二人の取材担当者
相変わらずの天然カメラマン吉田は不思議そうに応接室の窓際を眺めていた。
「吉田どうしたんだ?」
新しい黒洋芸能プロダクションズの担当者となって1カ月になる田中は吉田に声をかけた。
吉田は肩をすくめると田中に振り返って言った。
「六月ころに亡くなった雅さんとここに来たとき、ここに大きな虎の彫り物が置いてあったんです。すごい迫力で俺つい何枚も、何枚も写真を撮っちゃって。」
「カメラマン魂が揺さぶられたってやつか?」
そう言って苦笑いしながら田中はつぶやいた。
「でも、吉田さんの写真私好きだな。うちの企画物の取材でハリウッドに長期滞在して撮って来た写真見せてもらったけど、行きたくなっちゃったもの。」
今日から黒洋の取材担当として田中に同行する事になった由里が言った。
由里は三日前に突然編集長から呼ばれて、田中と共に黒洋を担当するように言われたばかりだった。
編集長が言うには、黒洋の社長である黒田洋三が良太の事をしきりに気にかけてくれているので、お気に入り取材担当記者の妻の由里にも行ってもらい、お礼方々由里に話せる範囲は話してあげて欲しいという事だったが、雅良太にゆかりのある者を担当記者にして、黒洋との絆をもっと強固にしたいという思惑は明らかだった。
由里の耳を通して編集長の言葉を聞いていたリョウタは、まったく狸の編集長の考えそうなことだと、舌があれば舌打ちしたいところだった。
良太が依然吉田と共にこの応接室を訪れたのは、梅雨の雨が降っていたから六月だったろう。
確かにあの虎の彫り物の目に埋め込まれた黒曜石の冷たく鋭い眼光の威圧感は、霊となって彷徨う身となった今でも鮮烈に思い出す。
その時応接室のドアが勢いよく開けられ、あの時と同じように秘書が入って来てドアのノブを押さえると、間髪入れずに黒田が大股で入って来て向かいの椅子にどっかりと座った。
黒田は縦じまのスーツで黒いシャツに金色のネクタイと初秋のイメージにはおよそ不釣り合いな出で立ちだった。
黒田は座るなり癖の金縁メガネをハンカチでゴシゴシしごいてかけ直すと、見慣れない女性記者が座っているのに気付いて言った。
「おや田中君。その女性は?」
普段社内では我が物顔に振る舞う田中は、少し緊張した面持ちで切り出した。
「こちらは私と一緒にこれから御社を担当をさせて頂きます由里・・・、いえ雅と言います。」
「雅由里と申します。本日から御社を担当させて頂きます。よろしくお願いします。」
由里はしどろもどろの田中の後を直ぐに引き取った。
黒田は名前を聞いて少し驚いた様に聞き返した。
「雅?失礼やが君は雅君と関係あるんかい?」
由里は頷きながら言った。
「雅の妻です。生前は雅が大変お世話になりました。その後黒田社長が色々気にかけて頂いているとの事で、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。」
「同郷の雅君とは色々懐かしい話をさせてもろたんやが残念やな。」
黒田は置物がなくなり殺風景になった窓際を見つめながら思い出すようにつぶやいた。
「その後どうなんや?捜査は進んどるんか?」
由里は答えた。
「いいえ、それがあれからあまり進んでいなくて。担当の刑事さんが熱心に捜査して下さっているんですけど。」
「そうかね・・・・」
黒田はそう言って少し間を置いて続けた。
「遺留品なんかも見つかってへんのか?俺も社会面の記者に会った時には時々聞いてんねんけど、社会面の記者の奴らとはええ時には会わへんから、あんまり教えてくれへんねん。」
そう言って良くも悪くも芸能面を賑わす黒田は自嘲気味に苦笑いした。
由里は微笑んで言った。
「ありがとうございます。社長にそこまで気にかけて頂いて雅も喜んでいると思います。」
由里の意識を通して聞いていたリョウタはこの会話を聞き、ありがたい反面少し意外な気持ちも入り混じっていた。確かに同郷で気の合った話もして、時々飲みにも連れて行ってもらったり、そこそこに可愛がってもらっていたのは確かだが、そのくらいの話しはよく聞く話だったからだ。その黒田が雅良太自分殺人事件の事を犬猿の仲とまでいかないものの、社会面の記者を捕まえてまで聞いてくれているとは。
それから田中と由里との黒洋芸能プロダクションの取材が始まり様々な新しい企画を得意げに語る黒田の様子が由里の意識の中に広がる感情からもうかがえた。
黒田洋三という男、敵も多いが演歌に掛ける熱い気持ちだけは本物で、また新たな戦略で日本をいや世界を巻き込むつもりの様だ。
「ENKA音楽祭」と銘打って、世界の歌手をENKAの下に集めて一大イベントを開くのだそうだ。
彼の言うには、音楽CDショップの演歌という一ジャンルから飛び出して、ENKAという新たな世界観を持った文化を作り上げようというのだ。
演歌とは所詮男と女の色恋沙汰を哀愁を込めたメロディに載せて切々と歌う日本の音楽とでもいうのか、根底には泣きの精神というものがあるのだろう。黒田が言うには日本人の古来の詫び寂びに通ずる心情に深く根差したもので、これはまさしく日本の誇れる文化なのだそうだ。
芸能関連の出版物を扱うアミューズ出版社の敏腕記者であったリョウタは、実体のない霊となってしまった今となっても未だにその血が騒ぎ、黒田の熱弁の様子にこう思うのだった。
どうのこうの言ったって所詮、この世のヒトという生き物には男と女しかいないのだ。
当人の好みがどうであれ、当人の主張がどうであれ、届書の性別欄では男か女のどちらかにしか丸印は付けられないではないか。
だから、世界のどこにだって男と女の色恋を歌った歌はあり、そこに演歌は存在するのだ。
演歌は何も日本だけの特有の音楽ではなく、世界に伝えるべき文化であるという主張はどこか頷けるような気がした。
リョウタがこんな思いを巡らしていた時、取材の締めの言葉を黒田は言った。
「ほならこのくらいでええやろ。今日はこの年よりの長話に付き合うてくれておおきにな。
あっ、雅はん。ご主人を殺した犯人が早う捕まるのを祈っとるで。
大丈夫犯人はきっと捕まる。きっとや。
それにしても雅君、暗闇でいきなり襲われては死んでも死に切れへんのとちゃうやろか?」
黒田は得意の演歌論をぶち上げたせいなのだろう、興奮してすっかり関西弁になってこんな事を言い残して応接室を後にした。
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