第8話 望郷

「あら、おはようございます。朝早くからどうされたんですか?」

「おはようございます。朝一番に素振りの稽古をせねば腕がなまってしまいますからな。習慣というやつです。お母上こそお早いですな。」

「ええ、私も休みの日でも朝一番に酒蔵の様子をみないといけませんから。織ノ田さんもご一緒にいかがですか?」

「おおっ、是非お連れくだされ。」


 二人ともよくやるな…。

 夜明け間もない時間とは言っても、まだ空はほんのりと光りがさし始めたばかりだ。

 最近お屋形様に付き合わされて早起きさせられていたから、なんとなく目が覚めたけど起きる気にはなれない。

 都会と違って田舎は寒いから。


「では、新太も呼んで参ろう。」

「いいんですよ、どうせ起きてきやしないんだから。居ても役に立たないし…。」

「いいや後継が稼業を手伝うは当たり前の事!」


 ゲッ!マジか?

 お屋形様の足音が鳴り響き、俺の部屋に迫ってくる。

 うっ、絶対起きないぞ!

 正月だし、実家だし、寒いし、俺はまだこの生温い布団の中でヌクヌクしていたいんだ!


 ピッシャ‼︎

 いつものことだが、お屋形様は声もかけずにいきなり部屋の戸を開けた。


「新太いつまで寝ておる!もう世が明けたというに早よ起きんか!」

「…。」

「狸寝入りしても無駄じゃ、儂に布団を剥がされる前に起きて酒蔵に来い!」


 お屋形様はそう言い残すと軽快に走りさった。

 クッソオーーーッ

 お屋形様はヤルと言ったら絶対にやる。

 このままシカトしたら、きっと布団を引き剥がしに来る。

 チッ、仕方ない起きるか…。


「新太、入っても良いですか?」


 お濃さん?

 俺はガバっと起き上がり返事をした。


「新太、温かいお茶を淹れて来てあげましたよ。」

「ありがとうございます。」

「それを飲んだら早よう酒蔵に行くのですよ。」


 お濃さんはいつも優しいなぁ。

 お屋形様とは大違いだ。

 お濃さんの優しさにほっこりしたので、俺は着替えて部屋を出た。


「新太、おはよう。はい、温かいタオルを持って来てあげたから顔を拭きなさい。」

「マリーちゃん。ありがとう。うん、気持ちいい。」


 お濃さんはまだしもマリーちゃんにまで優しくされるとは…。

 二人とも俺の実家に世話になっているから気を使ってるのか?だとしたら…?


 くうぅーーーぅ、健気じゃないか!


 お屋形様も案外気を使っているのかも…。

 いいや、違うな。あの人はいつも自己中なんだ。


「おはよ〜ございま〜す。」

「あら、起きて来た⁈」

「男が無駄に言葉を伸ばすでない!シャキッと致せ!」

「はいはい。」

「はいは一回で十分じゃ。実家だからと言って甘えるでない!」


 お屋形様に叱られる俺を見て、母さんはクスクス笑っていた。

 チェッ、少しは庇ってくれたっていいじゃないか?


「さあ、どうぞ。召し上がれ。」

「朝から酒とは…。」

「ふふっ、先先代からの仕来しきたりで、酒屋なんだから酒造りをする前に酒で身を清めてから仕事にかかれって。でもお酒を飲みたかっただけだろうって、亡くなった義父ちちは言ってましたけどね。」

「いや、なかなか良い仕来りじゃ。うん、旨い。酒蔵ここで飲むと格別に旨く感じますな。」

「こんな寒い日は体も温まるし、朝から飲んでも文句言われない良い特権でしょう?」

「誠じゃのう。ワッハッハ」


 この二人、どうやら酒の話になると意気投合するらしい。


 母さんは樽の中をひとつひとつ覗き込み、もろみの発酵具合や酒の熟成状態を見ながら、お屋形様に教えていった。


「悪いけどこの樽を移動させるの手伝って貰えるかしら?」

「お任せくだされ。ほれ、新太そちらを持て。」

「…。…。…。ングッ」

「新太、そなた真剣にやっておるのか?」

「やってますよ!フンググクッ」

「もっと腹に力を入れんか!」

「フン!ググググッ」


 腹に力を入れ顔が真っ赤になって鼻血が出そうなほど頑張った、お尻の穴から腸がブリッと出そうなほど頑張った、けれどお屋形様が持ち上げた樽が俺の方に傾いてくるばかりで、余計に重なった樽に押しつぶされそうになった。


