『神話篇』第3話 戦う理由


「この娘はヴァール。ヴァール・ドナク・アーガナスト。今日から、私達の家族だよ」


 初めて出会った日、ルドゥインの父親が連れて帰ってきた少女は、まるで人形のように美しかった。

 濡れた鳥羽からすばを思わせる艶やかな黒髪と瞳、陶磁器のように透き通った白い肌。

 玄関を抜けて、あばら屋のような我が家へと踏み入れた義姉ヴァールに、ルドゥインは魂を奪われた。

 黒いドレスに身を包み、毅然と立つ彼女の姿を孤高だと――ただ、圧倒されたのだ。


 外交官を引退して農業を営む父が、どういう理由で彼女を引き取ったのか、ルドゥインにはわからない。

 後年、彼が仲間達とともに調べたとき、すでに戦火の中で資料は悉く焼失し、あるいは故意に破棄されていた。

 ”巨人族”――。かつて世界を相手に戦い、”邪悪”として滅ぼされた、強大な魔力と高度な魔道技術を持つ種族の生き残り。

 そんなことを、幼いルドゥインは知らなかったし、知る必要も無かった。

 ただ姉が出来た事に反発し、甘え、……いつの間にか好きになっていた。

 それは、たとえば幼なじみのアザードとフローラが互いに抱いたような、恋愛感情ではなかったけれど。

 思慕であり、憧憬であり、何よりも愛情だった。


 学校が終わると、四人は連れ立って森に向かった。

 姉はよくサンドイッチを作ってくれて、湧き水の傍でたわいもない話をした。

 学校であった事。楽しかった事や腹立たしかった事。

 そんなことを。


 ルドゥインが怪我をしたり、アザードが落ち込んだり、フローラが癇癪を起こすと、よく姉は慰めてくれた。

 木の葉が人形のように集まって踊ったり、水がシャボン玉のように浮かんだり。

 目の前で起こる信じられない風景に、三人は心を震わせ、見惚れたものだ。


「お姉ちゃんは、魔法使いなんだ」


 だから、いつしかルドゥインは、アザードは、フローラは”魔法使い”になろうと決めていた。

 誰かを幸せに出来る、そんな魔法使いになろうって。



「ガングニール!」


 燃える大地から蒼穹の空へと伸びる巨大な世界樹。

 その下にそびえる要塞のような戦艦の甲板から、ヴァールは黒い槍を投擲した。


「レヴァティン!」

(……ケケケ。盟約者マスター、任せな)


 ルドゥインは槍の速度を無意識下で計算し、白い剣を振るって迎撃する。

 焔が陽炎の如く燃え上がり、刹那の交差のうちに、ガングニールによって『槍が少年を貫く未来』が確定され、同時にレヴァティンが『確定された未来を消滅』させた。

 二人の戦いは、槍と剣の交錯などではない。

 未来を捻じ曲げ選択し、選択された未来を否定し、否定された未来を捻じ曲げ、捻じ曲げられた未来を再び無に帰す。

 そんな無茶苦茶な魔術の鍔迫り合いだ。

 次元を狂わせる魔術の応酬を、槍と剣を、何合重ね合わせただろう?

 気がつけば、ルドゥインは度重なる魔術の応酬でげっそりと消耗し、ヴァールはそんな義弟を悲しそうに見つめていた。


「もう、やめよう? 我は、お前を傷つけたくない」

「っ」


 ルドゥインは、剣を構えたまま、息を吐いた。

 なんということだろう。

 自分は姉と戦っているというのに、世界の命運が決まるというのに。

 空は、涙一つ流さずに、美しい青空を広げている。

 ここは、きっと、天に最も近い場所。

 山を越え、雲をも越えて、地を見下ろし、空を渡る。


「見ろ。ルドゥイン、世界はこんなにも綺麗だ。」


 砲台で埋め尽くされた無骨な船の上で、義姉は謳った。


「他には何もいらない。お前がいて、我がいる。それで十分ではないか?」

「……」


 ルドゥインは、炎の翼をはためかせ、地を見下ろした。

 赤く、黒く、血を流し、燃えて、焼かれた大地を。

 地平線の向こう、青い海に飲み込まれた8つの大陸を。


「姉さん、なぜだ、なぜなんだ……」


 ルドゥインの喉奥から搾り出されたのは、問いにもならぬ問いかけだった。

 なぜ、自分達の前から姿を消したのか。

 なぜ、ガングニールを手にしたのか。

 なぜ、自分達は争わねばならないのか。


「ルドゥイン、お前だって見てきただろう。この美しい世界は、あんなにも不平等で不道徳で不誠実だった。神々や白妖精エルヴンを騙る一部の国々が、人間を、黒妖精を、小人を、奴隷として使役する。そんな世界が正しいはずは無い」


