狂気の沙汰

【7】

 次に目を醒ましたのは、薄暗く臭い匂いが立ち込める建物の様だ、空気が湿っているようにも思える。といってもあくまで鼻と肌でくらいしか判断できないので、そうだと断じることはできないが。

 聞き耳を立ててみても自分が建てる衣擦れくらいしか拾えないことから、今この場には私しかいないことになる。

 なるほど、私は誘拐されてしまったようだ。自分で言うのもなんだか間抜けだけど。

 ともかくこのままここにいても、犯罪者の餌食になるだけだ。それだけは御免こうむる。

 ということで早速脱出を敢行する、まずは拘束具の解除だろう。後ろ手を縄で縛られてはいたが、この程度ではまだ甘い。何か鋭くとがったものを探せば多少時間はかかっても切断することは可能だろう。

 ようやく暗闇にも目が慣れてきたころだ、だんだんとモノの輪郭がはっきりとしてくる、それでもまだ足りないと私は目を凝らす。

 すると、この部屋のありさまが理解、出来てしまった。


 まず目に飛び込んて来たものはおびただしい程の血液、そして次に見てしまったのは10を数える人間の死体。かろうじて形を保つものもあればいくつものパーツに別れ、もはやどの部位なのか判断のつかないものもあった。

 凄惨な現場に思わず悲鳴をあげそうになる。が、辛うじて押し殺した。もしこの悲鳴を聞いて助けが来るのならそれに越したことはない、しかし最初に聞くのが果たして善良な人間なのかは分からないのだ。もしこの状況を作り出した張本人ならその時は死を覚悟するだろう。

 急いで脱出に使えそうなものを探す、幸い刃物というわけではないが縄を切断できる鋭利な木片を見つけ拘束具を外すことに成功した。

 しかし部屋から出ようとすると、今度は鍵がかかっていることに気付く。当たり前の処置だろう。さすがに鍵開けの技術なんて持っているわけがなく、そもそもここにピッキングに使えそうな針金なんて落ちていない。せめて状況を打開させるような情報がないか感覚を鋭くして見ると、私のほかに音を発する何かが耳に届いた。

「…しまった。おれは…」

 と一人つぶやく声と、カツン、カツンと足音が聞こえる。もしかしなくてもこの部屋の主で、そして私を誘拐した張本人だろう。

 こうなったら、と一つの賭けに出る。拘束具を外すのに使った木片を手繰り寄せ、ちょうど扉そばの壁に、張り付くよう陣取り息を潜ませた。

 カツン、カツンと靴が廊下を叩く音だけがこだまする、音が近づいてくるだけで精神を削るように恐怖を覚え、今にも逃げ出したい気持ちになる。もちろん逃げ道なぞないし、これから作りいに行くのだ。

 恐怖で身をすくませては正常な行動もできやしない。必死にざわめく心を落ち着かせる。

 カツン…、とついに靴音がこの部屋の目の前で止まる。ここまでくるとさすがの私でも全身からいやな汗がどっと湧き出そうになる。チャンスは一回、それを逃せばあとはない。

 ガチャリ、と扉の鍵が開く音がしてそれと同時にゆっくりと扉が開いていく。

 今か?いやまだだ、もう少し待つんだ。

  そして、かすかな異変に気付いた誘拐犯が一歩中へ踏み出す、完全に体が中に入ったのを確認するや否や、私は瞬時に飛び込み持っていた木片を刺し込む。

 ズブリ、と肉に食い込む嫌な音がする。果たしてこれが効いたのか、それを確かめることもせず私は外へと駈け出した。方向は犯人が歩いてきたところへ。

 そこまで時間をかけることなく外へと出ることに成功する、後は人通りの多い場所まで出れば私の勝ちだ。

 もつれそうになる足を必死に前へ前へと動かす。どうやらこの一帯は工場地帯だったようで行けども行けども人と出くわすことはない。それに道がいりくんでいたりするので、行き止まりに会うことも合ったが、今のところ追手がかかることはないみたいだ。

 それにしても、作業時間の終わった無人の工場群ほど、見ていて寂しいものは無い。悠長に見ている暇などないので、走りながらあたりを確認するのみだったけど。この町に来てからずっと感じてはいたがここは一段と空気が悪い。早くこの辺りから去りたい一心で私は足を動かす。

