狐
「ぷはっ」
突然、トトが堪え切れないとばかりに吹き出した。違うだろ、ここ厚い友情に感激する場面だろ。
「んなもん、とっくの昔に知ってるっツーの」
鳩が豆鉄砲を喰らった時の気持ちを理解し、危うく大上への意識を散漫にする所だった。
「待て。今のは俺の秘中の秘だぞ。杏樹だって知らないんだぞ」
「多分、そう思ってるのはミッツマンだけだぜ」
「うっそだー?」
「マジマジ」
そんな現実は知りたくなかった。え、じゃあ、俺が異性に対して過剰な反応を示す度に、周りの皆さんは『あいつまたびびってるよー……くすくす』って思ってたわけ? 俺、発狂寸前なんですけど。ぐぬぬと唸っていると、肩口を叩かれる。
「一緒に堪えるんだろ?」
自爆しただけなのに、励まされる俺の情けないこと。自らを戒める為にふぅと静かに息を吐き、落ち着いてから応える。
「別に、殺ってしまっても構わないのだろう?」
「いやだから堪えろって」
「善処はする」
大上の嘆息が聞こえた。等と他愛無い会話を繰り広げる俺達を見るのはお気に召さなかったようだ。
「友情ごっこなんて気色の悪いもの見せないで欲しいにゃー」
「演出したのはお前だからな。これに懲りたら、暴露なんてす――」
「だったらこれはどうかなー! トト氏は2年ほど前に杏樹って子に告白して振られてるんだってぇー?」
心底、どうでもいいこと聞いちゃったなぁと思う。それを知って、どうしろと。個人で好きにしたらイイと思う。
でも、そんな過去も、トトにとっては俺に聞かせたくなかったエピソードなんだろうな。であれば、俺も応えねばなるまい。
治りかけの心のカサブタを抉る痛みに拳を握り締め我慢して、断腸の思いで黒歴史を解放する。
「それがどうした。ミッツマンこと俺、土岐光火も、その文殊四郎杏樹に振られた過去があるっっっ! どうだっっっ!?」
「マジかミッツマン!?」
「昔語りが必要か……」
ならば宜しい、俺は遠い目をして当時の事を語り始める。
「あれは、そう。俺が同年代の同性達に『ゆうしゃ』と崇められるようになる少し前の話だ」
「そんな話いらないって言ってるにゃーっ!」
痛みは自らの所有物でしかない。それは捨てようと思っても捨てられず、譲渡することも出来ない呪いのアイテムのような物なんだろう。
他人の思考を読める大上でも、他人の痛みには共感出来ないのかもしれない。大上を翻弄しているのは俺の筈なのに、俺は必要以上の犠牲を払っている気がする。
辱しめなら幾らでも受けよう。それで犠牲が最小限に留まるなら──俺の失いたくない何かが守れるなら、この人生の醜態を望んでさらけ出してやる。
「大上。お前はトトを陥れようとしているみたいだけど、どんなに揺さぶりを掛けたって無駄だ。心を読めるなら、解るだろ?」
「コンは、解ってるもーん。そんなもの……信頼だとか、人情だとか、倫理だとか、理性の鎖だとか、そんなもの、認識が本当と少し食い違っただけで容易く壊れる脆いものだもーん」
「脆かろうが、壊さなければ、壊れない」
睨み合いは膠着の様相を呈したまま時間だけが過ぎていく。そうしていると、程なくして自警団の応援が駆けつけた。
経過時間を鑑みるに、この位置に当たりを付けて包囲網を敷きながら来たのだろう。大上はもう一度、鋭い眼差しを俺に向けて身を翻した。分が悪いもんな。
「追うぞ、トト」
「おう。こちとら好き放題に心を暴かれて腸が煮えくり返ってんだ! ぜってぇ、一発はぶん殴るぜ!」
思考を読めれば相手が何処を狙い、どんな手段を取ってくるか予め知る事が出来るんだろうな。
ただただ攻撃を回避するなんてお茶の子さいさいなんだろうが、しかし一部の間隙すらも埋められれば話は別だ。
大上は身軽なトトの殴打を見向きもせずに躱し、その場で回転してナイフを振るう。トトは失速を余儀なくされた。
正面に立ち塞がった自警団の人員も難なく捌いて、横合いからの追撃も物ともせずにぐんぐんと包囲網を突破していく。
不可思議なスキルも厄介だが、ベースとなる身体能力自体も高いな。鎖の重りを所持したままでは追いつけないペースだ。
しかしそれは直線で、何の障害も無ければの話。ハードル有りと無しじゃあ、ハードルが無い方が早いに決まってる。
大上が振り返り、鎖を縦に振り下ろす俺をその目が捉えた。身体をずらして横に逃れる大上。
「どうして、そう逃げたんだ?」
「え?」
縦に落とした一メートル弱の鎖は避けられる事を前提に放ったものだ。横にズレてやり過ごせば、間髪入れずに横薙ぎに放つ左手の余剰分――此方も一メートル弱の鎖が大上を狙う想定をしていた。
当たるぞ、このままじゃ。避けても避けなくても、その態勢からじゃあ、確実に機動力が削ぎ取れる。
対応策を用意しているのか? 此方が嵌る前に仕切りなおすべきか? いや、大上を凌駕するんだったら、間断を与えてはならない!
