彼の選択

 事後処理は休んでからと言うことであの場は一旦解散の運びとなった。


 寮を離れて、俺は単身で学校まで足を伸ばす。赤い光を撒き散らしていた購買は建物の半分以上が焼け残り、不自然な状態で鎮火していた。


 ルネ美が何かをしたのかもな。なんて、現実的とは言い難い思考に自嘲を覚えながら中庭に向かう。


 そこには地下に通じる階段があり、俺は迷うこと無くその階段を辿って地下――通称、牢獄と呼ばれる領域に入った。


 寂寥感が漂う、陰気な空間。手探りで明かりを付けると、整然と並ぶ幾つもの重厚な扉が目に入る。


「さて、と」


 疲れを訴える身体に鞭を打つ。骨が折れる作業だけど、千里の道も一歩からだ。手前の扉から、外鍵を捻って解錠した。


 じゃり。そのタイミングで、背後から足音が聞こえて振り返る。


「そんな所に何の用だ、土岐」


 そこには良く見知った男が立っていた。それは先程、俺に謝罪をしたばかりの男の顔だ。


「現在の所は収監者がゼロだとは言え、牢獄に部外者が無用に立ち入るのは感心しないな」


「確かめたい事があるんだよ。それで、そう言うお前はこんな場所に何の用なんだ? まさか、和解まで済ませたのに俺を尾行してたんじゃないよな」


「土岐光火。お前は忘れていないか? この事件にはもう一人、捕えなければならない者が残っている事を」


「そうだな」


 脱走した狂乱者達は制圧した。彼等は拘束した上で暫定的に最上階の寮の一室に軟禁している。


 ここに居た狂乱者達を脱走させたのは最初に脱走を果たした一人だったとしても、その最初の脱走を助けた何者かが野放しになっているのだ。


「お前の中で俺は未だに最有力の容疑者ってワケね」


「ふん。あの和解で油断を誘って正解だったな。ようやく、尻尾を掴めそうだ」


 自警団の長も共謀者に関しても調査をするつもりだと言っていたが、昨日の一人の脱走が発覚した段階から動き詰めで疲労はピークに達していた。


「皆には一先ずの休息が必要だった。犯人が何かを行動を起こすのなら、これほど絶好の機会はないだろう」


「それで、当初の方針通りに俺を張っていた、と」


「そうだ。土岐光火。お前には怪しむべき点が多すぎた」


 俺に嫌疑が掛けられている理由は協力者から聞いている。直前に狂乱者を捕まえている事と、当時のアリバイが無い事。


 それともう一つ。

 

 その時間、自警団の者が近辺でその場を離れる俺を目撃したとの証言があった事。


 全部、月日さんから聞いた。俺達が独自に動く事を決めた後、寮の警備の配置などを教えてくれたのも彼女だ。


 この男が自警団の内々で俺を実行犯だと訴える言葉も俺には筒抜けだった。おかげさまで大分動きやすくなったな。


「土岐光火。俺が単独で外に出るお前を見咎めて同行を申し出た際に狙いすましたかのように奴等の襲撃に会ったな」


「まぁ、あれはまさに狙いすましたからなぁ」


「……ついに認めたか」


「ああ。それが『どういう意味』か、解ってるよな」


「息の根を止めて口も止めるつもりなんだろうな」


 息の根を止めるって部分から後は蛇足だ。ここで、終わらせる。


 心に吹き荒れていた風は止まり、凪が訪れる。


 その中心に目的だけを据えた瞬間、俺の身体は殆ど自動的に動き出した。


 腰に巻いた鎖の留め具を外して、男に肉薄する。腕の挙動にやや遅れて、頭上の照明が音を立てて割れた。


 ガラスの破片が降り注ぐよりも早く、男の頭上をかち割らんと鎖が落ちる。視界を血の色が染め上げた。


「どうして、こんな事を――」


 しかしそれは、男から漏れでた液体等ではなく、男の背から突如として現れて、男の死出を阻んだ者の燃えるような赤い髪と瞳だった。


「――どうしてですかっ、土岐くんッッッ!!」


 裂帛の気迫を乗せて、巻き付いた鎖ごと叩き切らんとばかりに横殴りの一閃が繰り出され飛び退く。


 刀に巻き付いていた鎖は先端から外れて落ちる。追撃が訪れない代わりに、答えを求める月日さんの切実な瞳が俺を射抜いた。


「其処を退いてくれ」


「あたしの質問に答えて下さい。どうして、こんな事をしたんですか」


「説明する必要がない」


「月日……余計な詮索は不要だろう。状況が全てを説明している。それにおそらく、この場所にも決定的な何かを隠しているのだろう。それは奴を片付けた後、じっくり調べるとしよう」


