公共のキャンバス

 今や牢獄に収監されている狂乱者はゼロだ。分担して一つ一つ内部を確認すれば、目的の者は程なくして見つかった。無残な姿だった。


 片方は後頭部を殴打された形跡があり、片方は首を締められた形跡がある。


 凝固した流血の後が痛々しいが、二人とも原型を保っているのは僥倖と言って良いだろうな。


「一昨日、警備に当たっていた二人に間違いないか?」


「はい……」


 頷いた月日さんは唇を噛んで、悲痛な表情を浮かべている。俺は流血の跡がある亡骸の後頭部を確認した。


「目視だけど、警棒の形と一致すると思う」


 手段が別なのは、絞首の痕跡がある者の方を、当初は後々犯人役として活用する算段だったからだろうか。月日さんからの返事は無かった。


「酷な作業に付きあわせて、ごめん」


「いえ。早い段階で見つけられて良かったです。弔ってあげられるから」


 気丈だ。弔いなんて、生者の自己満足だと思う。思うんだけど、茶々を入れる気持ちにはならなかった。


 かと言って、気休めも言えそうになく。だから俺は一言だけ。


「そっか」


 それだけに留めた。


 秋穂さんは、一昔前のしっかりした段取りで処理された形でしか亡骸を見たことが無いのだろう。顔色が悪い。


「秋穂さんも、無理をして手伝う必要はないからな」


「心配には及ばない」


 目を逸らすぐらいはしてもいいのに愚直に直視している強がりな人だった。


「とりあえず。これで、ひと通りのピースは揃った、か。月日さんから何か質問はある?」


「肝心な部分を聞いていません。彼が犯人だったら、どうして土岐くんが手を下さないといけないのか……そこが、そこだけが解りません」


 ああ、それか。そうだな。人の悪性よりも善性を信じているタイプの月日さんには、解らないかも知れない。


 俺が上書きしようとしたシナリオはこうだ。


 俺が諸悪の根源で、この男に決定的な証拠を掴まれてしまった為、殺した。


 男は無念の内に生涯を閉じるが、今わの際で何とか残した証拠が自警団に渡って、俺の罪が白日のもとに曝け出される。


 俺、捕まる。おしまい。それだけの話。


「罪を擦り付けられそうになった上に、最後まで散々な言われようだったから、ちょうどいい機会だから復讐しておこうと思って。別に追われる身になっても逃げればいいだけだし、ここじゃなくたって生きるだけなら何処でも出来る」


「君はどうしてそんな益体のない嘘を吐くんだ」


 秋穂さんから呆れた光線が飛んでくる。


「嘘じゃない」


 全てに本気の部分がある。この男に殺意が芽生えていたのは本当だし、追われる身になったら逃げればいいだけって言葉も、実行しないだけで本気で思ってる。


「はぁ。素直じゃない明智くんに変わって私の口から話そうか?」


「話さなくていい。話す必要がない」


「このまま彼が犯人だと言う事実が知れ渡る所となれば、君の思惑は何れにせよ悟られると思うが」


「そうならないようにする」


「どうやって?」


「それをこれから考えるんだろ。秋穂さんも協力してくれるって言ったよな」


「そうだな。それじゃあ私も早速協力することにしよう」


 その一言に、俺は猛烈にプレモニションな方の予感を刺激される。


「月日くん。もし、彼……いや、分かり易く言い換えよう。自警団の誰かが、凶悪な事件を起こした事が公になれば、何が起こる?」


「何が、って……」


 あの、秋穂さん? 話さなくて良いって言いましたよね、俺。


「秋穂さん。これ以上、余計なことを言ったら怒るぞ」


「やめさせたければ口でも何でも塞ぐと良い。出来るものなら、な」


 ぐぬぬ。俺が秋穂さんに触れられないと思って付け上がりやがる。


「自警団への不信が高ま……あ」


 俯いて思案に耽っていた月日さんが閃いたのか、勢い良く顔をあげる。


「そういう、ことでしたか。自警団は多くの信用を失う。抑止力としての効果が薄まり、それだけじゃなくて、あたし達の存在が、この街の住人達の心をおびやかす要因になってしまう」


