わが身に起きたこと
「死んだ・・・?俺が・・・?何時・・・?」
混乱の荒波の中にどの位身をおいただろうか、やがて良太はぽつりと言った。
「誰?あんた誰?ここは何処?俺が、俺が死んだって?」
言葉尻が妙なせり上がりになるのを感じながら彼は周りを見回し、声がした方向を探そうとしたがわからなかった。声が聞こえたというより、頭の中で誰かが囁いた様な感覚だった。
彼はあきらめ再び声がするのを期待して待った。 数分がたち待ち焦がれたあの声が聞こえた。
やはり聞こえて来るのではなく、自分の頭の中で反響しているとしか思えなかった。
「そうそう、あまり考えず心を無にして感じるんだ俺の声を、いいかい?」
良太は分かったと頷き、もっとも本当に頷けたのかは、甚だ疑問だが。
彼は言われた通り心を無にする事に努めた。
「心を無にするんだよ。まだ相当に雑念があるけどまあいい、リラックスして聞いてくれ。」
良太は自分が死んだという話をリラックスして聞くのか?と思ったが、すかさずあの声が、
「だから無心になるんだ。余計な事は考えるな、いいか?」
とたしなめて来た。
その声の言う事はこうだった。
人は死ぬと霊体になる。ほとんどの霊体はいわゆる霊のまましばらくその辺りを浮遊し、やがて周囲の気にとけ込む様に吸収されて自然へと戻る。
しかし中には自分が死んだ場所と結びつき地縛霊となる霊体もある。
また親しい者や愛する者に寄り添い守護霊とか背後霊と呼ばれるものになる霊もいる。
またある不幸な霊は、殺される間際に殺した相手に憑依し怨霊となるのである。
人間に取り憑いた霊はしばらくただその人間に風船の様にくっ付いて行動を共にする。
しかし、見えるものは深い霧、聞こえる物はギーギーガーガー壊れたラジオのノイズだけだ。しかし、次第に生体との結びつきが強くなり、意識や思考を感ずる事ができ、最後には霊の方から語りかけることさえできる様になる場合も稀にあるらしい。
枕元に立つとはこんな場合だ。
ただ、意識を感ずることは比較的容易だが、聴覚や視覚を感ずることはかなり困難なようだ。
一方怨霊となった霊も同じプロセスをたどり、自分の気持ちが生体に伝えられるようになったときの第一声が「うらめしやー」なのだ。
ちなみに幽霊の姿が生体に見えるのは霊が見せているのではなく、生体が死者の生前の姿や死ぬ間際の憎悪に満ちた顔を自分の心の中で増幅させたイメージとして再生するためである。だから幽霊のほとんどは取り憑かれた本人にしか見えないのである。
お岩に呪い殺された家門はさぞかし怖かった事だろう。かつて愛した女を余りにも惨いやり方で死に至らしめたのだから。死んだときの形相のみならず、家門に残っているわずかな良心の呵責の様な物が、その恐ろしさに更に拍車を掛けた事だろう。
「だから幽霊も服を着てるのか?服まで幽霊になるなんておかしいもの。それに幽霊からははっきり見えて聞こえるなんて不公平だとよく思ってたんだ。」
良太はここまでの説明を聞き思わず呟いた。
「ああ俺も幽霊に成り立ての頃理不尽だと思ったよ。高校生の時に彼氏と観に行った『ゴースト〜ニューヨークの幻』という映画のリバイバル上映で、死んだ者からは生きている者も周りの景色も会話もハッキリ見え、聞こえるのに、生きた者からは全然感じる事さえ出来ないのだからな?」
ここで良太は今の言葉に引っかかる物を感じた。
『彼氏と観に行った・・・?』
「彼氏と?あんたオカマか?」
良太が聞き返すととんでもない答えが帰ってきた。
「俺が『オカマか?』なんて失礼だぞ。俺は生きてた頃は女だった。」
自分の言葉で俄然展開が変わってしまった事に戸惑いながら良太は言った。
「だってあんた男の様な話し方をするじゃないか?」
声は言った。
「ひとの説明を最後まで聞かないからだよ。」
説明はこうだった。
霊となった時点で性別も人間という区別もない。あるのは生前の自分自身に関する記憶だけだ。
「なら何で男みたいな話し方をするんだ?」
良太が問いかけるとすかさず返っては来た言葉は、
「無心だ!」
「すまん・・・」
今伝えている『言葉』は実際には受け手側で言葉に変わる、受け手の使う言葉で。だからつまり他人の意識で独り言を言っている様なものだ。
送り側は『言葉』を送るのではなく、寸劇の様な一連のイメージを送るのである。
ならばなぜ良太のまさに『言葉』を『彼女』は理解できるのか?