脳内で思い描いたように鎖を操った。大上の胴体目掛けて、じゃらりと鎖が唸る。
「っう、なんのぉ!」
大上は速度を上げて鎖が描くであろう円の半径から逃れようとするが、俺の脳内は疑問符で満たされていた。
それは、悪手だろ、と。未だ俺の予め考えていた展開に留まっている。腕の位置は固定したまま、鎖を持つ手を緩める。そうすると、遠心力に引っ張られた鎖が勢力圏を伸ばしていく。
大上が瞠目する。それは、なんていうか、まるで、驚いたと言うように。
「この程度で、コンを捕れると思うなぁッ!」
大上は身を屈めて鎖をやり過ごす。速度を犠牲にした、懸命の回避だった。
この状況で、勢いを殺すのは大上にとっては致命的な選択だ。大上が反転して、ナイフを突き出す。
「切り替えが、早いの、なっ」
一旦思考を止めて、両手の間を渡る鎖で刃を払い除ける。元々無理な態勢で攻撃してきた大上が大きく態勢を崩した。
傍らを突風が吹き抜けたと俺が認識するよりも先に、トトの手甲を嵌めた右拳が大上の手からナイフを弾き飛ばす。
「これで無防備になったな大上ィ!」
継ぎ目なくトトの左拳が大上の身体を狙うが、大上の口角が僅かに釣り上がったのを俺は見逃さなかった。咄嗟にトトの腕を引く。
「なにすんだミッツマ――!?」
大きく仰け反ったトトの鼻先を刃が閃く。
「な……!?」
トトを引く事で得た推進力をそのままに加速して、ナイフを振りきり伸びきった大上の腕を掴んで捻り上げる。
「っつう」
そうすると、大上は痛みに顔をしかめてナイフを落とした。大上は腕の痛みをお構いなしに身を捩り、蹴脚を繰り出そうとしてきたから反射的に背負投げをして組み伏せる。
下はアスファルト。大上が「かはっ」と苦しそうに身体中の空気を吐いてから、これは痛かっただろうなぁと同情した。
「あ……ぐっ……離、せぇ……」
苦しそうに表情を歪め、痛みに喘ぎながらもじたばたと抵抗を示す大上。その間も続々と自警団の連中が駆けつけ、獣を閉じ込める檻が完成形になっていく。
もはや、俺が退いたってどうにかなるレベルじゃない。それどころか、大上のコンディションは万全とは程遠く、荒事が再開すれば大上が一方的に傷を増やすだけになること請け合いだ。
大上を気遣うのとは違うけど、少し大人しくしてもらうことにしようか。
「トト、頼む」
「おう。本当は一発くらいブン殴りたい所だけど、これで勘弁してやるぜ」
「やめ――」
購買で男2人をそうしたように、大上の意識を刈り取る。それが、拍子抜けしそうな程に恙無く遂行された拿捕劇の終わりだった。
脱走者の確保はこれでおしまい。後は――。
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