地下大脱走の行方

【35】

「待て、盗人ども!」

「そう言われて待つ奴なんていないよ!」

「あーもう、最後の最後のでこれですか!」

 魔女が隣で当たり前のことを吐き捨てている最中、鬱憤を晴らすために大声で叫んだ。

 目下迫りくる信徒どもから逃走中の私たちだけど、やたらめったらにヘドロにまみれた地下道を逃げ回ったため、元の教会への出口なんてもはや覚えているわけがない。

 教会へと通じる道があれば翁たちの手助けが見込めるのに…!

 と、此処で一つ妙案を思いつく。

 必死に逃げ回りながら魔女に一つの提案、というよりは疑問を投げかけてみた。

「一つ、聞いて、いいですか!?」

「アゝ!?なんだ!?」

「なんで、魔法アレを、使わないんですか。」

 秘匿云年と昨夜言っていたもののこうなっては致し方ない。

 彼女の魔法、錬金術なら彼らの足止めなど簡単なはずなのに、それをしないことに疑問を持った故にだ。

 それと言外に早くこの状況をどうにかしてほしいと伝えると、彼女から驚くべき返答が返された。

「だって、ヘドロに、触りたくないんだもん!」

「…ハァぁ!?」

 あまりに馬鹿らしい理由に、声が裏返りついでに走るスピードが一段階下がった。

 流石にこれでは威厳が保てないと思ったのか、魔女はすぐに口を開いて弁明を始める。

「いやこの状況だとあまり細かい操作ができないし、そもそも下手に動かして生き埋めとか嫌だろ!」

「それは、そうですが…いや、昨日使ってた炎をで一網打尽にすればいいんじゃないですかね!?」

「アー、あれは今使えないんだ。チャージ中だ」

「なんですかそれぇ!?」

 要領を得ない答えではあるけど、どちらにせよ彼女は魔法を使う気がないのは確実だった。

 となると自力で何とかするしかないのだが-

「そうだ、一つだけ、方法がないこともない。」

「本当ですか!?」

 ふと何か思いついたらしい魔女の言葉に、間をおかずに飛びつく。

 すると魔女は自信ありげに私に顔を向けた。

「ああ。一寸危険があるかもしれないけどな。」

「この際状況が好転するなら、多少の危険を厭いません。どうすればいいんですか!」

「よく言った!」

 -後にして思えば、ある意味理に適ってはいるけどまさかあんな方法をとるとは思わなかった、そしてもう少し吟味するべきだった後悔することになる。-

 何をしたのかと言うと、魔女はおもむろに私に近づき荷物をよこせと言ってくる。

 もしかしてわたしの負担を減らしてくれるのかと淡い期待を抱いた、…その期待が大間違いだったことに気付くのはそう遠くない未来の事。

 突如私の首根っこ、正確には襟をむんずと掴み信徒たちの方を向いて



「-どッッせい!!」

 -投げた。

 その細腕で、子供一人わたしを信徒の頭上へと。

「「-は?」」

 突然の出来事に投げられた私はもちろん、いきなりの奇行と魔女の怪力ぶりを目の当たりにした信徒たちは唖然として一瞬の間思考を放棄する。

 私に注目していたためか、その足も地面に釘つけになりその間に魔女はどんどんと彼ら、もとい私と信徒たちとの距離を離していった。

 対する私はと言うと、信徒たちの頭上を通過したところでところでようやく頭が回り始めたのだけど。

 あの、どうしようもないんですが…。

「わ、ああぁぁぁ!?」

 言葉にもならない悲鳴を響かせ、墜落していく。

 そしてドボンッっと何かに勢いよく浸かった音とともに、全身に鋭い痛みが走った。

 気絶するほどの衝撃ではなかったことは不幸中の幸いだけど、状況の把握に暫し時間を要してしまう。

 しかしそれが済む前に異常が発生した。

 息をしようとすると、液体が口鼻から入って激痛がする。

 それと何かに流されて言ってるのを感じる。

 ここでようやく今置かれてる状況を理解した。

 -あ、これ横を流れていた汚水の中だ。-

 …て悠長に考察している場合じゃない!?

