『神話篇』第14話 姉弟



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 州都スカイナイブズの攻防戦で、からくもミッドガルド連邦軍を退けた王国であったが、時すでに遅く、世界の天秤は抗えぬほどに破滅へと傾き始めていた。

 圧倒的な軍事力と経済力から世界の主導権を思うがままに牛耳っていたアース神族だったが、巨人族と黒妖精族の基地攻撃によって彼の国が弱体化するや、ヴァン神族とミッドガルド人民連邦に唆された国々は一斉に反旗を翻し、国内に存在するアース神族・白妖精族の資産や土地を無理やりに徴発したのだ。

 国際法も条約も『守らせる存在』があればこそ、はじめて効力を発揮する。本来ならば、世界同盟がその役割を果たすべきだったのだが……。

 聖暦6650年代の後半に、王国の隣に位置するナラールという小国が核術式を実験し、あまつさえ周辺諸国を「火の海にする」と脅迫したにも関わらず、世界同盟は中身の無い抗議声明をあげるだけで、何ら具体的な制裁を加えることができなかった。

 そのため、外貨獲得を目論むナラール国は、危険な核術式兵器や、非道さゆえに禁呪とされた術式で”粗悪”な兵器を次々と増産しては、先軍主義やテロリズムが横行する危険な国々へと売りさばき、世界中に大量殺戮兵器を蔓延させてしまった。

 この結果を、自称平和主義を標榜するナラール国の工作員やら、王国に野心をもつミッドガルド人民連邦に掌握された一部マスコミは、「戦争は起こらず平和が守られた」などとトンチンカンなことを言って喜んで見せたが、当たり前のようにより凶悪な戦争の火種を撒いただけである。

 傍若無人なナラール国の悪行は、無理も非道も通せば通るという「前例」を作ってしまった。

 あるいはこの時……ガートランド王国が世界同盟を主導して、この危険なテロ国家に掣肘を加え、王国内から工作団体を一掃しておけば、後年の悲劇と惨劇を招く事はなかったかもしれない。

 だが、所詮は「仮定」の話である。

 完全に平和ボケしていたガートランド王国は、傾国の危機にあってさえ、国内の報道機関が他国によって掌握されている事も、国家崩壊を望む特定団体が偏向した教育を子供達に施していることにも気づこうとせず、あるいは見て見ぬふりを決め込んだ。

 危機感を抱いたアース神族は、硬直化した世界同盟を見限って、独自の兵器不拡散機構を作ろうと動き出したが、「世界同盟はあらゆる無法を黙認する」前例が作られてしまった以上、核兵器や禁呪兵器の拡散を止めることは叶わなかった。

 ナラール国と王国の隣国であり、アース神族にとって”いわゆる同盟国”であったはずのナロール国に至っては、「我々の独自性を知るべき」などと、冗談物の言い訳で加盟を拒否、観光と工業団地開発の名目で国が傾くほどにナラール国を支援するありさまだった。


 時は流れ、「七鍵計画」によって世界樹がこの世界に顕現すると、「あらゆる願いがかなう」ことを免罪符に、あまたの国々やテロリストが流出した大量破壊兵器を無思慮に使用する末世が訪れた。

 ガートランド王国が、度重なる侵略者達を退けられたのは、陸海軍の奮戦と何よりも幸運が味方したからに他ならない。

 アーク学院の生徒達105名と、ブレイブダガー州の住民が稼いだ貴重な二日間を使って、王国はなんとか交戦可能な法律を通す事ができた。

 その頃には、白妖精と黒妖精の戦火は互いの大陸を焼き尽くし、ミッドガルド人民連邦国は周辺諸国を次々に併呑した挙句に内戦状態に陥り、ヴァン神族は北方大陸から侵攻艦隊を南下させるなど、完全な乱戦状態に入っていた。


 すべては、遅すぎたのである。


 ガートランド王国は、アース神族の主要な同盟国でありながら、黒妖精族にそれほど嫌われてはいなかった。

 巨人族も、迎撃力のみ世界最高峰、しかし敵地攻撃力ゼロの国家など、最初から視野に入れていなかった。

 岩小人族は、ヴァン神族とミッドガルド連邦に支援された反政府組織と、アース神族・白妖精族に支援された政府組織、あるいはその逆の立場で内戦にあけくれ、王国に構っている暇などなかった。

 人間族の国家のうち、明確に王国に侵略意思を持っていた国々の内、ナラール国とナロール国は短期視野から互いを相食み、ミッドガルド人民連邦国は侵略のやりすぎで四方諸国と交戦状態、その上、ゲオルク・シュバイツァーの反乱まで加わった。

