狼
足の早い者を4名引き連れて目標地点まで急ぐ。その中には月日さんの姿もあった。
性別の関係で苦手意識が拭えないけど、信用と言う点では適任だから、連絡役を引き受けて貰っている。
「向こうも散開しました。仲間割れ、でしょうか? 一人が別れたみたいです」
尾行の存在に気付かれての陽動なのか、一人でも逃げられればと苦肉の策に走ったのか。
「そっちはトトに任せて、俺達は集団の方を確実に叩こう」
脱走者達の尻尾は捕まえているし、こっちは尾行なしでもなんとかなる。
3名との衝突が控えている以上、此方から人を送るのは避けたい。別行動を取ったのが、大上じゃない事を祈ろう。
目的地に到着した俺たちは、等間隔に散らばって、それぞれ見通しの良い交差点──通過予測ルート──を望める位置に身を隠した。
急いでいるのに加えて焦りまであるのか、程なくして慌ただしい足音が耳朶を打つ。
数は……2人? 1人足りない。目視で確認するも、この距離だと判然としないけど──。
「…………」
──この状況で存在を隠せるとしたら、それは大上だろう。
1人の不足に焦り、相手が2名だからと油断して、挟撃を待たずに衝突して万が一の事が起きたら不味い。大上からの奇襲に最大限の警戒を払いつつ、ここで確実に2人を減らす。
頃合いを見計って、進路を阻むように公道に踊り出る。突破か、引き返すか? 果たして、敵は強行突破を選択した。1人は此方側、俺の横を抜けるつもりだ。
俺はもう一度だけ素早く、けれども神経質にぐるりと周辺を見渡して、大上が迫っていないことを確認した。
少なくとも、俺の周囲に大上は居ない。それでも、ルネ美の隠匿性能と同程度だったり凌駕していたら、確実である保証はない。
月日さんが俺の応援に駆けつけようとしているから「俺の方は大丈夫だから、月日さんは周囲を警戒してくれ!」と言明する。
敵が目算で10メートルほどの距離に差し掛かり、そこで俺は腰に巻いて来た道具の固定を解く。腰を3周ほど回っていた重厚なソレは、じゃらりと音を立てて地に垂れた。
「退かなきゃ殺すッッッ!!」
シンプルな警告が飛んでくる。視界の端に棒状の何かを振りかぶる男の姿があるが、程なくしてその姿が消えた。俺は既に迎撃に入っているからだ。
俺は身体ごと一回転させて、正面だった場所を乱暴に薙ぎ払う。錯乱していた様子の相手には、それだけで十分だった。
俺の道具が凶器ごと相手を絡めとり、締め付ける。ガチンと一際大きな金属音が鳴れば。
「あぐっ……!?」
それは、束縛された相手の体に道具の運動エネルギーが余さず収束されたサインだ。あまりの衝撃に、対象は凶器を落とす。
「警告って言うのはな、不利側がするもんじゃないからな」
間髪入れずに左手に残しておいた余剰分を相手の首に回して、意識を刈り取った。
もう一方は、スムーズに拘束まで終えたようだった。さすが本職。
なんて感心してると、月日さんが駆け寄ってきた。俺は反射的に後ずさったけど、月日さんは俺が平常心を保っていられるギリギリの位置で止まる。手にはロープ。
「鮮やかなお手並みでした」
「そそ、それ程でもないよ」
相手は猪みたいに真っ直ぐ突っ込んできただけだったしな。
月日さんが手慣れた様子で失神している男を捕縛している間に、俺は二メートル強の長さを誇る愛用の道具――長鎖環を腰に巻き直す。
「使える道具だけど、騒々しいのが玉に瑕だよなぁ、これ」
じゃらじゃらとやかましい。
「ふふ、そうですね。それと、重そうです」
「10キロはあると思う」
会話をしながらも、周囲に注意を払っているが、大上の姿はやはりない。トトの方に当たったか、何処かで息を潜めているのか。
そこまで考えて、もう一つの可能性に思い至り、歯噛みした。どうしてそんな簡単な予測が働かなかったんだ!
「月日さん! 追い込み側に索敵範囲を広げながら来るように伝えてくれ。それと、後の処理も任せていいか?」
「構いませんけど――って、土岐くん!?」
返事があるや否や、俺は駈け出す。敵の数は残り2人だ。数の上では圧倒的に有利。でも、局所的に覆る状況が今は1つだけある。
集団から外れた1人を追ったトト。その後ろからもう1人が加勢したら……気配を完全に絶たれて奇襲されたら、気づかないかも知れない。
完全に俺の差配ミスだ。焦りすぎた? 侮っていた? そのどちらもだ。材料が揃った事で安心していた。俺が求める勝利条件に挑む権利を得ただけで、勝ったつもりになっていた!
