『神話篇』第2話 幼馴染たち
2
高速巡洋艦スキーズブラズニル。
光の帆をなびかせて、世界樹を目指して大空を渡る白い船の名だ。
ミッドガルド東端の小国にして、世界で唯一つ続いた二千年の歴史を持つ王家を戴くガートランド王国が、大戦の前に防衛艦隊の中核として建造した歴戦の艦だ。
武装こそ特に目立った点はないものの、世界最高峰の速度と機動性を有し、神族や妖精族をして変態的と賞賛したほどの恐るべき頑健さと復元性をもっていた。
特に、ダメージコントロールにおいては比肩するものなしと謳われて、大戦中に二度も中破を経験しながら、未だに現役で戦場を|闊歩≪かっぽ≫している。
ただし、問題がなかったわけではない。
本来軍用装備とは、量産性こそが最大の武器にして、最重要の条件だ。
ところがこの小国は、昔から職人芸に長ける代わり、量産性をほとんど考慮しなかった。
年間20両しか導入されない主力戦車とか、主力戦車より高価な軽装甲車とか、他国の軍事専門家が聞いたら泣くような非常識が平然と行われていた。
国家予算における軍事費の割合が低すぎて、量産するより研究費に回した方がマシという理由もあったのだが。
つまり、スキーズブラズニルの場合も、名船だから2度の中破を潜り抜けたというより、国の財布にはもう一隻作る余裕なんてどこにもなかったから、無理を承知で使われ続けたという分析の方が正しい。
だが、たとえそうであったとしても、この船がガートランド王国にとって、ある種の期待を背負った象徴であった事は間違いない。
激戦区に何度も投入され、幾度も傷を負いながら生還した、戦乙女に愛された艦。
そして今は、”神剣の勇者”が駆る、世界最後の希望……。
☆
「どうだ、アザード? 衛星との通信、回復したか?」
白い長剣を携えた黒い髪、黒い瞳の青年が、ガチャガチャと慣れない手つきで操作台にルーン文字を打ち込みながら、艦長席に座る自分より頭ふたつ高い、青い瞳に眼鏡をかけた赤毛の少年に尋ねた。
「ああ、ルドゥイン。どうやら、どこかの国が熱核呪法の弾道弾を使って、黒衣の魔女に迎撃されたみたいだ」
赤毛の青年、アザードの報告に、オペレーター席に座ったウェーブのかかった白金色をした髪と青灰色の瞳をもつ少女が、憤りの声をあげる。
「熱核呪法!? 馬っ鹿じゃないの。環境汚染とか後先とか何考えてるのよ。そんなもので、あの怪物を倒せるわけがないじゃない」
少女の怒声に、黒髪の少年、ルドゥインは眉間に皺をよせた。
「フローラ。アザードに怒ったってしょうがないだろ。あと出来れば、ひとの義姉をバケモノ呼ばわりはやめて欲しいなって……」
「うっさい。ルドゥインは黙って仕事する!」
「はい」
フローラに一喝されたルドゥインは、うな垂れたまま、無言で操作台に向かった。
彼は心中で嘆かずにはいられない。
――”神剣の勇者”なんて恥ずかしすぎる異名は、誰がつけたのだろうか。
そんなものはいらないから、この勝ち気すぎる幼なじみに対抗できる何かが欲しかった。たとえば、階級とか。
「アザードっ、第三内燃機関にトラブルが起きてる。あたし見てくるから、この艦墜落とさないでよねっ」
おい、アザードは代理とはいえ艦長で、お前より階級が上だぞ。
思わずツッコミを入れようとしたルドゥインだが、震え上がるほど怖い瞳で睨まれて沈黙した。
10年以上の付き合いだが、改めて理解する。
この3人でいる限り、階級とか関係なく、フローラ・ワーキュリーに逆らえるヤツはいない。
ああ、恐るべし腐れ縁よ!
ぷりぷりと怒ったフローラが印を結び、彼女の姿が消える。
おそらく内燃室へと、瞬間転移したのだろう。
今、スキーズブラズニルに残った魔術師はわずかに三人。
王国自衛軍大佐、万能魔術師、アザード・ノア。
王国自衛軍中佐、空間魔術師、フローラ・ワーキュリー。
王国自衛軍大尉、火炎魔術師、ルドゥイン・アーガナスト。
ルドゥインは、なぜか涙が出てきそうになったが、我慢しなければならなかった。
ああ、戦時特例とはいえ、魔術士官学校を同期で出て、この明確な階級の差は何でしょう?
