『神話篇』第16話 逢瀬

 戦った。

 闘った。タタカイ続けた。

 望んでいなかったにも関わらず。

 そんな、長い、長いユメを見ていた気がした。


「起きろルドゥイン、学校へ行くぞ!」


 もう冬だというのに、窓が全開に開けられて、北風がビュービューと部屋に吹き込んでくる。

 急激な室温の変化に戸惑う暇も無く、寝ぼけ眼のルドゥインは、2Fベランダからの闖入者にベッドから蹴り落とされた。


「ね、姉さん。そこは入り口じゃない」

「む? 気にするな」


 ひとつにくくった長い鳥羽玉ぬばたまの黒髪をひるがえして、少女は薄い胸を張り、朗らかに笑った。

 ルドゥインが姉と呼ぶ少女、ヴァール・ドナクは、5年前にお隣に引っ越してきた、遠国からの留学生だ。

 別に義理の姉というわけでもないのだが、何かと引っ張りまわされるうちに、いつの間にか姉と呼ぶようになっていた。


「早く早く、急がないと遅刻だぞ!」


 急かされるままに歯を磨き、顔を洗って着替えると、ヴァールが1Fで半焼けのトーストとチーズを用意してくれていた。

 朝食を牛乳で喉に流し込み、ルドゥインはヴァールが荷台に腰掛けて待つ自転車に飛び乗って、山の上にある学校へ向かってこぎだした。

 走る。走る。心臓破りの坂を、二人乗りで駆け上がる。


「思うんだけどさっ。」

「なんだ?」


 息も絶え絶えにルドゥインは叫ぶ。


「姉さんがこいだほうが絶対速いようなっ」

「何を言う。男だろうが」


 そりゃそうだが、走るスピードも持久力も、怪物じみた姉の方がずっと上だ。


「それにこうすると、暖かいだろう?」


 姉が上半身を前へ向けて、ルドゥインの背にしな垂れかかる。

 その体温は暖かくて、どこかほっとして、少しだけ胸が熱くなった。


「役得?」

「フローラの方が柔らかかった。……って、姉さん!? 暴れないでっ落ちるっ!?」



「ということがあったんだ」

「そりゃお前が、空気読めてないんじゃない? ところで、ルドゥイン、今日はその幼なじみ達はどうした?」


 午前中最後の授業、体育教師のクリストファ教諭にしごかれて、ぐったりとしたルドゥインは、学食で級友のテリーを前に、うどんをすすりながら愚痴っていた。


「あっち」

「あっち?」


 ルドゥインの指差すほうを見て、テリーはなるほどと納得した。

 フローラが弁当箱から黒焦げの卵焼きを箸で摘まんで、アザードに向けて「あ~ん」なんてやっている。


「あ~、気持ちはわかる……」

「だろっ? 誰だ、幼馴染は兄妹みたいな感覚だからひっつかない、なんて言った奴は。俺の立つ瀬がないぞこんちくしょー!」

「そういうのって、あくまで一般論から。ルドゥイン、お前、ヴァールさんのことはどう思ってるんだ?」

「姉さん? 姉さんは姉さんだろう?」

「納得。色気の無い反応をありがとう。ん、もう食べ終わったのか?」

「ああ、トレーを返しに行ってくる。テリーは?」

「俺は野暮用があるからな。そうだ。こいつをやるよ」


 テリーが、まだ手のつけていないサンドイッチを、ルドゥインに押しやった。

 先ほどの愛妻弁当の件が脳裏をかすめて、ルドゥインは苦笑する。


「男に貰ってもなあ」

「そう言うな。お前には一度、ご馳走したかったんだよ。覚えてるか? 俺は料理人になるのが夢なんだ」

「ああ。忘れるわけ、ない。この味も、きっと」


 ルドゥインは去り、テリーは彼の隣で小さなランチプレートを食べていた少女に声をかけた。


「で、どう、コードウェルさん。あれから進展はあったのかい?」

「それが、私、目立たないみたいで」


 影の薄い三つ編みの少女、エリス・コードウェルは目を伏せた。


「もう少し、強気になった方がいいかもなあ。あいつ、鈍感だし」

「うん」


 ルドゥイン・アーガナストは、どんぶりを載せたトレイを所定の場所に片付け、食堂を見渡した。

 食堂に備え付けえられた大型のモニターでは、売り出し中のジャーナリスト、マリー・キャリングが北方の国を取材していた。

 先ほどから流れるニュースは、動物園で赤ちゃんが産まれたとか、経済がどうのこうのとかそんな日常的な話題ばかりだ。

 それでいい、それでいいのだと思う。

 ふと、ネガティブな言葉を思い出した。アザードだっただろうか?