頭の片隅にピリッと電流のような物が走る。
『やっぱり――が補佐しないと駄目だね。――は詰めが甘いから』
それは誰の言葉だっただろう。思い出せないけど、漠然と思った。俺は、きっと誰かに支えられていた。だから上手く出来ていた。
でも、もうその人はいない。消えてしまったのだろう。だから、俺が……自分で補うしかない。
無事でいてくれよ、トト。そう強く念じながら、全力で走った。
俺の耳が鉄を打ち合った甲高い音を聞き取る。言い争うような人の声もする。交戦の気配があるって事は、トトはまだ生きている。
生きているが、長期戦になっているということは相手は相当の熟練者だ。苦戦を強いられているのかも知れない。
ただ、これで一つだけ確信する。間違いなく大上がいる! 音の発生源に向かうと、まもなく人影を捉えた。
トトだ。佇んで、何かを探すように首から上を忙しなく動かしている。大上を見失っているのだろう。
隠れて隙を窺うか? いや、トトの状態まで判明していない以上、堂々と姿を曝して牽制する方が安全策だろう。
「トト!」
時間を稼げば直に増援も来る。思考を読まれるリスクはあるが、取り返しのつかない事態になるよりはいい。
「その声は、ミッツマンか!? 気をつけろ、近くに大上ってのが隠れてるかんな!」
鎖の固定を解き、真ん中辺りを持って両サイドで回転させておく。
「解ってる! 大上の武器は?」
トトと背中合わせになって、注意を巡らせる。大上の気配がどんなに希薄でも、この態勢なら動くものがあれば先ず見逃さない。
広い道路で、遮蔽物のない見晴らしの良い場所だ。街灯もある。此方の位置はバレバレになるけど、大上を相手にするなら理想に近い条件が揃っていると思う。
「武器は小型の――」
「っと」
トトの説明の途中で横合いから何かが飛来して来た為、鎖で弾く。
「投げナイフか」
対応してなかったら左胸に刺さって致命傷を免れなかったな。正確だ。
「近接でも結構やり手だぜ」
「トトとどっちが強い?」
「純粋な戦闘能力だけだったら俺じゃねーの? ただ、俺も最初は半信半疑だったんだけど、思考を読むってのが最悪だ。未来予知かってぐらい、こっちの攻撃が掠りもしない」
大上は自警団全員を相手にしても逃げおおせる実力がある。そんな難敵を一人で凌ぎきってくれたのは望外の戦果だよ。
背後から金属音が立つ。今度はトトの手甲がナイフを弾いたようだ。
「あぁくそ。リキむといってぇなぁチクショー……」
「怪我してるのか、トト」
「ソッコーで一人仕留めて連絡入れようとした時に背中から襲われて、咄嗟に避けはしたんだけど足を結構深く切られちったよ」
だから下手に動き回らずに防御に集中してたのか。
「悪い……危ない橋を渡らせた」
「いーんだ。多少イレギュラーが有った方が楽しめるってもんだぜ」
頼もしい限りだ。トトは1人仕留めたと言っていた。2人を相手にさせる役回りを与えてしまったのは誤算だったけど、戦果は上々だ。
残る脱走者は大上1人。飛来してくるナイフはどれも複数の携行用に最適化されているタイプじゃないし、限りは目前まで迫っているんじゃないかと思う。
正確無比な投擲で、一度でも当たれば絶命が待ってる。が、当たる気がしない。それは無駄弾だ。
大上自身は気配をまるで悟らせてくれないけど、ナイフの方は気配が濃い。三度、凶刃を叩き落とす。射線を辿るも人影は見当たらず。
「探すか?」
背後からトトが尋ねてくる。
「いや、しばらくはこのままでいよう」
ジリ貧なのは大上の方だ。ナイフが飛んでくるだけなら、俺達なら簡単に対処できる。
問題は逃げの一手を講じられた場合だけど、こうして交戦状態が続いているからには、そのつもりはない筈。今の所は。
わざわざ背中の守りを手薄にする危険を冒すよりも、こうして直に来る増援を待っていた方が手堅いだろう。
と、その刹那。よそ見をしていた訳でもないのに。
「…………」
いつの間にか、正面に誰かが立っていて、そいつは無言――いや、無音でナイフを俺の胸に突き出そうとしていた。
「っ!?」
トトの背中を体ごと押し出して致命傷を避けようと試み、間一髪の所で死の切っ先から逃れる。
連動して中空を舞った鎖を操り反撃すると、そいつは大きく後退して距離を開いた。
追撃はしない。出来なかった。心臓がうるさいくらいに鼓動している。
――僅かでも反応が遅れていたら、間違いなく俺は死んでいた。
あの一瞬で、俺という存在は死を意識するよりも前に終わっていたかも知れない。そう考えたら、背中を冷たい汗が伝う。
「あーあ。惜しかったニャー。コン、今のは確実に殺ったと思ったんだけどなぁ」
命のやり取りが行われようとしていた場所にそぐわない鈴の音を転がしたような声が飛んできた。
「どうして、気付けたのかにゃー?」
その声の主――大上来常はナイフで曲芸を披露しながら無邪気なトーンで俺に問いかけてくる。
