『神話篇』第17話 新世界へ

 あかい夕焼けが目に染みて、ヴァール・ドナクは、一筋の涙をこぼした。

 まるで、世界が燃えているようだ。

 不沈とおそれられた要塞戦艦ナグルファルは沈み、死神とおそれられた自らもまた消える。

 神々でさえ、不死ではいられないのだ。ならば、この結末もまた道理だろう。

 ヴァールが放った巨神槍ガングニールの突撃は、ルドゥインが駆る焔翼レーヴァティンによってかわされ、半ばから焼き切られた。

 彼女は、遠い昔、自らの背を追いかけていた、三人の大切な幼馴染のことを想い出す。


 旅立ちの時、彼女は残した。

 ひとりには、災いを穿つ杖を。

 ひとりには、身を守る武具を編む道具箱を。

 ひとりには、空を翔ぶ翼を。

 そして、十年の時を経て、与えられ、追いかけるだけだった少年達は。


「越えたのだな。私を」


 ひとりでは及ばず、二人でも叶わない。

 けれど、三人ならば、自分に並び、自分に打ち勝った。

 ならば、いい。もう十分だ。十分に満たされた。


「なあ、ルドゥイン。私は知っていたんだ。戦争だけが悪ではないことを。でも、他に道はなかった。悲しみも苦しみも無い世界。それだけが、欲しかった」

「姉さん」


 もうあかい夕焼けも目に入らない。

 痛みも、嘆きも無い。ただ、自分を抱く弟のぬくもりに安堵した。


「ルドゥイン。人は悲しみや苦しみに負けるばかりじゃないって、信じられるかい?」

「ああ。姉さんがそうだったように。俺達は強くなろうって、悲しみや苦しみに負けないようにって思えるから」

「そうか」


 彼らは証明したのだ。

 人は巨大な力に怯えるばかりではない。

 手を繋ぎ、同じ方向を向いて、共に生きて、共に足掻いて、共に強くなれるのだと。

 意味はあった。願いは叶えられずとも、願ったものは勝ち得た。


「どうしてだ? どうしてこんなことに」


 槍だけを叩き斬ったのだと、優しい弟は信じて疑わなかっただろう。


「最後まで共にあること。それが我とガングニールの契約だから」


 嗚咽が聞こえる。本当に、いつまでも子供で、可愛いおとうと。


「行け。まだ終わってない。

 全ての鍵と、扉を砕くのだろう?

 お前の望みを叶えて来い。

 こんなところで泣く弱い子に、育てた覚えはないぞ」


 声が、掠れる。

 足の爪先、手の指先から、肉体が消えてゆく。

 砂のように零れ、風の中に溶け。


「幸せに    ぞ?」


 最後の時。

 ただひとりの義弟に、生涯最高の微笑みを残して、最強の魔術師は逝った。


 ルドゥインは歩き始める。

 土くれの荒野を、天へと伸びる巨大な世界樹へと向かって。

 ボロボロと、ボロボロと、灰のようになった身体を風に奪われながら。


(盟約者。オレはアンタに感謝している。七つの鍵と世界樹が悪用されぬよう、滅ぼす為の対抗存在として、オレは生み出された。だが、そんな契約を呑む者は、アンタ以外にいなかった)


 ルドゥインの手に渡るまで、生み出された使命も果たせずに、ただの殺戮兵器としてレヴァティンは各国を渡った。

 誰もが、願いを持っていたから。誰もが、欲望を持っていたから。

 ルドゥインとて同じ事。ただ、彼は世界樹が生み出す悲劇が許せなかっただけ。


(アンタが最後の勝利者だ。願いを叶えろ。オレの呪いに蝕まれた身体を治して……。赤毛と口うるさい嬢ちゃんと、いいや、アンタが望む人たちを生き返らせろ。その資格が、アンタにはある)」


 七つの鍵を破壊し、世界樹へ至る道を封じるために生み出された魔剣レヴァティン。

 親殺しとも言えるこの神器には、ある呪いが掛けられていた。

 真の姿を顕現したとき、盟約を交わした主を焼き尽くすのだ。

 ルドゥイン・アーガナストは消える。

 神話において、世界を滅ぼしたスルトの名を持つ巨人王と同じように。


「相棒。きっと誰にもないんだよ。誰かの運命を捻じ曲げる、資格なんて、さ」


 ルドゥイン・アーガナストの下半身は黒い灰となって、風に吹かれて消えていた。

 彼が姉から受け継いだ、炎の翼が、彼をなんとか低空に立たせていた。


「相棒。短いつきあいだったけど、楽しかったぜ。ありがとうな」


 ルドゥインは、残る命を振り絞り、世界樹へと向け焔を伸ばした。


終わりの太刀ラグナロク――――”始まりの焔ムスペルヘイム”」


 成層圏にまで達する、長く大きい火の柱が、世界樹を貫く。

 崩壊する。すべての願いを叶える存在が、炎に燃えて消えてゆく。


盟約者ルドゥイン。―――それが相棒の願いなら、必ず叶えよう)


