第25話 謎の女

「お濃様が産気づかれました!」


 その女の言葉に耳を疑った。何故その名前を知っているのだろう?この蔵を出てから随分と時間が経っているというのに、何故ノンちゃんと一緒にいたのだろう?黒い綿毛のような疑問が胸の中で広がる。けれど今はそんなことを考えている時じゃない。


「新太すぐにノンちゃんを病院へ、ノブさんには私から連絡するから。浅井さん申し訳ないけれどノンちゃんについていて頂けるかしら?私も直ぐ行きますから。」

「ええ、わかりましたわ。」


 ノブさんに連絡し直ぐに病院へむかうよう伝え、拓海にも電話を入れた。浅井という女を帰してはいけない気がした。ここに来た本当の理由を何としても聞き出さなくては、それには拓海くんも同席すべきだと思った。しかし拓海は電話にでず、留守番電話に伝言を残して切った。


 洋次さんにノンちゃんの病院へ付き添うことを告げ蔵を出ると、ちょうど新太と浅井さんが、ノンちゃんを両脇から支え車に乗せるところだった。


「ノンちゃん凄く苦しそうだよ、母さん。大丈夫かなぁ。」

「大丈夫よ。赤ちゃんが生まれる時は皆そうなんだから。母さんが運転していくわ。新太は蔵をお願い。浅井さんノンちゃんを支えて貰えるかしら?」

「ええ。」



 病院に到着するとノブさんは、タクシーで先に到着していた。


「お濃大事ないか?しっかり致せ!」

「殿、大丈夫にございますよ。それよりこの方は…。っつうぅ…。」


 お濃の言葉に側に付き添っている女に気づいた。


「そなた大阪の…。何故ここに居る?」

「殿、その方と…、話を…、」

「あい分かった。それより今はそなたが子を無事に産むのが先じゃ。行くぞ!」


 そう言ってお濃を軽々と抱き上げた。


「ここは私に任せて、早くノンちゃんを…。」

「母上、お願い申し上げる。」


 病院に入ると看護師が車椅子を用意してくれて、すぐに診察室に入った。


「私達も行きましょう。」

「はい。」


 浅井は素直についてきた。

 それはつまり全てを話す覚悟が出来ているととれる。


「貴女は土田御前様でしょうか?」

「いいえ、違います。」


 土田御前様ですって?

 土田御前といえばノブさんの母親のはず。

 ノブさんやノンちゃんが、私を母上と呼んだから…?

 とすると、やはりこの人もノブさん達と同じタイムトラベラーなのか?

 病院の中に入ってしばらくすると、ノブさんと車椅子に乗ったノンちゃんが、看護師と一緒に診察室から出てきた。


「直ぐに産まれそうだから、このまま分娩室に行きますね。ご一緒にどうぞ。」


 看護師に言われ一緒についていった。エレベーターで二階まであがり、分娩室の近くにあるラウンジか分娩室の前で待つように言われ、私と浅井さんはラウンジで待つことにし、ノブさんとノンちゃんを見送った。


「ノブさんったら出産に立ち会うのを、すごく拒んでいたのについていっちゃったわ。」

「随分と動揺してらしゃいましたものね。」


 診察室からここに来るまでの間のノブさんの様子を思い出し、二人は顔を見合わせてプッと吹き出してしまった。


「死ぬでないぞ、気をしっかり持て、痛む時はヒィイヒィイフゥウじゃぞ!ほれヒィイヒィイフゥウ、ヒィイヒィイフゥウ」

「ご主人ヒィイヒィイフゥウじゃなくて、ヒッヒッフーですよ。クスクス。」

「そうそうヒヒヒッフッじゃ。」

「それじゃあ、悪者の笑い方ですよ。」


 付き添っていた看護師は大笑いだった。

 まったく男はいつの時代であっても、お産となると狼狽えて役立たずなものだ。

 この意見には浅井さんも同意した。


 ラウンジは入院中の妊婦さんや見舞い客が、自由に利用できる場所になっている様で、飲み物やお菓子の自販機が備えつけられ、産婦人科らしくパステルピンクのフンワリしたソファが壁にそって半円を描く様に置かれて、小さなテーブルも幾つかあり、自由に移動させて使えるようになっていた。



「今日はこちらにお泊まりに?」

「ええ、伊豆に来たのは初めてなので、温泉にでも入って帰ろうかと宿を取っております。」

「じゃあ、ゆっくりできますね?私達で力になれることもあるかも知れません。」

「…。」


 自販機で飲み物を買い、ソファに並んで座った。

 窓の外を見ると日が沈み始め、夫や新太もそろそろ仕事を終える頃だ。きっと二人も病院に駆けつけるだろう。

 携帯の着信音が鳴り、画面に工藤拓海と表示された。


「ちょっと失礼しますね。」


 浅井にそう告げるとラウンジから出て電話に出た。


「もしもし、拓海くん?」

「はい、留守電が入ってましたけど…、どうかしましたか?」

「ノンちゃんの赤ちゃんが産まれそうなの。今分娩室に入ってるわ。」

「…そうなんですか?ノンちゃんの体調に何か問題でも?」



 拓海は新太の母親からの電話の内容に戸惑った。普通の分娩ならば新太の母親からではなく、新太から連絡があるはずだ。けれど新太からは何も連絡はなかった。


「ノンちゃんは大丈夫よ。ただ新太たちが大阪に行った時に知り合った人が訪ねて来てね、ノブさんとノンちゃんに係わりがありそうなの。今はこれ以上話せないから、拓海くんこちらに戻って来られないかしら?」