 これ以上汚水を摂取しないように口をしめて、急いで水面へと上がっていく。

 その際にまた流されてしまってるがそんなことは知ったこっちゃない。

「-!!…ぷはッゲホッゲホッ」

 やっとのことで水面に上がりきると、案の定先程いたはずの場所からずいぶんと遠ざかっていた。

 全くひどい目に遭ったものだが、信徒たちとの距離を稼げただけでも良しとするしかない。

 すぐに岸に上がって休息を試みるのだけど-

「いたぞ。あそこだ!」

「-ああもう!」

 まだまだ難所は続く。

 今度は一人きりで彼らとの逃避行の再開だった。


「はぁ…ハァ…ッ」

 息を切らしながらも足を動かすことを止めれない。

 私の少し後には複数の信徒たちが後を追ってきている。

 どうやら二手に分かれたようで、人数は半分まで減っているもののそれでも脅威には違いなかった。

 さらに加えて、休憩を挟まず陸に上がってから走っていることで体力を限界近く消耗していた。

 それでも速度を緩めるわけにはいかない。

 こんなところで捕まるわけにはいかない。

「-せめてあの魔女に一言物申さない限りは!!」

 一発ぶん殴るくらいは許されるだろうけど、その後の仕返しが怖いのでしない。今のところは

 気力と、憤怒の感情だけが今の私を突き動かしている。

 体力の限界を超えた時点で、ある意味死力を尽くしているようなものだ。


 しかしそれもそう長くは続かない、少しずつ動きが鈍くなっていくのを感じていた。

 信徒たちとの距離もだんだんと狭まってくる。

 たったそれだけではあるが、私の中に一つの感情を芽生えさせるには十分だった。

 それは、人として必ず持っているだろう感情の一つ『恐怖』と言われるもの。

 今まで、幾度となく経験していたものだが、一つだけ決定的に違うものがある。

 今回は誰一人として私を助けてくれるものはいない、周りが全員敵だらけなのだ。

 もしかしたら魔女がまだ地下を逃走中の可能性もあるけど、あれは信用できない。今この場では敵と見做して動くべきだ。

 これまでは、もし失敗したとしても翁か誰かが手助けしてくれただろうけど。

 今頼れるのは、頼りにならない子供が一人。言わずもがな私一人なのだ。

 明らかに敵意を持っている彼らに捕まった後のことは…想像に難くないことが災いして、急に背筋に冷たいものが走った。

 だからだろうか。


「-!!」

 気が狂う寸前まで追いつめられた精神は、やがて限界に達してその嘆願に近い悲鳴が口から勢いよくあふれ出る。

 こんなことに体力を裂くぐらいなら、少しでも前に進むべきだと頭では理解していても。

 気がふれかけた心に引かれて体が反応してしまった結果だ。

 もう私はだめかもしれない、そう諦めかけていた時に、奇蹟は起こる。

 最前列を走っていた信徒の一人が、何かに躓いたように体勢を崩し始めたのだ。

 そして彼は何とか持ち直そうと近くにあるモノに手を伸ばす、そして近くを並走していた別の信徒の服を掴んだ。

 突然走っている最中にそんなことをされたほうはたまったものではない。

 必然的に掴まれた方も、掴んだ方も大きく体制を崩しそのまま盛大に地面に突っ込むことになる。

 そして最前列が完全に崩れてしまったことにより、後方を走る信徒たちが彼らに躓く形になって。

 結果それはドミノ倒しでも見ているかのように-綺麗に全員倒れ伏してしまったのだ。

 これについていろいろと疑問に思うことあれど、千載一遇のチャンスを見逃すわけにはいかない。

 思いっきり地面を蹴ってその場から駈け出す。

 どこに残っていたのか分からない力を振り絞り、何とか彼らを振り切ったのだった。


 それからというものの、一度軽く息を整えてから今度は見つからないように地下道の探索へと戻っている。

 今まで彼らと命がけの逃走劇をしていたおかげで今まで寒さを感じていなかったのだけど、今頃になって汚水へ入った影響が出始めていた。

