『神話篇』最終話 神剣の勇者


聖暦(sc)6671年。 


 世界樹の消失から5年がたった。

 世界は相変わらず混乱していて、収拾がつかない。

 9つの大陸のうち8つが消滅し、人口はかつての20分の一に過ぎない。

 軍隊と警察機構が存続する王国はまだマシだ。

 各地は、力だけが支配する無法地帯と化していた。

 盗賊。私兵軍閥。労働力と食料を狙い、跳梁する悪鬼ども。

 働き手を失った田畑は荒れ果て、電力・魔力のプラントも、そのほとんどが停止している。

 だが、そんな世界でも、人々はもういちど立ち上がろうとしていた。

 かつて、州都スカイナイブズと呼ばれた都市。

 空路の要衝として栄えたこの町も、今では放棄されたスラムと、小さな田園が広がっていた。

 妙齢の女性が一人、子供達に混じって、稲の水を替えていた。

 そこに杖をもった青年が、焚き木を背負ってやってきた。


「師匠。芋とカボチャ畑の蔦が伸びてます。山の猿やイノシシの対策も、去年よりうまく行ってますし、今年の冬は越せそうです」

「良かった。今年は、稲も実りそうだし、秋には、芋鍋なんてしたいわね」

「はい」


 魔術師ロウ・バートンは、田の稲を世話する師に報告すると、再び畑へと戻った。

 エリス・コードウェル。この町を守った、アーク学院有志105名のただ一人の生き残りだ。

 ロウの師匠であり、彼があこがれてやまない恩人、神剣の勇者の戦友でもある。


 今でも、あの掌を忘れない。


『信じていい?』

『任せろ。男と男の約束だ』


 連邦軍に捕らえられたロウの姉を、まだ新兵に過ぎなかった彼は見つけると約束し、敵総司令部から救出してくれた。

 その時から、ルドゥイン・アーガナストは、ロウ・バートンにとって英雄になった。

 彼のようになりたいと、魔術を学び、自らを鍛えた。

 いつか、誰かを守れる、誰かの力になれる、そんな魔術師になるために。

 神剣の勇者は死んだのだと、誰も彼もが美談にする。

 救世の英雄。命がけで悪を討ち、世界を守ったヒーロー。


「あのひとが死ぬものか」


 世界樹を巡る神焉戦争は確かに終わった。

 けれど、今の世界は、平和というにはほど遠い。

 勇者の出番は、終わってなどいないのだ。

 だから、追いかける。

 ヒーローになれなくてもいい。

 彼が守ろうとしたもの、彼が愛したこの国を、もう一度強く豊かにする。

 それが、それこそが、ロウが自らに課した誓い。

 焚き木を運び、畑の草を刈り、井戸の修繕をする。

 魔術師は『力』持つ者だ。

 人より強き『力』を持つ者は、より強い『責任』が求められる。


「警備隊長。お耳に入れたいことが」

「なんだ?」


 屋根の修繕をしていると、宿屋の息子が同じように金槌を打ちながら横に並んだ。


「昨夜から、流れ者らしい男が泊っているんですが」

「何か問題でも起こしたのか?」

「いえ、それが特に暴れるわけじゃないのですが、慰霊碑に参りたいと」

「……」


 州都スカイナイブズ攻防戦の死者を祀った碑が、空港の跡地に建てられている。

 だが、特に観光の名所というわけではなく、管理者の居なくなったプラントから金品を漁り生計を立てる流れ者が行くには、不自然な場所だった。


「どんな奴だ。一応注意して……っ!?」


 その時、ガンガンと、非常事態を告げる鐘が鳴る。


「何事だ!?」

「隊長! モンスターです。モンスターが出ました!」

「ちいっ。今行く!」


 ロウは屋根から飛び降り、靴から火を噴出して滑空した。

 戦争終了後、放棄された生物兵器プラントや神器生成プラントは、未だに魔術兵器を生み出している。

 そして、メンテナンスもなく、狂ったプラントは神器ではなく、コントロール不能な怪物たちを量産し、地上へと撒き散らしていた。


「迎撃体勢を取れ! 早く!」


 ロウは叫び、杖から火球を生み出して、空から襲い掛かる堕竜めいた怪物に対空砲火を浴びせる。

