街灯の下のディスタンス

 けたたましく鳴り響いた轟音に飛び起きる。驚いて、思い切り身構えてしまった。


 カーテンの隙間からは僅かな月明かりが注ぐだけで、夜はまだ明けていない。


 枕元に置いてあるスマホで時間を確認すると、日を跨いでから二時間経ったと言う頃だった。


「なんなんだ?」


 依然として、危機感を煽るサイレンのような音が継続して鳴り続けている。警報っぽい。音源は学校の方角にあるようだ。


 ノアに来てから初めての事だけど、タダ事ではないのは容易に解る。


「状況も解らないのに、おちおち寝直してなんて居られないよな……」


 それに、うるさいから眠れない。思い立ったら即行動だ。一応、制服に着替えて部屋を出る。


 最低限の街灯しか点けられていないから、この時間は死角が多い。目が慣れるまでじっとしてから、物音を立てないように寮の外へ。


 その道中で、寮自体に問題がないか目視してみたけど、その心配は無さそうだった。


 寮を抜けると、街灯の下に見知った二人を発見する。自警団の二人だ。ひょっとすると、直前まで俺の監視をしていたのかも知れない。


「被害状況の報告はもういい! 対策案の方はどうなってるんだ!」


 名も知らぬ男の方が通信端末を使って何事か話しているようで、その声には焦りが伺えた。


 被害状況だってさ。自警団が絡んでるとなると、いよいよもって穏やかじゃなくなってきたな。


 手が空いてるのは月日さんの方かぁ……急ぎの場面じゃなければ、そっちは避けたい所だけど、背に腹は変えられない。


 聞ける時に聞いてしまおう。気持ちを切り替えて、二人に歩み寄る。


 意識して足音を立てると、俺の接近に気付いた月日さんが素早く臨戦態勢を取った。


「誰? ……土岐くん?」


「土岐光火だと? お前、このタイミングで外出とは一体どんな用向きだ」


 通話中にすかさず俺に睨みを利かせるとは、器用な奴だ。


「お前は話に集中しててくれ。ややこしくなるだけだから」


 舌打ちをして、通話に戻る男。本題に入る準備が整った。


「月日さん。この警報がどうして鳴ってるのか、差し支えなければ教えてくれないか?」


「いずれは伝わる事ですから、教えるのは問題はありません。ただ、少し衝撃的な内容になるかも知れませんから、覚悟だけはして下さい」


 聞くだけで覚悟が要るレベルか。どんな覚悟をしておけば良いのやら検討もつかないし、聞いて驚くだけ驚けばいいかな。


 そもそも、こうして月日さんと対面しているだけでも、半端じゃない覚悟をしてるくらいだ。


「大丈夫。聞かせてくれ」


 月日さんの両目をしっかり見て告げる。全身の毛穴から物凄い汗が出た。温暖化? ああ、太陽が目の前にあるもんな、そりゃ熱いに決まってる。


 月日さんは俺に決死の覚悟が備わっていることを悟ってくれたようで「お話します」と言って一拍を置いた。そして。


「先程、自警団の方で牢獄にて収監されていた狂乱者全員の脱走を確認しました」


 それはまた、難儀な話で。並の人間だったら、衝撃で立ちくらみ程度は起こしたかも知れない。


 別の事に神経を割いていられたのが幸運だった。何処か他人事の気分で、質問する。


「確認したってことは、数も把握してるんだよな?」


「総数で6名。昨日の脱獄者を含めると7名になります」


 多い、のか? いや、多いな。ノア東寮の人口が大体100名程度だって話だから、割合を考えると恐ろしい。


 簡単な例で、1人に10人殺されたら消滅を待たずしてノア――日本都市東部の壊滅まで秒読みだ。