 全身びしょぬれでしかもヘドロまみれ、これで快適だという方がまずオカシイ。

 先程から悪寒を感じているのも、きっと体調不良のせいもあるのだろう。

 それでも出来得る限り神経をとがらせ移動するしかない。

 鉛のように重くなった体を引きずり出口を探してさ迷い歩く。

 あゝ、こんなことなら翁と一緒に待っているべきだった。ここまで太陽の光が恋しくなることも、信徒たちに追いかけられることもなかっただろうに。


 生死の境をさまよっている幻覚-本当にそうかもしれない-の最中、突然私の目の前に光が差した。

 天からのお迎えとはなかなか気が利いているではないか、だが、だが絶対に捕まってやるものか。

 まだやり切れない事は多く、成しえたことの少ないこの人生では死ぬわけにはいかない。

 体に鞭うってでも逃げさせて-

「君は何をやっているんだい?」

「-え?」


【36】

 文字通り『お迎え』に見えたそれは、そんな大したものではなく。

 いや、逆に私にとっては『お迎え』の何倍も嬉しく待ち望んでいた、外からの救援と地下道からの脱出口のセットだった。

 今この時において神様よりも、助け出してくれた慈悲深い人に称賛と敬意を与えたいと思うのは、いけない事ではないだろう。

 私は運命なぞ信じてはいないし。

 さらにはシャワーまで使わせてもらえるとのことで、早速体にこびりつく前にヘドロを洗い流す。

 あらかたさっぱりした後、身体を拭き貸してもらったシャツを着て一息ついた。

 ちょうどその時、扉を開けて一人の男がこちらをうかがってきた。

「あ、もう済んだかい?」

「ええ、ありがとうございます。」

 それならと彼は応接室へ私を案内して、今度は給湯室へと足を運ぶ。

 そして両手にカップを持って戻ってきた。

「それにしても驚いたよ、やけに下の方が騒がしいなと思ってマンホールを開けて視たら、君が今にも死にそうな君が必死に遠ざかっていたんだから。」

 そういって私を助けてくれた張本人-巡査-は苦笑いをこぼしながら珈琲を差し出してくる。

 受け取らない道理もないのでお礼を言ってから熱を持ったカップを受け取る。

 一口すすってみるとあまりの苦さに顔をしかめてしまったのは、ご愛嬌といったところか。

「ああ、ココアのほうがよかったかな。」

「いえ大丈夫です。こっちのほうが目も冴えますので」

 すこし大人ぶって彼の提案を断る、のだがやはり苦いものは苦い。

 すると渋い顔をする私を見かねて、砂糖とミルクを調達してくれた。

「あ、すいません何度も何度も。」

「いやいいんだ。どうせなら美味しく飲んで欲しいからね。」

「じゃぁ、頂きます。…うん、これなら飲めるかな。」

 いくらかマイルドになったおかげで、私にも飲める苦さになった。

 なので温かいうちにゆっくりと飲み干す。

 身体にその熱が伝わって、いくらか気分も楽になってきた。

 と言っても、まだ頭痛と全身の疲労は全く取れてはないので辛いことには変わりないのだけど。


 楽にしていいとのことなんで、ソファーの上に横になって体力の回復に努めているときのことだ。

「ところで、改めて君が下水道でずぶ濡れになっていた理由を聞かせてくれないかな?」

 気分が優れないならあとでもいい、とも巡査は言うけど、ここまで親身になってくれたのだからその恩に報いるためにも説明するのは吝かではなかった。

 ただ、全てをそのまま話すのは色々とまずいのでところどころごまかして言うことにした。

 それでどうやら納得してくれたようで、更に同情の眼差しを受けることになった。

 まぁ、余計なことを言ってドツボにはまる必要もないので否定も謙遜しなかった。

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