 だから、百年前、巨人族と呼ばれた国が、神々の支配する世界へと反乱を起こした。

 あまたの軍を打ち破り、人間を、黒妖精ダークエルフを、小人ドワーフを解放して、鉄道や道路を結び、水道を整えた。

 学校を建て、病院を作り、強盗や殺人者を取り締まり、神々に対抗できる国々を作ろうと戦った。


 そんな夢物語が叶うはずもないのに。


 巨人族は敗北した。

 戦時条約で、互いに民間人への殺戮を禁じたにもかかわらず、神々はあらゆる禁呪を用いてこれを焼き払った。

 赤子も老人も容赦なく!


「我々は敗北した。それはいい。それは我らの責だ。だが、勝利した神々は、すべての邪悪を我らに押し付けた」


 風が吹き、世界樹の葉がゆらゆらと舞う。

 ルドゥインからは、伏せられた義姉の瞳は見えない。


「そして、人間族の国は、掌を返すように我らを殺戮し、血祭りにあげて勝利の凱歌をあげた!」


 そんなことはない!

 絶叫をルドゥインは飲み込んだ。

 確かに、そのように下衆な真似をした国は存在した。

 だが、それは、人間族の総意などでは決して無い。

 あらゆる史実を嘘で固め、すべての責任を他国に転嫁し、弱者を踏みにじる事のみを生きがいとするような最低最悪の一部の国が行ったことだ。


「それが敗者の責だというのなら諦めよう。だが、我らのみが悪なのか?

 戦をはじめたことが邪悪というのなら、神々は正しいのか?

 軍事力を持って侵攻し、植民地として、大地を資源を奪い、人間や小人を家畜として酷使した、その行為は正しいのか?」


 神々の中に、自分達だけが優れた存在であるという傲慢な考えがなかったとは言わせない。

 だからこそ、唯一神々と戦える力を持った巨人族を障害として排除した。

 そして、一部の人間族の国は、その弱みに付け込んだ。


「我々の父母は、受け入れたよ。それが贖罪と信じて。祖霊を祭る事を止めた。土地を放棄し、武器を捨て、作物を、資源を、研究を捧げ続けた。だが、彼らは我々から奪い続けるばかりだった!」


 当たり前だ。

 長剣を手に、ルドゥインは息を整える。

 謝罪を、賠償を。

 壊れた蓄音機ちくおんきのように繰り返し続けた連中は、本当に謝罪や償いを欲していたわけではない。

 本当に、彼らが償いを欲したのなら、彼らの主張する一都市の戦闘での犠牲者が10万単位で年々と増え続けたり、強制的に連行されたと主張する、戦後にはわずか数百人しかいなかった在留の人間族が、わずか半世紀の間で数十万人に膨れ上がるわけがない。

 自分達の国土を、化学物質や禁呪で汚染しながら、これはかつての戦いの爪あとですと、いけしゃあしゃあと賠償を請求できるはずもない。

 彼らは、ただ自分達の欲望を満たすために、善意を踏みにじり、金を吸い続けたに過ぎない。

 その証拠に。


「全ての武器を捨て、国家の主権を差し出せば、すべての責を水に流すと彼らは言った。我らは受け入れた。その結果はどうだ? 侵攻してきた彼らの軍によって、国は焼かれ、男は殺され、女は犯された。子供達は臓器の原料として工場に送られ、妊婦と胎児は化粧品の材料だ。それが生きるものの為すことかぁっ」


 義姉は、ヴァール・ドナクは、右手に槍を、左手で宙を掴み、まなじりを裂けんばかりに見開いて、魂消るように悲痛な叫びをあげた。


「気づいていたか? ルドゥイン。我は、お前が、アザードが、フローラが、憎かった。幸せそうなお前達を、かならずくびり殺してやると心に誓った。我らの故国を滅ぼした神族も、人間族も、一人残らず討ち滅ぼすと。なのに、お前達は、我に優しかったんだ。どうしてだ。お前達さえいなければ、すべてを憎むことができたのにっ」


 ああ、それは嘘だよと、ルドゥインは思う。

 姉は、すべてを憎み、呪うには、あまりにまっすぐ過ぎた。

 憎いはずの子供の面倒を見て、慰めて、しっかりしろと励ますくらいにお人よしで。

 だから、きっと、こんなことになっちゃったんだ、と。


「我らの国を滅ぼしても、世界は何も変わらなかった。アース神族も、ヴァン神族も、白妖精も、人間もっ。弱い国々を侵略し、抗うものを巨人族と呼び、邪悪と称する。神々の為に、白妖精の為に、人間の為に世界があるわけではない。我らは、虐げられたすべての者達の命と願いに贖うために、正しい世界を作り出す。それが」


