齟齬って文字は五秒間眺めるだけでゲシュたりますよね。そういう事です。

 事の経緯を説明する条件の一つとして、男の拘束を許してもらった。縄などは持参してなかった為、鎖で代用する。


「ぐぁ……」


 月日さんが見守る手前、優しく丁寧にしたつもりだけど、痛む傷に何度か呻き声を上げた。


 作業そのものは恙無く終わる。でも、その間、月日さんは終始複雑そうな表情を浮かべていた。


 月日さんが過剰なまでに俺に信頼を寄せてくれているのは感じている。だからこその板挟み。自警団の仲間と俺、どちらを信じるのか。


 俺を信じれば、仲間だと思っていた者の裏切りを認める事になる。俺を信じられなければ、信頼を裏切られた事になる。


 彼女に非はない。けれど、見抜けなかったのは落ち度になるのかも知れない。


「俺自身の情報の整理も兼ねて、最初から話すぞ。質問は最後にしてくれ」


 全ての事の始まりは一昨日ではないんだろうけど、ここは便宜上そういう事にしておく。


 俺が狂乱者を捕らえて牢獄に押し込めたのが一昨日の昼過ぎの出来事。


 その時間の付近で牢獄から離れていく俺の姿を、警備の交代に訪れた者が目撃した。その後、同人物が警備の不在に気付き、狂乱者の脱走が発覚する。


 状況から判断すれば、俺が容疑者になるのも頷ける。


「目撃者はこいつ。それで」


 拘束した男を一瞥してから。


「その時に脱走した者の名は──大上来常」


 俺は間違いなく、目撃証言に違わぬ時間に牢獄を訪ねていた。


 でもそれは、罪悪感だとか、消滅の瞬間を牢獄に決定させてしまった事への同情を消化仕切れずに彷徨いていただけだ。


「その時には既に警備なんて居なかったんだよな。だから俺はすんなり入れた」


 本当は、逃がしたのかも知れない。記憶にないけど。記憶にないんだ。それを、確認した。


「俺は、捕まえた狂乱者を誰一人として知らなかった」


 大上来常もそうだけど、この場合は一昨日に俺が捕らえたと記憶されている誰かの方を強調する。


「俺は俺自身も疑ってはみたんだ。けど、違った。俺はこの一連の事件に関与していないらしい」


 警備不在は俺が牢獄を彷徨く前からで、既に脱走が行われていたかはこの段階では不明。目撃者はこの男。脱走者は大上来常。


 要点を抑えた所で時計の針を進める。その後、月日さんと男が俺の監視に付く。


 一日中付き纏われた昨日を跨ぎ、眠りについた街を叩き起こす警鐘が鳴り渡った。


「月日さん個人との協調で、ある程度まで自警団の情報が共有出来た俺達は、脱走者の動きを封じながら、最初の一人を特定しようと動き出した」


 購買を燃やしたのは、脱走者達から選択肢を奪う為だけに蒔いた種ではない。内部に居るであろう協力者を炙り出す一石二鳥を兼ねていた。


「最初の一人が只の狂乱者で、気紛れに大上を解き放ったのであれば、その段階で他にも脱走者が居なかった事に違和感が生じる」


 波乱を起こしたいのであれば、全員を解き放ってしまった方が効果的だろう。最終的にはそうなったけど、その時点ではそうしなかった。


 理性的に狂っている――この場合、道徳的判断力が欠如していると言った方が正しいか――なら、計画的である事が伺える。


 あるいは、大上本人に消されている可能性もあったが、元々そこに居たであろう警備の人間が行方を眩ましていた点を鑑みると、その線は低いと考えた。


 その場で処分したのなら、その亡骸を、その最初の一人が自警団の警備を『そうした』のと同様に隠す意味もない。


 以上を統合して考えて。


「二人は協力関係を結んでいると判断した俺達は、購買焼失の直後から、寮の施設の方を見張っていたんだ」


 一階から床続きになっている其処には、購買のソレよりも充実した食料品の数々が揃えられている。


 俺とトトが帰還した時に杏樹が部屋に居なかったのは、杏樹がその役割を担当していたからだ。


「それで、まぁ……既にお察しだと思うけど、その男が網に引っかかったワケだ」


 この先あるかも解らない自由時間を得て、今の内に食糧を調達しておこうと考えての行動と考えても自然と言えば自然だけど。


 それよりも。


 精鋭に選ばれて、これから命の危険を伴う見回りに出なきゃいけないって時に食料品を見繕うってのは、余裕が有り過ぎる。


「見張りからの連絡を受けた俺は寮の外で待ち伏せして、ちょっと予想外の方向になったけど、そいつと巡回することになった」


 その道中で脱走者達の襲撃に会う。男の荷物は奪われるも、命からがら生還した。


 荷物と言えば。杏樹からの報告で聞いていた鞄の特徴に相違はなく、その中身は間違いなく食糧だ。彼等は餓えていた。


 俺達が来る事が解っていたかのように、待ち伏せされていた事。それを可能にする為には、何方かから情報の提供がなければ難しい。当然、俺からではない。