「それは、ネームプレートのみの確認で出た数字か?」


 牢獄に狂乱者を収容する際、扉のプレートに油性ペンでその人物の名前を書く。


 消滅<ロスト>した場合、そこに書かれているものが偽名であっても、本人の物として消失する仕様を利用する仕組みだとか。


 そうすることで、管理を簡易化しているとかなんとか。人員不足だもんな、自警団。報酬があるわけでもなし、適当に閉じ込めて、見張るくらいが自治の限界だろう。


「いえ、収監者の名前は別に記録を取っているので、それと照合して出した信憑性の高い数字です」


 どんなに人手不足でも、流石にネームプレートの名前を消すだけで手軽に居なくなった人物になれる程、杜撰な管理はしてないか。


「記録があるってことは、何をして投獄された奴等なのかも把握してるんだよな」


「そうですね。詳しい所は部外秘になりますが、全員が誰かに害なす存在で在ることは間違いありません。何かが起きる前に捕まえないと……」


 自警団の構成員って、記憶が確かなら10名強だったよな。もし、相手の方も組織だって行動してたら、手に余るんじゃないだろうか。


 ああもう……余計なことを考えてるな、俺。自警団の対策とやらも気になるけど、それよりも自衛を徹底する方が先決だろう。


「大変だとは思うけど、頑張ってくれ。それじゃ、俺は」


 話を切り上げてエントランスに戻ろうとした時だった。


「話は全て聞かせて貰ったぞ」


 やかましく鳴り響く警報を物ともせず、凛とした声が木霊する。寮の入り口を仄かに照らす二本の街灯。俺達が陣取る街灯とは反対の一本の下に、金色の髪を風に靡かせた女性が仁王立ちしていた。


「月日さん。私に力になれる事はあるだろうか」


 秋穂さんだ。あの人は一体何を言っているんだろうか。


「いえ、こんな危険な案件に自警団の所属でもない祁答院さんを巻き込むわけには」


 危険思想をこじらせた人間を相手にする事は命の危険を伴う。しかも今回は複数人。秋穂さんには荷が重い。


「心意気は立派だが、現実は甘くないだろう? 君達の万年の人手不足は此処に住む者なら誰もが知る所だ。手に負えない事態になれば、それは我々の生活にも直結する」


「それは、そうですが……」


 あっという間に論破されそうになっている月日さん。弱い、弱すぎる。雲行きが怪しくなってきたし、静観を解いて援護した方が良さそうだ。


「秋穂さんの言い分も立派ですけど、俺には秋穂さんに荒事が向いているとは思えない」


「と、土岐くん! もう少し言い方があるのではっ」


 取りなそうとする月日さんを手で制して、秋穂さんの言葉を待つ。


「やれやれ、痛いところを突いてくるな。見回りくらいなら、私にも出来るぞ」


 見回りくらい、ね。秋穂さんは、その斥候がどれだけ危険な仕事か根本的に理解してない。


「秋穂さんは混迷の時代を生きてないだろ」


「そうだな。それは君が入部を決めてくれる前に話した通りだ」


「確かに俺は秋穂さんからその話を聞きましたけど、それだけじゃないです。秋穂さんは甘いんだよ。質問。見回りして、どうするんだ?」


「上手くすれば対象を発見する一助に――」


「為るわけがない」


 声を被せる。余りにもバカバカしくて、聞いてられない。


 脱走した奴等は少なくとも秋穂さんよりは過酷な環境で生き抜いてきた。そして、まず間違いなく警戒してる。そんな奴等を相手に、経験値に劣る秋穂さんが索敵能力を出し抜ける、とでも?


