悪魔の実のお話

 

 寮に凱旋を果たすや、団長が俺に声を掛けてきた。


「この件が早期に終息を見たのは、偏に君の貢献に因る所が大きい。自警団を代表して感謝を述べさせてくれ。ありがとう」


「いや、自警団の力が欠けていたらどうにもならなかったし、この成果はやっぱり全員の功績だと思う。俺の方こそ、感謝してます」


 寮のエントランスには出発前とは正反対の活気で満たされている。


 お互いの健闘を褒め称えたり、安堵を伝え合ったりして、一様に一仕事を終えた後の充足感に浸っていた。


 その光景を隣で眺めるその人の顔は晴れやかとは程遠い。


「団長さん。犠牲、出なかったワケじゃないんですよね」


「まぁ、な」


 狂乱者を隔離する牢獄の警備がザルだったとは思えないし、脱走者が出てからは厳戒態勢を敷いていただろう。


 それでも、この事件が起きたという事実が指し示すのは――。


「事の重大さと比べれば、遥かに少ない犠牲で済んだ事を喜ぶべきだろう。これ以上の結果を望むのは贅沢が過ぎる。彼等は使命を果たした……それだけだ」


 使命を果たした、ね。本当に、それだけだったら、彼等はまだしも報われたかも知れない。


「自警団って何の為の組織なんだ?」


「唐突に意な事を聞くな。自警団は平穏を維持する事を至上として活動する組織だ。あの時代を経て、我々は人同士いがみ合う事が如何に非情で無益な物かを痛感させられただろう?」


 食べる物に事欠き。自らの命を守る為に、他者の屍肉を食らうような時代。


 そこに道徳や倫理なんて弱い力が介在する余地はなくて、騙されれば死ぬし、出し抜かなければ死ぬ、それが共通認識だった。


 手を取り合うことが出来れば生きていけるのに、騙されない為に疑って、騙される前に裏切って、そんなのが横行していたから、必要以上の死人が出る。


 消滅ロストを待つまでもなく、至る所に生物としての虚無がそこら中に転がっていた。


 次は自分の番かも知れないと、出口のない悪循環を生み出して、人は徐々に悪魔に変遷していってしまったんだ。


 俺は……俺達は恵まれている方だ。それなりに苦労はしたけど、人であるまま、このノアに辿り着くことが出来たのだから。


「セントラルが機能している限りは、我々に争う理由はない。この平和が損なわれる事があるとすれば、それは悪が赦された時だ」


 塞がったばかりの傷は開きやすい。それが深いものなら尚更だろう。



 ◇   ◇   ◇



 一本の林檎の木を発見した一人の男と二人の女の話だ。


 三人は一日一個ずつ食べようと言うルールを作った。


 ところがある日、男が自分はこれだけでは足りないからと空腹のあまり二つ食べてしまう。


 当然、反感を買い、二人に糾弾されるが、男が暴力の気配を匂わせると矛を収めるしかなく、その結果に増長した男は二つどころか好き勝手に食べたい数だけ食べるようになった。


 そうなれば、林檎の数は劇的に減っていく。


 暴力の影と迫り来る終わりとの間に板挟みになった二人の女は、遂には協調して男と戦うことを決めた。


 ただ追放するだけでは復讐される可能性もある。そうなれば、命が危うくなるかも知れない。


 どうするのが最も良いか。


 どうするのが最も、自分に、都合が、良いか。


 葛藤の末、二人の女は男の命を奪った。


 そうすると、束の間の平穏が訪れる。


 だがそれは、やはり束の間だ。


 林檎の数には限りがある。


 例えその場凌ぎにしかならなくても、二人居ると言うだけで消費速度が倍になる。


 終わりまでの時間が半分になると、怯えた一人は。


 程なくして、もう一人を排除しようと考えるようになった。


 復讐されては堪らない。だから、やはりあの方法が優れている。


 その晩。狸寝入りをして機会を伺っていると、眠っていた筈のもう一人がゆっくりと身体を起こす。


 命を狙う側の女は、自らの命の危機を感じるが、それは杞憂だった。


 その女は静かにその場を離れて、林檎の木が在る方に向かう。


 その女の後をつけていくと、その女は在ろうことか、ルールを破り林檎を貪っていた。

 

 それは、いつから行っていた事なのか。


 そんな事は、もうどうでも良かった。


 その光景を見た瞬間、女の中から迷いが消える。


 罪の意識を擦り付ける免罪符を得られたのだから。


 夢中になって林檎を食べていた女を壊す女自身も、とっくに壊れていた。


 何がいけなかったのか。

 

