革命世紀と魔法使い
もう一人の魔法使い
魔法使いの弟子の一日
【 】
目の前の翁に師事することになって直ぐにやらされることになったのは怪しげな薬を飲まされたり不思議な呪文を教わったりといった精神的な修行ではなく肉体的な、明らかに戦士職用のトレーニング内容だった。
「あの、師父?なんで魔法使いがこんな常識外れなフィジカルトレーニングをやるんですか?」
「ほっほ、筋肉はいくらあっても良いぞ?達磨みたいになれというわけではない、何事も中庸が寛容じゃて。」
「いや、その理屈はわかりますけどこれは…」
一旦口を閉じこれから行うであろう修行内容に思いを馳せる。
翁の隣、と言うよりその先には崖になっていてかなりの高さが有ると思われた。
「それで、やっぱり登るんですか、この崖を。」
「正確にはここから飛び降りてそれから登るんじゃよ。なに、ちゃんと安全装置を付けてあるから大丈夫じゃて。」
「安全装置て、ただの紐じゃないですか。しかも飛び降りる!?」
「そうじゃ、一思いに一気にのぉ。」
さも事も無げに言ってのける翁だが私は声を大にして異論を唱えた。そしてできるだけ論理的に諭し必死に惨劇を回避しようとする。たとえば
「いや、そんなことやったら体重と落下の威力に耐えられなくてブッツリ逝きますよ?阿呆ですか?」
だとか
「そもそもこんな修行で見につくものってなんですか。度胸?火事場の馬鹿力?」
などなどそれはもういろいろな言葉をぶつけてやった。
実際の話、翁が安全装置だと言って括りつけた線の細いロープのようなものは、たしかに子供一人ぶんの体重なら支えることができるかもしれないが自由落下による衝撃に耐えられるかと言ったら…否だ。
だというのに翁は聴く耳を持たず、挙げ句両手で耳を塞いでしまった。
魔法が使えるようになるかもしれない、若しくは未知の世界を探求できるかもしれないなんて思いで付いてきてしまったが早計だったかもしれない。
少なくとも師事する人を間違えたのは言うまでもないだろう。
どうすればいいのか混乱した頭で考えていると、トン。と軽い衝撃が背中を駆け抜ける。
しかしてその勢いに任せて崖から―跳んだ。
「うわぁぁあ!」
視界がめまぐるしく変わる、しかし直ぐに止まり逆に上へと引っ張られる力が体に加わりつい「ぐえぇ」と蛙のようなうめき声をあげてしまう。
我ながら、情けないうめき声だと思うけれど、一先ず安全装置がその役目を果たしたみたいだ。正直気が気ではなかった。
さて、これからどうすればいいのか。そもそもあの翁は何をさせたいのか皆目見当もつかない。ここにある何かをとって登ってくればいいのか?と見渡しても真新しいものは見つからない。
嗚呼、空がきれいだなぁ、くらいしか思えなかった。
-ミシィッ、プチプチ-
ふと頭上からいやの音が聞こえた。この音は、俗にいう何かがきしむ音で、壊れる音だ。
恐る恐る上を顧みる。
するとそこにはたおやかな一本の綱が、糸の意一本一本が限界を迎えて少しずつちぎれているのを見ることが出来る。
慌てて、崖を登ろうと必死に体を動かした、―それがいけなかったのだろうか。
命綱は先程より早く寿命を切らしていく、焦れば焦るほど、その速さは増していた。
そして-
ブチッ!
