大切なものが何か解ってれば、わかんないことだらけでもいいって思います!
それから時を置かず、十二名の自警団の構成員達に俺とふくちゃんを加えた総勢十四名がエントランスに集まった。
多種多様な視線を一身に受けながら、俺はここに集まってもらった理由を説明する。
「俺達は独自に調査を進めて脱走した狂乱者達の居場所を突き止めた」
ざわめきが走った。小声で交わされるやり取りから判断するに、疑心と期待が半々と言ったところ。期待があるだけ僥倖だろう。俺はまだ容疑者らしいんだから。
「全員の姿を確認した。これからそこに乗り込もうと思うんだけど、戦力が足りないんだ。協力して欲しい」
疑心を払拭するのは生半可な事じゃない。だから、俺は誠意をもって、一人一人の目を見て話す。
「お願いします」
頭を下げた。危険な道程に付き合うだけじゃない。俺は彼等の中に信用の種どころか不信の種を植え付けてしまっているぐらいだ。
それだけで、危険で『あろう』予測に一層の影を落とすに違いない。もし、罠だったら。誰もが一度は脳裏を過るだろう、その未来。
ひそひそと俺からは聞き取れない大きさで言葉が飛び交う。無難に行くつもりなら、俺じゃない誰かが此処に立った方が受けが良かっただろう。
でも、この『詰め』を立案したのは俺で、その責任は俺が負うべき物だ。これは、そんなちっぽけな意地。
それが仇になったかも知れないと今更になって思う。その意地を通しても得をするのは俺だけなんだから、と後悔しそうになる。
そんな混濁した空白を――。
「お願いするのは此方です」
――凛とした声が切り裂いた。
灼熱の赤を宿した瞳が、ただ信頼の一文字を湛えて俺を見据える。
「私で宜しければ、協力させて下さい」
その一言を皮切りに、半数以上から賛同を示す言葉が耳に届いてくる。だが、やはり猜疑心は強大だ。
「よく考えてから行動を起こすべきだ。これがもし罠だったら、我々は一網打尽だぞ」
例の男が少しソレを煽るだけで、前向きになっていた空気がたちまち霧散する。
「いい加減にしなさいよ! 土岐くん達が命を賭けて掴んでくれた糸口を無為にするつもりなの!?」
月日さんが素になって説得を試みてくれるも、糠に釘だ。気は進まないけど、こうなればもう用意していた手札を切るしかない。
「お前らの不安は推して知るべしだ。だから、俺もリスクを負うよ」
ざわめきが水を打ったように静まる。リスクは俺が裏切った場合の制裁であり、それを予防する為の抑止力だ。
「親愛なる俺の幼なじみと先輩の身柄を自警団に預ける」
命は同じ命でも贖えない物だけど、これ以上の交渉材料はもう用意できない。
「本人達の同意もある。もし俺の内通の疑いが確信に変わったら……煮るなり焼くなり好きにしてくれて良い」
俺は決して自警団を罠に掛けるつもりはない。だから、二人の安全は俺達が全滅でもしない限り保障されている。
問題は何も変わらない。俺を信じて貰えるかどうか、だ。
杏樹は長年の付き合いがあるから、不安は無かったと思うけど、秋穂さんはそうじゃない。けど、秋穂さんは、俺の意地を通す為に。
『私を担保に出来ないだろうか?』
そう、自ら人質に志願してくれたんだ。絶対の信頼を示してくれたのだ。確固たる意志は、他の誰かにもきっと伝わるのだと、思わせてくれた。
「信頼してくれとは言わない! 警戒してくれて構わない! 最初は着いて来てくれるだけでも良い! だからっ」
深く、頭を垂れる。
「俺達に手を貸して下さい……!」
再びにわかに囁きが生じ始める。それは次第に伝播していき、大きく変質していく。そこに漂うのは漠然とした迷いだ。天秤はようやく均衡の形になった。
「あぁ、もう……あぁ、もう!」
と、不意に月日さんが大声を上げる。それから床を踏み鳴らして大股で近づいてきた。困惑する俺の横に並んで大きく息を吸う。そして。
「あんた達はなぁぁぁぁぁぁぁぁぁんにも解ってないっっっ!」
鼓膜を突き抜けるかのような腹の底からの一喝がエントランスに反響する。突然の出来事に俺、ぷるぷる震えて失神寸前。
月日さんは味方だ。何を恐れる? そう自らに必死に言い聞かせて、スライム状態からなんとか持ち直す。
ここからが本番か。俺はムンクになりそうな心を奮起して、月日さんの隣に踏み留まる。解ってるのに解らない……我ながら難儀な体質だ。