 巨人族と呼ばれ、黒妖精と呼ばれ、あるいは、踏みつけられた小人や人間の。


「我の望み。我がここに立つ理由だ」


 ルドゥインは瞳を閉じた。

 姉の後ろには、滅び去った巨人族の国が、踏みにじられた黒妖精の、人間の小人の、多くの人たちがいる。

 道半ばで散っていった者の、血を吐きながら未来を託した者の願いがある。

 だが、たとえ、そうだとしても。


「姉さん。俺は、貴女を止める」


 奥歯を噛み締め、胸いっぱいに息を吸い込み、腕と背にいっぱいの力をこめて、ルドゥインは白い長剣を構えて、炎の翼をはためかせる。


「俺は、姉さんの家族だから。姉さんのことが好きだから、愛しているから。だからっ」


 狙いはひとつ。

 姉が立つ甲板。姉に無限の力を与えている、要塞戦艦ナグルファル。

 レヴァティンは、最強の神器。

 触れるものすべてに“破滅”をもたらす。


「お前に我は止められぬ!」


 姉の指が、文字を綴る。

 文字からはつららが生まれ、ルドゥインの手足を狙って、矢のごとく撃ち出された。


「炎よっ」


 ルドゥインもまた、翼から炎の小球を生み出して弾幕を張り、迎撃する。

 しかし……。

 火球がつららに衝突する寸前、氷は自ら破砕して文字を描き、文字は雷光となって炎を貫き、ルドゥインに襲い掛かった。


「っぐぁ」


 激痛をこらえるも、電撃はルドゥインの軍服を切り裂いて文字を描き、文字は闇色の拘束具へと変わって身体の自由を奪った。

 背の羽とコントロールを失い、ルドゥインは落下する。

 次の瞬間、先ほどまで甲板にいたはずの少女が、背後から強烈な蹴りを見舞ってくれた。

 法衣越しに見える、ほんのわずかにまるみを帯びた身体に成長の感慨を覚える間もなく、ルドゥインは天空へ向けて打ち上げられ、否――上昇する先には、すでに義姉が待ち受けている。


「まだわからないのか。ルドゥイン!」


 魔法と拳と足が、まるで砂袋でも叩くように、さんざんにルドゥインを打ち据えた。

 次元が違う。ヴァールの強さも、魔法も、魔力も、何もかもが、ルドゥインのはるか高みに立っている。


「二度だ。これまでに、二度、傷ついたお前を、我は見逃した。だが、お前はまたも我を阻もうとする。“神剣の勇者”という名声が、そんなに大事か? 魂の底まで、アース神族の狗に成り下がったか!」


 ナグルファルを触媒に、ガングニールが虚数空間からくみ出す魔力は無限。

 その力を惜しげもなく使って、ヴァールは遠、近、左、右、上、下、全方位から問答無用で殴り蹴たぐり叩きのめしてくれた。


「おおかた、船を狙ったのだろうが、無駄だ。確かにレヴァティンは強力な神器だろう。魔法も物理も超越し、あらゆる存在を消滅させる。その力は一見最強に見えるが、同時に最弱に他ならない。接近して殴らなければならぬ武器など、射程がものをいう近代戦で何の役に立つものか!」


 気にしていることをと、ルドゥインは苦笑する。

 確かに、純粋に殺す事だけを目的に考えたならば、この“がらくた”は弓銃にも劣る。

 うつろに遠のく意識の中で、両手で持つ長剣に語りかけた。


(馬鹿にされてるぞ、相棒)

(ケケケ。まあ事実だしなあ。どうよ、盟約者。諦めちゃどうだい? 

 あのガングニールのマスターは……。

 おそらく魔法使いとして赤毛の三倍は優秀で、状況判断と攻撃の組み立てが口うるさい嬢ちゃんの三倍は精密で、白兵戦能力であんたの三倍は強い。

 言っちゃあ悪いが、アンタに勝ち目はゼロだ)


 レヴァティンの分析は、冷酷なまでに的を得たものだ。だけど。


(そうでもないさ。昔から……。アザードは姉さんの三倍泣き虫で、フローラは姉さんの三倍怒りっぽくって、ついでに俺は、姉さんの三倍は臆病だ)

(ケケケ。全然自慢になってないぞ、盟約者)

(でも、そんな俺たちは昔から……、姉さんの三倍は諦めが悪いんだ)