「あ、ギャァあぁぁあぁ…」
【1】
「…ぁぁぁあああ!?…ぁ、嗚呼。なんだ、夢か。」
あまりの悪夢に飛び起き、最初に目にしたのは何の変哲もない、自室だった。
ずいぶんと昔の夢を見たものである。
少なくともあまり思い出したくない記憶の一つでもあるので、頭の隅になんとか追いやった。
そして一息ついた頃、なんとなしに自室を見渡す。
ハードカバーの本たちが一つの棚に綺麗に収まり、他の雑多な日用品、雑貨は隅に置かれている道具箱にごちゃ混ぜになってしまわれる、予定だ。
前に使われた拳銃もこの道具箱に大切にしまわれている。まだまだ道具箱に空きが目立つけど、いつか溢れるほどになるときも来るだろうと、翁が言っていた。
最低限の家具、そして本棚が一つとずいぶん寂しい内装だとは思うが、これで満足しているので問題ないだろう。
今のところまだ、本棚はひとつしかないけれど、いつかはこの部屋の壁をぐるりと覆ってしまうぐらい、いやそれ以上の本に囲まれることが、私のささやかな夢の一つだ。
まだ寝ぼけている頭を覚ますために外から水を汲んで顔を洗うことにした。
ふらつく足で転ばないように壁伝いに玄関へと向かい、門を開ける。
朝日の眩しさに目がくらむのは一瞬だけで、すぐに目が光に慣れて清々しい朝の風景が目の前に広がる、はずだった。
「…また朝っぱらから鍛錬ですか。飽きないですね…翁も」
上半身裸の、年の割に引き締まった体をしている老爺を、朝一番にみていい気分になれるものはいるだろうか、いやいない。
もう見慣れた光景に昇華されてしまったことに、嘆けばいいのか笑い飛ばせばいいのか、私には分からなかったし、わかりたくもなかった。
一先ずため息を一つ。
「なんじゃい。朝っぱらから辛気臭いため息なんぞ吐きおってからに。」
「いえ、相変わらずこの翁はトラウマしか量産しないんだなぁ、と痛感していただけですよ」
「相変わらず、キッツいのう。おぬしは。どうじゃ?一緒に鍛錬せんか。身も心もすっきりするぞい?」
「それこそ朝っぱらから汗だくになりないのでお断りします、というか魔法使いが体鍛えるって常識はずれにもほどがあるでしょう…」
「呵々、こればかりは習慣になっておるから、やめるにやめれんだけよ。」
「さいですか…」
習慣になるほどこなしてきたというのだから、気が遠くなるほどの月日にわたってこなしてきたのだろう。それを裏付けるかのように、今でも生活に不自由しているところは見ていないし。其れどころか好んで力仕事をしているようにも見えた。
本当に、どうしてこんな人が魔法なんてものに関わっているのか、あまつさえこの世に数えるほどしかいないとされる『魔法使い』なんかになっているのか、全く以て謎である。
「この後は走り込みにでも行くかの。軽く5週くらい」
と、こともなげに言ってのけた翁にげんなりしつつ、また一度この世の不可解さにため息を吐く。
5周とはいったが、いったいどこを指して言っているのだろうか。また気が遠くなるようなことを聴かされそうなので遠慮するけど。
ともかく、このまま突っ立っていてもしょうがないので、鍛錬に勤しむ翁を尻目に、桶を持って小屋の近くにある小川まで向かう。今のご時世、水道インフラなんかも整っているというのに、こんな原始的な生活を送っている自分がやや滑稽に思えた。
小川には、サラサラと水の流れる音だけがが聞こえてくる。
桶を水で満たす前に、なんとなく両手で掬ってみた。
小さな手のひらではすぐに水は零れ落ち、何も残らない。相変わらずこの一帯の水は冷たく綺麗に澄んでいた。
今度は両手で掬ったあと素早く顔にもっていく。
バシャリ、と小気味のいい音とともに顔に水がかかり、すぐに冷気が私を襲う。
それだけでも幾分か頭は冴える。
今度は冴えわたる小川の水面を鏡替りにして自分の顔を覗き見た。
「んー、寝癖ついてるけどまぁいいか。出かける予定もないし。」
ぼさぼさの髪を放置することにしてさっさと次の行動に移る。
あとは持参した布で顔を拭いて、桶を満たして引き返すのみ。おもに今日使う飲み水だったりの、生活用水である。
これだけでも半刻は使うのだから、やはり文明の利器というものは偉大だなと、再認識させられるのだった。
