捜査の進展

タバコの煙が天井まで届き、やがてそれは空気の中に紛れて消えて行く。

先ほどから寺井はタバコの煙を勢いよく吐いてはその煙の行方を目で追っていた。

ここは都内にある彼のマンションの一室である。

三十五歳を過ぎてもまだ独身の彼は、刑事という仕事柄、なかなか伴侶となる相手を見つける機会がなかった。

もっとも、彼自身にそのような望みがあるわけでもなく、時はただひたすら今担当している雅良太殺人事件のためだけに費やされていた。

しかし、その捜査の状況と言えば、彼の吐いたタバコの煙の様に、あまりにも希薄で、捉えどころのないものだった。

一年半の間の地道な捜査活動にも関わらず、犯行時のビデオ映像、水槽から発見されたネックレス以外に犯人に繋がる証拠は何も得られていないと言ってもよい状況だった。

彼が若い頃担当した事件で、迷宮入りしてしまった事件があった。

これだけは避けたいという彼の強い執念だけが彼を支えていた。

新米刑事だった頃、教官が何度も繰り返していた、この仕事は精神的にタフでなければ務まらないのはわかっていたが、あまりにも新たな進展が見出せないことに焦りのような物を感じているのも確かだった。

定期的に開かれる上司や幹部への報告でも、毎回のごとく繰り返される『進展なし』という言葉にほとほと嫌気をさしていた。


それは彼に宿っているサヨリにしても同じ心境だった。

しかもある日突然リョウタはそれこそ煙の様にいなくなり、もしかして成仏してしまったのではないかとミドリと話していた。

ただ彼女はリョウタが自分殺人事件の解決に執念を燃やしていたことを知っているし、由里への深い未練も持っていたから易々と成仏してしまうとは思えなかった。

だが、リョウタが自分から心を閉ざしてしまう理由も、勝手に成仏してしまう理由もないなら、意思をやり取りできない状況になっているとしか考えようがなかった。

どのような状態ならそんな状況になるのかはベテラン幽霊の彼女にも皆目見当がつかなかった。

やはりリョウタは成仏してしまったのだろうか?憑りついた者と意思を交わすことは生きている者にとっても、それからの人生に悪い影響を及ぼすというのが彼女の持論であり、リョウタの場合、自分殺人事件が解決した暁には、悲願成就ということで、由里の体から離れ成仏することが由里のまだまだ続くこれからの人生のためであるというのが主張だった。


男と女。

生者と死者。


全く正反対の二つの存在が今この空間で、ひたすら思いをめぐらしているというのも奇妙なことだった。


寺井が行き詰まっている原因は、雅良太と犯人を結び付ける糸が全く見当たらないことにあった。

雅良太という男を悪くいうものは一人としていないのだ。ふつう殺される者には殺されるなりの理由があるものなのだが、雅良太に関してはまるで無差別の通り魔事件の被害者のように、何ら理由が見当たらないにもかかわらず、現に彼は何者かに待ち伏せされて殺されてしまった。

身辺を調査しても、殺されるほどのことは何も出て来ない。

中には良からぬ噂や金銭的トラブル、日ごろの言動によるトラブルだらけで、逆によくここまで生きながらえていたものだというような被害者もいるのに。

一番手掛かりとなりうる金のネックレスについてその後も調査を続けているが、いくら流通ルートをたどって行っても、結局は全然関係のない者に繋がって終わってしまう。

まるで一万本の糸の先の一つに当たりがあるくじを手繰り寄せているはずなのに、結局糸の先は外れ、実際にはどの糸の先にも当たりがないようなそんな不安に襲われるのも仕方のないことだった。

しかし、彼のよりどころはやはりこの金のネックレスだった。

男でもネックレスをするものはいるが、普通に考えれば女が関わっていたと推測する。

だが花瓶で被害者の後頭部を強打した力は男性と思われる。

床に残った靴の跡は2つでどちらもスポーツシューズだった。

メーカーも特定できいる。

凶器の花瓶は玄関にあった花瓶で、活けてあった花はその脇にきれいに揃えて置いてあった。

これが物盗りによる偶発的な殺人ではないという根拠となった。

盗られたものは現金三万円。

犯行後犯人は部屋の照明をつけた。

恐らく無くなったネックレスを探そうとしたのだろう。

それが隣のマンションでたまたま撮影していたビデオに撮られてしまった。

カーテンに映った影は男のもので、若くはないようだった。

犯人はネックレスがどうしても見つからないので仕方なくその場を離れた。

妻が帰って来て第二の犯行を犯せば、窃盗犯であるという細工も通用しなくなってしまうからだ。

ネックレスの細工は特殊なもので、製造元はメリー・パリジェンヌという小さな工芸店で流通ルートも判明し、都内の五店舗のみ扱っていた。

同型のネックレスの購入者は二五二人だが、その中のほとんどの者は雅良太との接点がない。

敢えてありそうだと思われる者は、雅良太が芸能関係の記者をしていた関係で、ファッションモデルが二人、若手女性歌手が一人くらいだが、面識も事務所との繋がりもなかった。

取材先とのトラブルも殺人事件に発展するほどのブラックな関係もない。

まあ芸能界というところは多少なりともそういった部分を持っているものなのだが。


寺井はここまで捜査の経過を振り返り、これで五本目になるタバコに火をつけ、いつもより長く吸い一気に煙を吹き出して思わず言った。

「結局殺人事件につながるようなことは何もないということだ。」


しかし、現に雅良太は殺されているのが事実だ。


寺井は煙の行方を追い、それが消えてしまった後も、そこに何か残っているように見つめ続けていた。


しばらくして彼はこうつぶやいた。

「煙はやがて消えて行くが、事実は残る。残った事実を結び付ける糸の一つでも見つかれば、それは新たな事実へと結びついて行く。

それを次々と手繰り寄せて行けばきっと最後には犯人へと繋がる。」

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