておるではないか。早く帰らねば母親も心配するぞい」

「ううん、大丈夫だよ。だってここがワタシのお家だもの!」

 満面の笑みで、自慢するように子供は言い放つ。

 しかしどう見てもこの一帯は人が、動物が寝食をする場には適さないことは明らかだ。

 風雨を凌げる屋根のようなものもなければ外敵から身を守るための機能も存在しない。

 一時の休憩場としてならまだしも生活するための最低条件は嫌というほど揃っていなかった。

 魔物に常識が通じないのは端から承知済みなのでとやかく言う気は起きないのだが。

 それでもここに居座られていたら、否、存在し続けられていたら今後どうなるかわからない。


 力ずくでも人のこない場所へと追い払うかそれとも祓うかするしかないだろう。

 だというのに翁は悠長に話しかけている。

「ほ、ここが家とな?その割にはお主の親が見当たらないんじゃが…」

「パパもママも忙しくてなかなか帰って来れないの、折角素敵なお家に移ったのに。」

「そうか、そうか。じゃが子供一人では些か心配じゃのう、せめて他に人がいそうなところへ行かんか?」

「…なんで、そんなにつれだそうとするの?」

「なんで、てそれはお主が心配で」

「嘘だ」

 静謐とした森の中にコドモの拒絶の声が響き渡る。

 声量自体は大きいものではなかったが、辺りの空気がピンと張り詰めた気がした。 

「そう言って、私を連れ出してイタイことをするんでしょう、イヤなことするんでしょう?いつもいつもそうだった、ここに来る人はみんなそうだった!」

 彼のモノの激昂は留まることを知らず、先程より濃厚な魔の気配を発して翁に襲いかかろうとしていた。

 目に見えない何かに引きずられるように翁は闇の奥底へと消えようとしている。

「師父!」

 このまま、一人取り残されてしまいそうなそんな子供じみた不安からつい、口を開いてしまった。

 魔物が私に向けて攻撃してくる可能性も考慮していたというのに。


 それでも翁は心配するなと言い聞かせるような笑顔を向けてそのまま闇の中へと消えていくのだった。



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