朝の雑務が終わると、今度は魔術についての学習、独学で、だ。
あの脳筋魔法使いはどうも人に座学で教えるのが苦手らしく魔術・魔法についての勉強は大体、体当たり型粉骨砕身式学習方法がほとんどだ。
例えば、今日夢に出た「獅子は我が子を千尋の谷から突き落とす(物理)」修行法や、実際に魔法を使っているところを見て感じさせる、くらいの感覚的なものしかやらされていない。
ちなみに夢の続きはどうなっていたかというと、いくらかフリーフォールを体験した後、地面スレスレのところで翁の魔法によって無事生還したのである。そうでないと未だに魔法どころか魔術の使えない私が生きている道理はないだろう。
後に聞いた話によれば、生命の危機にふんした際が一番不思議な力が発現しやすく、それでいて助けやすい手っ取り早い方法だったそうな。
ともかく、そんなことを続けては
しかし、魔法に関する書物は少なく、あったとしてもそもそもそんな都合のいいことが書かれているなんて、あるわけない。
そんなことがあれば、今頃この世は魔術師や魔法使いであふれかえっていることだろう。
それはそれで見てみたい気もする、がしょせん絵空事だ。
一笑に伏して、それで終わり。
では意味がないのになぜ続けているのかと言われれば、翁ほどではないと思うが、習慣になってしまったからだ。
翁による特別な修行は、月に二、三回あればいいほうでそれ以外はもっぱら自由時間だったりする。
ほかにも、思い出したように魔法を使って見せてくれたり、一寸した指導もしてくれるが、それでも未だに、進展を見せることはなかった。
なら、知識だけでもと、あがき程度に行っていたのが、いつの間にかドツボにはまっていたのであった。正直趣味と実益を兼ね備えているので、問題はないのだが。
魔術書のたぐいは、ときどき民家からも発見されることがある。そういったものは気味悪がられ、処置に困っていることが殆どだ。
そういった魔術書の廃棄、若しくは回収も私達魔法使いの仕事の一つになっていた。
魔術書と言ってもそんな大それたものが、ただの民家にある訳がない。大体は面白半分に手を出したもので、
時に、予想外の切り口から魔法の糸口にこぎつけているものもあった。素人だからこそ、無知だからこその考え方もあまり馬鹿にできないことを最近気づいたのだ。
今日も、そんな民家から見つかったという、蔵書から見繕って自習することにした。
そう言えば、と以前に教本代わりにしていた本がまだ途中だったことを思い出す。たしか題名は…『事象の変動式』だったはずだ。
あれは、珍しく翁から薦められたもので、仰々しい題目とは相反して読みやすい内容だった。ただ鈍器に使うだけで一撃必殺の武器になるほどの厚さがあるから、途中で寝落ちしてしまったんだっけか。
というわけで、本棚からお目当ての分厚い本を引っ張り出し机の上まで持っていく。そして読み終えた頁まで飛ばし飛ばし見て回る。
「えっと、『魔物の発生因果』は最初に見たな…『そもそも魔力とは』と、ここまでか。」
4分の一ほど読み飛ばしたたところでようやくページをめくる手が止まる。ちなみに読み終わった分だけでも軽く文庫本一冊を超えていた。
それと、魔術書だというのにこれだけ読み進めてようやく魔力についての言及に入るのはさすがに遅すぎると思うのだけど…内容自体は見ていて面白いからどんどん進んでいったものの。
-こんな調子で、本当に私は魔法使いになれるのか?私が間違っているのか?-
まあいい。次の題目に進もう、えっと-
「『事象変動とその手段』…?科学の論文みたいだ。」
でも、どちらかというと先程までのより好奇心をそそられる。ふ、フフフ。まさかこんな、辺鄙な小屋で学び舎で高等教育に使えそうな内容を学べるとは、柄ではないけど気分が高揚してきたよ。
いいぜ、だったらこの内容を暗記できるくらい、じっくりねっとり読みふけってやろうじゃないか…!
こうして今日もまた日が暮れ、暮れ-
「うぃーっす!爺さん生きてるかー?」
―ることはなかった。
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