聞き取り捜査
殺人課の刑事、寺井賢介は先ほどから大きな体を折りたたむ様に二人掛けソファーの真ん中に座り、被害者の妻をまっすぐ見つめていた。
彼女は三十歳を過ぎたばかりで美人とはいえないが、なぜか男好きのする色気の様な物を体中から発散していた。
これがまさしくフェロモンというやつなのだろうか。
寺井はふと場違いな事を思ってしまった自分に苦笑いした。
ここは子供のいない共働き夫婦が住むには手頃な都心にある2LDKの小さなマンションだった。
第一通報者でもある彼女は先ほどから、寺井の無精ひげが目立つ口からどの様な言葉が出るか身構えていた。
「雅由里さん。三十一歳、福井県生まれ。大学を卒業後、アミューズ出版社に就職。大学の先輩であるご主人と知り合い、入社してから七年後に結婚。間違いありませんね?」
由里は小さく「はい。」と言いながら頷いた。
「ご主人が亡くなったばかりでさぞお悲しみの事とは思いますが、そのご主人のためにもどうか捜査にご協力ください。」
由里は黙って頷いた。
「ではさっそくですが事件当夜の事を改めて確認したいと思います。」
ここで寺井はこれまでの調査内容を書き記した手帳を取り出して八月二四日の部分に目をやった。
「八月二四日、二十三時五十分頃、あなたが仕事先から帰宅すると玄関の鍵は開いており、不審に思いながら部屋に入ると・・・」
彼女はちらっと寺井の目をかすめ取る様に見たが、こくりと頷いた。
由里は事件後、連絡や手続きなどでバタバタした事もあるだろうが、何よりも二人きりの伴侶を失ったのだ、それも凄惨な状況で。
憔卒し切っているのも当前だった。
「あなたが部屋に入ってみるとご主人は何者かに後頭部を殴られ、そこに倒れておられた。
凶器は玄関にあったガラス製の花瓶。」
そう言って寺井は居間の入り口を指差した。
「床に残っていた靴のあとから、ご主人の靴の他に更に二つの靴の跡を鑑識が確認しています。つまり犯人は二人ということになります。」
ピシャッ
その時居間の水槽で飼われている大きな金魚が水面を尾ビレで撥ねた。
「大きな金魚ですね?」
寺井は少し微笑みながら由里に言った。
「ええ、主人がある晩仕事の帰りにふと立ち寄った銀座のペットショップで買って来たんです。何でも肉食魚なんかのエサ用に飼われているエサ金って呼ばれている和金なんですけど、もう七年になります。主人は『これが本当の金魚すくいだ。』って言うのがいつもの受けないギャグでした。五匹買って来た一匹が生き残り、銀座のお店で買ったから『銀ちゃん』て名前を付けて可愛がっていました。」
そう言って由里も微かに微笑んだ。
「金魚の銀ちゃんですか?」
以外に受けたのか寺井は おかしそうに名前をつぶやいていたが、やがて本業に戻って質問を始めた。
「あなたが救急車および警察に通報したのが翌0時二分、これは署に確認済みです。ご主人はその朝九時四十七分に息を引き取られました。死因は脳挫傷による心不全ならびに呼吸不全。」
由里はその時の凄惨で生々しい情景を思い出して、目を真っ赤にしてすすり泣いた。
「あなたは仕事を終えて会社をひとりで出たのが二十二時四十分ですね?」
その時玄関のドアが開く音がしてまもなく同僚の脇田がハゲた頭に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら入って来た。脇田は傍らの食卓テーブルの椅子に座ると今度は胸元をはだけて、脇の下の汗もゴシゴシ拭いながらふーっと大きなため息をついた。
「あっ、脇田さんご苦労さん。聞き込みはどうでした?」
寺井よりもふた周り近く年上のこのたたき上げの刑事を労った。
脇田は八月の炎天下を聞き込みで周り、当日の由里の行動の裏付けと目撃情報を集めて来たのだ。
*――――――*
リョウタはサヨリの実況中継で今彼の自宅で起きている事に耳を傾けていた。
耳を傾けるというのも生きている場合の仕草ではあるが。
「おい、こいつが殺された男なのか?」
突然別の霊と思われる意思が語りかけて来た。
