銀ちゃんの恩返し
「銀ちゃんただいまあ。寂しくなかった?お腹空いたでしょ?」
由里は外から帰ると唯一の同居人いや同居魚とでも言おうか、和金といっても今や体長二〇センチ、胴回りは二〇センチを軽く超えようかという程大きくなった金魚の銀ちゃんに声をかけるのが癖になっていた。
彼女は今、良太の実家の島根で彼の一周忌を終えて戻って来たばかりだった。
良太の実家では義母の淑子と、昔懐かしい話もしたし、由里の今後についても率直な話ができた。
由里の実家は福井県だが、同じ日本海側に面しており、気候も似ていることから島根もとても愛着を感ずる土地であった。
雅家の娘でいたいという思いはやはり偽らざる気持ちだった。
海岸沿いにそそり立つ絶壁。
紺色に輝く澄んだ海。
深い緑で覆われた山々を思い。
出雲空港まで送ってくれた啓太一家。
すっかり由里に懐いてしまい、べそをかきながら小さな手をぎこちなく振っていた二歳半の駿一。
男ばかりを育てたせいもあるのだろう、由里に対しても、義妹の宏美に対しても実の娘以上に接してくれた淑子も優しい笑顔で手を振っていた。
いまだに何かがあると自分の実家より、島根に電話してしまう由里は、帰る場所は良太の実家であるという気持ちがより一層強くなっていた。
「さっお待ちどうさま。銀ちゃんご飯だよ。」
由里は金魚の餌が入った袋を開きながら言った。
銀ちゃんもいつも餌がまかれる場所に素早くやって来て、今や遅しと口を水面でパクパク始める。
由里は餌をいつものようにひとつまみ摘まむと銀ちゃんの待つ水槽にパラパラとまいた。
銀ちゃんはそれとばかりに、しきりに餌を食べ始めた。
金魚の健康のバロメータは、餌の食べ方にある。まいた餌に勢いよく飛びつき、貪るように食べるときは元気な証拠だ。
銀ちゃんはまだまだ元気でいてくれるだろう。
それに由里は満足だった。
銀ちゃんも餌にありつくことができて満足そうだった。
由里の方も空腹を覚え、コンビニで買ってきた弁当を食べることにした。
彼女は食卓テーブルの上に乗せたコンビニの買い物袋をシャラシャラと開くと、五百円弁当を取り出した。
今日は長旅から帰ったため、コンビニの弁当だが、そう言えばこんなパターンが多いなと思ってはいた。
良太が生きていた頃は、料理の腕を見せる相手もおり、コンビニ弁当で済ませるなんてあり得なかったし、良太の方が早く帰ったときは何かしら用意してくれていた。
そんな他愛もないことを思っている時だった。
ピシャッ
銀ちゃんが水槽の水面を尾びれで勢いよくはねたのだ。
由里が振り向くと、銀ちゃんは底に急降下すると、自分がいつもねぐらにしている、土管の所で急ターンした。
何度も何度も彼はそれを繰り返した。
とそのとき、土管の端でピカッと光る物が見えた。
由里は不思議に思い水槽を覗き込んだ。銀ちゃんがねぐらにしている土管は水槽の奥にあり、その中を覗き込むことはできないが、さっき光った何かがかろうじて見える状態だった。
由里はそばにあった水槽掃除用のブラシの柄でそっと土管を持ち上げてみた。
するとその光るものの先が少し外に覗いた。
何か鎖のような感じだった。
「何かしら?こんなものがなぜここに?」
彼女はつぶやきながらブラシの柄で何度かその鎖をつつき、ようやく引っ掛けることに成功して、慎重に引っ張りだした。
それは土管の中からゾロゾロと引き出され、直径二〇センチくらいの鎖の輪で金色に輝いていた。
この水槽は理想的な循環状態を保っていたから、ほとんど掃除をする必要もなく、もう何年も掃除らしい掃除をしたことがない。
だからいつからここにこんな物があるのかわからなかった。
それはちぎられているもののネックレスだった。それも純金製のようだ。
由里自身はそんなネックレスは持っていないし、良太もそんなネックレスをつけるような嗜好はない。
ならばどこから?
彼女はしばらく考えてあることを思い出した。そう島根で見た良太の不思議な夢のことを。あの夢で良太は、金魚に餌をやっているそばに急に現れ、『細いものを掴んだんだけど見つからなかったか?』と言ったのだ。
「もしかしてこれ!」
そう思ったとき、背筋に冷たいもが走るのを感じた。
それはリョウタとて同じだった。
由里の意思を通して今起きていることを感じ取っていた。由里の意思から金色のネックレスのイメージが飛び込んで来たのだ。
「由里、それだ。それが犯人の遺留品に間違いない。そんな物がなぜそんな所にあるのかはわからないけど、恐らく俺が揉みあったとき必死に掴んで、引きちぎられたそれが飛んで行って偶然水槽の中に落ちたんじゃないだろうか?」
そしてリョウタは思い出した。
由里が寺井に見せられた例の犯行時のビデオのあの映像イメージを。
犯人はなぜ部屋の明かりをつけたのか?
考えてみればそれは犯人にとって危険なことだった。
現にその時のことが偶然にもビデオに収められていることからも。
きっと犯人はそれを探そうとしたに違いない。そして見つからなかった。それもそうだろう一年以上もそこに住んでいる者さえ気付かないのだから。
『銀の奴がこっそり隠してくれていたのかなあ?』
リョウタはそんなことを思いながら、由里から送られて来る新たな情報を待った。
由里はそのネックレスのような物を手のひらに乗せいろいろな角度から観察した。
金色に輝くそのネックレスは間違いなく金のようだ。
今まで男と思っていた犯人は女?