「……覚えてろよ、秋穂さん」


「何の話だ? 君に注意されてから、私はこの件に関わる話をしていない。私は怒られなくて済むんだろう?」


 屁理屈をををををををを。

 

 自警団は正義の組織だ。もしそれが、この件を内部で揉み潰したり、事実を隠蔽したりしようものなら、彼等の挟持に著しい損傷を与える事になる。


 悪いことは悪いことだ。だから俺は、俺のなそうとしたことを高らかに語ろうとは思えなかったし、事情を伏せたまま、ただ俺が悪であったと、それで終わってくれた方が好都合だった。


 ましてや。


「この街の為に、土岐くんが犠牲になるって事だったんですね」


 犠牲なんて大仰なものじゃない。俺の願望の為に動いただけであって、その点だけ見れば、犠牲に当て嵌まるのはそこに転がっている男だ。


 未然に終わったのに、俺の気持ち悪い思想が明るみに出るなんて、居心地が悪いなんてもんじゃない。


 羞恥心を秋穂さんへの怒りに転換していると、いつのまにやら月日さんが俺を凝視していた。


「な、なに?」


「良かったです」


 心なしか、瞳を潤ませて月日さんが微笑む。


「え、なにが?」


 困惑する俺に、月日さんは「秘密です」と言って身を翻した。


 遺体をそのままにしておくわけにもいかないし、今後の方策を相談しないといけないこともあって、俺の愉快な仲間達と自警団の団長に招集を掛けた。


「杏樹の奴、恐ろしく不機嫌だったな……睡眠時間を削られてご立腹なのか」


 あら、死に損なったのね。ミツヒデが望むなら、私が息の根を止めて上げてもいいのだけれど、どうする? だとさ。


「明智くん……君は、彼女が心労をこじらせたとは少しも思わなかったのか」


「俺の心配をして不機嫌になる? そんなバカな話はないだろ」


 しばらく待つと、団長さん、ふくちゃん、トトと杏樹の順に到着する。


 事の顛末を聞いた団長さんは一寸の狼狽があったけど、すぐに協調の姿勢を見せてくれた。


 急造の棺桶に犠牲者の二人を収め、儀式的な物は後回しにさせて貰って話し合いに移行する。


「俺には、この件を上手く処理する方法が思い浮かばない。誰か、妙案はないか?」


 挙手はない。だろうな、と。俺は内心で自嘲する。


「やっぱり、何処かでズルを飲み込むしかないか。真っ当な方法で、なんて奇跡みたいな方法は無い、しな」


 考えに考えぬいて、俺は先程の決意に至ったんだ。やっぱり、あの時、手を止めるべきでは無かったのかも知れないと、そんな諦観が脳裏を過ぎろうとした。


 そんな時。月色の髪を靡かせて、秋穂さんが毅然と言い放つ。


「だったら、真っ当な方向で行かないか?」


 思えば。最近の俺は、行き詰まる度にこの人の言葉に手を引いて貰っていた気がする。


「この事件の余波を最小限に留めることが至上目的であるなら、虚飾で包むよりも、寧ろ、ありのままを伝えた方が良いんじゃないかと私は思うんだ」


「でも、そうしたら、俺の危惧していたような事態に陥る可能性が高い」


「そもそも、それだ。その行き過ぎた懐疑心の方が問題じゃないか? いや、懐疑心というよりも、過剰な保身か」


「秋穂さんは混迷の時代を知らないから、そう言えるんだ」


 そう。秋穂さんは、俺達とは異質な存在だ。彼女は混迷の時代を一人で生きた。


 それは文字通り。敵も居ないが、味方も居ない。だから、敵に寄って命を脅かされた事のない秋穂さんと俺達では価値観が違う。


 誰一人として、秋穂さんの意見を好意的に受け取るものがいない。そんな逆境の中でも、秋穂さんは堂々としていた。


「ああ。君の言う通り、私はその過酷な日々とやらを知らないよ。だからこそ、言える事がある」


 俺は。