それは、彼が話す時に無意識の内に心の中に作り上げているイメージを感じて彼女の『言葉』で会話に変換するのだ。
しかも霊体と霊体との『会話』は元々意識と意識の『会話』なので相手のイメージは苦もなく『言葉』に変換されるのだ。
だから新米幽霊の良太でさえ理解できるのである。
声による幽霊レクチャーはひとまずこれで終わった。
良太はふーっと大きくため息をついた。もっともこれも彼がため息をついたと思っているだけだが。
「ところであんた、いや君の名前は?」
声はこんな事を言った。
「名前を伝えるのは結構難しいんだよ。例えば松田という名前を伝えるのに松と田のイメージを送っても相手は松と田のイメージを受け取るだけだし、共通に知っているであろう松田聖子を送れば相手はふざけるなとなるのさ。だから名前を伝える時はカタカナをひとつひとつ思い浮かべながら送るしかないのさ。」
「で、君の名は?」
さっそく文字がひとつひとつ送られて来た。
「サ・ヨ・リ」
「サ・ヨ・リだな?」
「うまいぞ。ああそうだ。」
良太はサヨリという名の女を思い出していた。あれは三、四年前だろう。飲み会の3次会くらいでふと寄ったスナックのホステスでサヨリという名の娘がいた。言葉尻にやたら『ん』を付けるおかしな話し方をしていたのでよく覚えている。しかし顔は薄暗かったせいもありほとんど覚えていない。
「話してる最中に何スナックのホステスの事を考えてんだよ?」
サヨリが言った。思考が読まれている事に気付きやりにくさを覚えながら彼は答えた。
「いや君のサ・ヨ・リという名前で思い出した女がいるんだ。いつまでも男っぽい話し方をするままじゃまずいから、その娘の話し方に置き換えてみようかと思ってね。」
「好きにしな。」
リョウタは慌てて思い直した。
「好きにしてン」
こんな感じかなとリョウタは翻訳し直した。
「ところで君なぜここにいるの?そもそもここはどこ?」
そしてやっとコミュニケーションを取れる様になって一番肝心な事を聞いた。
「俺が殺されたって?」
サヨリは少し間をおいて言った。
「俺がスナックのホステスか?」
リョウタはまたもや慌ててスナックのサヨリの話し方に置き換えて言い直した。
「あたしがスナックのホステスだって言うのン?まあ似た様なものだけど。」
サヨリは続けた。
「まあいいわ。ここはあなたのお家よン。あたしは彼にくっ付いてここに来ただけなのよン。あなたはあなたの奥さんに風船みたいにくっついているわよン。」
(俺は由里にくっついている?ええ?男?俺の家で由里が男と話している?)
「どういう事だ?その男が俺の殺人に何か関係しているのか?」
リョウタはサヨリに矢継ぎ早に尋ねた。
「関係しているのは関係しているけど、怪しい者じゃないわよン。あたしの彼は殺人課の刑事なのよン。彼かっこいいのよン。」
「君の彼は殺人課の刑事で、俺を殺した奴のことを調べにユ・リと話しているってわけか?」
リョウタは続けた。
「で何か分かっていることはあるのか?」
「まだ何もないわよン。でも言っとくけど、彼あなたの奥さんも含めて疑っているのよン。」
これを聞いてリョウタは叫んだ。
「なんだって由里・・・」
ここで彼は慌てて『由里』を『ユ・リ』に置き換えて続けた。
「なんでユ・リが俺を殺すんだよ。理由がないじゃないか?」
「本当?」
すかさず返ってきたサヨリの意外な問いかけにリョウタは大いに憤慨した。
それにしてもサヨリはすでにかなりの事を知っている様だった。
何せとりついている相手がこの殺人事件の担当刑事で、好む好まないに拘わらず絶対機密の情報が彼女には文字通り筒抜けなのだから。
「あまり気にしなくていいわよン。刑事って元々疑り深いんだから。」
サヨリの言葉が霧とノイズの中でこだました。
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