既に幻想は砕けています

 所詮は第二種人類は第二種人類でしかないな。気が合うなんて、天地がひっくり返っても有り得なかったな。


 なんやかんやあって、部室に到着する頃の俺達の間には、物理的にも精神的にも5メートル以上の距離が開いていた。


「部長は女性だけど、同席しているであろう俺の友人二人は男だ。一応、それだけは伝えておく」


「そう……一応、お礼だけは言っておきます。ありがと」


 利害の一致がなければ、彼女をここまで案内することは無かったなぁ。そうしみじみ思った。


 スライド式の扉を開けると、合計6つの瞳が此方を捉える。


「あれ、ミッツマン。用事はどうしたんだ? 忘れ物か?」


 秋穂さんが陣取る豪奢な社長机の上には貴重なスナック菓子が広がっており、それを囲うように二人も座っていた。


 それ、俺がこないだ駄菓子屋に隠した奴と同じ銘柄なんだけど。


「まぁ、お駄賃だと思えばいいか……」


 役目は果たしてくれているようだし。


「ふふ……くす……」


 秋穂さんが俺を見ながら、堪え切れないとばかりに笑いを零している。


「秋穂さん、人の顔を見て笑うのは失礼だぞ」


「すまない。許してくれ『ゆうしゃ』よ」


 その単語が出た瞬間、こいつらが何の話をしていたのかを俺は瞬時に理解した。


「そうかそうか、お前らは俺の忌むべき黒歴史をネタにしていたわけか」


 じろりと諸悪の根源であろう二人を睨みつけた。


 しかし、トトは飄々とした態度を崩さないし、ふくちゃんに至っては菓子に手を伸ばしている始末。


「いや、だって、ぶちょーに聞きたいって言われたら断れないだろ」


「友人なら一も二もなく断れよ」


「ミッツは忘れているんだな。終活部の部則を言ってみるんだな」


 俺の黒歴史を聞くことで充実する人生なんてドブに捨ててしまえ。本気で思った。


 げんなりしていると、横合いからバッサバッサと何かが強烈にはためく音が聞こえてくる。


 そちらを向くと、遠くの方から制服の上着を脱いで両手に持って俺を扇ぐ雨音さんの姿があった。


 その表情は「私の事、忘れてるでしょ?」と咎めているように見える。忘れてたよ、うん。


 色々と消化不良だけど、放っておく訳にもいかないよな……この場は泣き寝入りするしかないか。


「お前らには後で話がある。そこに広がっている菓子の件も含めてな!」


「終活部の部則を言ってみるんだな」


「それはもういい」


 入り口は一つ。間合いが重要になってくる俺達共有の性質を考慮して、俺は先ず部室の奥深くまで入る事にした。


「俺の過去話は一旦中止にしてくれ。秋穂さんに紹介したい人が居るんだ」


「紹介したい人? まさか『ゆうしゃ』よ……君はまた部員の勧誘に成功したと言うのか!?」


 ゆうしゃという呼び方を改めさせたい。けど、それをやったらまた話が冗長になるだろうから、俺は喉元まで出掛かった文句を飲み込んだ。


「秋穂さんにとっては、新入部員よりも嬉しい相手だと思うぞ」


「ミッツマン、それってあの御方の事か? いや、にしては早過ぎるだろ。往復どころか、行く事も出来ないぜ」


「そこら辺の説明は追い追いな。どうぞ、入って」


 入り口を振り返って呼びかけると、程なくして東校のそれとは異なる制服を纏った第二種人類が登場する。


「急な訪問失礼します。本日は取材をさせて頂く為に参りました『方舟ラジオ』の雨音九葉です、宜しくお願いします」


 雨音九葉が丁寧に頭を下げる姿を秋穂さんは呆然と眺めている。驚いて、言葉が出ないのか。


 もう一人のファンを自称する男は途端に目を輝かせて腰を上げる。


「すっげー! この清廉なるボイスは間違いなく本物の雨音九葉ちゃんっ! しかも、噂では聞いてたけど、マジモンの美人だぜ!」


 今にも飛びかからんとする食いつきっぷりを見せるトト。


「ふふふ、ありがとう」


 表面上では上手く微笑を繕えている雨音さんだけど、内面ではどうだろう。異性が苦手だという点では同情を覚えなくもないから、こっそり釘を刺して置いてやろう。大事なお客様と言うのもある。


