父の幻影

 休憩所の喧騒の中で、サムは一人で静かにカウンターに座ってジョッキに雪を盛った酒を飲んでいた。この休憩所を切り盛りする主が料理を作り酒を注ぐさまをのんびり眺めるのが、サムは好きだった。きっと父もそうだったのだろう。そんなことをぼうっと考える。と、その隣に座る人がいた。


「ああ、ムーア殿」

「アリスでいいです。スミス殿」

「そちらこそ、サムでいいですよ」

「マスター、水を頂戴」


 アリスは水をもらうと一息に飲みほした。よほど喉が渇いていたらしい。ふう、と一息ついてそれから再度、食べ物と飲み物を注文する。


「そういう訳にはいかなくなったんですよ。あなたは私の上官なんですから」

「上官?」

「辞令が下りました。貴方の隊に入るように……と」

「ああ、アリス殿もその中にいたのですね。すみません、まだよく確認していなくて」


 サムの実力を鑑みて、また父親の代わりを周囲は要求するのだから、サムが小隊を率いるのは時間の問題と囁かれていた。だから今回の辞令は当然であるといえる。


「ああ、君がスミス元親衛隊長の御子息なんだね」


 アリスとのやりとりを聞いていた休憩所の主人が口を開く。白髪交じりの茶の長髪を後ろで束ねエプロンを纏う温和そうな見た目に反し、額に大きな刃物傷がある。元軍人だとは聞いていたが、サムもアリスも、実際に話をするのは初めてだった。


「はい。サム・スミスと申します」

「僕はオーウェン・ミラー。父君にはお世話になったよ。君の父君はよくここに新人を連れてきて酒を奢っていたんだ。あの人は本当に人望の厚い、素晴らしい人だった」

「……そう、ですね」


 サムの顔が曇る。そこにイディアルという国に対する不信感がにじんでいることを知るのはアリスだけだろう。サムは未だに、父を殺したのはこのイディアルの国であると半ば確信めいたものをもっていた。

 オーウェンは皿を拭きながら、サムの表情には気付かずにこやかに言う。


「君もいつか、新兵たちに酒を奢ってやれるような人になって欲しいな。死骸も残さず戦場で死ぬような、そんなことにならないように……」

「大丈夫です、スミス隊長は私が守ります!」


 サムが驚いて横を見ると立ち上がって己の胸を叩くアリスがいた。その声の大きさに周囲も驚いて視線が集まっていることに気付いたアリスは頬を朱くして静かに座った。そんなアリスの女性らしいところが好ましいと、サムは思った。


「アリス殿にそう言ってもらえると頼もしい」

「そ、その、すみません。出過ぎた真似を……」

「いい部下を持ったね、スミス殿」


 オーウェンはにこにこと笑って二人の様子を見ている。ひそひそと、しかし囃し立てるような声が二人のもとに届いた。そのまま嫁に貰われるのかも、だとか、嫁さんの方が強いんじゃねえの、といった声だ。アリスの顔はさらに真っ赤になっていく。


「そ、それじゃあ私はこれで!」


 食事代を置いてそそくさと立って逃げるように走り去るアリスの後ろ姿を、サムはうっすらと笑みを浮かべて見つめていた。

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