LINK ~紡がれる想い~

美紀彦

第1話 視線の行先


 ……ねえ、君はいったい、どこを見ているの?




「お疲れっしたー!」

 掛け声と共に、勢い良く五つのジョッキグラスがぶつかり合って。ふちが重なる衝撃でぎりぎりまで注がれていたビールの白い泡がぱっと散ったが、気にしている暇なく口元に運ぶと、おれは半分を一息に空けていった。

「かーっ。いつも思うけど、ライブのあとの一杯はたまらんね」

「出た出た、志郎の“たまらん”発言。おまえのそれさ、いつ聞いてもおっさん口調だよなぁ」

「うるせえよ。そんなこと言っていると、今度こそ路面に置き去りにしてくからな、もりっち」

「あ、うそうそ。お願いだから玄関まで持ち帰ってくれたまえ」

「なんで持ち帰られる側が偉そうな言い方なんだ?」

 気持ち良く飲みだした途端、ちゃちゃを入れてくるバンドのメンバーに言い返せば。また始まったよと思われながらも、誰も止めずにひとしきり笑い転げている辺り、全員が上機嫌であるのは間違いなかった。

 まあ、おれとて上機嫌であるのには変わらない。

 一組の持ち時間四〇分、三組が入れ替わり立ち替わりでステージを彩る対バン形式の、トップバッターを務めた今夜。なまじあとの二組の知名度が高いだけに、プレッシャーよりアウェー感満載だったが。対バンメンバーさんがちらほらと、おれ達のステージを観てくれたことで客の足がフロアに留まったおかげもあり、七割方埋まったライブハウスを盛り上げるのに成功した。まあ、フロアにいた人の意識の大半は、お目当てのバンドマンに向いていたのは否定できないのが、ちょっとばかり悔しい部分があるものの。そんなものだというのは、端からわかっていたんだ。今日のライブは、いつもと勝手が違う部分が多かった。けれど、その中で自分達の演奏を存分にし、やりのけたことはあとあとへの手応えになると信じている。

 信じるからこそ、おれ達五人は陽気に打ち上ろうとしている。

「……あ、いたいた。やっとみつけた」

 と、背後から新たな声が聞こえてきた。はてと顔だけ動かして後方を仰ぎ見れば、細くとがり気味な鷲鼻が特徴的な男の顔が見える。

「あ、ユウさん。お疲れっすー」

「志郎、お前な、店に移動したって連絡くれるのはいいが、どっち側のワイワイかくらい、しっかり書けよ」

「あれ、おれ書いてませんでした?」

「西口と北口、どっちも回っちまったろうが」

 ちなみに、この店は二丁目交差点店。そういえば、同じチェーン店の看板、通りすがりにもあるから、移動の連絡するとき気をつけなきゃなあと言っていたっけ。

「すんません。たぶん、書き忘れてました。たっつんが」

「お前のアドレスから連絡がきたのに、竜雄くんのせいにするのか」

 こつりと小突かれつつも、本気で怒っているわけではないのはわかる。事実、すぐに空いていたおれの隣の椅子を引いて腰かけるなり、相手はまた口を開いた。

「今日はほんと、助かったよ。MXMエムゼクシムの方からも、お礼言ってくれって重ねて頼まれた」

「鬼プロデューサー篠井友大ささいともひろさんの頼みを無碍むげにするなんて、無名ミュージシャンにはできないっしょ」

「そうそう。おかげで俺達もひさびさいいハコで演奏できたから、穴埋めでもラッキーだったよな」

「チケットノルマも少なく済んだのもラッキー」

 二杯目のビールで真っ赤な顔になったドラムの竜雄とボーカルの守正の言葉に、わずかに怪訝な面持ちになったものの、すぐに友大さんは眉を八の字に下げてもう一度「ほんと助かった。ありがとな」と言うと、運ばれてきたチューハイで、改めて全員と乾杯をした。


―――穴埋めでもラッキーだったよな。

 竜雄の台詞。その気持ちがおれの中にもあるのは確かだ。でなければ、客数キャパマックスで八〇〇というライブハウスのステージに立つのは、メジャーデビューしていないバンドの現状では叶わない。インディーズでも有名どころであればまだしも、おれの組んでいるバンドは数多いる無名のひとつレベル。そんなバンドになぜ別バンドの出演枠の穴埋め話が舞い込んだのか。ひとえに、おれが友大さんと何度か仕事をしたつながりがあったから。