 あの日々を経験していない事は、弱さだと思っていた。そう、思い込んでいた。


「そんなモノが無くたって、この街では生きて行ける。私は、生きてる」


 なのに、俺はそう言い切る秋穂さんに完全に飲まれてしまう。


 秋穂さんは生きてる。戦うことも、疑うことも、人並み以下にしか出来ないのに。


 それなのに、この街で、俺が見てきた誰よりも、ずっと生きてる。


「昔は、それが普通だったんだよ。少なくとも、この国では。変わったのは君達で、私は当時のままだ……それでも、この街なら。人が文化的な暮らしを取り戻そうと足掻いているこの街でなら、私でも問題なく生きていられる」


 秋穂さんが何を訴えようとしているのか、薄々感じ始めていた。


「この世界は一つの大きなキャンバスだと言うだろう? そこには真っ白な部分なんてなくて、不可分の領域もない。でも、一人一人が思う様に色を乗せているように見えて、その実はきちんとした一枚の絵になっている場合が多い。だから、君が言っていたように、君一人が其処に何かを描こうとした――変わろうとした――って、線を引いたそばから上塗りされて、重ねられたその線さえも間断なく書き換えられていく」


 塗り潰されたくないから、俺達は誰かが、誰か達が描こうとしている絵に溶けこんで生き残りを図った。今の俺達はそこに適応した形になっている。


「元に戻ろうと働く力は大きい。そんな不思議な修復力が働くのは、皆が一緒なんだからだろう」


 秋穂さんの言葉に、杏樹が「一種のホメオスタシスね……」と呟く。俺は説明を求める視線を杏樹に送ってみたけど、スルーされた。


「でも、変わった。私とは異なる価値観を持つまでに至ったのは、時代の流れにそうならざるを得なかったんじゃない」


 俺達が、そうしたから?


 でも、そうしなければ、理不尽な結末が待っていた――なんて、免罪符で己を慰めているから、悪循環が止まらない。


 じゃあ、だったら、どうすればよかったんだ。


「明智くん」


「なんだよ」


「君は、相手が咎人であっても、人を殺めないことを選択した。それは、何故だ?」


「秋穂さんに選ばされたってのが大きいんだけど……」


 殺した方が楽だった。害悪の芽は摘んでしまった方が安心だ。人に与えた苦痛の分だけ、きちんと贖いをするべきだとも思う。


 でも、それで人を殺したら、俺も同じだ。過去、そうであったとして、それが免罪符になる理由はない。


 殺されたくないから、先に殺す。それが本当に意味を成すのは、世界に一人になった時だけなんだと言うのは、解ってた。


「命を奪わないで済むなら、そっちの方が良い。奪われないで済むなら、それが理想だ」


「それじゃあ、変わろう。君がそう願えるなら、変われる」


 簡単には変われないと言った癖に、秋穂さんは迷わずに断じた。


「君が――私<異質>じゃない君が変われるなら、皆が変われる」


 秋穂さんの色が、キャンバスを彩ったような気がする。風雨に負けず、空に向かって伸びる黄金色。


「他人の色や線を紡ぎ合わせれば、絵を描ける。この世界がそんな風に出来てるのは、皆が知っているだろう? だったら、理想の絵だって描ける」


 眩しい。直視できない。ただただ綺麗な偶像。


 理想は理想だ。馬鹿正直に語っても、割を食うだけ。現実には成り得ないと、笑われておしまい。


 でも。やっぱり、理想は理想だ。


 そうなれるなら。そう変われるなら。それ以上はない。


「それで、ご高説を披露するのは構わないのだけれど」


『(´ー`)』←こんな顔をした杏樹が話に介入してくる。


「真っ当な方法って、具体的にはどうするつもりなのかしら?」

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