第9話 利酒会

 実家に戻って一週間。

 お屋形様と俺は酒蔵を手伝い、と言っても俺は相変わらず役立たずで、お屋形様に毎朝トレーニングという名の地獄をみせられている。

 今日は昨年仕込んだ酒の利酒会ききざけかいの日だ。

 お屋形様はこの日を心待ちにしていた。なんたって大好きな酒の出来たてを、試飲できると子供みたいにはしゃいでいる。


 糸里酒造では朝一番に利酒会が行われる。

 仕事を始める前の清めの酒代わりに利酒をするのだ。

 本日熟成された酒樽の前に社長である親父、母さん、蔵人くらびと(酒蔵の従業員)が並び、三礼し柏手を三回打つ。そして母さんが一人一人に酒を入れ、親父の音頭で利酒をする。親父は酒が飲めないので役目はこれで終了。

 三礼と柏手三回の意味は、一回目は酒神しゅしんに、二回目は酒蔵の神様、三回目は酒樽に祈りと礼を捧げる。

 この習慣は糸里酒造初代のご先祖様が始めたそうだ。


「うん、良い出来だ。」


 糸里酒造の古株で杜氏とうじ洋次さんが頷く。

 これで出荷決定だ。


「ちとすまんが、この酒はいつもよりきつくて匂いも強い気がするのだが…?」


 うん…、確かに。


「さすがノブさんね。これは生酒なましゅと言って、もろみから酒を搾って数日置くと濁りが沈むの。これはその上澄みをすくったもの。この酒を濾過して火入れをして出荷するのよ。」

「ほう、なんと奥の深い。そこまで手間暇かけて造られたからこそ心地よく酔わせる酒が生まれた訳ですな。感服しましたぞ!」

「なかなか良い舌をしてるじゃねぇか。新ちゃんの友達だってな?若いのに酒の味がわかるとはたいしたもんだ。」


 洋次さんが感心して頷くのを、俺と母さんは苦笑いして見ていた。

 洋次さんは爺ちゃんの代から勤めていて、70歳は過ぎている。お屋形様はその洋次さんより若いと言えば若いし、若くないと言えば若くはない。

 日本酒と焼酎しかない時代から来た人なんだから、日本酒の味もわかるさ。


「じゃあ今日もよろしくお願いします。」


 利酒に集まった蔵人さん達は、各自の持ち場に戻り作業を始めた。


清深きよみちゃん、新酒の按配はどうだい?」


 清深ちゃんとは母さんのことだ。

 親父と母さんは高校生の時から付き合っていたので、洋次さんはその頃から母さんを知っている。

 なので未だに母さんを清深ちゃんと呼んでいる。流石の母さんも洋次さんには頭が上がらない。


「今日あたり利酒してもいいんだけど、自信ないのよ。」

「清深ちゃんが弱音吐くとは、珍しいじゃあねぇか?」

「こう失敗続きだとねぇ、自信も失くすわよ。」

「母さん、新酒って?」

「糸里酒造で製造している『神水かみみず』は初代の製法にこだわりがあるから、どうしても時間やコストがかかるし、その割に生産量が少ないのよ。だから神水は限られたレストランや料亭にしか卸せない。そうなるとお客様が口にする時には高価な酒になっちゃうでしょ?

 もっと気軽に愉しんで頂ける酒を造れないかなぁって洋次さんに相談したら、賛成してくれてね。二年前から新酒を造ってるわけ。」

「伝統を守るのも大事だが、幻の酒なんて言われちゃぁよ。まあ悪い意味だけじゃあねぇんだが、そんな言葉に甘んじてちゃぁいけねぇ。どうせやるなら自分の力も試してみたいだろ?」

「なんか今、感動した。母さんも洋次さんもスゲーかっこいいよ。」


 ふとお屋形様を見ると俯いて小さく震えていた。酒樽の側は冷えるもんなぁ。


「大丈夫ですか?寒かったら家に戻ります?」

「母上!洋次殿!儂は、儂は…。二人の言葉に心を打たれましたぞ!全身全霊で二人を応援いたす。なんでも手伝わせて下され。お二人のためならこの命投げ出してもかまいませぬ!」


 お屋形様は母さんと洋次さんの手を強く握り締めブンブン振った。

 いちいち反応が大袈裟なんだよ…。


「こっこら離せ!俺の手が折れちまうじゃねぇか!オメェの命なんぞいらねぇよ。」


 洋次さんに言われてお屋形様はしゅんとしたが、洋次さんは口ではそう言っても嬉しそうに笑っていた。


「清深ちゃん。二人にも利酒させてやりな。若いもんの意見も聞いてみようじゃないか?」


 新酒の樽の前でまた三礼、三拍する。

 母さんは俺とお屋形様にも新酒を注いでくれた。


「どう?」

「悪くはねぇな。今までのもそう悪くはなかったんだが、なにか決めてに欠けるんだよな。」

「二人はどう?」

「うん…。神水よりは軽いから飲みやすいよ。すっと喉に通っていく感じ?印象が薄いかな。」

「儂には少し頼りないですな…。」

「母さんはどんな酒をイメージしてるの?」

「今はいろんな酒があるでしょ?だから日本酒じゃなくてもいいし、若い人はあまり日本酒を飲まなくなった。私はこの酒を呑みたいって思って貰える日本酒を造りたい。喉越しがよくて体中にパッと広がるような…。そんな日本酒。」