 やがて工場地帯を抜け一般の街道へとたどり着く。人通りもまばらではあるが、一先ずは安心してもいいのではないだろうか。

「おや、こんなところでどうしたんだい?」

 唐突に声をかけられる、振り返るとそこには人のよさそうな青年がこちらの様子をうかがっていた。これは丁度いい機会だろう、と私は口を開く。

「すいません、助けてください!殺人犯に追われているんです!」

「なんだって!?それはいけない。さ、ついてきなさい。安全な場所に匿ってあげよう。」

  話を聞いた青年は私を物陰に連れ込もうとする、そのことに一瞬危機感を覚えたが膂力の差もありそのまま連れていかれる。

 そして、青年は誰もいないことを確認して詳しい事情を尋ねてきた。

 例えばどこから逃げてきたのか、どこの家の子なのかとかだ。それに対して、逃げてきたルートを思い出しながら説明したり、一寸した事情で知り合いの家にお邪魔することになったと少しぼかして答える。そして最後に、

「犯人の顔を見なかったか?」

 と尋ねられたので私は、

「いえ、見ていません。何とか逃げることに集中していたので」

 と正直に答えた。

 周りを気にかける様子などなかったのだ。外に出てから走る速度を緩めないためにも後ろを振り返らなかった。

 すると青年は「そうか」と一言だけ漏らし、何事かを考え始める。

 沈黙が場を支配し、それから数分たったころだろうか。私が逃げてきた方向から一筋の明かりが届いた。

 その光はだんだんとこちらに向かってくる、私たちに気付いているようだ。

 そう時間も経たないうちに、その光は私たちのすぐそばまでたどり着いた。

「うん?なんだ。巡査じゃないか。どうしたんだこんなところで」

「…警部でしたか。お疲れ様です、それと-」

 どうやら、彼ら二人は知り合いで、しかも警察の関係者の様だった。そのままこの町の警察署まで同行することになる、警察署が目の前に見える頃になってようやく私は安堵の息を付けたのだった。


【8】

 それから、先程までのあらましをもう一度説明して、保護者の迎えが来るまで署内で待機となった。署内に残っている警官が私の証言を頼りに現場を探してみるそうだ。

 さて話を戻して、ここで私の保護者となるとあの翁ではあるのだが、連絡手段というものが、私と翁の間にはない。

 そも私は翁の友人である魔法使いの家に厄介になっている身だから、彼女に連絡がつけばいいのだが…いかんせんこちらも連絡先を聞くのを失念していた。さらに言うなら詳しい住所などわかるはずもない。ということで、

「あの」

「うん、どうしたんだい?」

「実は今お世話になっている人の住所と連絡先が分からないんですけど…」

 後は素直に聞いてみるしかない。迷子になったようで恥ずかしいものがあるけど。迷子ではない、きっと。

 すると、巡査が「迷子ですかね」と小声で口走る、だから迷子ではないと。

「そういやここに来たばかりだっけな。分かった、とりあえず下宿先の家主の名前、あと具体的な容姿を教えてくれ」

「あ、はい。赤毛で、活発なイメージで、名前が…」

 そこまで答えると警部の眉間にいっそう深いしわが寄る。翁と似たような反応をしていた。

「なんだ、アイツの連れだったのか。」

「知り合いですか?」

「いや、ただの腐れ縁だ。」

 そういって、彼は後頭部を掻いて深くため息を吐く。その表情はどこか複雑そうだ。

 やがて、心の整理でもついたのか、資料室のほうへ向かっていく。

「おーい、巡査。今日はもう上がって良いぞ。この子は連れていく。」

「それは悪いですよ、私が保護してきた子で警部だけ勤務外労働というのも。今日非番だったんでしょう?」

「なーに、この子を送り返すついでに、古なじみに会いに行くつもりだから。」

「しかし」

「アー、もう察しろよ。あんまり人に見られたくないんだ」

「…はぁ、分かりました。それではお先に失礼します。」

 そんな会話が聞こえて来て、しばらくすると巡査と一緒に資料室に出てくる。そして巡査はまた別の部屋に入ったかと思うと、今度は私物の入っていると思われる鞄を肩に提げてそのまま先に警察署を後にした。