 巡回ルートが設定されていたなら自警団に他の内通者が存在している事も考えられるけど、男の荷物を考慮に入れると、どうだろうか。偶然にしては出来過ぎている。


「なんらかの手段で荷物を受け渡す事は想定していたから、気付かれないように俺の後を着いて来ていたトトに尾行を任せた」


 これで脱走者達の所在が丸裸になったって寸法だ。


「後は月日さんが知っての通りの展開だな」


 自警団の動きは此方に入っていたけど、俺達の動きを月日さんには伝えていなかった。


 月日さんから情報が漏れることを警戒していたのもあるし、月日さんが最初の一人だって懸念もあったから。


「さて、ここまでは確定している情報だ。ここからは穴を埋めていく」


 手持ちの情報から、パズルの抜けた部分を補う作業だ。さしあたっては。


「そいつが最初の一人だと疑った理由は、食糧云々に限った話じゃないんだ」


「……内通者の存在は自警団内部でも疑われていました」


 そう。この一連の出来事は内通者でも居なければ説明できない事が三点ある。巡回中の襲撃がその一点。


「一昨日の牢獄襲撃」


 自警団の任務は基本的に二人一組で行うのがルールだと立ち聞きした事がある。一昨日の話だ。牢獄の警備の方も例に漏れないのだろう。


 犯人が単独犯であれば、その二人をあっさり下した事になる。素早く行わなければ、連絡が行き届き応援を呼ばれてしまうからだ。


 非常事態の対策は万全な事だろう。それこそ、スイッチ一つで知れ渡る所のような――夜間の警報がそれを示している。


 仲間の接近であれば、警戒しない。警報を鳴らされる前に制圧出来る。


「大上が脱走してからの巡回」


 全脱走を目論んでいたのなら、そう遠くへは行っていなかった筈なのに、大上脱走直後の虱潰しの捜索では全く姿を見せず、俺が襲撃された時はピンポイントに現れた。


 脱走者に協力しているという時点で、内通者はイコールで最初の一人に繋がる。


「これで、容疑者は自警団の構成員の誰かに一気に絞られる」


 本格的に動き始めた時から、自警団のメンバーが怪しいと思ってたんだけど、それは個人的感情も含まれるから伏せておく。


「……あたしも、その一人だったんですね」


「早めに疑って疑念を晴らしておこうと思ったんだ。話を進めよう。容疑者の絞り込みを行う為に、購買焼失っていう釣餌を垂らしたよな」


 それに引っかかったのは一名だけだった。


「そこからはより徹底的にソイツを疑って掛かった」


 単身――とは言っても、近くにはトトを侍らせていたけど――で見回りに着いて行ったのは、言質が取れればと考えての事だ。


「俺に向けていた敵視は本物だったから、巡回の時に直接的に牙を剥いてくれないかと期待したけど、流石に警戒されたみたいだ」


 搦手を打たれた。それも、最適な形で。


「食糧を渡しつつ、被害者の一人となり、狙いすましたかのような襲撃を『俺の目論見』だと示唆する事が出来る。これを考えた奴は、狡猾だよ、ホント」


「それは何方かと言えば、穿った見方では? 彼が犯人では無いと考えられなかったのですか」


「犯人だよ。間違いなく。内通者が居る確信があり、釣餌に引っかかった。それだけなら、まだ偶然で処理できるかも知れないけど、そうじゃない」


「……続けて下さい」


「その男は所々で自供してた」


 俺を犯人とした場合の話に置き換えて懇切丁寧に教えてくれていた。


「最初は『アリバイがない』だったか。登校していない連中を無視すると、あの時間に授業を受けていなかったのは秋穂さんと俺ぐらいだったんだよな」


「え? はい。それは、少し前にお話した通りです」


「三人欠けてるよな」


 そう指摘すると、月日さんも察したらしく「あ」と小さく息を漏らした。


 消息不明になっている警備の二人じゃ、その後の内通は不可能だから除外するとしても、一人残る。自警団の一員であり、俺を目撃した人間だ。


「ですが、彼は職務熱心で、日頃から早い時間に交代に向かうのが常でした」


「それじゃあ、次だ。今度は『アリバイがあるだけ』の方に行こう。恐らく、大上一人を逃したのはこの布石だったんだろうな」


 月日さんと共に俺の監視に着いていた男は、これで二件目のアリバイは成立する事になる。


 普通に考えれば、大上が実行したと思うだろう。だが一方で、大上が引き起こしたものでは無かった場合は? 大上が実行犯である証拠がないんだから、そう仮定すると、アリバイのない者が出てくる。


「さっきも言ったけど、波乱を引き起こすことが目的だったら、最初の段階で全員を逃がしてしまった方が効率的だった」


 それじゃあ、そうしなかったのは何故だ?