やっぱり才能? 才能の差ですか、自分どうあってもこの幼なじみ達に勝てませんか?
陰鬱≪いんうつ≫な表情でルドゥインが落ち込んでいると、艦長席のアザードが気遣うように声をかけて来た。
「ルドゥイン。やっぱり、怖い? あのひとと戦うのは」
「心配するな、と言いたいが、やっぱり怖いな。俺達は三人とも、昔から姉さんには勝てなかった」
今、黒衣の魔女と呼ばれる少女。
アース神族を滅ぼし、世界そのものを滅ぼそうとしている、そう伝えられる巨人族の末裔。
彼女と、今この艦橋≪かんきょう≫にいる三人は、顔見知りだった。
いや、顔見知りどころではない。アザードとフローラにとって、彼女は幼なじみであり、ルドゥインにとっては……。
「ま、敵を知り、己を知れば、百戦百勝ってね。俺達は姉さんをよく知ってるし、姉さんは俺達のことをよく知ってる。あとは、他の要因が勝負を決めるだけ。で、どうよ、アザ。この艦の現状は?」
「うん。そうだね……。こちらは、巨人機、機竜とも艦載機はゼロ。機関砲も、垂直誘導弾発射機構も、残弾ゼロ。主砲は全壊、副砲も半数が沈黙、内燃機関にトラブル。燃料は片道分、更に正規の搭乗員のうち、乗っているのはわずかに3名」
何か、重い沈黙が、艦橋の空気を凍らせた。
気まずい空気を、ルドゥインは空元気で無理やり振り払った。
「よっし、涙が出るほど絶好調。で、あちらさんは?」
「衛星フレスベルグからのデータ分析によれば、向こうも艦載機は使い切ってる。でも、要塞戦艦ナグルファルが健在で、対空砲、対地砲、併せて50門以上……。七つの鍵のひとつ、第一位級契約神器ガングニールによって、異なる次元、虚数空間からエネルギーを抽出されるから、燃料も、ジェネレーター直結の砲台の残弾も、ほぼ無限……」
わかっていたこととはいえ、絶望的な戦力差だった。
もう負け確定! といった不利っぷりはいっそ見事だ。
航空支援もなしに、戦艦単独で突撃するくらい馬鹿げた話だ。
犬死にを覚悟で行く様なもの。
だから、置いてきた。
話し合って。何名かとは殴り合って。
戦友たちを、残りの乗員全員を置き去りにした。
本当は、この艦に、否、王国自衛軍に、正規の軍人なんて残っちゃいない。
皆、国を守るために、家族を守るために、恋人を、友人を守るために戦い、散っていった。
ガキさえ軍に動員しなければならないほど、王国も、他の国々も追い詰められていた。
それが出来なかった国は?
……当然の如く、殺戮され、略奪され、強姦され、消えていった。
当たり前だ。
飢えた民しか持たぬ狼のような国々に、身を守るすべすら持たぬ羊の国が何をできる?
そんなことは、ちゃんと歴史を振り返れば明白な事だ。
理想論なんて、平和な場所、平和な時代でしか通用しない。
だから、ルドゥイン達は戦乱に身を投じた。
国のためとか社会のためとか、そういう立派な動機じゃない。
そうしなければ、自分も、大切なひとも、誰一人守れなかったからだ。
生きる為に、国を、社会を守る軍人となった。
たとえ己が選んだ道の果てに、かつて愛し、今も愛する義姉と敵対することになったとしても。
「くっらいわね。何がらにもなく落ち込んでるのよ?」
悲壮感に淀んでいた艦橋に、ほのかな香水による花の香りと、高い声が響いた。
「あたし達が負けるわけ無いでしょう? こっちには、王国で最も幸運な船と、最も激戦を潜り抜けた艦長代理と、最も悪運の強いバカと、このあたしがいるんだから」
なんか、ひとつだけ褒められていない気がするのは気のせいでしょうか?