月日さんは、俺の孤独な前哨戦を意にも介さず、仲間達に憤然とした視線を振り撒きながら心情を吐露する。
「あたし達は自警団なのよ!? 人が不自由なく暮らせていた旧時代の秩序を復刻させて、文化的な暮らしを維持していく事が至上目的でしょ!?」
人に迷惑を掛けてはいけません。そんな昔の当たり前を徹底的に欠いていた時代を生き抜いたからこそ、俺たちの大半はその大切さを嫌でも理解している。
「混迷の時代の引き金となったのは、一部の無法者と保身の為の行き過ぎた疑心でしょ。あたし達がそれを取り締まらないでどうするの?」
免罪符にまで深化した不信は人を脅かす要因になる。仕方がない。その諦観が、いとも容易く一線を越える手伝いをしてしまう。
「どうすれば、土岐くんへの嫌疑は晴れるの? 脱走者が全員捕まったら? それとも、あたし達が罠に嵌められなかったら? これじゃ、まるで他人事よ。バカバカしい」
どちらも事後の話になる。月日さんの切言に気不味そうに俯いたり、悔しさに歯噛みする者が散見された。
「仮に罠だとしたら、彼の嫌疑に白黒が付く。その上で、打ち破ればいいでしょ? あたしはそんな事にはならないと思うけど……」
俺を強く弾いていた雰囲気が、徐々にだけど受け入れる方向に変わりつつある。そうなれば、土岐光火不信派の代表格である例の男が黙っていない。
「事の運びによっては俺達の中から死人が出る恐れがあるんだぞ。慎重に協議するべきだ」
その男の意見に、月日さんが分かり易くしかめっ面になった。月日さんは怒ってる。俺はこれまで通り黙っておこうと決める。光火危うきに口突っ込まずだ。
俺の支援をしてくれている相手に対して情けない話だけど、隣を維持するだけでも精一杯だった。
「じゃあ、今のままなら死人が出ないって保証はあるの? 時間が経てば経つほど状況は悪化していく。そういう共通見解になったでしょうが」
「問題を放置しようと言っているんじゃない。判断材料が揃うまで様子を見るべきだと言っている」
「疑いすぎなのよ、あんたは」
「月日は無条件に信頼しすぎだ。命の重さを忘れているとしか思えないな」
「土岐くん達は、あたし達が寮に引き篭っている間に、脱走した総勢7名の狂乱者の内、既に2名を捕らえてる。それじゃあ、信用にならないの?」
「俺には、それが上手く行きすぎているように見える。発生から間もない時間で、何処に居るかも解らない相手を無傷で捕える。月日はこれが怪しいと思わないのか?」
此方に傾きかけていた形勢がまた振り出しに戻る。でも、俺はもうそんなのどうでも良くなっていた。上手くやったら、駄目なのか?
「大切な人の命を二人も預けるとまで言ってくれてる!」
「その二人も騙されているだけかも知れないな。土岐光火自身は何もリスクを負っていない」
そんな男の言い草に、俺のお口のチャックが開く音が聞こえた。
「……なきゃ……だろうが」
「ん?」
俺も、ぷっちーんと来た。今ぷるぷる震えてるのはプッチンした後のプリンだ。なんて、謎の思考を展開して誤魔化してみようとしたけど、一度決壊した感情の奔流は抑えが利かないようで。
「上手くやらなきゃ、こっちに犠牲が出るだろうが」
散々我慢を強いられてるんだ。この男が相手なら仕方がない。
「俺達の中から死人を出せば良かったのか? ふざけるな……そうしない為に、出来得る手を打ったし、打とうとしてるんだろ!」
迅速な行動が必要だった。その結果の副産物として、狂乱者を2名捕まえただけのこと。
「俺の命を賭ければ納得してくれるなら、喜んでそうする」
でも、そうすれば戦力が減る。自警団の負担が一名分、増える事になる。得をするのは、相手だけだ。
「俺がこの場で恭順を示すだけで、脱走した奴等を全員捕まえに行ってくれるなら、そうする。それだけで、済む。どうなんだ? 答えてくれ。『それでも』『怪しい』か?」
「急に饒舌になったのは図星を指されたからか?」
まったく話にならない。この男の姿勢は終始一貫しているから、ちゃんとした答えが返ってくるとは最初から思ってなかった。
俺の裏切り=俺の死という構図にして、自警団を壊滅させる為だけに自分の命を捨てられるだろうか? と聞いたとしても、俺が『狂乱者なら』と、こじつけが出来る。
