別離の肯定

 翌日は雨音さんを見送って、そしてまた適当に喋りながら過ごした。部室から駄菓子屋への移動が定例化しつつある。


 秋穂さんからは陰りは見られない。怖くはないのだろうか。明日の終わりには、無限の停滞が手薬煉を引いて待っていると言うのに。


 かりんとうの墓標に向けて手を合わせる秋穂さんの後ろ姿を眺めていると、そんな弱気が鎌首をもたげてくる。


 俺は、怖いと思う。自分が終わる瞬間が、自分達人間よりも遥か高みにいる上位存在から、己の存在を根底から否定される事が恐ろしい。


「今日の君はずっと私の事を見ていたな」


 その声に我に返る。俺が思考に耽っている間にお参りを終えたらしい秋穂さんが、いつのまにやら肉薄して俺の瞳を覗きこんでいた。


「君はもしかして私に惚れたのだろうか」


「拒否反応が出るから、性別を意識させるような言動は自重してくれよ」


「む。最後の最後に君に排撃されるのは悲惨だな。控えよう」


 最後。不意に出て来たその単語に、俺は一瞬だけぴくりと眉を顰めてしまう。


 あからさまだった俺の反応を秋穂さんが突っついてくることは無かった。秋穂さんが俺に望んでいるのは、そういう態度じゃないもんな。


 解ってる。解ってるんだよ。明日が、祁答院秋穂という人間の存在が許された最後の日で、それをどうこう悩む以前に、秋穂さん自身がそれを受け入れている事なんて重々承知している。


 俺はただ、見送ってやればいい。


「さて、と……昨日は夜通しで雨音さんと語り合っていたから、睡眠不足感が否めないな。今日はもう帰って身体を休めるとするよ」


 そんな消化不良を起こしている時に、暢気に伸びなんかして、何でもない日を過ごすような態度を取るから、魔が差す。


「秋穂さんは――」


「ん、なんだろう?」


「――他に、俺達にして欲しい事はないんですか」


 喉元まで競り上がった言葉をすんでのところで飲み込んだ。秋穂さんはたおやかに微笑む。俺の心根を見通した上で、しょうがないなぁと言われているような気分になる。


「ないよ。もう、十分だ」


 失態だ。俺らしくない。その答えに、俺は余計な文言を飛ばしたりしないよう唇を引き結んだ。


「明智くん」


 今度は秋穂さんの方から声が掛かる。


「君は、永遠の命が欲しいと思うか?」


 突拍子もない質問だ。だけど、秋穂さんが自分の消滅の先にある俺の結末に思索を巡らせてくれているのは感じていたから、茶化さずに先を促す。


「私は、いらないと思う」


「どうして?」


「私達が生きている事を貴重だと思えるのは、死という絶対の概念があるからだろう。それがなければ、生きる事に一喜一憂したりはしない。誰かの死を儚んだりも、それだけじゃなくて、その存在を尊ぶ事すらしなかったかも知れない」


 持っているものに対しては意識をしていても見えなくなってしまう強制力が働く。


 消滅ロストのシステムが明らかになる前、多くの人間は生まれてから数十年の時間が約束されていた。当たり前のように溢れている時間に、無駄遣いは付き物だ。


「私達は飽きる生き物だ。どんなに美味しい物でも食べ続ければ、飽きてしまう。願望は枯渇する事のない泉のように溢れだす。一過性の満足に浸る事を良しとしないように出来ている」


 最初は素直に恩恵に与っていたここでの生活も、ただ生きる事に飽き、俺は意味を求めた。


「私はこのまま生き続けたとしても、この気持ちを抱き続けることは出来ないんだろうな」


 生物の本質に不変は肯定されない。初心忘れるべからず。そんな格言があるけど、関心を失うのは忘れるからじゃない。


 得る前の自分と得たばかりの自分は違うし、得たばかりの自分と得た後の自分では、何かが変わっているのだろう。


「だから、なんだよ。満足感に浸っている内に存在を失う事が最適解だって言いたいのか?」


 確かにそれなら絶望だとか後悔だとか、そんなネガティブな心を抱えて無限に沈むよりは遥かにいい最期だ。でも、それは手に入れた幸福を手放したがっているようで、噛み合っていないように感じる。


「そうじゃない。永遠の時間を生きたら、その果てで生きることに飽きるだろう。ともすれば、死ねない事に絶望する事すらあるだろう」


 そうやって、わざわざ回りくどくしているのは、俺自身に気付きを得て欲しいからなんだろう。


「私達は、そういう生き物なんだよ。明智くん」


 秋穂さんが何を伝えたがっているのか、ついぞ俺には感じ取ることが出来なかった。


 自室のベッドに横たわって考える。時間だけが虚しく等しく流れていく。俺は、どうしたいんだ。俺は何で、こんなに追い詰められているんだ。


 脳内コンパスの指針はぐるぐると回って向かう先が定まらないまま明日が来る。秋穂さんにとって、最期の1日を連れて。

 


 俺の消滅まで、残り22日。



 浅い眠りを繰り返し、朝が訪れた。しばらくすると杏樹が現れて、開口一番でそいつは憮然と言い放つ。


「ひどい顔ね。終活部とやらに入って、これまで貴方に得られるものはあったのかしら?」


 具体的な収穫は今の所ない。


「まぁ、ないでしょうね。あんなの逃げているだけだもの」


「現実逃避をしてるのは杏樹の方だろ」


「いいえ、私は消滅を受け入れてる。貴方達は消滅を受け入れられないから、目先の餌に食いついただけ」


 何も言い返せない。


「疲れるだけじゃない、そんなの。私達はどうせ消滅するのよ? 痕跡すら残さず、この世に生きた何もかもと一緒に葬られるの」


「お前には血が通っていないのか」

 

 俺が困っているのに次から次へと悲観的な事ばかり矢継ぎ早に囁いてきやがる。


「あら、私はミツヒデを心配しているだけなのに、あんまりな言い草ね。生きる事に不自由せず、人間同士での命の与奪も行われないこの安寧が、そんなに悪いものかしら」


 最初は、良いと思った。幸福だと、思ったんだ。今は空々しく感じていても、この場所には居心地の良さだけを感じていた筈なんだ。


 贅沢に飽きて、次の贅沢を求めてって、俺は何処まで手に入れれば満足するのだろう。いや、違うか。


 飽きるんだ、俺達は。飽きて、不足を感じて、また何かを手に入れては飽きて。延々と繰り返しの無限ループ。


 心に何でもかんでも無理やりありがたがらせれば良いのだろうか? 十分だと言い聞かせれば、満足したままで居られるのだろうか?


 そんなの、それこそ、むい――。


「っ……それ食べたら、自分の部屋に戻れ」


「ええ、そうするわ。ミツヒデに八つ当りされることが目的ではないし」


 悪びれもせずに言って、それ以降の杏樹は黙々と朝食を胃に入れていった。そして、宣言通り汚れた皿を放置したまま去っていく。


「いや、皿は洗っていけよ……」


 出てきた文句にすら心が篭もらない。


「情緒不安定すぎるぞ、俺」


 しっかりしろと、言い聞かせた。せめて、今日だけでも。

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