「雨音さんは男が苦手らしいぞ」


「女版ミッツマンだって? 冗談だろ」


 面倒くさい話になるから言及はしないけど、第二種人類版の俺というには他にも決定的な差異があるから違う部分ではある。


「本人から聞いた話だ。握手なんて求めて不用意に距離を縮めようものなら、多分一発で嫌われるからな」


「ミッツマンが言うと説得力があるよな……」


 俺だったら異性って時点でアウトだ。嫌い嫌い大嫌い。雨音さんは異性に対して歩み寄りの努力が認められる点、頑張ってる。そこだけは尊敬してる。


 さて、雨音さんが困ったような顔を俺の方に向けてきた。遺憾だろうが、この場で面識があり、頼れるのは俺だけだからだ。


 部長である秋穂さんは固まって雨音さんを見つめたままうんともすんとも言わない。深層にまで沈んだ意識をサルベージする必要がある。


「悪いな。普段は馴れ馴れし過ぎるぐらいの人なんだけど、雨音さんの登場に感動しすぎたらしい」


「そ、そうなの? 私はどうしたら良いかな」


「少し待っててくれ」


 秋穂さんの傍らに寄って、肩を揺らす。


「秋穂さん、戻って来い。雨音さんの挨拶を無視するのはファンとしてどうなんだ」


「お、おい、ミッツマン。そんな事して、大丈夫なのかよ」


「初対面で平然と手を握ってくるような人だぞ。肩を触ったぐらいで一々騒いだりしないだろ」


「トトが言っているのはそっちじゃないんだな。異性に接近して大丈夫なのかって意味なんだな!」


 なんだ、そっちか。トトもふくちゃんも俺の変化に驚きが隠せない様子。ずっと前から俺の衝動を間近で見てきたんだ、無理からぬことだ。ふ。


 簡単に秋穂さんにだけ耐性が付いた事を説明し、秋穂さんの身体を激しめに揺する。


「はっ」


 お、帰ってきたか? 死んだ魚のような瞳に理知的な光が宿った。席を立ち、雨音さんの正面まで移動するその所作の細部には若干の緊張が滲んでいる。


「失礼、お見苦しいところをお見せしました。私は、この終活部で部長を務めている祁答院秋穂と言います」


「祁答院さん、ですね。ここまで来る途中で『ゆうしゃ』から色々と話を聞かせて貰いました。私の方が年下ですし、普段の言葉遣いで接して下さると嬉しいです」


 雨音さんまで俺を『ゆうしゃ』って呼び始めてるんですけど。秋穂さんの緊張を解く意図があるってのは解るけど、俺には遠慮とかしないのか。


 トトが爆笑していたので八つ当たりで脇腹を小突いておく。


「そ、そうか? 堅苦しいのは余り得意じゃないから、私としてもそうさせて貰えると助かるが……そうだな。雨音さんも普段どおりの話し方をしてくれないか? 私だけと言うのは気が引ける」


「はい、解りました。祁答院さんが良いなら、そうするね?」


「おお。雰囲気ががらりと変わった気がするぞ」


「ふふふ、そうかな? それで、取材の件なんだけど……受けて貰える?」


「それは一向に構わないよ。ただ一つだけ確認させて欲しい」


 秋穂さんの表情に陰りが帯びた。雨音さんがどうぞと頷く。


「私は昨日の朝に断りのメールを送ったつもりなんだが、それを見ていなかったなんて事はないだろうか」


 雨音さんが此方のエリアまで訪れた原因を俺は全く気にしてなかったけど、秋穂さんはそうも行かなかったようだ。


 送信ミス等の関係で、連絡が行き届いていなかったのなら、今ここに雨音さんが居るのは手違いということになる。


 秋穂さんにとって、それは望まない成り行きなんだろうな。


「見たよ? 端的に言うと、治安が悪くなってて危ないからって理由だったよね」


 対する雨音さんはあっけらかんとしていた。


「だったらどうして」


「危ないから来ないでって言うのは私達を思いやっての事でしょ? だから、終活部側に不都合はないって判断したの」


「君にとっては治安が悪い云々は判断の基準にすらならないのか」


「そんなことを言ったら、最近西校のエリアにも外部から暴漢の侵入で一悶着があったくらいだからね? 何処にも危険が潜んでるのは当たり前だよ」


 初耳な情報が出てきたぞ。外部からの侵入? ノアに? なんで?


 いや、あり得る話か。仮初の平穏に余生を費やすことを良しとしないとか、あるいはその方針そのものだったり住人を極端に信じられなければ、そういう思考に至るのも自然だ。


 ノアには『セントラル』だけじゃなくて、購買だったり寮の食料庫だったりと魅力的な施設がある。わざわざ恭順を示さなくたって、それらの一つでも制圧ないし、こっそり利用できるルートを確立できれば済む。


 そうか、と鷹揚に返事する秋穂さんの声に思考から引き戻される。


「そういうことなら、私の方に憂いはない。大したもてなしも出来ないが、雨音さんが満足するまで我々の活動を取材して行って欲しい」


「わぁ、ありがとうっ! もし『治安が悪いから』って理由が、ただ取材を断りたいだけの体裁上のものだったらどうしようかと思ってたけど、杞憂で良かった」


 そう言って、ほっと安堵の息を吐く雨音さん。そこまで想像出来ていて、よく事前のアポなしでやってこれたな。


 その強かさに、俺は密かに戦慄を覚えるのだった。

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