 警備隊の若衆が手製の弓を構え、次々と矢を浴びせる。

 だが、届かない。当たらない。

 たとえ掠めたとしても、神器には己を護る本能がある。

 変じた怪物たちも同様に、魔術的な障壁を張って、矢の軌道をそらしてしまう。

 もはや人類には、まっとうな銃や弾丸すら残されておらず、自らが生み出した怪物を前に、為すすべもなく狩られていった。


「術式――”荒魂”――起動!」


 ロウの杖から膨大な焔が噴出し、堕竜を包み込む。

 ギェギェと悲鳴をあげる堕竜に、巨大な火球を叩きつけ、撃ち落す!


「地上からオーク型生物兵器が一個小隊接近。

 空から再びドラゴン型堕神器が五機、来ます!」

「町への侵入を食い止めろ!」


 だが、襲い来るモンスターを前に、警備隊の兵力は明らかに不足していた。

 二匹の堕竜が防衛線を突破し、町へと侵入する。


「やめろ、あそこには皆が!」


 一匹の堕竜を相手取りながら、ロウは見た。

 自分の師が、人々を逃がしながら、杖を構えるのを。

 だが、無理だ。

 彼女の専門はあくまで通信と探索能力。

 魔述師として強力無比な支援能力を持つが、戦闘には耐えられない。

 彼女の後ろでは、戦うすべ持たぬ子供達が、泣きながら逃げ惑っていた。

 その更に後ろには、冬を越すための食料を育てる田畑があった。

 終わる、終わってしまう。

 命が消えて。


「誰でもいい。誰か、助けてくれ!」



―――――

―――



「お願いっ。防いで!」


 エリスの張った盾の障壁が、堕竜の爪によって、紙細工のように引き裂かれた。

 神器を持たぬ魔術師が、神器を所持する魔術師に、あるいは神器そのものに叶うはずがない。

 それは、この世界における魔術の常識であり、それを乗り越えられたのは、ごく一部。

 たとえば、彼のような―――。




 任された。


「え?」


 槍が伸びた。堕竜の爪をそらし、返す刀で、喉元を一撃。

 激怒して、振り回される尻尾を、まるで棒高跳びのようにトリッキーな跳躍でかわす。

 中空に跳びながら、握りこまれたのは、焔に包まれた拳。

 誰ともわからぬ影は、その一撃を堕竜の眉間へと叩きつける!


「熱止!」


 全身にルーンを刻まれて、堕ちた神器の化身が爆発する。

 誰ともわからぬ影?

 そんなはずがない。

 エリスは、知っていた。

 ロウは、知っていた。

 槍を手に堕竜と渡り合い、炎の魔術を使う男を知っていた。


「「ルドゥインっ!!」」




 久しぶりに、懐かしい名前を聞いた。


 青年は、槍を手に、両の脚で地を駈ける。

 はぐれモンスターの襲撃にしては、組織立っている。

 どこかの野盗か軍閥の魔術師がけしかけてきたのかもしれない。


 まあ、そういうのを考えるのはあとにしよう。

 今はこの危機を乗り越える。

 そうだ。

 終わらせるものか。

 悲しみで、終わらせなどはしない。


 アザード、フローラ、テリー。死んでいった仲間達。

 姉さん、ノーラ、アリョーシャ。今はいない、かつての敵たち。

 彼が、彼女が、夢見ただろう幸せな世界をとりもどす。

 その為に、牙なき者の牙となろう。


 世界は悲しみと苦しみに満ちている。

 だから、それを受け入れられない弱い人間は足掻くのだ。

 幸せを求め、よりよき未来を作ろうと!


「いつか、届くさ。そうだろう?」


 歪められた運命を正し、世界樹と共に消えた相棒へと問いかける。

 背が熱い。

 力を込めて、炎の翼を広げ、ルドゥイン・アーガナストは羽ばたいた。


 これが神話の終わり。そして、伝説の始まり……。




                       七つの鍵の物語―神話―FIN

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