無心の結果

リョウタが由里の意思を求めて、感覚を張り巡らせていると、突然何かの意思が動き出した。

奇妙な意思が。

空腹というわけでもないが、何か『食べる』ということには執着している意思だった。

おかしな意思だとリョウタは思った。

由里が感じられなくなった後に感じ始めた、『前へ、上へ、下へ、食べるものはないか?』というだけの意思。

その意思以外何もない意思。


それから一週間ばかりたったとき、リョウタはある結論に至っていた。

『どうやら俺の新しい宿主は銀の奴になってしまったらしい。』

彼はこう推測した。

由里に彼の友達の名前『高橋』を伝えるために、『タカハシ』という文字を心に刻んで、無心になることに徹した。

そして完全に無心の境地に達した彼の魂は由里の体から糸の切れた風船のようにフワフワと解き放たれ、空を漂い、そこにあったもう一つの生、金魚の銀に憑依してしまったのだと。

そう考えれば、この奇妙な新しい意思も説明がつく。

それから彼はもっと重要なことに気付いた。生きていれば背筋が寒くなるような事実だ。


無心になり浮遊霊になったとき、もし銀にとりつかなかったら、自然の気の中に吸い込まれてしまう。つまり期せずして成仏してしまうところだったのだ。


だが裏を返せば、もしこの技を、これを技というならばであるが、この技を身に着ければ別の生体に乗り移ることが出来ることを意味することにも気付いた。

それにしても、由里の体を離れて浮遊するまで無心になってしまうとは、自分ながら驚いてしまう。恐らくよく言う『この世に未練を残す』とは、生への執着であり、この執着こそが生体に留まる引力のようなものなのだろう。


こんなことを考えていたリョウタだが、これからどうやって由里に戻るかは大問題であり、もし間違えれば、彼の魂は由里に戻る前に自然に飲み込まれてしまう可能性もあるということだ。

由里に戻れるかは由里への執着次第ということか?

今まで自分の意思を生体に伝えるということに挑戦して来て、ある程度伝えることはできるようになったと思ったら今度は、自分自身の存在自体をまるで空気の様に漂う魂に変えて、別の生体にその魂を移すという芸当を身に着ける必要が出てきた。

しかもそれを無心、無意識の中でいかにして行うかという課題を突き付けられてしまった恰好だ。


それが出来なければ、残りの霊としての一生を、いつも餌を求めて水の中を泳ぎ回る金魚と伴にしなければならないということになるのだ。


幸いにも金魚にも、リョウタにも時間はたっぷりある。由里のように取材がどうの、生活がどうのと考えることもなく、一日を過ごせばいいのだから。由里に戻る方法をじっくり考えることにした。


もっともそれしかできないのではあるが。

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