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――――――――――


エレキウス・ガートランド(sc6643-sc6715)


 ガートランド王室の曾孫。

 州都スカイナイブズ攻防戦において、有力議員だった叔父とともに、艦隊派遣の交渉に携わったとされる。

 神焉戦争勃発後、軍に仕官。

 世界人口の95%が失われたsc6665年に、わずか22歳の若さで王国軍元帥に就任。

 ヴァン神族、巨人族らの猛攻から王国を守護した。

 世界樹消滅後も、王国軍を指揮して混乱した世界の維持に努めた。

 sc6680年に政界に転身、sc6695年には宰相に任ぜられ、王国復興を志す。

 生涯王位に就くことは無く、死後百年後に、その功績を称えられ『救世王』と贈り名される。


クリストファ・シェリング(sc6634-sc6684)


 白妖精族の傭兵。

 州都スカイナイブズ攻防戦において、アーク学院有志百五名と共に、ミッドガルド連邦国の侵略を食い止めた。

 神焉戦争勃発後、傭兵として各地を転戦。

 白妖精族の大陸が消失したsc6665年に、王国が派遣した救援部隊に同行、その後傭兵隊長として従軍。

 戦後は王国に帰化。最終階級は中将。


アリョーシャ・マスハドフ(sc6639-sc6666)


 ヴァン神族出身のテロリスト。

 大国に制圧された小国の出身であり、巨人族、黒妖精族を中心に組織された武装集団”虐げられし者たち”の一員として、ヴァン神族と戦った。

 sc6666年にヴァン神族の女王、ミーシャ・ウラジミールの暗殺に失敗。

 その後の消息は不明。

 州都スカイナイブズ攻防戦において、アーク学院有志百五名を援護したという情報もあるが、真偽は不明である。


ゲオルク・シュバイツァー(sc6632-sc6685)


 ミッドガルド連邦反乱軍主席。

 sc6663年に王国へと侵攻し、州都スカイナイブズを陥落寸前まで追い込むも、王国軍の参戦によって軍を撤退させる。

 その後、侵略の罪を着せた連邦首脳部に反旗を翻し、防衛戦力の少ない農村部を中心に攻略、恐怖政治を敷いた。

 世界樹消滅後、最大規模の軍閥として大陸西部を支配、その強引かつ硬直した政策を批判されるや、中心となった知識人に徹底的な弾圧を加えた。

 また鉄釜、農具まで供出させ、鉄鋼の大増産を目指した製鉄を農村で展開して失敗、資源を浪費したばかりか、農業そのものの基盤を破壊してしまった高飛翔政策など、経済や生態系を無視した政策を強行、大勢の餓死者や人工災害を生み出した。この失敗から政治的影響力が後退すると、自身の神格化を進めて私兵集団による潜在敵対勢力の粛清、超越革命を断行する。

 内乱と政策、革命による死者は8000万人から一億人にのぼり、神焉戦争後、最大の大量殺戮者として歴史に名を刻む。

 自身の復権を目指した超越革命は、民主化勢力を糾合した抵抗軍によって失敗に終わり、5年の内乱の後、彼の戦死によって決着した。

 なお、sc6680から五年間に及ぶ西部事変で、後の王国宰相エレキウス・ガートランドが極秘裏に介入したという噂があるが、王国は否定している。

 のちに成立した西部連邦共和国によって名誉回復され、『建国の父』と贈り名される。


アルト・シュターレン(sc6641-sc6709)


 ミッドガルド連邦反乱軍副主席。

 ゲオルク・シュバイツァーの副官として州都スカイナイブズ攻防戦に参加。

 彼が連邦首脳部に反旗を翻した後も、右腕として補佐し続けた。

 豪胆かつ強硬なゲオルクと対照的に、穏健かつ柔和で、外交および内政に積極的な役割を果たす。

 高飛翔政策、超越革命においても、可能な限り被害拡大を止めようと尽力、餓死を免れた人民や破壊を免れた文化財も少なくない。

 だが、彼は飽くまでブレーキ役に過ぎず、政争の最中、自身の愛娘が惨殺されようとも、ゲオルクの妄執に付き従うしかなかった。

 sc6685年、西部事変終結後、故郷に戻り、一軍閥の長として生涯を終える。

 ゲオルクが旧ミッドガルド連邦の強さの象徴なら、アルトは優しさの象徴であると呼ぶ風潮もある。


アザード・ノア(sc6643ーsc6666)