「そうなのよン。それで何か新しい事は分かったのン?」
「いや大して目新しい事はない。」
リョウタは勝手に会話を始めた別の意思の言葉を聞き尋ねた。
「サ・ヨ・リ、その男は誰だ?」
「男?」
サヨリの滑稽な気持ちが入り混じった感情が返って来た。
「リ・ョ・ウ・タ、この男は女よん。しかも花の女子校生よン。生きてた頃はね。」
リョウタは、霊の言葉は受け手の側で受け手の表現でイメージが言葉に変わるということを思い出した。
「そうか、俺の言葉で話していたのか?で名前は?」
「俺の名前はミ・ド・リだ。」
リョウタは新しい霊の生前の名前を聞いてドキリとした。彼の高校時代のガールフレンドと同じ名前だったからだ。ここはあのみどりの話し方に置き換えよう。
ちょっと切ない複雑な気持ちだが。
「ミ・ド・リはね、高校生の時、学校からの帰りに変質者に襲われて殺されたの。犯人は同じ高校の生徒だったそうよン。」
随分と生々しい話を平気でするものだと思いながらたしなめた。
「そういうデリケートな話、結構平気でするんだな?」
サヨリは答えた。
「死んじゃったらもうそんなことどうでもよくなるものよン。」
それならと、「君は何で死んだの?」とぶしつけとは思いながらも思い切ってリョウタはサヨリに尋ねた。
「あたし?あたしはねえ、自分で死んだのよン。」
思いもしない衝撃的な答えが返って来た。
「じ、自殺か?」
リョウタは尋ねた。
「そう。あたし寂しかったのン。ある日部屋でクスリやってたんだけど、気持ちがハイになったのもあり、何となく一四階のベランダから飛び降りちゃったのよン。それで捜査に来たのが彼だったってわけ。私の霊は彼にうまくぶら下がったってことよン」
なんともあっさりとしたものだとリョウタは思った。
「それであなたは殺される様な心当たりは?全然覚えてないのン。」
逆にサヨリが尋ねて来た。
彼がまだ意思の浮遊物として漂っていた頃、直近に起きた記憶を辿ることは逆に困難だったが、サヨリたちと話すうちに徐々に自分を取り戻していた。
「俺か?俺は誰にも恨みを買う様な事はしてないよ。少なくとも自分が思う限り多分。それに突然だったんで俺を殺した奴も見てないし。それに暗かったし・・。」
ここで間を置きリョウタは尋ねた。
「ミ・ド・リさん、ちゃん・・・。」
みどりはすかさず返して来た。
「ミ・ド・リと呼んで。」
リョウタは再びドキリとした。みどりとの最初のデートの時に聞いたのと同じ言葉だったからだ。思えば最初のデートでいきなり呼び捨てで呼んでと言われるなど、彼女にも脈はあったのかも知れないけれど、別の大学に入学してからいつしか別れてしまった。
その後彼女はリョウタの親友と結婚したものの、数年前に癌を患って死んでしまっていた。
「じゃミ・ド・リ。俺はあの時、ドアを開け中に入ろうとしたら、急に後ろから突き飛ばされて後はわけが分からない。もみ合っている内に目の前がピカッて光ったと思ったら、次に目覚めたらここにいたという訳なんだ。」
リョウタはここで「目覚めた」というのは変だなと思った。
なぜなら自分は永遠の眠りについてしまったのだから・・・・
彼はふとそんな事を思いながら続けた。
「怪しい者についておやじさん何か聞いてなかったか?」
「ええ、少し物音がしたのは近所の人が何人か聞いたみたい。でもその後は何も音がしなかったんでそれっきり気にもしなかったらしいわ。都会ってそんなものよ。」
みどりはこんな話し方だった。
リョウタは自分に何ら後ろめたい事は思い当たらないので物盗りかと思ったが、後ろから襲うとなると計画的である可能性が高い。
「盗られた物は何かあるのか?」
リョウタが聞くとサヨリが直ぐに答えた。
「現金三万円だって。」
「三万円?三万円のために俺は殺されたのか?」
リョウタは自分の値段が三万円だと言われた様な気がして不服そうに呟いた。
殺された事の方がもっと不服だろうに。
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