ロングタイムの海

 

 寮の裏手に回る。植木に身を隠して、一息を吐く。数分後にトトが表で一騒動を起こして警備を撹乱している間に、重たい荷物を秘密裏に俺の部屋に運搬する手筈になっていた。


 重たい荷物ってのは人なんだけども。一人はトトがその場で自警団に引き渡して、もう一人は俺達の方で聴取をするつもりだ。さて。


 その前に、片付けて置かなければならない事があった。


「俺に何の用だ?」


 さっきから、なんとなく誰かに付け回されている気がして、カマを掛けてみる。敵意には敏感だという自負がある。例えば、自警団のあの男が俺を見張っていたのなら、俺はその感覚だけで位置を掴める、と思う。


 だから、さっきから纏わりついてくる気配にはそういった意図が感じられない。普段なら気のせいだと切り捨てている感覚だったけど。


「すごい」


 果たして、その感覚は錯覚では無かった。何もない空間からすっと出てきたみたいに、見覚えのある人物が姿を現す。


「どうして、わかった、の?」


 ルネ美だ。俺の警戒レベルが一気に引き上がった。ルネ美は潜在的な怖気を刺激してくる。おれおまえきらい。


「先に俺の質問に答えてくれ」


「んと、ね」


 綺麗に45度に首を傾げて。


「どうして、購買、放火した、の?」


 そんな質問を飛ばしてきた。いや、だから。


「先に俺の質問に――いや、待て。ルネ美、お前いつから俺の後を尾けてたんだ」


「学校、から?」


 目撃者だった。速やかに口封じが必要だな、うん。って、学校から?


「ルネ美、お前……どうして、こんな時間にあんな所をうろついてたんだ」


 怪しすぎる。怪しすぎて、あやかしすぎる。ひと睨みすると、ルネ美は困ったようにうんうん唸って。


「先に、わたしの質問に、答えて?」


 そんなことをのたまいよる。俺は頭を抱えた。こいつなんか疑うのもバカらしく思えてくる。


 トトが行動を起こすまで時間の猶予もない。既に知られている情報に補足を入れた所で痛手にはならないし、もういいや。


 俺は諦観に身を委ねて、購買を焼失させるに至った経緯を短く簡潔に説明した。


「理由は、わかった。でも、ちゃんと手続きを踏めば、セントラルからの供給を断つことも、出来た。燃やさなくても、良かったのに」


「早さが必要だったんだよ。手続きなんて、すぐには終わらないだろ」


「確かに、そう、だけど」


 ルネ美は感情の読めない無機質な瞳を此方に向けて。


「直すの、すごく、手間がかかる……」


 そう言って、ぶぅっと片頬を膨らませた。直す?


「直すってお前、技師かなにか――」


 突如、何処からともなく人の声が聞こえて、俺の質問は途中で切れた。


 参った。予定した時間になっていたらしい。恐らく、トトの仕事だろう。こんな所で立ち止まっている場合じゃない。


「ルネ美。お前ちょっと俺に着いて来い」


 まだ話を聞いてない。それに、興味深い単語を聞き取ってしまった。このまま別れるのは惜しい。


「どうして?」


「どうしてもっ!」


「わたしにも予定がある。残念ながら、その要望に従うことはできない」


「大丈夫だ、予定なんかない」


「え? ある、よ?」


 駄目か。なんて漫才を繰り広げている間に、俺が身を隠している植木に近い部屋の窓が開いて、中から人が出てきてしまう。


「明智君、居たら返事をしてくれ」


 秋穂さんだった。段取り通りだったら、部屋の内部にはふくちゃんも控えている筈だ。


「あっきーに見つかる前に、わたしは行く」


「行くって何処に」


「ここじゃない、何処か? あ。この人、ここに置いていく、ね」


 要領を得ないことばかりを言い残して、夜に溶けていくルネ美。そのルネ美が居た場所には、影が横たわっている。


 近づいて確認してみると、それは人だった。気絶しているようで、ぴくりとも動かない。


うわぁ、よりにもよって第二種人類か。気力を振り絞って呼吸の有無だけ確認する。


「生きてる、な」


 予測というか、予感でしかないけど、こいつは多分、脱走した者の一人なのだと思う。同時に、末恐ろしい予感が俺の背筋を冷やす。


 もしかしたら、ルネ美は事と次第によっては俺に始末を付ける為に後を尾けていたのかも知れない。


「一体、何者なんだ……?」


 ルネ美が消えていった闇に問いかけるも、答えが返ってくる事は無かった。


 脱走者を両方連れ戻るのは後の処理を考えると面倒だから、第二種人類の方を選択する事にした。


 最たる理由としては、先に捕らえた二人が連携していたのは間違いなく、彼女まで誰かと連携して動いていた事が判明すれば、脱走者の協調がほぼ確定するからだ。


 捕われるまでの流れも聞ければ、ルネ美について何か解るかも知れないし。男の方は外に残しておき、トトに後始末を託す。


 第二種人類の運搬を侵入口までは秋穂さんに頼んで、そこからはふくちゃんに任せた。自室に戻って、一段落。椅子に座って緊張を解いていると、キッチンの方から秋穂さんがやってくる。


「お疲れ様」


 飲み物を差し入れて来たので、俺は半ばびくびくしながらそれを受け取る。


「ありがとうございます。近いので離れてくれ」


「おお、これはすまない。私も緊張していたみたいだ。安心して失念していたよ」


「危険な役割は任せてないと思うんですけど」


「心配していたからな。待つだけと言うのも、なかなか堪えるんだ。力になれない自分が歯痒いと思ったよ」


 そういうのも、あるか。それこそ、人によっては実行する方が楽な場合もあるんだろう。


「無事で何よりだよ。それに、一方的に交わした約束も守ってくれたみたいだな」


「まぁ……」


 それを話題に出されると決まりが悪くなる。


「必要に迫られなかったってのが大きい。もし、相手の数が多かったり、復路で襲撃されてたら、俺達は間違いなく破っていたと思う」


「必要なら良いとは言わないが、私はそれで良いと思っている。君に危険な目にあって欲しい訳ではないからな」


 また自然体で、そんな事を言って笑顔を浮かべる秋穂さん。なんというか、そういう台詞を言われるとこっちが照れるから自重して欲しい。


「このご時世、罪人であれ『相手を殺めるな』なんて、俺じゃなきゃ普通は一笑に附されておしまいだからな」


 そんな俺のささやかな反撃に、秋穂さんは間髪入れずに。


「明智くんが相手にしてくれるなら、問題ないな」


 そう言って、また相好を崩した。

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