いや違う、あのカーテンの向こうに現れたシルエットはどう見ても中年の男のようだった。
だが犯人は二人という鑑識結果もあるから、もう一人は女だったのかも知れない。
夫婦の窃盗犯?
だが寺井たちは計画的な犯行だとみている。
由里の頭の中で様々な推理が目まぐるしく沸き起こっては打ち消されてゆく。
最後に由里は大事なことに気付いた。
「そうだ、寺井さんに知らせなくちゃ。」
「なんか面白いことになって来たよね?リ・ョ・ウ・タ?」
高校時代のガールフレンドはこんな言い方だったなと思いながらリョウタはミドリの言葉を聞いていた。
最近はもう相手の意思を確認することもなく、それぞれの霊が持つ特有の波長の違いを自然に感じて、自分に合った言葉づかいに翻訳できるようになっていた。
そもそも翻訳という作業自体無意味で、話し言葉のように自然に話せるようになっていた。
「リ・ョ・ウ・タの言ってたこと本当だったのン?」
サヨリも言った。
「だろ?俺の指先に残っていた感触はやはり本当だったんだ。でもなんで今頃になってギ・ンの奴、ユ・リにネックレスの存在を教えたのだろう。俺が死んで一年以上経った今頃になって。」
リョウタは自分の指先を見つめるような気持ちでつぶやいた。
「ギ・ンちゃんもリ・ョ・ウ・タの夢を見たんだよきっと。」
ミドリの意外な言葉にリョウタはすぐに言い返した。
「ギ・ンは金魚だぞ、なんで人間の言葉が分かるんだよ?」
「分かるのよン。」
サヨリはすまして言った。
「どういうことだ?教えてくれよ先輩幽霊さん。」
サヨリの説明はこうだった。
霊と霊のコミュニケーションは意思と意思との会話だ。その会話はお互いの意思の中に湧き上がるイメージを言葉として受け取り会話が成り立つ。言葉を理解できない人間以外の意思は、イメージをイメージとして受け取るのであり、言葉として受け取るわけではない。銀の場合イメージを身近にある、自分のねぐらの中に一年以上も居座る物に結び付け、由里に知らせたということらしかった。
「ふーん、なるほどね?」
リョウタは納得して答えた。
「私のチ・ャ・チ・ャ・マ・ルがそうだもの。」
「チ・ャ・チ・ャ・マ・ル?」
リョウタの問いにミドリは答えた。
「家で飼ってる茶トラの猫よ。チ・ャ・チ・ャ・マ・ルったらね、私の意思を時々感じるみたいで、私が生きてた頃は寄り付きもしなかった父さんに、すり寄ってニャーニャー鳴いたりすりのよ。」
そう言ってミドリは笑った。
「人間よりも動物の方が、言葉を使わない分、霊の意思には敏感みたいよン。」
サヨリが言った。
「チ・ャ・チ・ャ・マ・ルの意思がミ・ド・リに話しかけて来たら何というかなあ?」
リョウタが聞くとミドリは笑って言った。
「きっと、私のこと恋人だと思ってたんじゃないかな?自分が猫だって全然思っていなかったし、いつもどこか私を守ってくれてた所があったもの。」
『霊の世界もなかなか奥深いものだ。』と、リョウタは心の中でつぶやきならふと思った。
「でも本当にこれ犯人のものだよな?」
「何言ってるのよ、リ・ョ・ウ・タ?それしか考えられないじゃない。」
この期に及んで弱気になったようなリョウタの言葉にミドリは食いついた。
「ま、その辺は鑑識さんや刑事さんにお任せした方がいいんじゃないのン?」
サヨリの言葉に二人の霊は静かになった。
「主人が言ったんです。『細いものを掴んだんだけど見つからなかったか?』って。」
寺井は少し苦笑いしながら頷いていた。
刑事としては霊がささやいたという話をまともに聞く気にはなれなかったのだ。
第一この話を法廷で証言しても何の価値もないからでもあるが。
確かに、良太の実家で起きたことは不思議と言えば不思議だが、良太の弟と雅由里が前日に同じ言葉をどこかで聞いていて、単に二人の脳裏に焼き付いていただけだとも言えるのではないか?
こんな霊感捜査みたいなことがあってたまるかというのが彼の考えであった。
自分の直感を信ずるのが仕事の刑事として、テレビでよくやっている霊感捜査物にはいつも反感を覚えていた。
しかし、鑑識に通してみないとわからないが、この金のネックレスが物証だったとしたら、重要な手掛かりになることは疑いようがなかった。
「私、主人に見守られているんじゃないかって感ずることがあるんです、時々。なんか声のようなものを感じることがあるんです。」
由里は思い出しながら続けた。
「前は会社の同僚と話していた時、残業で疲れたなって思ったとき、『だめだ』とか『お疲れさま』とか聞こえたような気がして振り向いても誰もいなくて・・・・」
由里自身も突飛なことを言っているという自覚があるのだろう、言葉を探しながら、自分を落ち着かせようとしながら、ポツリポツリと話していたが、
「だから今回も主人が教えてくれたんじゃないかって思うんです。」
と、これだけはきっぱり言った。
「奥さん、気持ちはわかりますが、やはり疲れておられるんじゃないですか?それに犯人が捕まって裁判になっても、今おっしゃられたことは証言として認められませんから。」
脇田も寺井と同じ気持ちなのだろう、やんわりとたしなめた。
「いずれにしろ銀ちゃんと言いましたかあの金魚、その水槽の中からこれが出てきたのは間違いないことですから鑑識の結果が出るまで待つことにしましょう。」
ビニール袋に収められたネックレスをかざしながら、寺井の言った言葉に由里はこくりと頷いた。
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