 王国が、超弩級戦艦スキーズブラズニルを中核とするヴァン神族の空中艦隊を辛くも討ち破った時、もはやまともな国体を為す残っていなかった。

 幸運か不運か――。

 ガートランド王国は、ただひとつ残った「国家」として、各国の調停や難民の救助、そして、世界の「再創造」を望む、巨人族との対決の場に押し上げられたのである。 


「ルドゥイン・アーガナスト。白妖精族を代表する女王として、貴方に最後の鍵、第一位級契約神器レーヴァティンを託します」


 それは同時に、ルドゥインたち幼馴染が、愛する義姉ヴァールとの戦うことを意味していた。



 聖歴6666年、天地を貫く世界樹を戦場に、神剣の勇者ヒーロー黒衣の魔女ドラゴンの最終決戦が始まった。


「どうした? ”神剣の勇者”よ。なぜレヴァティンを使わない? なぜ我を殺さない? その程度の力で、その程度の覚悟で、我を阻むというか? ふざけるなっ」


 ヴァールが白く細い指でルーン文字を綴る。

 文字は青い雷となり、あるいは赤黒い刃となって半裸のルドゥインを切り裂いた。

 咄嗟に展開した炎の盾など何の役にも立ちはしない。鮮血が空に散り、悲鳴をあげる余裕すらなく、義弟は義姉によって一方的な嬲り殺しにあっていた。


(冗談じゃ、ないぞ)


 魔術師としての次元が違うのは、ルドゥインとて百も承知だ。だからと言って。


(俺が姉さんを、ヴァール・ドナク・アーガナストを斬れるわけないだろうが)


 ルドゥインは、背の炎の翼をはためかせながら、拳を握りこむ。

 要塞戦艦ナグルファルから無限の魔力供給を受け、あらゆる魔術を無制限に展開する義姉を相手に、才覚で劣るルドゥインが射撃戦で勝てるわけが無い。

 防御魔術はまるで障子紙のように引き裂かれ、致命傷こそ免れているものの、このままでは遠からず追いつめられるのは火を見るより明らかだ。

 接近して殴りつける。それだけが、ルドゥインが見出す勝機だった。


「おおおっっ」


 雄たけびをあげ、ルドゥインは弾幕をあびる覚悟で突進した。

 ヴァールは紅い唇を三日月に歪ませ、金の瞳で宿敵たる義弟を睨みつけながら、黒く長い髪をなびかせて待ち構えている。

 その余裕が命取りだと、ルドゥインは胸中で喝さいをあげる。たとえカウンターを狙ったところで、トップスピードに乗った攻撃を止められるはずない。


「獲ったっ」


 ルドゥインの拳が、ヴァールの鳩尾をとらえる。


「我がなっ」


 ストレートを受ける寸前に、ヴァールは下半身を支点に、全身を水平に傾け、過剰なまでの上体そらしでルドゥインの拳をかわして見せた。


「空中戦というものを理解していないのか? それでよく今まで生き残れた」


 隙だらけのルドゥインの腹を、ヴァールの繊手が容赦なく打ち上げる。

 更に、くの字に身体を折って浮いた顎を、蹴り上げた。

 これが効いた。ルドゥインの視界はブラックアウトして、白目をむいて棒立ちになる。

 それから、いったい何発もらったものやら、わかりはしない。全身に吐き出すような痛みを受けて、ようやく弟が取り戻した狭い視界には、心配そうに覗きこむ懐かしい姉の顔があった。