「係わりって…?二人が何か問題を起こしたんですか?」

「そうじゃないのよ。ノンちゃんが急に産気づいたものだから、私も詳しい事はわからないの。でも凄く嫌な予感がするのよ。もしかしたらその人もノブさん達と同じかもしれない。」

「まさか⁈」


 エレベーターのドアが開き新太と夫が現れた。


「母さん!ノンちゃんは?産まれた?」

「主人と新太が来たわ。」

「なるべく早く帰れるようにします。じゃあ。」


 拓海はそう言って通話を切った。


「まだよ。今ノブさんも一緒に分娩室に入ってる。私達ラウンジで待ってるんだけど…。」

「私達って…?浅井さんまだいるの?」

「ええ。ノンちゃんがノブさんに浅井さんと話をするようにって…。」

「なんで?」

「わからないわ。でもノブさんと話をするまでは帰せない…。あっノブさん!」


 分娩室からトボトボとした足取りでノブさんが出て来た。


「赤ちゃん産まれたの?」

「まだ時がかかるようで…、お濃に儂がいてはお産に集中できぬから出て行けと追い出されてしまいました…。」


 ブチブチと愚痴をこぼしていたが、エレベーターの中での事を思い出すと追い出されたのも頷ける。


「じゃあラウンジで一緒に待ちましょう。ノブさんも緊張したでしょう?少し休むといいわ。」


 ラウンジに戻り浅井さんに夫を紹介した。


「大阪からわざわざ来て頂いたのに、付き合わせてしまって申し訳ありません。」

「私でお役にたてたなら良かったですわ。」

「こんな時は男がいても役に立ちませんから大助かりですよ。」


 浅井さんと夫と三人で話をしている間もノブさんは、分娩室の前で落ち着きなくウロウロしていた。


「いったいいつ迄待たせるのかのぅ?この時代であれば男でも女子でもよいのじゃ。もったいぶりおって…。」

「少し落ち着いたら?お屋形様が焦ったからってどうにもなんないだから。」

「だぁれが焦っとるんじゃ?」

「はいはい。」


 分娩室の自動ドアが開き、看護師がタオルに包んだ赤ちゃんを抱いて出て来た。


「お産まれになりましたよ。元気な男の子ですよ。はいパパに抱っこしてもらいましょうね。」


 そう言って看護師が赤ちゃんを差し出すと、お屋形様は表彰状でも貰う様に体を半分に折って頭を下げ、両手を真っ直ぐ突き出した。


「ぷっ、パパさんそれじゃあ赤ちゃんを抱っこできませんよ。ほんと面白いパパさんですねぇ?」


 看護師の言葉に我に返ったお屋形様は照れ笑いで誤魔化し、上手に赤ちゃんを抱っこした。


「それで、妻は…?」

「元気ですよ。もう少ししたら出てきますからね。」

「母さんたち呼んでくるよ。」


 お屋形様は赤ちゃんから目を離さず、とろけそうな顔でうなずいた。


 皆んなで産まれたての赤ん坊を囲み、目元がお濃さんに似てるからきっとイケメンになるとか、足の小指がお屋形様に似てるから武術をさせたら良いとか、適当な褒め言葉をお屋形様は満足気に頷いて聞いていた。

 親父は案の定嬉し泣きしている…。最近涙脆いのは、やはり歳のせいだろうか?


 分娩室からお濃さんが車椅子で出てきた。


「でかした!でかしたぞ!よぉう頑張った!」


 お屋形様はお濃さんを労う言葉をかけ、お濃さんは誇らし気に微笑んだ。


「貴女も我が子を抱いて下さいませ。」

「宜しいのですか?」


 お濃さんは頷いて浅井さんに赤ん坊を抱くよう促した。

 浅井さんは赤ん坊を母さんから受け取ると、赤ん坊の顔をじっと見つめ何かを確かめているようだった。


 ああ…。この赤子は我が子秀頼になんと生写しなのか?

 柔らかな薄桃色の左耳たぶをそっと押して裏返す。

 そこに小さなホクロを見つけると、産まれたばかりの赤ん坊を強く抱きしめたい衝動にかられた。

 涙で赤ん坊の顔がかすんでいく。

 この赤ん坊は我が子秀頼の生まれ変わり…。

 このまま手放したくない…。

 けれど涙が赤ん坊の顔に落ちる前に赤ん坊をお濃の腕に戻した。


「すべてを話すのです。良いですね?」


 お濃さんは浅井さんの目を真っ直ぐ見て言い聞かせるように言った。

 浅井さんは深く頭を下げた。



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