 王国の自殺者は年に3万人に達していたのだという。理不尽なまでに競争化を進める社会。その血税を利権として吸い込む大量のODA。流入する強盗団や、金目当ての犯罪者。それを支援する団体や組織。

 国外に目を向ければ、公害を撒き散らし、森林を伐採し、砂漠化を進め、土地を無理やり徴発しては、一日に200件を越す小規模な反乱が起こる連邦共和国。王国の民間人を拉致した軍事独裁政権。国内法は批准した国際法に優先されると断言する指導者を戴き、幾度も国際法を踏みにじった隣国の民主国家。

 学校ではまだ見ていない、金髪の女性が叫んでいる。我々は戦争を起こす力すら無く踏みにじられている、と。……さて、これらは悲劇ではないとでも?


「ルドゥインさん」

「ん?」


 気がつけば、ルドゥインの制服の裾を、小さな女の子が掴んでいた。


「ごめん、すぐどくから」


 らしくもないことを考えていたから、と、ルドゥインは慌てる。


「ううん、違うんです。お姉ちゃんから伝言です。帰りは、皆で商店街に行こうって」

「うん、わかった。って、君は?」


 姉に比べ、少しだけ背が小さくて、どこか柔らかい雰囲気の少女は微笑んだ。


「ノーラ・ドナク。お姉ちゃんの妹です」



 ノーラの言付けに従って、ルドゥイン、アザード、フローラは、商店街へと繰り出した。

 が。


「この服可愛い♪」

「いや、このコートもいいぞ」


 洋服店に入ったが最後、こうなるのは目に見えていたわけで。


「弱ったなあ」


 所在無く、立ちつくしながら、ルドゥインがぼやく。


「ルドも、不景気な顔をしなくても。新しい服を着たら、どんなに綺麗だろう、どんな印象を見せてくれるんだろうって、うきうきしてこないか?」

「彼女持ちの意見だなあ」

「そうでもないって。僕達も適当に探そう」

「それはいいんだけど、多分買えないと思うぞ」


 アザードが、眼鏡の奥で目をぱちくりさせている。


「どうして?」


 そこに、黒い竜巻と、白金の嵐が来襲した。


「ほら、アザ、これ持って!」

「ルド、頼んだぞ!」


 色違いの暴風が残していったのは、大量の荷物だ。


「姉さんとフローラだぞ」

「忘れてた。思い出したくなかった」


 ルドゥインは泣き崩れているアザードと一緒に、よいせと服を運んだり、喫茶店で珈琲を片手に喋ったり、それはそれで楽しい放課後だった。


 そして、黄昏の時間がやってくる。

 ルドゥインは、アザードは、フローラは、ヴァールは。

 家の近くの森の泉で、湖面を見つめて過ごしていた。


「そろそろ、お邪魔かな」


 アザードが、赤い長髪を揺らして立ち上がった。


「そうね。今日は久々に楽しかったわ。でも、もう二人の時間よ」


 フローラが、ウエーブのかかった髪を風になびかせ、微笑んだ。

 湖面は夕日を照らし、黄金に輝いている。




 あとは任せたよ。ルドゥイン。



「ああ、任せておけ」


 言葉は尽きず、ただ万感のオモイを込めて、ルドゥインは二人の背を見送った。


「なぜだ? ルドゥイン?」


 ヴァールの声は湿りを帯びていた。


「これはお前が望んだ世界なのに」

「そして、もう失われた世界だ」


 ルドゥインは、泣きたかった。

 これは自分が持つ幸せな記憶だ。

 姉の夢見た幸せな世界は、姉自身には無く、ルドゥインの思い出の中にあった。

 それが、酷く悲しくて、せつなかった。


「ノーラちゃんに会ったよ。いい子だった。お姉ちゃんを憎まないでって。馬鹿だよな。この俺が、姉さんを憎むわけないのに」


 むしろ、ルドゥインが憎むのは自分自身だ。

 この運命を、この結末を、招いてしまった己の弱さだ。

 姉の記憶は血の色に染まり、心は乾ききっていた。

 国を奪われ、家族を奪われ、すべてを踏み潰された慟哭だけが、彼女の世界だった。

 幾千、幾万の屍を越えて、砕かれ、引きちぎられた心を縫い合わせ。

 この先には幸せがあるのだと、喪われた物を取り戻せるのだと信じて、傷だらけの素足で歩き続けた。

 いつか願いが叶うと、そう信じて。

 そうまでして求められた彼女の幸せを、失われた命を、今自分は切り捨てようとしている。


(何が神剣の勇者だ。何が救世の英雄だ。――――俺は、俺は!)