「見積もりが甘いんだ。もし俺が狂乱者の立場だったら、先に見つけるのは俺の方だぞ」


 断言する。視界の隅で月日さんが目を点にしておろおろとしてるけど、もうしばらく我慢してもらおう。


「俺が敵だったら、秋穂さんが見回りをしている挙動をしてる時点で、敵認定。赤子の手を捻るよりも容易く、一切の慈悲もなく殺す」


 生かしておく理由がない。むしろ、この街の数少ない敵を減らす好機だ。理由があるならあるで、それもまた最悪な未来に繋がるのは自明。


 もし誰かと行動しているのだとしても、秋穂さんは足を引っ張るだけだ。鎧にもなりやしない。むしろ隠密行動の邪魔になる。


 いずれにせよ、無駄死。生存するパターンが敵に近づく機会が無かった場合だけだから、居ても居なくても一緒だ。


「そうか」


「納得してくれましたか?」


「認識の甘さは自覚していたが、それでも足りなかったな」


 ほっと胸を撫で下ろした――のも束の間。


「ならば、明智くん。君が私の不足を補ってくれれば万事解決だな」


 まぁた、そんなことぉ。


「自警団に任せておけばいいだろ」


「さっきも言ったが、自警団は人手が足りていない。数的な有利は自警団側にあるが、僅差……もし、徒党を組んでその有利を覆されでもしたら大変だろう?」


 どうやら、秋穂さんは気付いているらしい。最も危惧すべき可能性に。俺が思い描いてしまった余計な未来予想図に。


 彼等にすれば。いつ終わるやも知れない仮初めの自由の中、消滅の瞬間まで戦々恐々としながら潜伏しているよりも、自警団の連中を葬ってしまった方が確実だ。


 だって、敵は少ない。現実的に下せる数だ。それは誰もが知る所。


 数少ない執行機関の構成員。状況を収束させようとするなら、最低でも牢獄の見張りと警邏で役割が別れる。ただでさえ少ない戦力が別れる。


 もし。少ない方に、狂乱者が束になって襲撃してきたらどうなる?


 常に数的有利を崩され、そうして確実に数を減らされたら、その先に待つのは倫理の崩壊だ。


 そうなってからでは、恐らく何をしても手遅れだろう。事態に収拾させたいなら、住人が結託をするのが手っ取り早い。


 その前に自警団が崩壊すれば、手を結ぼうにも旗印がなくなる。だから多分、秋穂さんは先駆者になろうとしているんだ。


 率先的に行動を起こす事で、他の人が名乗りを上げやすいように道を開こうとしてるのが解る。


 だから、どうした。俺の脳裏には集落を追放された時の記憶が克明に蘇ってくる。


「わざわざ危険を冒そうとするなよ」


 でも、秋穂さんの言葉を否定しようとするのは別の意志で。


「秋穂さんの残り時間、あと4日しか無いんだぞ」


 そんな貴重な時間を、わざわざ厄介事に費やす事はないと俺は訴えていた。俺の説得に、秋穂さんは何故か微笑みを返してくる。


「優しいな、君は」


「話を逸らさないで下さい」


「先に話を逸らしたのは明智くんの方だ。私の消滅が近い事と今回の件は何の関わりもないだろう」


ぐぅの音も出ない。


「そもそも、私の願望は既に君のオカゲで叶っている。消滅する事に、もはや何の憂いも無いんだよ」


 そう億面もなく言われて、俺は反射的に顔まで逸らしてしまう。秋穂さんの願望は、終活部に入部を決めた日に本人の口から知った。


 成就されていると言う秋穂さんの言葉に、きっと偽りはない。


「だから、残り少ないこの時間でも、君達の未来――終活に貢献できるなら、私はその為に使いたいと思うんだ。部則でもあるしな。自分だけ満足しておいて、知らんぷりは無いだろう?」


 部員は他の部員の人生を結実させることに協力を惜しまない。秋穂さんは、最初からその一環のつもりで……?


「他に未練はないんですか」


「んー、そうだな。強いて言うなら、昨晩帰宅した後にな、方舟ラジオの方から取材依頼のメールが届いたんだ」


「それが?」


「こんな危ない時に来てもらう訳には行かないから、夜が明けたら断りの連絡をしないといけないのが残念だよ」


 そう言って、秋穂さんはわざとらしく嘆息をする。この人は、本当に……ふざけてるよな。


「溜息を吐きたいのは、こっちだ」


 人の心をこうも弄んで。


「やります。やればいいんだろ」


 秋穂さんが、この街が狂乱者に脅かされる未来を是としないなら。それが去りゆく者の未練だって言うなら。


 活動理念に則って、解消に尽力するのが部員としての責任だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る