第3話 天使

彼女は名前を告げ、僕の左隣に座ってくれた。バラを渡すととても喜んでくれた。長い黒髪が美しかった。細面だったがやせすぎてはおらず、いかにも若くて元気のある娘さんだった。本人は細いと評していた瞳は、僕から見ると大層つぶらで、キラキラしていた。着ていた浴衣の色は確か薄い茶色だったと思う。ぴったり寄り添ってくれ、ときどき左手を握ってくれたり左腕を撫でたりしてくれながら、僕の他愛のない話を聞いてくれた。正直、キャバクラに通う人の気持ちなんてさっぱり分からなかった。風俗で抜いてもらった方がよっぽど気持ちいいと思っていた。でもこの時分かった。若くて可愛らしいお嬢さんに、うんうんと肯定されることの心地よさは、射精による一瞬の快楽に勝るのではないだろうか。会社をクビになったばっかりで、誰かになぐさめて欲しかっただけかもしれないが、心底ここに来て良かった、彼女に会えて良かったと思った。

40分で帰るつもりが、1時間半も延長してしまった。カードで払うことを覚えたのもこの日だった。今日の出来事や、春の終わりに妻と別居し夏の盛りに離婚したこと、ずっと前の職場で若い女の子と遊んでいたことなどを自慢げに話した。彼女の通う大学が自分の母校だったり、担当楽器が同じだったりと、共通点が見つかったせいでますます良い気分になった。半ば強引に、愛用のフレットレスベースを引き取ってもらう約束を取り付け、その日はお店を後にした。

ここで、音楽と楽器について、飽きられない程度に話させていただく。

幼少期から僕は歌うのが好きだった。小学5・6年の時は合唱部(*ソプラノ)、小学6年の時は鼓笛隊でトランペット(*ぱっとしなかった)。中学1年の時に変声期を迎えテノールに転向。2・3年の時はクラスの指揮者、3年の時はまた合唱部。ギターを手にしたのは28歳の4月。快感フレーズとビートルズ1の影響。5月の連休からベースを担ぎ始め、それ以来ギターによる弾き語りと、バンドではベース弾きという二股をかけ続けている。

そういう背景があり、12月9日のジョンの命日に路上で演奏し、またこのお店に来ることにしていた。しかし彼女に早く会いたくて、6日に前倒しした。まずクリスマスのイルミネーションの下で、歌なしで長いことギターを弾いた。おそらく好評だった。彼女からのメールで時間に気づき、速足でお店に向かった。

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