歪んだ世界

 首都へ向かうセスの落ち込みようを馬も理解していたのだろう。その歩みはのろのろとしたもので全く進んでいなかった。セスは溜息をつき項垂れて馬に揺られている。その目の前に、一人の人が立ちはだかった。セスは馬をとめじっとその人を見、そして身震いした。黒の司教衣に銀の大樹の刺繍が施された、司教がなにより恐れる存在。異端審問会の人間だということを表していた。


「セス・イェイツ。貴方に司教としてふさわしくない行いがあったと報告がありました。話を聞かせてもらいましょうか」


 セスはその言葉にすっと血の気が引いていくのを感じた。異端審問会は噂を重く見てセスを審議という名の処刑をし、噂の火を消すことを考えたのだろう。こうして死んでいく司教をセスも何人も見ていた。


「こんなにも信奉しているというのに、まだ足りないとおっしゃるのですか」

「従軍の際、あなたは兵士に特攻行為をとらせたと聞きました。司教としてあるまじき行いだとは思いませんか」


 静かだが断罪する声は力強い。司教の間で異端審問会の者は俗に『死神』と言われ恐れられてきた。一度異端審問会に属すると、大体の者はやめられなくなるという。地位や生まれが上の人間をも裁く権利を持っている己に優越感を感じるからだそうだ。だからこそ司教たちに蛇蝎のように恐れ嫌われている。セスもその一人だ。だからこそ己の行為はどこかで漏れぬようにうまくやってきたつもりだった。それがこのざまだ。


「過去を洗い出したら、同じような件が十数件出てきました。これについてあなたはどう反駁するつもりですか」

「……」


 己を詰るその声に優越感がにじんでいたのをセスははっきりと覚った。こんな人間がのうのうと生きられて、聖騎士団の人間が戦争によってばたばたと死んでいく事実にセスは疑問を感じていた。


「反駁がないのならば、ここで死んでもらいましょう」


 どうしても、こんな人間に殺されて死にたくなかった。セスは異端審問官が処刑の準備をする間に馬を返し森の中へ逃げ込んだ。逃げたぞ、探せ、殺せ、と叫ぶ複数の声と飛んでくる火の玉や氷の玉を躱し、必死で逃げ惑う。


 生憎セスは地理に詳しくはなかったが、それでも音や土の匂いを頼りに森の奥深くまで逃げ込んだ。すると突然、開けた場所に出た。追手の罠かと思ったが、どうもそうでもないらしい。珍しい服を着たひとが一人、その場所に佇んでいた。軍服のようだがどこの国の服にも似ない形。鮮やかな赤の軍服はそのひとの金髪に良く映えた。右目の周りは何かで傷を負ったのだろうか、火傷のような跡がある。


「もし、旅人殿。少し良いですか」


 セスが話しかけるとその男はうっすらと笑った。それが心の底からの笑みでないことが何故かセスにはわかってしまった。だが、頼れるのはこの男しかいない、早くどこかの国境へ逃げられるように今の位置を把握しなければならない。


「君は、何のために生きたいと願うんだい?」

「……すみません、今は急いでいるので。ここがどこかを教えていただきたいのですが」

「今の世界で生きたって、君はつらい思いをするだけじゃないのかな」


 その言葉は確実にセスの心を抉った。反駁しようとした刹那、飛んできた火の玉がセスを包み火だるまにした。最初にセスが思ったのは冷たさだった。そして熱いという感覚と痛みが襲ってきてセスは落馬し草の上を転げまわる。男はそれを静かに見ていた。

 仕留めたか、わからない、どこにいった、逃がしたとなれば我らも、早く探さねば……そんな言葉が聞こえたのを最後に、セスの意識は暗転した。

 真っ黒に焦げて息絶えたセスを目の前にしても、男は一切動じなかった。男は右目の傷を隠すかのように仮面をつける。そう、彼は死霊術師ファントム。セフィロトは学術研究の為に、イディアルは追放された王子に似ているがために血眼で追っている男。


「君が生存競争に勝って、答えを聞かせてくれる日を楽しみにしているよ」


 ファントムは艶やかに笑い手を振り上げる。彼の紫の瞳が光った気がした。セスのまだ煙の上がる遺骸が、ゆっくりと起き上がる。炭をまとったまま、セスはファントムに跪いた。


 ファントムの目的は、彼に拾い上げられたアンデッドにも未だわからぬまま。それでも確実に、時代は動き出そうとしている。


第一章 亡者の軍勢 完

第二章に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る