doll house

【6】

「…遅い。」

 あれから月が十度程傾き動いた頃になる。

 なのに翁と魔物は姿を見せることはなく静寂が周りを支配していた。

 何かしらの戦闘音がしてもいいはずなのにそんな気配は微塵もなく、それが逆に不安と焦燥をかきたてられる。


 あの翁に限ってそうやすやすと死ぬヘマはしないだろう、だろうけどやはり遅い、遅すぎる。

 あれくらいの魔物なら今頃こっちに戻って「あ~今日もしんどかったわい」なんてつかれた様子も見せないで言い放っていても可笑しくないのだ。

 

 なにか想定外の出来事でも起きたのか、それとも予想以上に魔物が強かったのか。

 まさか、本当にボケて私を忘れてさっさと家に帰ったのか…

 それはないと信じたい。

 ともかく、今の私にできることは丸腰で翁を探しに行くか若しくは救助が来るまで大人しくここで待っているか。

 どちらも等しく危険があるだろう、前者は言わずもがな後者はいつ来るかもわからないのに食料が手元に無く、それにここにいても襲われる危険性がある。


 さてどうするか、丸腰ではモンスターどころか肉食の野生動物にだって食い殺される自信がある。でもこのまま動かなかったとしても自体が好転するか否か。

 そこまで考えて、意を決してこの場を発つ。

 ここにいれば安全だと翁は言っていたけれど、それもどこまで信用していいのかわからない。

 それに、私は彼の仕事ぶりを、魔法を見に来たのだ。

 ここまで来てあげく徹夜までしたのに何も得られませんでしたじゃ気がすまない。


 多少の危険は承知の上で、私は翁を探しに行く。

 何故なら私は魔法使いの弟子なのだから。



 そして開けた場所から鬱蒼とした月明かりの届かない藪の近く、その境界付近まで步を進めるとある違和感に気づいた。

 月光の届く場所からその先が黒に塗りつぶされたかのように見えなくなっている。

 ここまで来た時も確かに真っ暗闇ではあったけど灯りさえつければ歩けないこともなかったし、慣れてきた頃には薄ぼんやりと周りの景色も見えていたはずだ。

 なのに今では灯りをつけても足元さえおぼつかないほどの濃密な黒が広場を囲むように続いているではないか。

 歪な空間を前に一度立ち止まり深呼吸を一つ。

 落ち着いて、周りを見渡しあと踏みしめるように一歩前へと足を運ぶ、ここからは自分の勘だけを頼りだ。

 そして翁と同じように黒い空間へと誘われていくのだった。


 

【7】

 完全に暗闇に飲み込まれた後、予想に反して光のあるところへと出る。

 と言っても視界に広がるのはここに来るまで嫌というほどに見てきた鬱蒼とした森ではなく、様々な人形の置かれた薄気味悪い家屋だった。


 精巧に作られたビスクドールにノッペリとしたマネキン、可愛らしいぬいぐるみなど様々あって、私には作品の良し悪しは分からないものの、纏う雰囲気は幼稚な、子供らしさがよく出る内装になっている。

 それだけなら微笑ましいものだけど中には遊びの最中に壊されたような悲惨な姿の人形も散乱していたりと、突然飛ばされたことも重なって居心地の悪さは格別だった。


 それとナニカよくない気配が充満している、長居は無用だろう、早く翁と合流しなければ…。


 耳をすませば、遠くから風を切るような鋭い音と、叩きつけるような鈍い音が交互に聞こえる、十中八九その方向に彼らがいるだろう。

 まだ戦闘中だったのは不幸中の幸いというべきか、一先ず魔物に気取られないように慎重に距離を詰めて身をひそめながら戦いを見ることにしよう。

 足音にも気を付け、そして物陰を伝いながら翁と魔物がまっている大広間へとたどり着く。

 そこには科学の法則を無視した奇怪な光景が繰り広げられていた。

 コドモの周りには繰り糸を持たない人形たちが守りを固めるように廻り踊り狂い、玩具の兵士はその手の武器で以て翁を打ち倒さんと押し寄せる。

 繰り手はただの玩具だが、其の手に持つものは正真正銘の武器、一つ一つが軽々と命一つ奪ってしまう凶器たちだ。

 対して翁は静かに佇むのみ。

 にも関わらず彼を害そうとするものは、届くことなく見えない何かに阻まれるように右へ左へ逸れていく。

 弓から放たれた矢は、時に飛来したナニカに衝突して勢い良く離れるか、若しくは風に煽られ少しずつ軌道がそれていったり。

 ならばと、剣や槍を持った兵士たちは翁めがけて突撃するも、風に煽られた矢に中り、道半ばで倒れるモノ、そして突如できた仲間の屍という障害物に足を取られ、身動きが取れなくなり、なかなか標的までたどり着かない。

