密談
「おい黒田、今回の件どうにかせや。お前のような奴に、長年積み上げてきた俺の足元をすくわれるなんぞ御免やからな。」
電話の向こうである男が怒鳴った。
「ああ、わかっとります。決してそちらには迷惑をおかけしまへんから安心してください。」
いつものと黒田とはまるで別人のような口ぶりで電話の向こうに答えた。
「これが世間に知れたらお前のこれまではすべて水の泡や。泡どころか生きていけへんで。どっちゃにしろ俺とお前の仲は三十年前に終わったんや。ええか黒田、おかしなこと考えるんやないで。俺はお前の交通事故の後始末に顔を貸しただけや。それ以上もそれ以下もあらへんからな。」
そう言って電話の向こうの人物は電話を切った。
黒田も携帯電話の切りボタンを静かに押したが、その途端電話機を壁に思い切りたたきつけた。
「くそっ!」
黒田は叫んだ。
「あの野郎、奴の事俺が何も知らへんと思ってんやないのか?黒田洋蔵ただじゃ死なへんで。そんときゃあいつも道連れや。」
そういって床に転がった携帯電話をもう一度壁に蹴りつけた。
携帯電話の蓋が飛び散った。
今さら三十年前のことを蒸し返されるのは困る。そこに至るものはどんなものであれ排除しなければならない。
奴の言う通り、もしこれが明るみに出ればすべてを失う結果になるだろう。
黒田は自分にまつわる黒い過去をいかに隠しおおせるかということと、先ほどの電話の主である、堂海喜八との関係もどうにかして公にならない秘策を練る必要に迫られた。
だが同時に堂海の弱みを握っておくことも重要だ。
いざとなれば巧妙に逃げてしまうのが政治家の常とう手段だからだ。
最悪の場合はきっと道連れにしてやると決心した。
コツコツ
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
秘書の千賀だろう。
「入れ。」
黒田は不機嫌に答えた。
ドアを開け秘書の千賀が入って来た。
「おお千賀すまんな夜遅く呼び出して。そこに座ってくれ。」
そういって黒田は自分の前の席を指さした。
「なんの要件かは分かっていると思うが、さっき堂海から今回の件についてどうにかしろと言って来た。まだ情報が第三者に漏れたかも知れないという段階だが、そもそもなぜこれが漏れたかは後から調べるとして、まずは今の状況を始末する必要がある。お前に何かいい案がないかと思ってな。」
今は冷静さを取り戻した黒田は関西弁も出なかった。
三十を過ぎたばかりのこの男は、黒田が横浜の飲み屋で見つけてきた男だった。
元々は暴走族で、横浜近辺を爆音を轟かせながら我が物顔に走り回っていた。
機転が利き、何事も抜け目なく、時には思いもしない手段で危機を乗り切る才覚を持っていた。
千賀は癖の眼鏡の端を指先で持ち上げながら、細い顎を少し突き出すようにして言った。
「こんな時はなにかとんでもない事件が起こるのが一番です。政治家の汚職など吹き飛んでしまうような。」
黒田は苦笑いしながら言った。
「それは俺も考えたが、いくら金を積んでもこればかりは起こそうと思って起こせるもんじゃないからな。」
このとき千賀の細長い目の奥に一閃の光が走ったように見えた。
千賀は言った。
「社長に覚悟があれば一つ案があります。」
『そら来た。』
黒田は待ちかねた千賀からの案を待った。
千賀は再び右手で眼鏡の端を持ち上げると、端正な顔立ちに似合わない恐るべきことを言った。
「習志野あけみが一か月程前から薬に手を出しています。」
黒田は思わず身を乗り出した。
「ホンマか?」
咄嗟の時はつい関西弁が出てしまうのだ。
「お前、そのことをどうやって知った?」
「それが私の役目ですから。」
黒田の問いに千賀がこう答えると黒田は少し怒ったように言った。
「なぜそれを俺に黙っていた。」
千賀は臆することもなく平然と言い返した。
「すでに手は打ってあり、昔の仲間を使ってルートは抑えてあります。後は薬の味を知った習志野をいかに、しかも気付かれないように元に戻すかです。」
黒田は乗り出し身をソファの背もたれに戻しながら言った。
「誰も知らないんだなこのことは。」
千賀は冷たい笑いを口元に浮かべて頷きながら言った。
「そのようなことはうまく私の方で対処します。社長にお伝えしなかったのも、知るものはなるべく少ない方がいいし、いざとなれば私の一存でやったことにすればいいわけですから。」
黒田は顎に手をやり、少し伸びた髭を指先でなでながら、千賀の顔を見て思った。
『この男、やはり俺が思った通りの男だ。』
黒田は先ほどから疑問に思っていたことを口にした。
「習志野のことと堂海のことがどう結びつくんだ?」
千賀はあっさり言ってのけた。
「リークするのです。習志野のことを。」
「リーク?」
千賀の考えていることが理解できず黒田はオウム返しに言った。
千賀は冷淡な表情に戻りこう説明した。
習志野あけみが覚せい剤に手を出したことを適当なメディアにリークする。今押しも押されもしない業界トップの歌手となった習志野が覚せい剤に手を出したニュースが世の中に流れれば、世間の注目はこちらに移り、堂海とのスキャンダルどころではなくなるというものだった。
「あけみを生贄にするのか?」
何度か習志野と関係を持った黒田は後ろめたい気持ちもありこうつぶやいた。
黒田と習志野の関係を知る千賀は少し身を乗り出してこう言った。
「それは一時的にです。社長は薬に手を出してしまった習志野を必死にかばい、必ず更生させるからと世間に同情を買う演技をしていただければよいのです。現に彼女には私の方からそのように指導していますから。」
黒田は指先でもてあそんでいた髭を手のひらで撫で上げると答えた。
「なるほど。そうすればどこかが堂海とのことを嗅ぎ付けていても、一時取材どころではなくなり、俺はタレントを思いやる心優しきプロダクションの社長になれるというわけだな?」
千賀は頷きながら言った。
「その間に、情報が洩れているかを突き止め、漏れていれば早い段階でしかるべき手を打つ。場合によっては荒っぽいことになるかも知れませんが。」
この際、禁断の実に手を出してしまった習志野あけみにはそれなりのつけは払ってもらうにしても、恩恵は十分に期待できそうである。
『それにしても、この千賀という男は・・・』
黒田は半分恐ろしさも感じながら思った。
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