「もういいわ、私がやるから。」

「いやいや、このように重い樽を女子おなごの母上に持たせるわけには…。」

「いきますよ、いにのさん、はい。」


 びくともしなかった重い樽は、母さんとお屋形様の二人でサッサと移動させられた。

 薄暗い柱の影に隠れて朝から黄昏た。


「新太、程良く体も温もったゆえ裏庭に来い。」

「えっ?」


 お屋形様は命令だけしてサッサと先に裏庭の方へ行ってしまった。

 なんなんだよ?人が凹んでるっていうのに、あの人にはデリカシーってもんがないんだ。

 ここは平成で戦国時代じゃねーし、俺は家来じゃないんだからな!

 よしガツンと言ってやる!俺だって言う時は言うってところをみせてやる!


「遅い!サッサとせんか!」

「なんなんですか?」

「今からとれえぇにんぐをする。先ずは腹筋からじゃ。」

「イヤです!」

「やると言ったら、やるのじゃ。」


 低〜い声でお屋形様は言い、いつの間に持ち出したのか木刀を俺の眉間ギリギリに充てた。

 目が寄り目になったまま戻らない。

 俺がビビったのを確認すると、頷いて木刀を下げた。

 力が抜けてへたり込んだ。それを素直に従ったと受け取ったらしく、お屋形様は俺の足首を掴み促されるまま腹筋(頭しか上がらない)をし、次に腕立て伏せ(二回できた。三回目は腕がプルプルした)、うさぎ跳び(五回目に顔面から地面につんのめった)。


「何やってるの?」

「体を鍛えているようですよ。」

「えっ!死にかけの虫を虐めてる真似してるのかと思った。あいつ情けないなぁ。」

「ぷっ、やだパパ。すごく上手い表現ね。」

「そうかい?マリーちゃんに褒められると嬉しいなぁ」


 俺がお屋形様に虐められてるのを、みんな大笑いして見てる。

 笑ってる場合か?誰かたすけろよぉーー。


「もう…、ダメ…、ムリ…。」

「なんじゃ情けない。どれひとつまともに出来ておらんでわないか。」

「なんで…、こんなことしなっきゃなんないんですか〜?」

「酒蔵の後継が、あのような樽も持ち上げられんでどうする?恥ずかしいとはおもわぬのか?」

「いいんです。俺あと継がないし、親だって向いてないってわかってるし、期待されてないんだから、いいんです。」

「心得違いするでない‼︎そなたがこの世に産まれて来れたのは、この250年続く酒蔵があればこそ。この酒蔵が250年かけて、そなたの血と肉を作ってくれたのじゃ。

 今の世は稼業に縛られる事なく、自由に生きられるのは承知しておる。じゃがな稼業を継がぬとも糸里家の子として、稼業を知ろうとしないのは己を知らぬのと同じ事じゃ。

 新太よ、そなたには帰る場所があって、あたたかく迎えてくれる家族がおる。そなたがいつでも戻れるよう部屋もそのままに手入れもしてくれておる。それを当たり前と勘違いするでない。」

「殿、もうその辺でよろしいではありませぬか?さあ新太も着替えをなさい。風邪をひいてしまいますよ。」


 お濃さんに促されて部屋に戻った。


「新太、入りますよ。」


 返事を返すと、お濃さんとマリーちゃんがお湯の入った洗面器とタオルを持って入ってきた。


「殿がキツイ言い方をしてしまって、大丈夫ですか?」

「そうよね。あんなに言わなくてもいいのにね。」

「いいんです。本当のことだから。」

「殿は新太が羨ましいのですよ。」

「私も羨ましいわ。」

「私もです。」


 二人は顔を見合わせて微笑んだ。


「こんなへなちょこな俺がですか?」

「違うわよ。新太のことを大切に思ってくれて、いつでも帰れる場所があることよ。平和で自由で明日が今日と同じように向かえられる安心感。それを当たり前と思えることよ。」