 女が隠れてルールを破っていたのがいけなかったのか。


 女が殺意を抱いてしまったのがいけなかったのか。


 男が暴力を嵩に二人を征服したつもりになっていたのがいけなかったのか。


 どれも違う。


 そうすることに、不利益等なく。


 規則を守る者だけが、損をする。


 だから。そう。


 そもそも、悪いこと等なかった。


 ルールを破って、自分に、都合の悪い事など無かった。



 ◇   ◇   ◇


 セントラルさえ機能していれば、少なくとも俺達は食糧難に陥り餓死するなんて結末には至らない。


「ここにいれば、生きていくだけなら事欠かないもんな」


 だから団長さんの言う通り、平和が損なわれることがあるとすれば『悪』が赦された時なのだろう。


 悪事が悪事として在る為には、それを定めて、裁く何かが必要だ。それがなければ、悪事は横行する。それは悪ではなく普通だ。


「必要以上のものを欲し、他者を押しのけ、時には犠牲にして得る行為が認められるなら、誰もがその手段を取るだろう? そうしなければ、勿体無い。損だと考える」


「伝染する病と一緒だ」


「だから、排除する。何様のつもりだと思われるだろうが、それは悪行に対する報いであり代償だ。道徳に反する行いには相応以上のリスクがあると設定しておかなければ、我々は容易く一線を越えてしまう」


「……だろうな。大多数が一度はその境界を壊してしまってるだろうし」


 核に対する核と原理は一緒だ。ぶっ放されたくないから、ぶっ放さない。優位性を築くために持っておく。結局、自分が大好きな俺達は、他者を完全に優先出来るようには作られていない。


 協力するのは、一人では出来ないから。優しくするのは、優しくされたいから。自己犠牲だって、十割が身勝手な意志に突き動かされたものなのだろう。


「自警団は善を為す機関ではない。ただの抑止力。異分子を犠牲に平穏を維持する偽善の集団だ」


 この団長という人は、その人生を賭してこの街を守ろうとしている。


「立派な志だと思います、俺は」


 その全てが、自分の為だとしても。月日さんも、その他の自警団の連中も志を同じくしているのだろうか。


 だとしたら、俺はこの先を、どう処理すべきなんだろう。


 この、薄氷の上に作られた街で人として生きようとする、とても脆く、けれども尊い人達の抗いに報いたいと思う。


 形の見えない何かに、負けてほしくないと願う。だったら、俺が選べる選択肢なんて、一つしかない。


「こうして対話をしてみて改めて思ったが、君は自警団に欲しい人材だ。能力があるのも大きいが、何より人倫に則した考えを持っている。君さえ良ければ、前向きに考えてはくれないか?」


「それ、買い被りだから。俺はどちらかと言えば、狂乱者予備軍だよ」


 必要以上のものを欲し、それを得たいと思う。こんな俺が自警団の一員になるだなんて、へそが茶を沸かすよな。


「土岐光火」


 団長との話に一区切りがついた所で、俺に声が掛かる。その声の主は、やたらと俺を敵視していた自警団のあの男だった。


「なんだよ? また憎まれ口でも叩くつもりか?」


 トントン拍子に進みすぎている。内通の疑いが強まった、とか。この男なら言いかねない。


「いや」


 そう考えていたら、そいつは首を横に振って、静かに頭を下げた。


「疑って、すまなかった」


 今更謝られても、と思う。もう、一連のトラブルは収束に向けて動き始めている。


 ここで俺達が和解した所で、失ったものは返ってこないし、この先に得られるものなんて何一つない。


「土岐君。彼は職務に熱心な人間でな……少し強引な面もあるが、悪気はなかったんだ。胸中複雑だと察するが、許してやってはくれないだろうか」


 男の後ろから月日さんまで顔を覗かせて。


「彼も十分に反省しています。あたしの方からも、お願いします」


 なるほどな。これは、月日さんの差し金か。


「別に俺には、その事をとやかく咎めるつもりはないよ」


 疑惑を向けられる度に俺がその内容に同意を示していた通り、この男が俺を訝しむのは寧ろ自警団として当然の行為だ。


 俺を即座に信用した月日さんの方が自警団の在り方としては異常だったと言える。


「頭を上げてくれ」


「土岐……」


 俺を見上げる男の目には、見逃しようもない喜色が宿っていた。

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