「ねぇ少しだけ濁り入れてみてよ。」

「濁りか?それもアリだな。清深ちゃん俺にみも入れてくれ。」


 母さんは濁りを淹れて新酒を注いでくれた。


「濁りを入れると風味が増して後を引きますな。」

「う〜ん母さんのイメージじゃないなぁ…。」

「なんてぇか新しさが感じられねぇんだよな。」

「母さん、これに何かを足すとかあり?」

「足すって何を?」

「ちょっと待ってて。」


 俺は急いで蔵を出ると裏の家を訪ねた。

 裏の家には俺が小さい時からよく世話を焼いてくれたお婆ちゃんが、今も娘の家族と一緒に住んでいる。

 お婆ちゃんは花を育てる名人で、庭に年中花を欠かした事がない。


「お婆ちゃん、おはようございます。」

「おや新ちゃん、おはよう。こんなに朝早くからどうしたんだい?お母さんに叱られたのかい?」

「もう子供扱いやめてくれよ。実は花を少し分けて欲しいんだ。庭に咲いてるの少し貰っていい?」

「いいよ。誰か好きなにあげるの?」

「違うよ。ちょっと酒に浮かべたらどうかと思ってさ。」

「じゃあ庭のはダメだ。これを持って行きなさい。」


 お婆ちゃんは冷蔵庫から色んな花が沢山入ったタッパを出してきた。


「庭のは観賞用。これは食用。無闇になんでも食べるじゃないよ。毒になるのもあるからね。」

「へぇ〜、そうなんだ。ありがとう。」


 お婆ちゃんから食用の花が入ったタッパを受け取ると、直ぐに家に引き返してマリーちゃんとお濃さんにも蔵へ来てくれるよう声をかけた。それから蔵の隣にある父さんが店番している酒屋に入り、目当てのボトルを見つけ「これ貰うよ」と声をかけて蔵に戻った。


「お待たせーー。頼まれたグラス持ってきたわよ。」

「新太いったい何をやらかす気なの?」

「まあ試させてよ。」


 お濃さんとマリーちゃんに持って来てもらったグラスに半分ぐらい薄く濁った新酒を注ぎ、店から持って来たシャンパンを静かに注ぎ足した。

 グラスの中で新酒とシャンパンが混ざりあいシュワーッと泡立つ。最後に花を浮かべ完成。


「キレイね。すっごく可愛い。」

「ほんに飲むのが勿体無い。ずっと見ていたいと思いますね。」

「なんと斬新な、こりゃびっくりだな清深ちゃん?」

「えっええ…。」


 母さんと洋次さんの顔が引き攣ってる…。

 やり過ぎたか?

 若い(?)お濃さんとマリーちゃんにはウケたが、母さんと洋次さんにこの趣向は刺激が強すぎたかもしれない。


「ごめん、やり過ぎだよね…?」

「いいのよ。新太なりに考えてくれた事だもの。」

「私は飲んでみたいわ。こんなお酒初めて見るもの。」

「私もいただきとうございます。」

「マリーちゃんは未成年でしょ?」

「あら、フランスでは子供の時からワインを飲んでるわよ。」

「清深ちゃんは人のこと言えねぇだろ?先代に高校生ん時から鍛えられてんだからよ。」

「もう洋次さんったら息子の前で言わないでよ。」

「はっははは。とにかく飲んでみようじゃないか。」


 なぜかマリーちゃんの「カンパーイ」の音頭でグラスを全員合わせて飲んだ。


「ナニこれ⁈すっごーい!ミニ薔薇のいい香りがしてるのに、フルーティーで喉の奥でシュワーッと広がるみたい。美味しいわ。」

「なんと奇天烈な!日本酒に混ぜものをするとわ邪道と思っておったが…。逆に日本酒の味を引き立てて、香りも菊の花に負けておらず見事じゃ新太。」

「シャンパンの炭酸が日本酒の香りを立たせて花の香りに混ざりあったんだな。新酒のキリっとした辛さもシャンパンでまろやかになってるな。清深ちゃんどうだい?」

「悔しいわ…。」

「えっ⁈」


 やばい。

 やっぱりやり過ぎたんだ。


「私は二年かけて新酒を造ってきたのよ。なのに新太ったら、こんなにあっさりと…。」


 母さんの目が涙でうるうるしている。


「母さんごめん。母さんがせっかく造った新酒を台無しにして…。母さんが日本酒で勝負したいって気持ちぶっこわす様な真似して悪かったよ。でも悪気はなかったんだよ。ほんとごめん。」


