遺品整理

夫の雅良介が亡くなってまもなく三回忌を迎えようとしていた。

しかも翌年には長男良太までが非業の死を遂げてしまった。

淑子は相次いで起きた家族の死にいたたまれない気持ちで今まで過ごしてきた。しかし啓太の言うように、それでも生きている者はそれを乗り越えて生きてゆかねばならない。生ある限りそれを全うするのが生きている者の務めなのだと。

彼女は先日の由里からの不思議な電話のことを思い出していた。

由里の方から『高橋』という名前を告げてきた来たことだ。良太の高校時代の友達である高橋と再婚を勧める手紙を書いたものの、由里が自ら再婚の意志を示すまでは名前を伏せていたのだが、思いもかけず由里の方からこの名前を尋ねてきた。

それを今は亡き良太から聞いたというのだ。

思えば由里が良太の実家であるここ島根に来たとき、奇しくも弟の啓太と同じ夢を見たというのも不思議な話だが、高橋の件も不思議な話だった。

本当に良太は背後霊となって由里に宿っているのだろうか?

彼女にはどう考えてもそうとしか思えなかった。

この一件があってから由里は再婚は考えたくないと言ってきた。

由里としては良太を身近に感ずる以上、再婚に踏み切る気になれないのだろう。

淑子は由里がこのまま再婚を拒めば、新たな人生を歩む機会を逃してしまうことを憂慮した。

もちろん雅家の娘としていてくれても差し支えないどころか嬉しいことではあるが、それでは由里のご両親に申し訳ないという気持ちが強かったからだ。

淑子は亡き夫良介の遺品が入った段ボール箱を押し入れの奥から引っ張り出して、畳の上に遺品を広げ始めた。

彼女が大阪から啓太のもとに引っ越してから一年半、その段ボール箱を開けることもなくずっと押し入れの中で眠っていたのだ。

良介は寡黙な性格で、特に自分のことをあまり口にすることはなかった。いつもどこか遠くを見つめているようなところがあり、臨終の際も静かに旅立って行った。

ただ子供に対しては子煩悩な一面もあり、良太たちが幼い頃、唯一の趣味といってよい魚釣りに連れて行っていた。

そして、釣りの帰りには必ず途中のおもちゃ屋で二人におもちゃを買ってやるものだから、我が家はおもちゃでいっぱいになってしまうのだった。

島根の広い実家ならともかく、大阪に引っ越してからは狭いアパートだったので、おもちゃが増えるたびに淑子は良介に小言を言ったものだった。

そんなことを思い出し、自然と笑みをこぼす淑子の周りに、遺品の輪が畳の上に広がって行く。


「お義母さん?私ちょっとお買い物に行ってきますから優を見ていてくれません?」

そういって啓太の嫁の宏美がもうすぐ一〇か月になる娘を抱いてやってきた。

「ああ行ってらっしゃい。」

淑子は孫の優を受け取り、いつものように、

「ゆうちゃーん!」

と言いながらお腹に顔をうずめて揺するのだった。

屈託のない笑い声をあげる優をひょいと自分の膝の上に乗せると、彼女は再び遺品整理にとりかかった。

遺品の中には懐かしいものもいっぱいあった。

その中には新婚旅行先の土産物屋でかったとるに足らない小さな置物もあった。

こんなものまでとっているなんて、良介の意外な一面を今さら見たような気がした。

大方段ボールの中身を取り出し、底から古い鞄も出てきた。

この鞄は良介が独身で、まだ島根に住んでいた頃から使っていたものだ。牛革製とはいえ、さすがにくたびれ果てた鞄だったが、大阪に移り住み、晩年まで使い続けてきたものだった。

『これは大事にとっとかんと。』

彼女はそう思い自分の傍らにそれを置いた。

夫とともに長い間風雪を乗り越え、彼女にとっても思い出深い品だったからだ。

そのとき膝の上の優が突然泣き出した。

オムツはさっき替えたばかりだし、眠いのだろうと淑子は優を抱きかかえていつもの場所に向かった。

その場所とは、旧家らしい池のある庭で、3メートルほどの苔むした小岩の上から清水がちょろちょろと岩肌を伝い、大きな鯉が泳ぐ池の上に滴り落ちる光景を見ることが出来る座敷の廊下だった。

優は生まれて間もないころから、ここに連れてくると不思議にすやすや眠り始める場所だった。

おそらく熱い夏もここだけは木立でひんやりとし、寒い冬はガラス戸越しに差し込むあたたかな日差しが眠気を誘い、清水が池に滴る音が孫の優には心地よいリズムとなるのだろう。

案の定しばらくすると、優は淑子の腕の中でうとうとし始め、やがていつものように眠りについた。

淑子は優のベビー布団を座敷に運び、彼女をその上に寝かせた。

座敷の畳中に良介の遺品がならび、その横では孫が静かに眠っている。

淑子にとっては古いもの新しいもの、生きる者、死んだ者、老いた自分、これから歩み始める赤子、それぞれが触れ合うように並ぶ光景に、感慨のようなものを感じずにはいられなかった。

『この調子じゃ夕方までかかってしまう。』

彼女は苦笑いしながらも、懐かしい思いでついつい見入ってしまう遺品の海のほとりにたたずんだ。

それから二時間ほどしてようやく整理するものを仕分け終えた淑子がふと傍らを見ると、優がいつの間にか目覚めて、布団の上にちょこんと座り、例の古い鞄を広げて遊んでいた。

「おやおやゆうちゃん、起きとったんかね?お婆ちゃん気付かんかった。」

にっこり笑うと再び優を膝の上に座らせた。

優はどこから引っ張り出したのか、一通の封筒を持っており、それを口に入れようとした。

「ああ、いけんがね。これは食べられんの。」

そう言って淑子は孫の手からそっとその封筒を取り上げると、代わりに捨てようと思った良介の眼鏡ケースを渡した。

優はそれを受け取るとやはり口に持っていったが、革特有のすえた匂いに気付きポイと投げ捨ててしまった。

「お義母さん、ありがとうございました。」

宏美が帰って来た。

優は母親の顔を見つけ、自分で立ち上がりよちよち母親のもとに向かった。

「ゆうちゃん?お利口さんにしてた?」

「うん、とってもお利口さんじゃったよ。」

淑子は孫に代わって答えた。

宏美はわが子を抱いて台所へ向かった。

今から夕食の支度をするのだろう。

義娘親子を見送った淑子はふと先ほど優が持っていた封筒を見た。

それは誰かからの手紙であった。

差出人は澤又祥吾、住所は大阪市浪速区とある。

淑子は過去を振り返ったがこのような名前には記憶がなかった。

きっと夫の知り合いか何かなのだろうが、世間的にはあまり聞かない姓だと思ったくらいで、なぜ大事に鞄にしまっておく必要があるのだろう程度にしか考えなかった。

少し気にはなったが、亡くなった自分の夫とはいえ、プライバシーを覗き見るような気がして気が引けて中身を取り出さずに再び鞄にしまった。

これでようやく捨てるものと残すものの整理が終わったことになる。

彼女は少し丸くなりかけた背中を伸ばし、大きく背伸びをした。

夫が亡くなって早いもので二年半になり、遺品の整理もようやく終わり、気持ちもひと区切りついたような気がした。


もし彼女がこのとき澤又祥吾からの手紙を読んでいれば、息子良太が殺されたおぞましい事件の解決はもっと早まっていたかも知れなかったのだが。

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