 ガートランド王国軍人。

 州都スカイナイブズ攻防戦において、アーク学院有志百五名の指揮を執った。

 神焉戦争中、最も戦果をあげた魔術師の一人であり、契約した神器から『魔砲使い』の異名で呼ばれた。

 sc6664年のヴァン神族との会戦、sc6665の白妖精大陸救援戦など、名だたる戦場で名声をあげる。

 sc6665年の白妖精大陸救援戦後、黒衣の魔女に中破された巡洋艦スキーズブラズニルの艦長となり、巨人族との決戦に赴く。

 sc6666年の世界樹消滅時に、妻のフローラ・ワーキュリー・ノアと共に戦死。慰霊神社に奉られる。


フローラ・ワーキュリー・ノア(sc6643ーsc6666)


 ガートランド王国軍人。

 州都スカイナイブズ攻防戦において、アーク学院有志百五名の一員として参加した。

 神焉戦争中、最も戦果をあげた魔術師の一人であり、契約した神器から『空間の支配者』の異名で呼ばれた。

 sc6663年にアザード・ノアと結婚、sc6664年のヴァン神族との会戦後に、一児ハリーを儲ける。

 c6665年の白妖精大陸救援戦後、軍に復帰、巡洋艦スキーズブラズニルの乗員として、巨人族との決戦に赴く。

 sc6666年の世界樹消滅時に、夫のアザード・ノアと共に戦死。慰霊神社に奉られる。

 遺児ハリーは、二人の同僚であったエリス・コードウェルの伝手で、エリン家に養子として引き取られた。


ルドゥイン・アーガナスト(sc6643ーsc6666)


 神剣の勇者。

 州都スカイナイブズ攻防戦において、アーク学院有志百五名の一員として参加した。

 神焉戦争中、最も戦果をあげた魔術師の一人であり、無敗を誇る巨人族の魔術師、黒衣の魔女を討って、世界を救った男。

 sc6665年の白妖精大陸救援戦において、七つの鍵のひとつ、破滅の剣、レヴァティンと契約する。

 sc6666年、世界樹消滅時に生死不明で消息を絶つ。

 世界平和に尽力した人類の救世主であった為か、世界同盟名義による葬儀が行われたものの、慰霊神社に奉られることはなかった。

 この理由について、慰霊神社社主も、彼の級友であり、司令官でもあったエレキウス・ガートランドも生涯口を閉ざし、真相は不明。

 人類を守護し、死亡するという英雄的行為から、各種マスコミによる神格化報道が行われ、現在の追跡調査は困難を極めている。

 彼は本当に人類全体の救済を目指した、救世主だったのだろうか?

 それとも家族を守り、友を守り、故郷と国を守るために戦った愛国者だったのだろうか?

 あるいは、もっと他に別の理由があったのだろうか。


 今では一笑に付される通説に、神剣の勇者と黒衣の魔女が恋仲だったというものがある。

 巨人族を率い、黒妖精族やヴァン神族を扇動し、世界支配を狙った最凶最悪の魔女。

 何億という無辜の民を虐殺し、幼い少年少女の生き胆や心臓を儀式に使い、捕虜を魔術の実険と称して惨殺した。

 そんな黒衣の魔女のイメージからは、世界的英雄である神剣の勇者とつりあいが取れるはずもない。

 だが、奇妙な事がある。つじつまがあわないのだ。

 各国、特に西部連邦共和国が公表した被害者数は、当時の一級資料と明らかに矛盾している。

 都市人口以上の人口を一晩で虐殺したり、黒衣の魔女が別の戦場で戦っていたにも関わらず、被害が出たとされる都市が多すぎる。


 今回の追跡調査において、私は深い疑問を抱かざるを得ない。

 神剣の勇者は、本当に世界救済の為に戦った、品行方正な英雄的青年だったのか。

 黒衣の魔女は、本当に世界支配の為にあらゆる邪悪を行った、最悪の魔女だったのか。


 真実はすでに歴史の中に消えた。

 だが、それでも私は、曽祖母が生きた神焉の時代を求めたいのだ。


 復興暦(Rc)12。

 パーリヴァス・ポスト記者。

 アナベル・キャリングのメモより

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