吉田のコレクション
由里が社会部に移って1か月が経とうとしていた。
アミューズ出版社の社会部はおもにスキャンダルを扱うことが多く、一般新聞社の扱う民事事件や刑事事件とはかなり異なっていた。
しかし、今アミューズは極秘裏に一般新聞社も知らない政治的スキャンダルを密かに内偵していた。
この情報はある偶然からもたらされたものだった。
アミューズ出版社は小規模ながら大阪にも拠点を構えていた。
大阪支社のある記者が最近不倫疑惑で週刊誌のネタになっているお笑い芸人の自宅前で張っていたのだが、交代の記者が戻ってきたので遅い昼食を取りに近くの公園に行き、コンビニ弁当をつついていると、後ろのベンチに座った初老の男の声が聞こえて来たのだ。
どうやらその男は携帯電話で誰かと話しているらしい。
聞くともなく聞いていると、『ドウカイ』という名前を言っているのが聞こえた。
『ドウカイ』と聞いて、あまり聞かない名前だし、知っている『ドウカイ』といえば政治家の堂海くらいだ。
芸能関連の記者とはいえ、政治面のことにもかなり詳しいその記者は、堂海が昔大阪市の市会議員でありながら、突然中央の政界に進出して行ったことを知っていた。
市会議員になってまだ一期目の男が突如中央の政治に打って出るなど考えられないことだった。
これといった血縁がある訳でも、後ろ盾がある訳でもなく、大阪市で飛びぬけた知名度もない一市会議員がどうやって中央に名乗り出ることが出来たのか?
当時大阪では少し話題になり、たまたまその記者の父親が地元紙の政治関連の記者をやっていたことから、その頃彼はまだ幼かったにも拘らず『ドウカイ』という名前が記憶にあったのだ。
彼は記者としての感が働きコンビニ弁当を食べる箸を止め、こっそりレコーダーのスイッチを入れた。
しばらく背中で話している男の話を聞いていると、やはり『ドウカイ』とは政治家の堂海のことのようだった。
そしてその男はあまり公にはできないようなことについて、電話の向こうの相手と話しているようであった。
「なあお前も大手芸能会社の社長になったんやないか、昔のよしみで金出してくれや。金貸してくれとは言えへんよってにな。今の俺に返せる額ちゃうねんから。その代りこのことをテレビ局に売ればお前の株が上がり、お前の会社の株も上がるって訳や。」
男はしばらく受話器の向こうの人物の声を聴いているようだったが、突然怒鳴り出した。
「俺がこんだけ頼んでもあかんのか?ほならええわ、お前と堂海とのことみんなしゃべったるわ。お前が昔何をして、堂海が何をしたかみんなや。そしたら堂海もそしてお前もおしまいや。俺も同じやがお前らよりは罪は軽いよってに。時効もくそもあらへん。ええかクロダ、俺はちゃんと証拠を持ってんねんで。わからんとこに隠してあるからおかしな真似するんやないで。」
その男はそう捨て台詞を言い残すと携帯電話の蓋を乱暴に閉じた。
ベンチの背中越しに録音した会話の中に出てきた『芸能会社の社長』、『クロダ』という言葉から、芸能関連を扱う記者の彼には黒洋芸能プロダクションズの社長である黒田洋蔵であることはすぐにわかった。
こうしてこの特ダネは密かにアミューズ出版社の幹部に伝えられた。
もちろんエンタテイメントを主に扱うアミューズ出版社だが、スキャンダルやゴシップネタを扱うことも多く、大スクープになることは間違いなく、社運を賭けた極秘プロジェクトが開始されたのであった。
結果的に、黒田や千賀が掴んだ、澤又祥吾から暴力団関係者に流れたという情報とは別の経路から得た情報だったことが幸いしたことは言うまでもない。
由里はこのような社運を賭けた超極秘プロジェクトに身を置いていることに身が引き締まる思いを感じながらも、記者の端くれとしてやりがいも感じていたし、夫である良太の身に起きた惨い出来事から気持ちを切り替えられる仕事に就けたことは好都合だというくらいに考えていたが、まさか最後には自分たち夫婦に降りかかってくる大問題だとは思いもしなかった。
由里が緊張感の張りつめた社会部の席からふと目を上げると、向こうにカメラマンの吉田の顔が見えた。
彼は何やらやっているようだった。
良太はよく吉田のことを『天然カメラマン』と言っていたが、彼女はこのおっとりしているが、腕は確かな吉田には好感を持っていたので、ちょっと息抜きに行ってみることにした。
彼女が吉田の所に行くと、案の定彼は自分の机一杯に今まで撮りためた写真を広げて整理をしているようだった。
吉田は由里がやって来たのに気づいて、眼鏡を鼻の頭に押し上げ、にこりと笑いながら言った。
「引き出しの中が写真で一杯になったんで、ここらでちょっと整理しようと思って。」
「吉田さんの写真、また見せてもらっていいですか?私、吉田さんの撮る写真大好きなんです。」
どこか世間ずれしているところのある吉田だが、彼の撮る写真には確かに単なる被写体以上の、何か本質のようなものが感じられた。
吉田は取材の合間に取材とはまるで関係ないような事にもよくレンズを向けた。
不安や悲しみを浮かべた表情の段ボールの中の仔犬や、踏みにじられた地べたから必死に立ち直る草の芽など、吉田の目はいつも人が気付かない違う目線で物事を捉えていた。
由里は吉田が撮ったそんなときの写真を見るのが好きだった。
中にはこの間の黒田の、涙の記者会見のような報道写真もあるが、彼の写真の山の中には時々胸を打つような写真が紛れていた。
由里はそんな写真を手にとっては、その中に写し取られた感情を汲み取って行った。
「あっ、そうそう雅さん。ご主人のこんな写真がありますよ。」
唐突に吉田が声をかけて一枚の写真を由里に手渡した。
由里はその写真を見た途端、一種のデジャブのような物を感じた。
『どこかで見たことがある。』
由里は記憶の山をひっくり返し、必死にそれは何かを探し求めた。
『どこかで見たことがある。』
『どこかで見たことがある。』
『どこかで見たことがある。』
同じ言葉が頭の中で繰り返され、あの思い出せそうで思い出せない面はゆさを感じた。
のどまで来ている言葉を出せないように。
彼女はもう一度写真に目をやり、あのいつものいたずらっ子のような笑い顔の彼の前に写っているものを見て、いきなり後ろ頭を殴られたような強い衝撃を受けた。
彼女は半年前の島根のことを思い出した。
義母の淑子が見せてくれた、漆黒の虎の彫像、『劉虎』に跨って得意そうな良太の顔を。
あの写真と同じ顔で笑う良太の前には、眼光鋭い虎の眼差しが、由里を睨み返していたのだ。
彼女はこの写真の彫像は劉虎であると直感した。
「あっ、この写真・・・・・」
彼女はそのまましばらく写真を見つめていたが、ようやく声を振り絞った。
「吉田さん、この写真はどこで?」
吉田はいつもののんきそうな顔を由里に向けながら言った・・
「それ、僕が良太さんと黒洋に取材に行ったときに撮ったやつなんです。」
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