「私たちの時代では、例え親兄弟といえど気を許すことなど出来ませんでしたし、いつ敵が戦を仕掛けてくるか、家臣の謀反など気がぬけぬ日々を過ごしておりました。

 明日の命の保証などありませんでしたから、その日その日が最期と思うて生きておったのですよ。」

「私もベルサイユでは着替えすら一人でさせて貰えなかった。フランス領に入る時にはオーストリアの物全てを取り上げられたわ。下着一枚残してくれなかった。

 まだ14歳だった私は淋しくて心細くて、何度もママンに会いたいって泣いたわ。」

「実家であっても戦となれば敵方になってしまいましたからねぇ。」

「ごめんなさい…。俺、甘えてました…。自分一人で生きて来れたみたいな顔して、何もわかってなかったです。恥ずかしいです。ごめんなさい。」

「私たちに謝ることなどありませんよ。殿のひがみなのですから、気になどなさいますな。」

「そうよ、産まれて育った時代が違うだけ。それだけよ。」

「新太には感謝しておるのです。こんな良い時代に連れて来てもろうて、新太の家族にもようしてもろうて喜んでおりますよ。」

「ノブさんが一番喜んでるわよね?」

「ふふっ、確かにそうですね。さぁ新太も早う下に降りてきなされ。朝餉あさげにいたしますよ。」

「ありがとう。お濃さん、マリーちゃん。」


 二人は話し込んで、すっかり冷めてしまった使わずじまいのお湯の入った洗面器とタオルを持って部屋を出ていった。


 お屋形様たちは帰る場所がない。そんなのわかっていたはずなのに、心の何処かで自分たちが選んだ人生なんだから、仕方ないじゃないかと突き放していた。

 そのくせ自分は勝手に家を飛び出して、好き勝手していながら、自由に実家へ帰るのをなんとも思っていなかった。

 母さんが時々俺の様子を見に来たりするのが、鬱陶しいとさえ感じていた。

 それなのに紗綾が居なくなった後の親を心配している自分が、心優しい息子だなんて勘違していたんだ。


 着替えを済ませ居間に降りていった。


「お屋形様と母さんは?」

「殿が姿を消してしまったので、母上様が探しに行って下さったのです。父上様と母上様の前で新太を叱ってしまったので面目がなくて隠れているのですよ。まったく大人気ない…。」



「やっぱりここにいらしたの?」

「母上殿、酒蔵ここは懐かし感じがして落ち着ける。」

「元の時代に帰りたい?」

「いや、自分が選んだ道。帰りたいとは思うておらぬ。じゃが酒蔵に来ると妙に懐かしいというか、元の時代のことが思い出されて…。ここは良き時代じゃ。明日の我が身を心配せんでも良い。自由に振る舞い、小刀ひとつ身につけず歩ける。便利な良い道具も揃うておる。

 拓海が教えてくれた、儂はこの平和な時代をつくった礎だと…。あの時代で儂は何を成し得たのであろう…。それをこの目で見たかった。あい、すまぬ戯言じゃ忘れて下され。」

「いいんですよ。」

「さっきはすまなんだ。母上殿の前で新太をなじってしもうた。出過ぎた真似をお許し下され。」

「ああ、気にしないで。私たちが言っても聞かないんだから、織ノ田さんが言ってくれて胸がスッとしました。」

「まったく平成いまの若い者は軟弱でいけませんな。」

「アッハハ。織ノ田さん言うと変ですね。今の時代では織ノ田さんも新太と同じ若い者なのに。」

「そうですな。元の時代であれば儂は人生半分生きたも同じ、中年ですからな。」

「でもこの時代で生きていくなら、若者らしくした方がいい。頼りなくてもこの時代では、私や主人の方がノブさんより年上で経験も積んでます。

 酒蔵でならノブさんが気を許せるなら、戯言ぐらい言っていいじゃありませんか?」

「母上…。」


 母さんとお屋形様が居間に戻ってきた。

 何処にいたかは誰も聞かず、皆何事もなかった様に朝食を食べた。


「父さん、母さん、勝手ばかりしてすみませんでした。ここに居る間は手伝いをさせて下さい。と言ってもあまり役に立たないと思うけど…。」

「そうねぇ、役には立たないだろうけど、やらせてみましょうか?お父さん。」

「そうだな、そんなにお願いされたら仕方ないなぁ。その代わり途中てなげるんじゃないぞ!」

「はい。宜しくお願いします。」


 直ぐに後悔することになるのだが、俺も実家にいる間は酒蔵を手伝うことになった。

 どちらにしても親父と母さんの隠し事を、まだ聞き出せていないのだ。もう暫く留まるしかないのだから、いい口実とも言える。

 だが今は親に少しでも感謝の気持ちが伝えられれば良いとだけ思えた。

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