「そうした場合に得られる旨味はなんだ? アリバイを作る為か、確実に逃がす為か。多分、どっちもだろうな」


 月日さんから聞いた話では、収監の際に食料と抱き合わせで入れられてからは一週間間隔で規定量の食料を提供するらしい。


 自己管理が出来ない輩なら一週間は保たないとも言っていた。


 古今東西、人を監禁するなら腹具合は足りないくらいがちょうどいいと言うし、その体調は万全とは程遠い事は想像に難くない。


 最初の内に身分に左右されない自由に動ける駒を確実に調達しておいて、工作を施したって所だろう。


「『怪しむべき点が多すぎる』よな。真っ先に対策を聞いてたみたいだし、『情報が漏れれば裏を掻かれ放題』とも言ってたっけか」


「それだけじゃ、ないんですよね」


 首肯する。自分に跳ね返ってくる言葉で有効な物を終盤に二つも残している。


「『マッチポンプ』」


 これは、正式に自警団の協力を仰いだ時に男の口から出てきた言葉だ。


「それはどういう意味ですか?」


「自分で起こした火を自分で消すとか、そんな意味」


「すいません。その言葉がこの件にどう関わってくるのでしょうか」


「この男は自警団の精鋭に選ばれたらしいけど、それって実績があるからだよな」


「そうですね。大上来常に自首をさせてからメキメキと――」


 月日さんはそこまで言って何かに気付いたようだ。ハッとして、息を飲んだ。


「月日さん。忌憚のない意見を言って欲しいんだけど、その男は精鋭と呼べる程の能力を持ってるか?」


 鎖で拘束された男の身体が視界の端でぴくりと反応したように見えた。


「それは……あの……」


「武器有りで手合わせをしたら、どっちが勝つ?」


「私、だと思います」


「俺もそう思うよ。それに、頭が回る訳でもない」


 自分の首を締める失言ばかりをする。


「尻尾を掴む為に踊らせたって言ってたけど、もしそうするつもりなら、それは最初からするべきだった」


 面と向かって貴方が容疑者ですなんて言われたら、犯人じゃなくたって警戒する。


 一連の騒動を綺麗に消火するには罪を一手に引き受ける犯人が要る。けれど、自分がそうなっては意味が無い。だから別に用意しようとした。


 怪しそうな誰かを自殺に見せかけて殺害して遺書をしたためればそれっぽい演出が出来るんだろうけど、そんなリスクを負わなくても犯人にするのに御誂え向きな人間が居た。


 それで俺を犯人に仕立て上げようとして喧伝したのは解るけど、それにしても内々だけで済ませるとか上手い遣り方があった筈だ。


 振り返ってみると、月日さんが最初の一人だったのだとしたら、その遣り方は優れていたと思う。正面から仕掛けて、あっさり引き下がったかと思えば、味方のような素振りを見せてくる。


 油断を誘われるなんてもんじゃない。っと、話が逸れたな。


「そんな能無しが、ある日を境に一定以上の成果を上げるようになった」


「それ以降の実績は全てマッチポンプ……?」


「狂乱者を作り出すか、でっちあげるかしたのか、詳しい所は解らない。でも、大上と組んでいたのは確定していいだろ。大上は『自首』をした。なのに、逃げた」


 牢獄の居心地が悪かったとも取れるけど、牢獄の居心地がイイワケないのは事前に想像できる範疇だろう。


「大上が思考を読むっていうのは本当だった。これはもう完全に状況から考察した予想なんだけど、大上が自首する際に唆したんだと思う」


 一度の対面で、大上の心の歪みを見た。たった一度の対面だったから、確証はない。でも、こう考えるとしっくり来る。


「捕まってあげる、って。もし、同じ賞賛を浴びたければ、自分から牢獄の扉を開けると良いって」


 実力がない癖に、プライドは高い。または、一度も陽の目を見たことのない人間は、増長しやすく、栄光に依存しやすい。


「大上来常……彼女が狂乱者として自警団の捕縛対象となった理由を知っていますか」


「知らないけど、人心を煽って狂乱者を生み出したとか、そんな所だろ?」


「合っています。だから、土岐くんの予想は……筋が通っています」


「マッチポンプについては、こんな所だな。次が最後の自爆だ」


 男が誘いに乗り、この場所で俺と対峙せざるを得なかった理由が此処にある。


「『この場所に決定的な何かを隠している』」


 それは、その男が直接犯した大きな過ちの痕跡だ。男が俺の誘いに乗ったって事は、それが決定的な証拠になる筈。


「この牢獄のどれか一室に放り込まれていると思うんだよな。二人も探すのを手伝ってくれないか?」


「それは構いませんけど、何を探せばよいのでしょうか?」


 一昨日の昼過ぎに俺が牢獄に立ち入りながら、違和感を抱かなかったその理由。


「アリバイがない二人だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る