「偶然だった」
答えたのは、死の淵に突っ込んだ片足が抜け切れていないか、あるいは未だそこに留まっているからか。
本当に、偶然だった。俺の経験からなるレーダーは、こうして大上と正対してようやく反応を示している。
俺を救ったのは、場数じゃない。大上が、もし。
「お前が男だったら、俺は今頃瀕死の重傷になってたぞ……」
大上が第二種人類だったからこそ、無意識で知覚していたのであろう俺が条件反射で反応してくれた。
だから、偶然。性別なんて確率半々だ。これまで散々翻弄され続けてきたこの性質だけど、今回ばかりは救われた。
「なるほどねぇ。女嫌いのオカゲで助かったって、世の中何が役に立つかわかんないにゃー?」
例の思考の透視とやらで見抜かれた情報だろうか。既に相対しているから、条件は満たしている。
「トト。あんなのどうやってやり過ごしてたんだ」
俺は、肉薄されたと言うのに認識が出来なかった。もし見失ってしまった場合、次はないと確信すらあるくらいだ。大上の動向を凝視で見張りながら、横に並んだトトに聞く。
「癪だけど、遊ばれてたみたいだな。ミッツマンが駆けつけるまで、あいつは一発で命を奪うような攻撃をしてこなかった」
どんな心境の変化があったのか窺い知れないが、尚のこと大上から目を離す訳にはいかなくなったな。
「で、どうする? 仕掛けるか?」
手加減されていた事、一度も触れられなかった事。トトとしては雪辱を晴らしたい気持ちが溢れているに違いないのに、こうして俺に確認を取ってくる。その尊厳を踏みにじりたくない。
「増援を待つ方向性は変わらない」
だからこそ、俺はそう応えた。トトの期待通りに、その希望を裏切ってやる。
「りょーかい」
「おみゃーはそれでいいのかにゃー?」
八重歯を覗かせて、大上が挑発的な笑みを投げかける。
もし大上が本当に人の心を読めるのだとしたら、トトの胸中を見た上で言ってるんだろう。大上の言葉は的確に人心を煽るのだろう。
「悔しいねぇ? 女相手に翻弄されて! ださいねぇ。ねぇねぇ、コンはここに居るよー?」
「堪えろよ、トト」
「「解ってる」」
高低相俟った声が重なる。ひゃひゃひゃと哄笑する大上のその目が、トトに『いつまで解っていられるかなぁ?』と聞いているように見えた。
「トトは素直じゃないねぇ。コンが代わりにお友達のミッツマンに色々と白状してあげようかぁ?」
私はぜぇんぶわかってるんだよ? と、細められた瞳で語る大上の言葉は騙りではないのだろう。
「『どれ』がいいかにゃあ?」
顎に人差し指を付けて、悩む仕草をする大上。
「って言うとねぇ、聞かせたくないであろうエピソードを思い浮かべてくれるから楽だわーん」
言葉をトリガーにして記憶を思考の舞台に引き出したのか。質が悪い。
俺には思考を読むなんてスキルはないけど、大上の目論見は読める。トトを逆上させようとしてるのだろう。
数を減らそうとしている? それとも、そうすることに別の意味があるのだろうか。
「トトは不思議な子だにゃー。ミッツマンに聞かせたくない本心で真っ先に思い浮かべたのが、ミッツマンへの劣等感なんだってさぁ」
俺がこの場に居合わせる事がトトに対する精神攻撃の追い打ちに繋がる。聞かないでやりたい。けれど、この場を離れるワケにはいかない。トトが一人になったら、今度こそ命がない。
「全てにおいて劣っている事。それをミッツマンにだけは悟られないように、並び立つ友であれるように自分を大きく見せることに一生懸命なんだって! 健気だにゃー!」
「……っ、黙れよ!!」
俺がこの場に留まり大上を牽制しながらトトの激情を抑えるには、どうすればいいか。やっぱり、条件を同じにするのが一番か。
「トト、聞けい」
上手いやり方が思い浮かばないし、もう手っ取り早くこうしてしまおう。
「俺は第二種人類、すなわち異性に対して並々ならぬ嫌悪感を持ってるだろ」
「ん? ああ」
「実はその設定なんだけど、少し語弊があるんだ。嫌悪感と言うよりも、俺は異性に恐怖を感じている」
言っちゃったぁ。俺のトップシークレットぉ。くそ、この秘密だけは墓まで持っていくつもりだったのに。俺は恨みがましく大上を睥睨しながら、トトに告げる。
「お前の恥ずかしい本心とやらが曝される度に、俺自身も同じぐらい恥ずかしいエピソードを暴露する。だから、さ」
ダメージの分散。苦痛なら共有して薄めればいい。
「一緒に堪えよう」
頑張れって言うのは好きじゃない。無責任だからとか、そんなんじゃなくて、それを言ったら自分から干渉を放棄するみたいで……俺が何をするでもなく、そこから先の結果を委ねてしまう感じがして嫌だった。
同じ舞台に立つ。それで共に頑張る。同じ場所に居なければ届かない言葉や手がある。
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