あの男の内部で確定してること。それは、俺が『主犯格である』ということ。だから、感情のまま言葉を吐いたって意味が無い。
説得に時間を掛けている場合でもないんだよな。俺は深呼吸をして、思案する。
「月日さん」
「は、はい」
「月日さんは、俺への非協力が自警団の総意になったら、それに従うのか?」
「あの……」
そこで月日さんは一度仲間である自警団の連中を横目で見た。組織なんだ。しかも自治を掲げているんだから、その規律は厳格な部類に入る。
協調性のない者に居場所がなくなるのは必然ですらある。なのに、月日さんは迷わなかった。
「私は――土岐くんに協力します」
「ありがとう」
俺は狡い。結局、俺の半身は未だ混迷の時代に浸かったままだ。月日さんの顔を見られないのは、多分、厄介な性質の所為だけじゃない。
「月日、それがどういう意味か解ってるのか?」
「あんたこそ、いい加減に解りなさいよ。守るべきものを守れない正義なんて、あたしは御免なの」
揺るがない。月日さんが混迷の時代の中で育んできたであろう、その尊い志を俺は利用した。選んだのは月日さんだ。けれどもそれは、俺が選ばせただけ。
「それじゃあ次は他の全員に聞くぞ。実は、俺達は脱走した狂乱者をもう一人拘束してる。嘘だと思うのなら後で俺の部屋に行って確認すればいい」
身柄を引き渡すことになるだろうが、もう用無しだ。
「残る脱走者は4名。この数なら、俺達に月日さんを加えたメンバーだけでもやれなくはないけど、おそらく犠牲が出る」
ここには不在のトトとふくちゃんで数は互角になる。互角だから、当然相応のリスクを伴う。そんな危ない橋を渡るつもりは毛頭ない。
「お前達は、どうする? お得意の監視とやらをしないで良いのか?」
これは、協力するか否かの質問じゃない。少し行間を読めば、実態がただの脅迫だと受け取れる。
二択は二択。
「土岐光火。それが、お前の本性か」
「本性と言われてもなぁ……」
この遣り方が、きっと俺が嘗ての『集団』から追放された原因なんだろう。そんなこと、分かりきってる。
だったら、諦めれば良いのか? それは間違いだ。見ないふりをしていたって、それは受動的になっているだけで、世界はいつだって現在進行形で変遷してる。
「3人を捕まえた。これは実績にならないか? 全幅の信頼とまでは行かなくても、多少は信頼してくれたって良いだろ」
「皆、ダマされるな。全ては俺達を一網打尽にする為の布石……この男のマッチポンプかも知れないぞ」
そんな事をしても、俺には得なんてない。俺は――ただ、犠牲を出したくないだけなんだ。
「うまく動かないと、この世界は俺達から簡単に何かを奪っていくだろ……だから必要なんだ、自警団の協力が」
正面からは憎々しげに俺を睨む瞳があるが、俺はその奥に立つ者達に訴えかけた。
「口では何とでも言える! 土岐光火。お前は疑わしい点が多すぎるんだ」
「あんたはもう黙ってなさい……っ」
月日さんの怒号に男の世迷い言が封殺される。自警団の構成員達の間で頷き合う等の無言のやり取りが行われた。そして、代表でらしき体格の良い男が俺の元にやってくる。
「結論を告げる前に、捕らえたと言う3人目の身柄を確認しても良いだろうか」
「ああ。でも時間が無いから、早めに頼めるか?」
「応じよう」
手振りだけで2人の構成員が廊下に消えていく。程なくして、彼等によって3人目の存在が報告された。
「結論を言おう」
緊張が走る。
「我々は君からの協力要請を受け入れ、速やかに指揮下に加わろうと思う」
英断に感謝する……なんて、この言い方は性に合わないな。だから、俺は、差し出された手を握って、シンプルに感謝の念を告げる事にした。
「ありがとう」
「団長……!! その判断は軽率です、考え直して下さい!!」
「お前の意見を蔑ろにするつもりはないが、月日は認めている。俺達にはお前が言うほど彼が悪人には見えないのだ。悪いが、決定を覆すつもりはない」
先程、月日さんに『自警団の総意に逆らう事がどういう意味か』を言及した手前、男は従うしかない。
予定よりも時間を食ってしまったけど、おかげさまで俺達が求めていた材料が揃った。
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