 友大さんがプロデュースし、最近人気が出てきている音楽ユニット・MXMのライブが、今夜の対バンの目玉であり主催。他二組もMXMと同じ音楽事務所から選出されていたのだが、五日前に出演者のひとりが怪我をするハプニングに見舞われてしまった。よりによってボーカルだったため、代役は立てられず、バンドそのものを入れ替えなければならない羽目になったが、他のアーティストは用立てができなくて。イベントそのものを中止にするか否かの瀬戸際に、そういえばおれがバンドを組んでいるのを友大さんが思い出してくれた結果だった。

「ねえ、ユウさん」

「ん?」

 焼きそばにお酢をかけていた友大さんに、おれは尋ねた。

「なんで今日のステージ、声かけてくれたの?」

「偶然だな」

「偶然?」

「ああ。どうしようかって呼び出されたときに、たまたま俺のバッグの中にお前らのデモ音源入ってた。音聴かせたら松永が食いついたんで、たまたまスマホに保存されてた……春先のライブんときの集合写真、あれ見せたらルックスもお偉いさん的にO.K.出た。そんなとこ」

 だから、俺はただのきっかけを作っただけで、半分以上はお前らの持つもんが物を言ったってわけだ。

 流れ的には本当だろうけど、言葉にしない含みも多大にある気がして、しばらくじーっと相手を見たが、友大さんはすまし顔で焼きそばを食べている。

「志郎、なにユウさんをあつーくみつめちゃってるわけ? きゃー、えっちぃ!」

「気色悪いこと言うな、もりっち。……あー、もうできあがってんのかよ、この人」

「安いよね、守正さん。ビール二杯でハイになれるんだから」

「椎戸さん、悪いけどもりっち押さえといて。こうちゃんに被害出る前に」

「あいよ」

 おれの心中をまったく知ろうともしない陽気な守正の面倒をベースの椎戸さんに押しつけて。改めて、友大さんを見る。しかし、ふっと小さく笑うだけで、裏話を明かす気配はなかった。

「ユウさーん。おれとユウさんの仲じゃないですか」

プロデューサーと、駆け出しギタリストってだけの仲だよなぁ」

「あ、何気にソレつっこみますか、今になって」

「俺、だしなぁ」

「ユウさーん」

「えー、志郎とユウさん、やっぱなんかの仲なわけえ?」

「……だーっ、そこの酔っ払いは口閉じて静かに飲んでろ!」

「口閉じたら飲めませーん」

「志郎の負け、っと」

 まあ、結果おーらいだ、楽しく飲んでおけ。

 言って友大さんから新しいチューハイを手渡されるから、仕方なくおれはこれ以上聞き出すことを諦めた。


「みつめてるっていえばさぁ、志郎」

 のしっと背中に重みがかかるなり、陽気なトーンで守正の声が耳元でがなり響いた。

「なんだよ、酔っ払い」

「今日、お前の流血騒動教えてくれた、初めて見る顔だったよな」

「流血って大げさに言うなよ。ささくれがちょっと強く弦に擦れて血が出ただけだし」

「それでもさ、真っ先に教えてくれたの、あの娘じゃん。あの娘、ずっとジェスチャーで必死に指見ろってやってんのに、なっかなかお前、全然気づかないんだもん」

「しょ、しょうがねえだろ。実際、あんま痛くなかったし。ただ血が出ていただけで」

「そうそう。だからお前もけっこー、驚いてたよな」

「うるせーな。おれだって予想しないとこで血ぃ見りゃ驚くわ」

 今は絆創膏を巻いた右手の小指の先。毛羽立ってしまったささくれの部分を、弦を爪弾く合間に強く擦ったのか、知らないうちに出血させていたらしく。ライブ中盤の正成のトークのときに、観客のひとりが血相を変えて自身の指やおれの手元を指さしてきたから。つられてひょいと見たら隣の指にまで血濡れになるほどで、思わず仰天してタオルで拭ったのを思い出す。幸いにもトークの間で血も止まり、以降の演奏にも影響はなかったので良かった。が、普段弦が当たることはめったにない箇所なだけに、今夜の弾き方は粗っぽいものになってたのかと反省点が脳裏によぎる。