 コドモの繰り方が稚拙なのか、否、今でもアレの周りを廻り舞っている人形たちの動きは、整然として、来るかもしれない攻撃からコドモを守ろうとしているのは見て取れるし、あれだけ精密に動かしているのに、実は下手であるというのはありえないだろう。

 必然的に、何かの見えない力が働いているのはわかった。

 実際、翁から半径一メートルほど先ではところどころ床が抉れ見るも無残な有り様であるのに、それより内側は依然として穏やかなものだ。

 残念ながら私は魔を見通す目を持っていない、それでも翁の周り、その水面下では目を回すほどの攻防が繰り広げられていることは明らかだった。


 しかし、それは大事に至ることではない。

 今一番解せないのは―

「なんで、攻撃しないんですかあの人は。」

 確かにコドモの摩訶不思議な法術は脅威に値するものだろう、私や他の人々にすれば。

 ただ彼はその他一般の部類に入らない。

 実際に攻撃は一つも通ってはいないし、遠目で見ても翁の顔には疲労の色なぞ全く見えない。

 あの様子ならあと一刻は余裕で持つはずだ、もしかしたら日が昇るまで続くかもしれないがその時はどうにかして自分だけ帰る手段でも探すことにしよう。

 

 閑話休題

 それほどの余力を持ちながら翁は自らが手を出そうとしないことが、私にとって何より不可解だった。

 攻撃手段を持ち合わせていない、なんてことはもちろんない。

 彼がやろうとすればこの空間ごとなかったことにするのは容易いだろう、何度か同行した魔物退治でも、一発で解決してしまう弩派手な魔法を使っていたこともあった。

 燃やし尽くすのか流しつくすのかそれとも吹き飛ばすのか方法も手段も豊富に持っているというのに実行に移そうとはしない。

 相手の姿がいたいけな子供だから?いや、それなら私の修行にも親身に手心を加えているはずだ。

 常識はずれなものを課すような悪魔の所業はしないだろう。

 魔物に対する接し方が私のそれよりもいいものであることに少しの嫉妬を覚えていると、翁が一瞬だけこちらに顔を向ける。

 コドモにはもちろん彼にもばれないように隠れて気配を殺していたはずだがとうに気づいていたようだった。


 翁はやれやれと頭を振ると今度はコドモへと向き直り話しかける。

「のう、そろそろやめにせんか?遊び足りないというならわしが付き合うし、ここにはいたくないというのなら連れ出してやろう。少なくとも此処にいるのは苦痛じゃろう?」

 優しい声音で言い聞かせるようにコドモに向き合う。

 私には理解りかねる行為。何故彼は化生のモノにあそこまで入れ込むのだろうか、どうしてすぐに終わらせないのだろうか。

「嘘だ」

 翁の提案にコドモは顔を険しくしてそう応える、アレもなかなかに強情だと思う。

 ここまで実力差がはっきりとしていながらそれでも諦めることを知らない、拒絶する以外をしない。

「大人はいつだってそう、いつだって子供に嘘をつく。パパもママも帰ってこない。弟も妹もどこかに行っちゃった。でもワタシタチは気付いたのミンナミンナ捨てられちゃった。いらない子だから、ジャマな子だからってここに置いてかれたんだってこと」

 魔物の口から吐露される事件の真相は、このご時世でも探せば見つかるようなそんな陳腐な話だった。

 貧困の末の口減らし、間引きといった類だろうか。

「ワタシの何がいけなかったの!ボクが何かしたの!?なんで、なんでワタシタチだったの!?」

「落ち着くんじゃ。わしは-」

「うるさい、煩い、五月蠅い、ウルサイ!ワタシは、ワタシタチは入らない子じゃない!余計な子じゃないもん!」

 ―余計な子―

 まるで自分の事を言われているような感じがしていい気はしなかった。

 そんな弱気になった心を見せてしまったからだろうか。


「あれ、誰かいるの?」

 魔物に、気付かれた。

 どうしようかと逡巡している間だけでこちらに狙いを定め、瞬く間に距離を詰められる。

 その表情はまるで同類を見つけたような酷く嫌な笑顔だった。

「ねぇ、あなたもそうなんでしょう。あなたも大人に捨てられたんでしょう?」

「ちがう、私は」

「じゃあ、なんで本当の家族と一緒に暮らさないの?」

「それは―」

「やっぱりあなたも捨てられたんだよ、だから」

 ―一緒に暮らそうよヒトツニナロウヨ

 そう言うや否や両手をこちらに突き出した、まるでどこかに誘おうとしているみたいに。

 そして自らの意識も魔物と同調したのか、急速に暗転してついにはぷつり途切れてしまうのだった。


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