世界は不平等で不公平です。
そう、フローラの前で、ルドゥインは声を出さずに胸の中で泣いた。
「出港前に説明したけど、王国の参謀部にしては、今回の作戦は英断よ。黒衣の魔女の持つガングニールは、因果律と時空間に干渉する。だから、大陸間弾道弾を撃とうが、巨人機や機竜で爆撃しようが、過去と未来を書き換えられて”無かったこと”にされる。通常の魔術兵器じゃ、絶対に
さらに、と、空間魔術を得意とするフローラはつけ加える。
「黒衣の魔女の攻撃は絶対必中。光学迷彩で隠そうが、超高速機動で回避しようが、全て無駄。因果律を操作して、”当たった結末”を適用されるんだから、100%
ゆえに、黒衣の魔女は無敵となった。
アース神族、ヴァン神族、白妖精族、黒妖精族、小人族、人間族。
あらゆる種族の、あらゆる国々の軍を壊滅させる、まさに怪物。
誰にも止められない。
止めるものなどいない。
ただひとり、同じ
「でも、ルドゥインの持つ、魔剣レヴァティンだけは別。白妖精族の女王が言ったとおり、その炎の剣は、世界樹の敵として生み出された。あらゆる魔法、あらゆる魔術、あらゆる生命、あらゆる可能性を否定する、究極の神器。必殺必中の一撃だろうが、無限量の飽和攻撃だろうが関係ない。運命を否定し、因果を否定し、すべての可能性を終局、無へと統合する。この宇宙だって、いつかは終わるのよ。死を、滅びを迎えない存在は無い。ルドゥインだけは、黒衣の魔女の因果律操作を否定できる」
それは、ただ一時的な条件において、互角というだけだ。
ルドゥインの体力も精神力も有限なのに対し、黒衣の魔女は無限にエネルギーを吸い出せる。
戦い続ければ、いつかは負ける。
「本来、莫大な魔力を消耗する因果律操作と時空間干渉を、黒衣の魔女はガングニールによって実現した。でも、いくら巨人族だからって、黒衣の魔女の身体は一つしかないし、彼女自身の魔力も有限なのよ」
だから、何かが、彼女の代わりにガングニールを使って、虚数空間からエネルギーを抽出しなければならない。
「要塞戦艦ナグルファルが、彼女の下僕となって、無限の魔力をくみ出している。ならば、あれを落とせば、黒衣の魔女は戦闘か、エネルギー抽出に専念することを余儀なくされる」
それが、残された唯一の勝機だ。
「ルドゥインが黒衣の魔女を足止めして、その隙にアザードが時空崩壊魔術弾を積んだこの艦を要塞戦艦に近づける。で、あたしがアザードを連れて転移して、自動操縦で突撃して吹き飛ばす。あとは、ルドゥインが黒衣の魔女のガングニールを破壊すれば、めでたしめでたしよ」
「あっさり言うなあ」
簡単なことじゃない。
ここに来るまでに、武装のほとんどを失ったスキーズブラズニルで、ナグルファルの懐に飛び込むのは並大抵の事ではない。
たとえ成功しても、転移魔法による離脱が遅れれば、アザードとフローラの命は無い。
何よりも、ルドゥインが黒衣の魔女を押さえられるかは、非常に厳しい。
それでも。
「出来るよ。ルドゥイン、僕達なら」
赤毛の青年、アザードが微笑む。
「悪い魔女を
プラチナの髪の少女、フローラが強気に笑う。
「ああ。皆でもう一度、あの森にピクニックに行こう。紅茶とサンドイッチを用意して、4人で、もう一度……」
そして、黒髪の少年、ルドゥインもまた強くうなずいた。
その為に、その為だけに、ルドゥイン・アーガナストは、この魔剣を抜いたのだから。
☆
甲板から見上げた空は、透き通るように蒼かった。
ルドゥインは文字を紡ぎ、魔術を織って、炎の翼を背に呼び出した。
目指すは世界樹。
その下にいるだろう、最大の、最強の宿敵。最後の……家族。
「来たか。
巨大な要塞の甲板に立った、黒い槍を構えた黒衣の少女が、歓喜とも憐憫とも憤怒とも判別のつかない複雑な表情で出迎えた。
「来たよ。
炎の翼をはためかせた、白い長剣を携えた少年が、愛情とも、憎悪ともつかない、複雑な表情で飛来した。
「姉さんを、ヴァール・ドナクを帰してもらう」
「その女は死んだ。とうの昔に殺された」
青い空と、燃える大地の間を、巨大な葉がひらひらと舞い落ちる。
「「決着をつけよう。我が宿敵!!」」
魔女が黒い槍を投げ、勇者が白い長剣で切り払う。
因果律と時空を歪めた、異形の剣戟をきっかけに、物語のはじまりにしておわりとなる神焉の闘いが幕をあけた。
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