「みつめられちゃったー、きゃー、志郎くんってばー」

「もりっち、まじ送らねえぞ」

「それも困るー」

「だったらおとなしく自分の席で騒いでろ」

「けどさ、一声叫べばいいじゃんってとこでさ、必死に身振り手振りで教えてくるのって、なんかおもしろかったよな」

 まあな、と頷いて。おんぶお化け状態になる守正を追い払う傍らで。あの瞬間の相手の様子が、不思議とくっきり際立って浮かんできた。叫ぶ勇気がなかったのか、声が届かないのを懸念したのかはわからないけど。それでも必死な表情で、しきりに指をさしていて。最初は変なことをしているなぁと思ったけど、別の人が血が出てると声で知らせてくれたから、正成とふたりで手を見てびっくりした次第。たとえ気づかなくても支障ない傷だ。ささくれを深手にしてしまった程度はあの娘だって経験あるだろうに。

「あんなに泡食った顔、するもんなんだな」

 ぽつりとつぶやけばまたひとつふたつと甦る。目が落ちるんじゃないかってくらいに、目を見開いていたな。それもたぶん、初めて見るであろうおれに対して。人があそこまで狼狽える姿を見たのも珍しかったから、おれの記憶にも強く残っている。

 それまでは、不思議なくらいにまじまじと、おれの手元を見ていた。全弦一気にかき鳴らすストローク、一弦一弦丁寧に爪弾くアルペジオ、特に変わった弾き方はしていないのに、ずっと視線は手元に注がれていたからこそ、あの驚愕の表情が印象的だった。

 そう、あの娘はずっと、おれの手元を見ていたんだ。

 あの観客の誰よりも、きっと。

 じっと、真剣に。

 でも、なぜだ?

「……見られる理由なんざ、そういくつもないんじゃない?」

「そんなに放置プレイされたいか、守正くんは」

「照れるな、色男」

「手元だぞ、あの娘がおれを見てたのは」

「へえ、そこ、気づいたんだ」

「……珍しい反応だったからな。それだけだ」

「それこそお前にしては、珍しい反応だな」

 からかっているとしか聞こえない口調だが、なぜか言い負かされた気分になって肩をすくめる。これを見て、からからと守正は笑うと肩をばしんと叩いてきた。

「見てくればかりにときめかれるより、いいんじゃねえ?」

「……知らねえよ」

 とりあえず、今日のところはマンションのエントランスまでは送ってやるか。この酔っ払い。




 日付が変わり、すっかり午前様な時分に打ち上げを解散して部屋に帰宅した。酒とタバコの匂いが鼻につくので、手っ取り早くシャワーを浴び、温かみが冷めないうちにベッドにもぐりこんだ。湯水とボディソープで絆創膏は外れたが、じゃっかんしみる感覚があるだけだったので再びつけることはしなかった。

 薄暗い室内で、自分の手の輪郭もおぼろな中。ふっと目の前に浮かび上がったのは、ひとり目線の位置が異なっていたあの娘の表情。自慢じゃないが、それなりに見栄えのする顔をしていると、自他ともに認めている。だからライブでは、顔を見られるのが普通で、ある意味それに慣れていた。

 けれど、あの娘はずっと違った。

 周囲よりも低い位置に目線をずっと向けていた。加えて、やけに真面目な顔もしていて。

 ギターが、好きなのだろうか。

 プレイヤーではなさそうだ。同じ奏者であれば、ギターを爪弾く真似を無意識にするであろうから。あの娘の右手は、そんな動きはしなかったから、弾く人ではないのを察せられる。

『……ていうか、そこまで覚えているのか、おれ』

 珍しいからだと思えば思うほど、

 ただひとりの輪郭が際立ってくる。

 ステージの上から見た光景の中で、

 ただひとりだけが、記憶に残る。

『もしも、次にみつけたら、聞いてみたい、かもな』

 目を閉じてもなお消えない残像に、おれは問いかける。


 ……ねえ、君はいったい、どこを見ているの?


 どこを、なにを、


 誰か、を、見ている、の?

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