 洋次さんが俺の肩をポンと叩く。


「バカだね〜新ちゃん。清深ちゃんは喜んでんだよ。なあ清深ちゃん?」


 母さんはうんうんと頷く。


「清深ちゃんが二年試行錯誤して造った酒を、新ちゃんが新酒に完成させたんだ。嬉しくないはずねぇだろ?」


 母さんがまたうんうんと頷く。


「母さんいいの?ほんとに?」

「新太は褒めら慣れてないから疑い深いのねぇ。これが売ってたら私絶対買うわよ。」

「マリーちゃんは未成年でしょ!買えないわよ。」

「パパが売ってくれるもーん。」

「マリーちゃんにならタダでくれるよ。」

「新太余計な事言わないの!」


 あーーーっ、もう心臓バクバク。

 またやらかしちまったと思ったぜ。


「あーっ、取り込み中申し訳ないんだが…。」

「あれ、父さん。いつからいたの?」

「お前が酒を淹れてる時ぐらいから。だーれも気づいてくれないんだもんなぁ。」


 酒蔵の主人のくせに酒が飲めない父さんは、酒蔵では存在感が全くない。


「その酒の名前決めてるの?」

「今出来たところだもの、まだよ。」

「じゃあ『パワースポット』はどうだろ?」

「パワースポット?」

「うん、新太がシャンパン注いでる時、浄蓮の滝みたいだなぁって思ってさ。それでシャンパンタワーってあるだろ?あんな風にグラス並べて一気に流し込むように出来ればナイアガラの滝みたいになるんじゃないかと思うんだ。」

「一人なら浄蓮の滝、仲間とならナイアガラの滝…。いいね父さん。」

「滝っていったらあからさまで捻りがないけど、パワースポットなら今っぽいだろ?」

「そうね。いいわね。」

「こりゃあ若い女からウケるのは間違いねぇな。」

「ぱわあすぽつと…、って何でございますか?」

「ノンちゃん。パワースポットっていうのは、地球上のいろんなところにあって、大地や水から自然界の気を吸収することが出来る場所。そこに行けば癒しや元気を貰えると言われてるんだ。」

「パパ、その名前ピッタリだと思うわ。」

「えへへ、そうかい?」

「ふむ、この酒があればいつでも自然界の気を感じられるという意味ですな。」

「そう感じて貰えたらいいわね。」


 市場に出すには問題がまだ残っているが、名前も決まり新酒の誕生に皆興奮していた。


「あーそうだ新太、お前が持ち出したシャンパン一番高いやつだから、お前の給料から引いとくなっ!」


 なんだとおぉぉーーーっ!

 こんな時に水をさせるなんて、さすがだよ親父。


「うちも商売だからさ。」

「俺、新酒造りに貢献したんだよ。ひどいよ。」

「わかった、仕方ない身内価格にしてやるよ。」


 俺は給料から一万五千円引かれる羽目になった。

 給料なんて貰うつもりなかったけど納得いかねーーー。

 くそ親父!


「それにしても新太、花を浮かべるなんてよく思いついたわね?」

「死んだじいちゃんが祝いの時とか晩御飯が刺身の時に菊の花びらを酒に入れてただろ?あれ思い出したんだ。」

「そうね。おじちゃんよくそうやって呑んでた。あんたおじいちゃんっ子だったもんね。」

「先代はしっかり跡継ぎを英才教育してたって事か。こりゃあ親子三代の新酒だな。先代もあの世でさぞ喜んでるぞ。」

「俺に酒蔵の主人なんか無理だよ。」

「何言ってんだよ新ちゃん。清深ちゃんみたいなしっかりした嫁さん貰えば大丈夫さ。」

「それと力持ちな女子おなごじゃのう。」

「そうね、新太弱いから強い人でないと。」

「ちょっと、」

「面倒見もようないといけませぬねぇ。」

「いや、待って…。」


 皆んな俺を無視して勝手な事ばかり言いたい放題。


「ママンみたいにしっかり者で、ノンちゃんみたいに優しくて…。」

「マリーちゃんの様に勇敢で強い女子おなご。」

「それから紗綾ちゃんみたいに賢くないとね。」

「新太もなかなか欲張り者じゃのう。」


 俺はひとっ言も希望いってねぇーーから‼︎


「じゃあ善は急げね。裏のおばあちゃんに良い人いないかお願いしてみましょう。」


 おい!母さんまで勝手に嫁さん探しに乗り気になってんじゃねぇーーーよ!

 俺は焦りのあまり咄嗟に叫んだ。


「これ以上気の強い女はいらねぇーから‼︎」


 この失言で気の強い女三人にトレーニングという名の地獄に落とされ、朝から呑んだ酒が回ってぶっ倒れたのだった。

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