「あの、彼にはつい来てもらわないんですか?」

「子供の護衛は俺一人で十分だろ。それともなんだ、心もとないってか?」

「本音を言うなら多いに越したことはないんですがね。ぶっちゃけ心配です。」

「思ったことを忌避なく言うガキだな…まぁいい、俺たちも行くぞ」

 そんな問答をしながら私たちも署を後にする、どうも彼女の家には電話がないらしく、あったとしても警察は把握していないそうだ。

 夜遅くになっても明かりの消えない建物を背に、私と警部は夜に沈む鉄の街へと繰り出すのだった。


【9】

「一応聞くが、ここでいいんだよな?」

「ええ、あってますよ。送っていただきありがとうございます。」

 あれから少し経ち、私と警部は魔法使いの少女の家へとたどり着いた。

 もし徒歩で行くとするなら更に時間がかかるであろう距離なのだが、警察署手前に置かれた自動車を使ってここまで来たのである。

「それにしても、案外金持ちなんですね。」

「あん?…ああ、あれか。アイツは俺のじゃねぇよ。備品だ。」

「ということは、帰りに署まで寄るんですか。お疲れ様です」

「そんなめんどくせぇことはしねぇよ。そのまま直帰だ」

「え、それ流石に拙いんじゃ…」

「ハッハッハ、ガキがそんなこと気にすんな。それに宝の持ち腐れ状態だしな。そんなことより、ほら呼び鈴ならすぞ?」

 仮にも公僕がそんな出鱈目でいいのだろうか、一先ずそんな考えは置いておくことにしよう。

 呼び鈴を鳴らしてしばらく待つ、なかなか家主が出てこない。まさか私の捜索に出向いたのだろうか。

 そうなら、心配かけ…

「アー、なんだこんな夜中に…ウン?チミッ子、なんで外にいるんだ」

「少しでも期待した私が馬鹿でした。…翁は?」

「アイツは結構前に床についたぞ。」

 まさか誰一人心配してくれる人がいないというのは予想外だった。世界は案外個人にやさしくないというのを、再認識した瞬間である。

「久しぶりだな。」

「…なんだ、お前も来てるのか。てことは何かあったのか?」

 そんな私をおいて、警部と魔法使いは互いを認識すると、話がかってに進んでいく。

 彼女は警部を応接間へ通し、そして私にはもう遅いからと自室にあてがわれた部屋へと押し込まれる。

 まぁ、見た感じ本当に久しぶりに会って積もり積もった話でもあるのだろう。ここはそっとして、私も横になろうか




 と、言うとでも思ったのか?

 そんな考え方ではこの先生き残れないぞ、というか先程の事件の後でぐっすり眠れると思うてか。何を本題として話しているのかは分からないが、今回のことについても言及するはず。

 抜き足、差し足とそろりそろり応接間へと近づきドアの手前で止まる、そして極力音を立てないように、ドアに耳を押しあてた。

 若干聞きずらいが致し方ない、これ以上はさすがに…

「…に変わらないのな」

「はは、褒めても何も出ないぜ?」

「そうじゃないんだが…まぁいい。しかしお前が家に人を上げるなんて珍しいな」

「ああ、アイツらは関連の助っ人だからな、爺さんとは顔見知りではあったし。」

「…そうか、お前が珍しく帰ってきてるから何かあったのかと思ったが、俺のカンは正しかったわけだ」

 ドア越しに、深いため息が聞こえる。警部はどうやら彼女とは親しい間柄の様で、ついでに今回の事件との関連性があると感じているみたいだ。

 たいして、少女からは不敵な笑い声が聞こえた。

「なんだなんだ、私を疑っているのか?酷いなぁ。」

「以前のお前を知っていたら誰だって疑うさ。まぁ犯人じゃないとは思っているけどな」

「以前の私?」

「…お前、昔はそこらじゅうで盗みを働いていたじゃないか。」

「嗚呼、そんなこともあったなぁ、いやぁ懐かしい。そういえば-」

 とちゅうで話が脱線して昔話に花が咲いたようだ。彼女が以前泥棒を働いていたというのは、初めて知ったけれど正直その話は興味ないので早く終わってほしい。


 なので昔話が終わるまで適当に聞き流す。

「-この町には、お前の事を覚えているのはそうはいない。この屋敷だって今はお化け屋敷だと揶揄されているんだぞ?」

「へぇ、そいつは好都合だ。下手に人の出入りがなくなる。」

「…寂しくないのか」

「全然?アー、でもお前に忘れられるのはさすがに堪えるかもな」

「まぁいい。それで今回の事件についてなんだが…」

 ようやく話が進む、長らく同じ体勢で疲れが出ているものの、ここからが本番なのだ。

 せめて何か、安心できるような情報があればいいのだけど。

「アー、一寸待て」

「なんだ?」

「おーい、チミっ子。そろそろ寝ときな、明日に関わるぜ?」


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