 何でも出来た姉。

 そんな姉を追いかけるだけだった三人。

 一人だけなら、とっくに諦めていたかもしれない。


(約束、したからな。すべての神器を砕くって。アザに、フローラに、そして、レヴァティン、お前に)


 第一位級契約神器レヴァティン。

 契約神器が並みの魔術道具と違うのは、そのものに意志が宿っているからに他ならない。

 彼や彼女らは、『使われる』のではなく、『自ら使い手を選ぶ』。


(ケケケ。『すべての鍵と世界樹の破壊』……、そんな契約を呑んだ馬鹿はあんただけだ)

(馬鹿で結構。たとえ馬鹿でも、馬鹿だからこそ、譲れないものがある)


 姉は作り出すだろう。

 七つの鍵と世界樹の力を用い、彼女が信じる正義のままに、正しい世界を。


「姉さん。姉さんは言ったね? 虐げられたすべての者達の命と願いに贖うために、正しい世界を作り出すって。姉さんは、世界樹でどんな願いを叶えるつもり?」

「決まっている。アース神族、ヴァン神族、白妖精、黒妖精、小人、巨人、人間。七つの種族の境を無くし、歴史をもう一度やり直す。戦も無く、飢えも無く、虐げられるものもいない、真に平和で平等な世界を創ってみせる」


 ああ、姉の信じる世界。それは、なんて純粋で、崇高で、……最悪なのか。


「そうか。だったら、俺は、俺の信じる世界の為に」


 帰りたいカエリタイと泣きながら、それでも友軍を庇って、死んでいった戦友がいた。

 飢えに苦しみ、戦火に焼かれた畑を、必死で耕し、苗を植える者達がいた。

 神族でありながら、妖精でありながら、対立するものと手を取り合い、生き抜こうとする者たちがいた。


 姉が世界を憎んだように、ルドゥインもまた、この不条理で不可解で不確実な世界を愛している。

 苦しみと悲しみに押しつぶされてなお、未来を向いて手を伸ばす、生きとし生けるものの強さを信じている。


「俺は姉さんと闘う。すべての鍵と世界樹の消滅が、ガートランド王国の選択、いいや、俺の意思だ。神々も妖精も小人も巨人も、あるがままに生きるべきだ。姉さんの抱いた偽善もろとも、過去より続く因縁をここで断ち切る!」


 レヴァティンが煌煌と白く輝き、拘束具を焼き払った。

 灰となって散る軍服を見送りながら、炎の翼を背にした半裸のルドゥインは笑う。

 そうだ。これは、もはや戦争などではない。

 世界の命運をかけた、存続を望むものと改変を目指すものの決闘だ。


「何が、偽善かっ。護る国を持つものが、国を失ったものに言う台詞かあ」


 ヴァールの槍が文字を描く。

 それが魔法と変わる前に、炎の翼をはためかせたルドゥインが一挙に間合いを詰めて、文字を切り裂いた。


「っ」


 ヴァールは、咄嗟とっさに転移術式を発動させた。

 義弟の剣が、一刹那遅れて、ガングニールのあった空間を薙いでいた。

 レヴァティンの力は、あらゆる存在と可能性の否定、“破滅”そのもの。

 虚数空間から呼び出す複製ならともかく、まともに受ければ、ガングニールとて破壊されかねない。


「そうか、それがお前の選択か。ならばよい。扉はひとつ。残る鍵は二つ。共に行く気がないのなら、滅び去れ。”世界樹”へ至るは、我一人で良い!」

「世界樹へは行かせない。この世界を護る事が、俺が命を賭けた、俺のために命を賭けた連中の最後の望みだから。“正しい世界”なんかに、俺たちの戦いを、生命を、歴史を、“現在の世界”を、否定なんてさせやしないっ」


 ヴァールが光の剣で切りかかり、ルドゥインは炎をまとった拳で殴りつける。


「それは勝者の、今持つものの驕りだ。

 我は取り戻す。失ったものを、奪われたものを。

 妻を嬲り犯され、娘を生きながら解体された父親の絶望が。

 夫の目の前で腹を割かれ、胎児を踏み潰された母親の慟哭が。

 愛する両親をひき潰され、追われた子の怒りが、お前にはわからないのか、ルドゥイン・アーガナスト!」

「わかるさ。わかるから、俺は今戦っているんだ。ヴァール・ドナク・アーガナスト!」


 光刃と炎拳が幾度も交差し激突し、遂には交じり合った魔力の塊が暴発する。

 その余波を受けながら、姉は弟の黒い瞳を、弟は姉の金に輝く瞳を見た。


「我は」

「俺は」


「「お前(貴女)の正義を認めない」」

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