 月日さんを庇うように前に出て、俺を睨む男。僅かに口角が上がっているのは、目論見通りになったからだろうか。


「何が土岐くんをそうしてしまったんです、か」


 月日さんの悲痛な声に、胸が痛む。


「諦めろ。既にあいつは狂乱者の身に落ちている。殺すつもりでやらなければ、骸となるのは俺達の方だぞ」


「っく、そう、ですね……せめて、これ以上の過ちを重ねる前に、あたしが止めます」


 退路は正面にしかない。形勢は不利っぽい。どうしよ。逆転の糸口を求めて観察から始める。月日さんが使っているのは日本刀か。


「長物って室内だと取り回しが難しくないか?」


 護身道具を携帯するのが常となってから、青き衝動で日本刀を選択した奴等は高確率で早死にした。


「もう、話す言葉はありません……」


 番えた矢を打ち出す直前の弦のように強張った空気を肌で感じる。先程の一合で解っていた事だけど、月日さんの日本刀の習熟度は高い。どうしような、ほんと。


「俺から行くから、月日は続いてくれ」


 そう言う作戦みたいなものを交わすの、アイコンタクトなりでなんとかならなかったんですかね。垂れ流しだぞ。


 と見せかけて、なんて気配もなさそうだ。伸縮タイプの警棒を両手に一本ずつ持った男が突撃を仕掛けてくる。道幅は三メートル弱。半径三メートルは俺の鎖の届く距離。


「今から振り回すから離れるなよ」


 そう宣言して、身体ごと回す遠心力で鎖を伸ばす。


「バカが、見え見えだッ!」


 男のひざ上辺りに鎖の先端が横殴りに触れようとした所で男が跳躍し、そのまま飛びかかってきた。


 本当に見えてるなら、そんな悪手は打たないと思うんだけどな。


「ぐっ!?」


 男が俺を見た。


「これが言葉の使い方な」


 鎖から手を離し、眼と鼻の先に拳を突き出す俺の姿を。大袈裟に腕を振り上げてなんているから、俺の拳の方が先に当たるんだよ。


「きゃっ」


 波打つ鎖が男の背後に追従していた月日さんを襲う。これで短時間は確実に孤立無援の状況を作り出せた。事前情報さまさまだ。情報は武器だと言う格言は偉大だ。


 鎖が上手い具合に糾われてくれることを祈りつつ、俺は渾身の力で男の胸の中心をぶん殴った。


「が、はっ……!」


 フィクションみたいに馬鹿みたいに打ち合うことも鍔ゼリ合うこともない。命のやり取りなんて一瞬で片がつく。


 地に足を付けず相うつ慣性をもろに受けた男は、前のめりの状態からくるんと回って頭を打ち付けそうになった所を、刀を捨てて形振り構わず駆け付けた月日さんによって命からがら救われる。


 骨を砕いた感触があった。折れ方によっては内臓を傷つけている可能性もあるけど、血を吐く素振りはない。男が手放した警棒を拾い上げて、2人の元に歩み寄る。


「もう、やめてください」


 しゃがんだままの月日さんが、俺から守るように男の頭を抱きかかえて見上げてくる。


「退いてくれ」


「お願い、します……」


 赤い瞳に涙を滲ませて、懇願してくる。いい具合に戦意を喪失してくれている。余計な時間を食ってしまったけど、これなら後もうひと押しで済みそうだ。


 警棒を乱暴に投げ飛ばして、落ちていた刀を拾い、刀身を検める。持ち主の使い方が上手く、手入れが行き届いているのだろう、パッと見て刃毀れは見当たらない。


「心臓を貫かなくても、腹部を深く抉れば感染症か出血多量でどのみち死ぬ」


「やめて」


 刀を逆手に持って、先程の位置へ。


「頭を守られても、命を奪う手段は幾らでもある。それがお互いにとって一番楽な手段ってだけでさ、俺達の命は酷く脆い」


 だからこそ、守らなきゃいけない筈なのにな。


「やめてよ! こんなの……こんなの、土岐くんらしくないっ!」


「たかだか一日二日の付き合いで俺の何が解る」


 俺はこれまでも、こうしてきた。集落を追放されたのは、その為だ。だからある意味では――。


「これが本当の俺だ」


――変えられない、俺の本質なのかもな。そうなってしまった環境がある。これは、その環境に適応し、最適化された俺の形だ。


 その環境が変わらない限り、俺は変わらぬ罪を犯し続けるのだと思う。消滅の瞬間か、この命が奪われるまで。


「違うっ! 土岐くんは、あたしが知る限り誰よりも優しい人よ……正気に戻ってぇ!」


 無言で切っ先を男の腹部に向ける。


 月日さんが身を挺して男を守ろうとするのは目に見えていたから、まずは切っ先を下ろす素振りを見せて身体が固まってから隙間を狙う公算だ。


 予定通りの挙動をすると、月日さんが男の身体に覆いかぶさった。


 階段の方から足音が聞こえる。誰かが来たらしい。けど、もう遅い。その主が敵であろうと味方であろうと、立処に全部終わる。


 脇の辺りに焦点を合わせて、切っ先を落とそうとした時。


「っ、明智くん!?」


 予想外の声に、切っ先が鈍る。そして、何を思ったかその人は。


「こんな終わり方、私はきっと後悔するぞー!」


 そんな胸中を叫んだ。説得の言葉としては見当違いにも程がある。それなのに、確実に、想定されていたであろう通りに、男を永劫の虚無に送り届けようとしていた刃を、俺は止めてしまった。

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