 それでも、譲れぬ誓いがあった。守りたいと思った人たちがいた。

 この黄昏の刻を生き残った者達。彼らが得たちっぽけな幸せを、未来に芽吹こうとする生命を。

 過去の願いで塗りつぶしていいはずがない。

 ルドゥインもまた、ヴァールと同じだ。

 生かされて、救われて、今ここに生きている。

 その果てとして、為さねばならぬ使命がある。

 たとえその結末が、決して望まぬものだとしても――――。


「ルドゥイン、お前達がいたから、私は得られた。温もりを、幸せというものを。だから、世界を救いたいと思った」

「姉さん、俺は貴方の強さに憧れた。どんな苦境でも、貴方のまっすぐな背中が俺たちを導いてくれた。だから、世界を守りたいと思った」


 ヴァールは微笑む。慈愛に満ちた瞳で義弟を見つめる。

 ルドゥインは笑う。朗らかに、涙のにじんだくしゃくしゃの笑顔で義姉を見つめる。


「愛している」

「愛してるよ」


 だから、だからこそ。  


「ガングニール!」

「レヴァティン!」


 黄金の湖のほとり、吹き付ける風と舞う木の葉の中で、相対する二人。

 ヴァールの腕には銀の穂先もつ黒き槍が抱かれ、ルドゥインの手には輝く白い長剣が握られた。

 ここが決着。

 世界の運命は分かれ、今、選択される。


「世界創造――――”天獄ヴァルハラ”」


 ヴァールが、ガングニールを掲げ、叫ぶ。

 その瞬間、湖面は割れ、大地は裂け、空は千切れた。

 埋め尽くすのは、崩壊する空間を埋め尽くすのは、槍、槍、槍。

 虚数空間、可能性の未来と過去より召喚された、数え切れないガングニールがルドゥインに向かって飛ぶ。

 ルドゥインは、九面からなる盾のようなものを展開し、しかし物量と『外れず』の神性の前に貫かれた。


(本当にいいんだな、盟約者)

「ああ、相棒、これがきっと、俺の最後の戦いだ」


 炎が閃く。

 ルドゥインが持つ剣は、すでに剣のカタチを為していない。

 神話において、叛神が鍛えた巨人王の神器。

 剣とも杖とも呼ばれたかの武器の真の姿は、世界樹の敵――――即ち、焔、だ。

 

「今まで戦った長剣は、レヴァティンを封じた九つの箱……それこそが真の姿か!?」

 

 ヴァールは見た。

 拘束を解かれ、荒れ狂う焔が、箱という盾を破って飛来するガングニールを焼き尽くすのを。

 だが、それがどうした?

 もはや大勢は決している――――!

 

「ルドゥイン。私は今、世界を掌握した。この無限大の力を前に、なお抗うか!?」


 少女には何もなかった。

 絶望と辛苦と血涙だけが記憶のすべてだった。

 けれど、それは3人の少年少女との出会いによって一変する。

 温もりを得た。日常を得た。拠り所となる夢を得た。

 そうして、数多の戦場を越えて、遂に彼女は辿りついた。

 始原の巨人を殺め、その屍から九つの世界を創りあげた神々の王の力に。


「姉さん、無限じゃない。もう無限じゃないんだ たとえ、幾千幾万幾億の槍を相手取ろうと、そのことくを打ち払うまで!」


 少年は平凡だった。

 父と母と友人に恵まれ、かけがえのない日常を謳歌していた。

 でも、出会ってしまったのだ、一人の少女に。

 彼女は強く優しかった。誰かの力になれる、彼女のような存在になりたいと憧れた。

 そのオモイは、育まれ、鍛えられ、遂に彼は辿りついた。

 世界樹を焼き尽くす終焉の力、創生を終わらせる巨人の王の力に。


「やああああああぁぁぁぁっ!!!」

「うおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」


 降り注ぐ雷雨の如きガングニールを、ルドゥインはレヴァティンで焼き払った。

 背に焔の翼、両手両脚に焔の剣、否、焔とは無形だ。あらゆる形に姿を変えて、万象を貫く神槍の弾幕を飲み干してゆく。


 ああ、と、ヴァールは理解した。

 このままでは勝てない、と。

 無限物量で押しつぶせば、勝てると確信していた。

 だが、ナグルファルを失った今、彼女の魔力は無限ではない。

 ならば、彼と同じ窮極の一たる自らの武器で戦うまで。


 焼き払われ、消失してゆくガングニールの魔力の残滓。

 今なお世界によって召喚され、生み出され続けるガングニールの魔力。

 幾先幾万幾億の魔力をひとつに束ね、天地を貫く巨大な神槍を創りあげる。


「ルドゥインンッ!!」

「姉さんんっ!!」


 ヴァールは感じた。

 ノーラが、父が、母が、ともに戦い、散っていった戦友たちが、その背を押してくれるのを。

 ルドゥインは想った。

 アザードが、フローラが、多くの戦友たちが守り抜いた、命のきらめきを、その重さを。


 たがいに守るべきものがあった。

 だから、この決着はどちらが正しかった、ではなく―――――。

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