葡萄をひと籠

 ファントムが籠一杯に葡萄を盛って何処からか戻ってきた。軋むドアの音にトントントン、と足音をたててオリビアが主人を出迎えに出る。ファントムは至極満足そうな表情をしており、その理由がわからずオリビアはない首を傾げた。にっこりと笑ったファントムはオリビアに葡萄の籠を渡す。


「ああ、目の前で死んでしまったから、そのままあそこに放り込んできたけど。面白い者を見つけたんだ」


 ファントムは平然と言ってみせる。ダンダンダン、と地鳴りのような荒い足音が響き、何事かと思ったファントムは二階に続く階段を見る。どうやら、ヴィクターが降りてきたようだ。この館を壊さんばかりの勢いに思わずファントムは苦笑する。近づいてきたヴィクターはファントムの表情を見てオリビアと同じことを考えていたらしい。


「マスター、嫌に機嫌がよさそうだけど、どこに行ってたんだ?」

「少し葡萄を食べたくなってね。ああ、心配しなくても盗んでなんかいないから」


 オリビアに渡した籠を指すファントムに、ずかずかと近づいてヴィクターは葡萄を眺める。少し実は小さめだが、鮮やかに色づいてとても美味しそうだ。ファントムはくすくすと笑う。


「食べてもいいんだよ?」

「……なんだよ、その俺が食い意地張ってるみたいな言い方はよお」

「あれ、違ったかい?」


 むっと不満を漏らすヴィクターに籠から取った葡萄をひと房渡す。実が沢山ついていて、ずっしりとした重さがある。そのディティールから酸味と甘みを想像したヴィクターの喉がごくりと鳴った。


「やっぱり違わないじゃないか」

「そうじゃなくて、俺はマスターがどうして機嫌がいいのかがだな……!」


 くすくすと笑うファントムの瞳を見たヴィクターは目を見張る。その淀んだ瞳には一切笑みがなかったのだから。一気に背筋に冷たいものがはしるのをヴィクターは感じていた。いや、ヴィクターの体温はないに等しいから、汗も同じ温度ではあるのだが。久しく忘れていたファントムという主人への畏怖を思い出した心地だった。


「葡萄を摘みに行ったら、追われていたセフィロトの司教に会ってね。目の前で死んでしまったけど。なかなか面白い雰囲気を感じたからそのままつれてあそこに放り込んできたんだ」


 平然と、しかもにこやかに言ってのけるファントムという人の恐ろしさ。あの地獄に放り込んできた、それは生存競争の篩にかけることを意味している。無論、生き残るとは限らない。ファントムの冷酷さは、普段柔和だからこそ際立つのだろう。


「オリビア、残りは干し葡萄にしてくれるかい?頼むよ。俺はそろそろ部屋に戻るから」

「そ、それじゃあマスター、いただいてく……」

「食べたら感想を聞かせて欲しいな、ヴィクター。一応俺が育てているんだ」


 それだけ言うと二人の返答を聞かず、ファントムは二階の私室へと歩いて行く。その後ろ姿を、オリビアとヴィクターは見つめていた。ファントムから渡された葡萄を一粒むしり、ヴィクターは口に放り込んだ。


 ファントムが育てたという葡萄は酸味と甘みと渋みがちょうどいいバランスで、とても美味だった。

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