 息が届くほどに近い距離、ヴァールの瞳の中には、血で汚れたルドゥインの顔が映っている。


「なあ、ルド。痛かったか?」

「ねえ、さん?」


 姉はルドゥインの黒い髪を優しくすいて、啄ばむようにそっと瞳にキスをした。

 血か、涙か、弟の視界を塞いでいる、赤い汚れを舌先でなめ取る。


「なにを、する?」

「この翼。もぎ取ってやったら、もっと痛いだろうなあ」


 修羅の顔で、ヴァールは義弟に微笑んだ。

 文字が明滅する、禍々しい光を帯びた双掌で、彼女は力任せにルドゥインの背から伸びた焔の翼を引きちぎった。

 義弟の悲鳴と絶叫を、まるで慈しむようにヴァールは聞いた。

 魔術の産物とはいえ、身体の一部をもぎ取られたルドゥインの背は赤く染まり、身体はおこりにでもかかったように痙攣している。


「堕ちろ!」


 愛しく憎いルドゥインの喉首を掴んだまま、ヴァールははるか地上へと急降下する。

 そうして、殺さぬよう。けれど、二度と立ち上がれぬように。力任せに大地へと叩き付けた。

 轟音をあげて、土煙が舞う。勝負は、ついた。


「俺の信じる世界の為に、か。青いな。そして薄っぺらい。お前は、お前の正義は、我に届かない」


 ヴァールは黒い槍、ガングニールを肩に担ぎ、世界樹へと歩き始めた。


「……て」


 聞こえない。

 聞こえるはずがない。

 止める声など、立ち上がる音など、聞こえるはずがない。


「……てよ、姉さん。行かせないって、言ったろ?」

「死にたいのか」


 苛立たしいと、胸のうちからふつふつと涌いてくる激情を、ヴァールは必死で押さえつけた。


「なぜ闘う? なぜ止める? 力も覚悟も足りないくせに。もう、やめろ。我に、お前を、殺させるなっ」


 パン――。

 そう、乾いた音がした。

 怒りのままに叫び、振り向いたヴァールの頬を、ルドゥインがはっていた。


「え?」

「傲慢だよ。姉さん」

「な、に?」


 頬が、朱を帯びる。

 ヴァールは呆然と、ルドゥインを見返した。

 有り得ない。と、彼女は呆けた。

 あれほどの重傷だ。動けるはずがない。

 自分は優れた戦士であり導き手だ。このような隙を見せるはずがない。

 なのに、なぜ、弟は自分の前に立って

 なぜ、自分は。


「わかってる。俺はどう頑張っても、姉さんには届かない。でも、俺を支えてくれたひとがいた。俺の命を助けてくれたヤツがいた。未来を夢見て散っていった戦友達がいた。たとえ俺の身体が動かなくても、俺の心がくたばっても、そいつらが俺の背中を押すんだ。この世界を護れ、って」


 世界樹に臨む、石と乾いた土だけが目立つ荒野で、ぼろぞうきんよりもみすぼらしい姿になったルドゥインが静かに言葉を紡ぐ。

 ヴァールは、ふと、幻視した。幼いアザードが、フローラが、名前も知らない人々が、ルドゥインの背後に手を伸ばし、支えているのを。


「ルドゥイン。わかるだろう? 無意味なんだ、お前の戦いは。この世界は、人間も神々も、腐り果てていた。どれだけのひとが死んだ、どれだけの悲劇が起こった? 戦争も、貧困も、絶望も、もうたくさんなんだ。世界はやり直すべきだ。お前だって、そう思うだろう?」

「思わない」


 ルドゥインが、白い長剣を構えた。

 世界を滅ぼす剣、その名前を与えられた神器を。


「平和は与えられるものじゃない。

 富も、希望も誰かにもたらされるものじゃない。

 血を流して、汗を流して、涙を流して、勝ち取り、守り抜くものだ。

 姉さんがやろうとしていることは、絶対者としての行為だ。

 武器を捨てれば平和になる?

 隣国が攻めてきて戦争が起こるだけだ。

 貧乏な国に施しをすれば国が豊かになる?

 過度な援助をすれば、為政者は甘えて真面目に政治に取り組まなくなるだろうよ。

 最悪の場合、援助金と物資の全てを軍事費に換えて、より酷い独裁を敷くかもしれない。

 希望は、自分で見出して、手を伸ばして、歩かなきゃ見つけられない。

 それを無視して、アンタはどんな世界を創るつもりだ?

 この世界が腐ってるって?

 姉さんが、悪いところしか見ていなかっただけじゃないのか?」


 ヴァールもまた、黒い槍を構えた。

 世界の運命を司る神王の槍、その名前を与えられた神器を。


「国を滅ぼされて、何を見ろというんだ?

 見てきたものは悪意だけだ。

 お前は平和な世界で愛情に包まれて……。

 我の手は血塗れだ。

 星落しの禁呪でいくつもの神々の基地を焼いたよ。

 恨みと怨みでとっくに魂は地獄に落ちている。

 お前に、お前なんかに何がわかる。

 “神剣の勇者”と称えられて、輝かしい道を歩いてきたお前に、我の、私の気持ちがわかるものか。

 この憎悪が、この怨嗟が、この呪詛が、お前なんかにわかってたまるか!」

「わかる。でも、憎しみより確かなものが……俺には、ある!」

「そんなものはない。あるとすれば、夢見る『理想郷』への渇望だけだ」

「姉さんっ」


 ヴァールは地を蹴り、まるでオモイをぶつけるかのように、真っ直ぐな正拳突きをルドゥインの胸板に叩き込んだ。

 何かの魔術がかかっていたのか、棒立ちだったルドゥインは、まるでボールのようにふっとばされ、地面を転がった。

 危険だと、全身の細胞が悲鳴をあげている。「このままでは死んでしまう」と。だのに、何故だろう。信じられない強い力が、腹の奥底から湧いてくるのは。

 ルドゥインは、動かない指先に無理やり力をこめて、張り付いた手足を操り人形のように動かして、せき込みながら立ち上がった。


 ああ、そうか、とこの期に及んで彼は理解する。

 自分の命よりも大切なものがあっただけ。

 護りたいものが、大事だと思えるものがあっただけ。


 ルドゥインは東を振り返り、一礼した。

 あそこには王国があり、王都があり、彼にとってかけがえのない人たちが、生きている。


「レヴァティン、悪いな。死地に付き合わせる」

(ケケケ。マスター、水臭いぞ)


 姉との出会いから十二年。

 戦争の始まりから三年。


 思い返せば、これまでの日々は、ひどく短くて、けれど。


「意味はあった。生まれてきて、生きてきて良かった。それが俺の姉さんを止める理由だっ」


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